母の肢体/娘の身体25-29

投稿日 2010/04/11(日)





    * * * 


     普段あまり来ることはないとは言え、それでもこの隣の駅前に来たこと自体は1度や2度ではありません。
     ですが、ちょうど新たにショッピングモールが出来たこともあり、目に映るものすべでか何だかとても新鮮に感じられます。
     それは、ひとつにはいつもよりわたしの視点が低かったことも影響しているのでしょう。
     元の身体の頃もそれほど身長が高い方ではありませんけど、今の「恵美」の身体だととくに人ごみに囲まれたすると、周囲の人がいつもよりひとまわり大きく見え、圧迫感を感じます。
     「大丈夫? はぐれたりしちゃダメよ?」
     けれど、娘…いえ、「雪乃お姉ちゃん」がわたしの手をしっかり握ってくれているので、わたしは落ち着いていられました。
     新築されて間もない綺麗なショッピングモールを、大好きな「お姉ちゃん」と一緒に見て回る「16歳」のわたし。
     そんな演技(ロールプレイ)は、思いのほかおもしろい経験でした。
     ブティックで「お姉ちゃん」がその豊満な肢体にふさわしい大人びたツーピースを選ぶのに感想を言ったり、ティーン向けの売り場でわたし好みのフェミニンで愛らしい服を買ってもらったり。
     やってる事自体はいつもとさほど変わらないはずなのに、何だか凄く楽しいのです。
     そう言えば、夫を亡くして以来、娘を育てるために気を張っていたわたしは、仕事はともかく私事で「誰かに頼る」と言う経験はなかった気がします。
     それが、いまだけのお遊びとは言え、「お姉ちゃん」に保護される「妹」の気分を味わっているのです。ひとりっ子だったわたしには、それだけでとても斬新な感覚です。それこそ、今回だけで終わらせるのは惜しいと感じるくらいに。
     いえ、「雪乃お姉ちゃん」もノリノリですし、時々はこういう悪戯をしてみるのもいいかもしれませんね……と、わたしは自分達の現状も失念して、そんなことを考えていました。


     ですが、覚めない夢がないように、楽しい体験にもいつかは終わりが来るものです。
     その日の場合、夢の終わりを告げる「使者」は近所の主婦・山本さんの顔をしていました。
     わたしは町内会などで何度か山本さんと顔を合わせてますし、娘も朝練に行く時などに見かけて軽く挨拶する程度の仲です。
     お昼を食べてから帰途につき、ふたりで手を繋いだまま最寄り駅まで戻って来た、まさにそのタイミングで、わたし達はその山本さんと偶然正面から鉢合わせしてしまったのです!
     「あ~ら、上原さんとこの奥様とお嬢様じゃありませんか~」
     マズいです。さすがにこんな服装で娘に思い切り甘えている所を見られては、申し開きができません! 嗚呼、これでわたしも明日から「ご近所のチョット変な人」の仲間入りでしょうか!?
     「今日も娘さんとご一緒? 相変わらず仲がおよろしいのですね~、どこかにお買い物ですか?」
     けれど、山本さんは別段普段と変わりのない態度で、わたしではなく「雪乃お姉ちゃん」──いえ、娘の方に向かって話しかけています。
     ???
     !
     なるほど、山本さんはあまり目が良くありませんし、わたし達母娘とさほど親しいわけでもない「顔見知り」程度の仲です。
     わたしの服を着て、わたしとよく似た化粧をしている娘のことを、てっきりわたしだと思い込んでいるのでしょう。
     「え、ええ、そうですね。ちょっと娘と隣の駅前まで……」
     その事に思い至ったのか、ほんの一瞬慌てたものの、娘もすぐにペースを取り戻して、わたし──上原家の主婦である雪乃のフリをしています。先ほどまでの演技で慣れたのか、なかなか堂に入った態度です。
     それから二言三言会話を交わした後、わたし達は山本さんと別れました。


     (ふぅー、寿命が2、3年縮んだかと思ったわ。もうっ、助けてくれたっていいじゃない、「恵美ちゃん」)
     (あはは、でも、結構落ち着いて見えましたよ、「雪乃お姉ちゃん」……いえ、「雪乃ママ」)
     小声でそんなやりとりを交わした後、わたしたちは自宅に戻ったのですが、すぐに娘が困ったことに気がつきました。
     「ねぇ、ママ、あたし、明日学校へ何着て行けばいいのかな?」
     !!
     そうでした。今の娘は首から下がわたしの身体になっているのです。ブレザータイプですから、セーラー服よりはマシでしょうけど、無理して着てもキュキュウなのは目に見えてます。
     「仕方ありませんね。織部さんところで新しい制服買ってらっしゃい」
     織部さんとは、最寄駅近くの商店街に「オリベッティ」という店を構えてらっしゃる仕立て屋さんです。この辺り中学・高校の学生服の販売もひととおり手掛けています。
     制服一式となると……念のため10万円くらい渡しておいた方がいいのかしら。
     娘は、ちょっと躊躇っていましたが、それでもこの状況では、他に手はないと観念したのか、お金を受け取って買い物に行きました。
     (はぁ……まったく、予想外の出費ですねー)
     夫の生命保険と加害者からの慰謝料の御蔭で、それほど生活が苦しいわけではありませんが、決して楽でもありません。
     木下商事でのお仕事は、労働時間が短めで家のことをする時間が取れるぶん、お給料もそこそこですし……。
     もっとも、高卒でさしたる特技も持たない30女を、昔からの御縁で雇ってくださっている木下さんには、足を向けて寝れませんけど。
     そんなことをボンヤリ考えていたわたしですが、ガタンというドアの開く音で物思いから覚めました。
     おや、意外と早かったんですね。採寸とかでそれなりに時間がかかると思ったのですけれど。
     「たたた、大変よ、ママ!!」
     けれど、そんなわたしの呑気な感慨は、バタバタと駆けこんでくる娘の真っ青な顔で吹き飛んでしまいました。
     「──落ち着いてちょうだい恵美ちゃん、そんなに慌てて一体何があったの?」


     興奮している娘の話を整理したところ、次のようなことがわかりました。
     1.娘が幼い頃から、お得意様として懇意にしているオリベッティの店主が、いくら体つきが変わっているとは言え、娘のことがわからなかった……と言うか、母親のわたしと完全に間違えていた。
     2.そればかりでなく、その帰路、学校の友人に会っても気づかれず、挨拶しても不思議そうな顔をされた。
     3.わけがわからなくなった混乱した娘は、ふと思い立って証明写真を撮る機械で今の自分を撮ってみた。そうすると……
     「それで、出てきた写真がコレなんですね?」
     なんということでしょう!
     そこには、いつもと変わらない(ちょっと緊張はしてますけど)顔をした上原雪乃、つまりわたしにしか見えない女性が写っていたのです!
     明らかに、今わたしの目に見えている娘の姿とは異なります。
     「ねぇ、ママ。ママの写真も、ケータイでちょっと撮らせてくれる?」
     そうですね、わたしについても確かめておくべきでしょう……嫌な予感しかしませんけど。
     ──こういう嫌な予感ほど当たるものです。
     娘のケータイに映ったわたしの画像は、どこからどう見ても上原恵美、すなわち娘そのものにしか見えませんでした。


     * * * 


     あのあと、ママと色々話し合ったり実験してみたりしたんだけど……。
     デジカメもビデオも物置から引っ張り出してきたポラロイド写真も、すべて今の身体に応じた顔で映っているみたい。
     例外は、あたし達ふたりが、直接もしくは鏡越しに視認した姿くらい。
     と言うことは、つまり他の人の目にも、あたしは「ママ」として、ママは「あたし」として写っているのだろう。人間の目の構造も、基本的にはカメラと一緒とか、理科の時間に聞いた覚えがあるし。
     ちなみに、声の方もテレコを使って確認したところ、やっぱり身体の方と同じ声が録音されていた。あたし達自身には、これまでどおりの声に聞こえるのに……。
     念のため、夕食のおかずのおすそ分けを持っていくという口実で、おそらく世界中でもトップクラスにあたし達親子のことを熟知しているはずの政紀のところへ、ふたりで押し掛けてみた。
     もちろん、結果はクロ。あの馬鹿、あたしを完全にママだと思って丁寧に話しかけてくるし、ママのことをあたしだと思って気安いからかいの言葉を投げてきた。

     ここまで来たら、もう疑いようがない。
     今朝あたしは「中途半端な叶え方」って言ったけど、決してそんなコトはなかったんだ。
     むしろ、周囲からは徹底して、あたしは「上原雪乃」、ママは「上原恵美」として認識されているらしい。
     「じゃあ、どうして頭の見かけも変えなかったのか」という疑問は残ったけど、今はそんなコトを追求している場合じゃない。
     自分達の意識や首から上の見た目がどうあれ、少なくとも外では、あたしは「ママ」として、上原家の主婦として振る舞わないといけないし、ママは「あたし」として、女子高生らしく行動してもらわないといけないだろう。
     無理矢理自分達が別人だと主張しても、精神の具合を心配されるだけだろうし。
     一応泰男おじさんが帰って来たら、あの神像のことを訊いてみるつもりだけど、その時の話の持っていき方も考えないといけないかなぁ。
     ふぅ~~。
     「大変なことになってしまいましたね、恵美ちゃん」
     オロオロしているママを見てると、逆にあたしの方が肝が据わってきた。
     「まぁ、ね。
     でも、考え方によっては、あたし達の「願い事」が叶った結果なんだから、そんなに悲観することはないかもしれないわよ?
     第一、ママも、もう一度女子高生してみたかったんでしょ」
     「そ、それは……その場の勢いというか、つい口が滑ったと言うか……」
     真っ赤になって俯く様子が、なんだか可愛いというかいじらしいと言うか。
     ──おかしいなぁ。あたし、ママのこと、こんな目で見たことあったっけ? 午前中の「演技」が影響してるのかな。
     「それにホラ、あたしも泰男おじさんのところで働くという念願が叶うわけだし」
     その後、あたし達はとりあえず当面の「入れ替わり」生活を乗り切るための知識を互いに教え合い、また困った時参考になるよう、考えうる限りのトラブルについて対処法を書いたノートを作成することになった。
     はぁ……折角のよく晴れたうららかな秋の午後に、あたし達、何してるんだろーね。

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最終更新:2010年04月13日 02:47