* *
目覚まし時計の軽快なアラームと共に、わたしはパチッと目を開きました。
時刻は7時11分。
う~ん、今日も2個目の目覚ましでしか起きられませんでしたか。7時5分前と7時10分の二段構えでセットしているのですが……低血圧って手強いですね。
とりあえず気持ちを切り替えて、起きちゃいましょう。幸い、今日はテニス部の朝練がない日なので、学校に行くのに多少余裕があります。
わたしが階下に降りると、「母」が「いつも通り」に朝食の用意をしてくれていました。
「すみません、「母さん」、また寝坊しちゃいました」
「あら、まだ寝坊って時間じゃないわよ、「恵美」」
そう、わたし達は現在互いを「ママ」「恵美ちゃん」ではなく、「母さん」「恵美」と呼び合っています。
これは、わたしが「ママ」と口にするのがどうにも照れくさくて慣れなかったのと、同じく彼女の方も「自分」に「ちゃん」付けで呼ぶのがどうにも居心地が悪いと言うことで、相談してそう決めました。
周囲には「高校生にもなってママと呼ぶのが少々気恥ずかしくなった」「娘の意思を尊重して一人前扱いすることにした」と説明したため、不審には思われなかったようです。
「ごめんなさい、ご飯の用意、手伝えなくて……」
「アハハ、気にすることないわ。むしろ、以前のあたしみたく起こしても起きないのに比べれば、百倍マシよ」
そう言って「母」は許してくれますが、わたしとしては、月曜にあんな風に決意表明したにも関わらず、5日目の金曜(つまり今朝)に至るまで全滅──つまり一日も朝食の準備を手伝えていないのですから、凹みもします。
おまけに、それだけ毎日炊事をこなしているせいか、「母さん」の料理の腕前は日に日に向上しており、いまやほとんど以前のわたしと遜色ないレベルにまで迫っています。
「うぅ……母親の威厳がぁ」
「ああ、心配無用よ。そんなモノ、元々カケラ程しかなかったし」
笑いながら、「母さん」はわたしのおデコをピンッと軽くはじきます。
「はぅっ!」
薄々わかっていたこととは言え、ハッキリと言われるとショックです。
「はいはい、落ち込んでないで。片付かないからチャッチャと食べちゃってね」
「……はい」
ホントに、確かにコレじゃあ、どちらが年上かわかりませんね。
わたしはおとなしく食卓につきました。
「それで、確か今日の午後、木下さんが帰ってくるんですよね?」
「そうね。スケジュール表ではそうなってたし、水曜に会社にかかってきた社長の電話でも、それを変更するような連絡はなかったわ」
ご飯を食べながら、今日の……いえ正確には今後の予定について、ふたりで話し合います。
「社長の様子次第だと思うけど、いつも出張帰りには、夕方ごろに会社に顔を出してるんでしょ?」
「そうですね。ただ、その時は簡単な報告と社用の荷物を置く程度ですぐ帰られてしまいますから……」
「あの彫像について聞きだすのは難しいか。OK、わかった。一応、話ができそうなら振ってみるけど、あんまり期待しないで」
「ええ、むしろ明後日あたりに木下さん家に行ってみる方がいいかもしれませんね」
いずれにしても、今日明日すぐに、この異常事態──入れ替わりというか首すげ替えを解決するのは無理でしょうね。
そのことを歯がゆく思う反面、どこか心の片隅で、今の状態が続くことを密かに歓迎してしまうのは、やはりコレがわたしの「願い事」が適った結果だからでしょうか……たとえ意図したのとは微妙に異なるとは言えど。
「ごちそうさま」と朝食を終えてから、せめても部活がない日くらいは皿洗いを担当します。ふたり分の朝食の食器なんてしれてるのですけど、「恵美」の手先はぶきっちょなのか2度も皿を落としかけました。
朝ご飯の前に回してあった洗濯機から洗いあがった洗濯物を取り出して、鼻歌を歌いながら物干しに広げている「母さん」を尻目に、わたしはそろそろ学校に行く準備にとりかかります。
下着を替え、制服を着て、簡単なフェイスケアを済ませるまで約5分。この一週間でわたしも随分手慣れたものです。
体(くびからした)のお陰か、お肌もずいぶん瑞々しくなってきたので、お化粧自体も最小限で済みます。
そうそう、朝シャンも止めてしまいました。(恵美の)友達に聞く限りでは、朝洗髪してる娘は最近は半分を切ってるみたいですし、そもそも朝練がある時は汗かくから無駄な気もしますから。
最後に髪を留めるリボンですけど……うーん、今日は朝練はない代わりに放課後の部活はありますから、あまりヒラヒラしたのは×かしら。
となると、昨日帰りに、テニス部のみんなと繁華街寄って買ってきたパステルオレンジに金の縁取り模様があるのは却下ですね。これはお休みの日にでも可愛らしい服と合わせる方がいいでしょう。
空色の比較的シンプルな細めのリボンで左右に髪をまとめて、鏡の中の自分をチェック。
「うん、可愛い♪」
──自分の実年齢が30代半ばということは、この際無視です。今のわたしには、この髪型がよく似あってますしお気に入りですから。可愛いは正義なのです!
通学カバンを開けて、念のために中身を確認。大丈夫、忘れ物はありません。
「いってきまーーす!」
「はい、いってらっしゃい」
「母さん」の声に見送られて、わたしは家を出ました。時間は8時5分。家から学校までは10分ほどで、予鈴が鳴るのは8時半ですから、本来はわりと余裕があるんですけど、わたしには寄るところがあります。
──ピンポーン!
「………ぅーーーぃ……」
お向かいの家の呼び鈴を鳴らすと、しばしの沈黙の後、インターホンからは眠そうな応えが返ってきました。
ふぅ、やっぱり、まだ寝てたんですね。
軽く溜息をつきながら、わたしはお財布から取り出した合鍵でドアを開けると、木下家へとあがらせてもらいました。
「おはようございます、マサくん」
「あーー…恵美かぁ……おはよ……ふわぁ」
パジャマ代わりのTシャツ&短パン姿で、ボーッと突っ立っているマサくんを、手早く洗面所に押し込みます。
「ほら、マサくん、顔洗って目を覚ましてください!」
「ん……」
まったく、まさかマサくんが元の恵美以上のお寝坊さんだとは知りませんでしたよ。まぁ、寝ぼけているマサくんは、昔みたく素直でかわいいんですけど♪
2分後、洗顔&歯磨きを済ませた彼は、完全に目を覚ましていつもの、ちょっとお調子者なマサくんに戻っています。
「はい、朝ご飯……って言っても、ただのおにぎりとお茶ですけど」
「うぅ、恵美や、いつも済まないねぇ」
わざとらしくゴホゴホと咳き込むマサくん。
「いえ、わたしが好きでやってることだから」
「へ!?」
あ……しまった。本来の恵美なら、ココは「それは言わない約束でしょう、おとっつぁん」とでも返していたはずなのに、ついわたしの本音が出てしまいました。
いえ、だって、好きな男の子に朝食(たとえおむすび1個とは言え)作ってあげるのって、恋する乙女の夢でしょう?
(この際、「誰が乙女?」というツッコミは全力でスルーです)
「あ、あぁ……うん、ありがとさん」
あまりにわたしが素直に返したせいか、マサくんはちょっと照れくさそうです。
わたしもほんのり頬が赤くなってるのを感じます。
「……ごっつぉーさん」
「はい、お粗末様。じゃあ、早速ですけどマサくん、制服に着替えて来てね」
「おぅ、待ってな。1分で済ませてくらぁ」
彼を待つ間に、テーブルの上を布巾でぬぐい、お皿と湯呑も洗っちゃいます。
「うし、木下政紀・通学形態、完成だ!」
「はい。じゃあ、出ましょうか……あ、ちょっと待って!」
ブレザーのポケットからクシを取り出して、マサくんの寝癖を梳かします。
「……うん、これで大丈夫」
「お、サンキュー」
木下家を出ると、ふたり並んで学校へ向かいます。
「にしても。なぁ、恵美、最近なんかイイことでもあったのか?」
「え? どうして?」
「いや、こぅ、いつもニコニコしてるし、なんつーか、俺の世話も色々焼いてくれるし」
「…………」
それは……確かに、そうかもしれません。
非常(識)事態とは言え、もう一度高校生ライフを経験できることを、わたしは確かに喜んでますし、マサくんに対しても、これまで隠していた気持ちを仮初の「恵美」の立場で、素直にブツけている自覚はあります。
でも……。
「迷惑、だったかしら?」
「ああ、いや、全然ンなこたぁない! むしろ朝なんか助かってるくらいだし、俺だって、たとえ腐れ縁の幼馴染とは言え、カワイイ子と朝から一緒に登校できるのは、満更でも……って、タンマ、今のなし!」
「え!?」
かわいい……マサくん、わたしが、可愛いって……。
「うふ、ウフフフフフ」
「あ~、聞いてねーな、コイツ」
マサくんが何か呆れたような溜息ついてますが、そんなのほとんどわたしの耳に入ってはきませんでした。
そりゃあ、わたしだって女ですし、そこそこイケてる顔立ちだという自負はあります。近所の商店街では「美人ママさん」で通ってましたし。
でも、不特定多数の人にお世辞混じりで言われるのと、好きな男性にポロッとこぼれた本心でそう言ってもらえるのとでは雲泥の差があるんです!
「ホレ、あぶねーって!」
「キャッ!」
気がつくと、グイッと右手をマサくんに引っ張られてました。どうやら、すぐそばをクルマが通過したみたいです。
「朝っぱらからボンヤリしてると、轢かれるぞ?」
「す、すみません」
確かに、これじゃあダメダメですね。うん、気合いを入れなおしましょう。
(アッ!)
ふと気がつけば、先ほどからの流れでわたしはマサくんにそのまま手を引かれるようにして歩いてました。ポケポケしてるわたしが危なっかしいと思ったのでしょうか。うぅ……屈辱です。
(でも、これはこれで、悪くないかも)
それからしばらくして、学校が見える場所にくるまで、わたしたちは無言で手を繋いだまま歩き続けたのでした。
学校に着くとマサくんは1-A、わたし(というか恵美)は1-Bなので、名残惜しいですが、とりあえずお別れです。
授業は……まぁ、普通? いえ、「学校の授業」が退屈なのは古今東西不変なのですが、今のわたしは授業についていくだけで精いっぱいなのでサボっている暇もありません。
これでも学生時代は一応優等生で通ってたんですけどねぇ……20年のブランクを甘く見てました。
で。
ようやくお昼休みになって、昼ご飯なんぞ食べているワケですが。
「うーーーむ……」
「むむむむぅ……」
(恵美の)仲の良いお友達ふたり──梨佳ちゃんと琴乃ちゃんが、難しい顔してわたしの方を見つめています。
「あの……どうかしたの、ふたりとも?」
まさか、わたしが本物の恵美じゃないとバレたのでしょうか? そんなに怪しい行動をしたつもりはないのですけれど。
「恵美、アンタ最近なんかあったわね?」
ドキッ!
「なんてゆーかこう、仕草とか髪型とか妙に可愛くなったし」
ドキドキッ!
周囲にはちょっとした心境の変化と言って誤魔化してあったのですけど、やっぱり見てる人は見てるものなんですね~。
「そ、そんなコト……ありません、よ?」
「なぜに、疑問形? それに目が泳いでる」
はうぅ!
マズいです。さすがにこんな荒唐無稽な事態の真相に気づくとは思えませんけど、これがキッカケで彼女達との仲が気まずくなったら、元に戻った時、娘に申し訳が立ちません。
(元に戻れなかったら……まぁ、その時は自業自得だと思ってあきらめます)
「ズバリ聞くわ」
ズイッと梨佳ちゃんが机に両手をついて迫ってきました。
「──男ね?」
うっ! 当たらずといえど遠からじと言うか、彼女達が感じている違和感の根本的な原因は無論全然違うのですが、わたしの今の言動が気になる異性を意識しているせいだということは、あながち間違っていません。
「やっぱしねぇ。もしかして、木下くん?」
琴乃ちゃんの追求に思わず硬直してしまいましたが、それが何より雄弁な答えになっていることでしょう。
「な、なぜに……」
「いや、そりゃわかるわよ。アンタ、男友達も多いけど、木下みたく気安い付き合いしてるヤツは他にいないじゃん」
「ま、以前は「アイツはただの腐れ縁! 弟みたいなモンよ!」とか言って否定してたけど、それにしては最近一緒に仲良く通学してるみたいだしィ」
「オマケに、その乙女っぷりを見れば、ねぇ」
あ……はは、わたしの態度って、そんなに露骨だったんでしょうか? 20歳も年下の小娘にたやすく見透かされるとは、正直ちょっと凹みます。
ともあれ、それでもふたりの追及をのらりくらりかわしながら、わたしは何とか昼食を終えました。
さて、授業に比べるとテニス部の部活はやはり気が楽です。
夫が生きていた頃は週1回テニススクールに通ってましたし、最近でも娘の都合がつく時は、休日に中央公園のコートでラリーとかもしてましたしね。
まだ若いつもりのわたしですけど、30歳の坂を越えた今となっては、さすがに現役女子高生相手に真っ向勝負してはスタミナ面では不利です。
もっとも、わたしは元来力任せに駆け回ると言うより、緻密なコントロールで相手の返球をコントロールするタイプのプレーヤーでしたから、勘と体力にものを言わせる娘の相手もそこそこ務まっていました。
そして、その老獪な(って言うとなんだか意地悪婆さんみたいでイヤですけど)頭脳プレイのスキルに加えて、娘の呆れるほどパワフルな身体を得た今のわたしはまさに無敵!
……すみません。ちょっと調子にノリました。でも……。
「3-1、ゲーム・ウォン・バイ、上原!」
「う、嘘でしょう? 立花先輩があんなに一方的に……」
──まぁ、本気を出せばコレくらいのコトはできるワケです。
「まるで、ボールが上原さんの前に吸い寄せられてるみたい」
「アレが、"上原ゾーン"!?」
いや、それは言い過ぎ。て言うか、わたしはどこぞの老け顔のテニス部部長ですか? (まぁ、実年齢は確かにテニス部員のみなさんのダブルスコアなわけですけど)
「それにしても、冗談抜きで上原さん強くなったわね。ちょっと前までは力任せのラフなプレイが目立ったのに」
「あはは、キャプテンにまでそう言っていただけるとは光栄です」
部活のあとは部室で着替えつつ、歓談タイム。これもまた中高生のクラブの楽しみですよね!
「急激に実力をつけた後輩」というのは、ともすれば先輩からのイジメの対象になりかねませんからね。こういう場所でのコミュニケーションを大事にしておかないと。
「でも、以前と違ってとても礼儀正しくなったし、細かい気配りもできるようになったわ。これなら次期部長を任せても大丈夫かしら?」
「そんな! わたしなんてまだまだです」
いえ、ホントにたいしたことはしてないんですよ? 社会人としては当たり前の……って、そうですね。あの子はイマイチそういう面が疎いというかガサツな子でしたから。ギャップで「すごく良くなった」ように見えるのでしょう。
「それはさておき……上原さ~ん、最近随分女らしくなったわねぇ。もしかして、気になる男の子でもできた?」
──何故、部活仲間の同級生や先輩にまで見破られてるんでしょう、わたしは。
「あ、それ、あたしも思ってた、ウン」
「最初、この子が、今の髪型にしてきた時は、「何今更ブッてんの?」とか思ったけど」
「正直、ここまで雰囲気に合うとはね~」
ココ、喜んでいい所なんでしょうか?
ともあれ、そういう細かい部分での本来の恵美との差異(ちがい)は、周囲も感じているようですが、それも全て「恋する乙女パワー」の為せる技と考えている様子。
わたしが本物の恵美ではないなんてことは、これっぽっちも思ってないみたい……いえ、覚られても困るんですけど。
わたしとしては、下手に気を回すことなく、二度目の女子高生ライフを謳歌できるのは有難い話ではあります。
この5日間で、「恵美」の高校における対人関係も大方把握できましたし、とくに大きなボロは出してない自信もあります。
(これなら、しばらく「恵美」として高校に通うのも悪くないかしら?)
そんな風に呑気に構えていたわたしですが、部活を終えた帰り、下駄箱の中に一通の手紙が入っていることに気がつき、いきなり緊張することになりました。
用件は屋上の呼び出し。差出人は、木下政紀……って、マサくん!?
それからの一連の流れは、夢現のようでハッキリとは覚えていません。
ただ、屋上でマサくんに「つきあって欲しい」と告白されたこと、そして、混乱する頭で「しばらく答えを待って欲しい」と返事したことだけは、かろうじて記憶にあります。
マサくんから逃げるようにして、ひとりで帰宅する途中、わたしは漠然と考えを巡らせていました。
マサくんいわく、「ずっと乱暴な姉貴みたく思っていた恵美が、急に女らしくなったことで、自分の気持ちもまた変化していることに気がついた」とのこと。
コレって、今「恵美」を演じているわたしのことを好きになってくれたと思っていいんですよね?
でも……今のわたしの、わたし達の立場は仮初のものです。それなのに、何食わぬ顔でマサくんとおつきあいするなんて、娘とマサくん、ふたりに対する裏切りでしょう。
いまだ手がかりはつかめませんけど、なんとか元に戻る方法を見つけて、「上原恵美」としての人生を娘に返してあげないといけません。
──本当にそう思ってるの?
わたしの心の中の悪魔が、耳元でそう囁きます。
──「恵美」として、これからもずっとマサくんのそばにいたいんでしょう?
──それに、こんな奇跡みたい出来事を、そう簡単に起こせると思う?
的確にわたしの心の闇を突いてくる「悪魔」に、わたしは反論するすべを持ちません。力なく首を横に振るばかりです。
そう、確かにわたし自身に限れば、こんな毎日が続けばいいと願わなかったと言えば嘘になります。
けれど、娘の……「雪乃」になってしまった恵美の立場から見たらどうでしょう?
20歳も年上の実の母親の体と立場を、唐突に押しつけられたあの子のことを思えば、母としてその誘惑に断じて首を縦に振るわけにはいきません!!
しかしながら、その日、いつもに比べて大幅に遅く(その旨、ケータイにメールは入ってましたけど)帰宅した「雪乃」は、ホロ酔い気分でご機嫌でした。
飲酒については本来咎めるべきかもしれませんけど、「雪乃」の社会的な立場からして、りっぱに成人した女性なのですから、他人にお酒を薦められることもあるでしょう。その点はあきらめています。
そして、彼女の口から出た言葉は衝撃的でした。
「え? 社長に、例の件についてお話を聞けたんですか?」
「とーぜん! そのためにワザワザ晩御飯に誘ったんだからネ!」
こういう面では、この子は割と如才ないと言うか積極的なんですよね。あとは、もう少し周りを……って、いえ、今は話を聞きましょう。
「それで、あの彫像は手に入りそうなんですか?」
「んーー、結論から言うと「たぶん不可能ではない」みたい。ただねー」
木下さん曰く、あの彫像はとある顔見知りの現地トレーダーから手に入れたのですが、そのトレーダーも旅暮らしの人なので、おそらく次に会えるのも一年後の今頃の季節になるだろうとのこと。
「一応、「気に入ってたのに落として壊してしまったから、できればもう一度手に入れて欲しい」とは言っておいたけどね。
少なくとも、最低でもこれから一年間は、この状態のままであたし達は暮さないといけないワケよ」
あまり希望的とは言えない事実を告げながらも、娘の顔はなぜか楽しそうでした。
「でもさ、あたし思ったんだけど……そもそもあたし達、元に戻る必要あるのかな?」
「……え?」
聞き間違いでしょうか。何やら娘が不穏な言葉を告げた気がします。
「な、何を言ってるの、恵美ちゃん?」
「だってそうでしょう?
あたしは、早く大人になって、できれば康男さんの会社で働きたい。
ママは、もう一度気楽な女子高生ライフを楽しみたい。
それがふたりの願い事だったはずよね。それが見事に叶っているいるのに、今更元に戻る必要があるのかしら?」
!!
「で、でも…恵美ちゃんは……それでいいの? 首から下を、そんな……言いたくないけどオバさんの体に挿げ替えられて」
「あは、卑下することないわよ。この体、すんごいグラマーだし、とても30歳を越えてるとは思えないくらい若々しいしね」
そう言いながら、彼女はその肉体を誇示するかのように、胸の下で腕を組み、乳房を揺らして見せます。
「まぁ、それが全く赤の他人の体だったら嫌悪感もあったかもしれないけど、これは大好きなあたしのママの…母親の体だもん。
遺伝子的に言っても、半分は元のあたしと共通してるはずだし、全然気にならないわ。むしろラッキーって感じ」
ニヤリと笑うと、彼女は突然わたしを背後から抱きしめます。
「ちょ、ちょっと、何を……あン!」
わたしの身体のそこここを確かめるように、彼女の手が這いまわります。
「ん~、いい感じ。あたしの体って、他人から見るとこんな感じだったんだ。ちっちゃくて、かわい♪」
「そ、そこはヤメて……ああッ!」
元は自分のものであったからか的確にこの体の弱点を攻められ、あられもなくわたしは喘ぐばかりです。
「うーん、でも、ま、今すぐ決断しろってのは性急すぎるかしら。
そうね。これから一年間を「お試し期間」として、このままお互いの立場になりきって過ごしましょ。そして、一年後……」
わたしの耳元に息を吹きかける彼女の顔が、その時のわたしには、まさに人を堕落に誘う悪魔のように思えました。
「もし、今の立場に満足していたら、そのままあたしが「上原雪乃」に、貴女が「上原恵美」になるの。そう、これからの一生ずっと、ね。
どう? 公平な申し出でしょ、「恵美ちゃん」?」
「……はい、「ママ」」
わたしは、素直に首を縦に振ることしかできませんでした。
そう、わたしも本当は心の底でソレを望んでいたのですから……。
最終更新:2010年05月05日 17:26