あこがれのひと

「あのう、『エスカリエ』の北原ミオリさんですよね?」
 夕暮れの駅前通りで話しかけてきたのはおかっぱのようなショートヘアーのかなり太めの高校生
くらいの女の子だった。
「ええ、そうよ」
 その言葉に少女は顔をほころばせて私を見上げる目を歓喜に光らせていた。
「うわーっ、やっぱりそうでしたかぁ。ワタシ、感激です」
 ちなみに、『エスカリエ』というのはティーンズ向けのファッション雑誌のことで、私はそこの
専属モデルをしている。高校在学中の時から約三年の間にそれなりの人気を集めてきたつもりで、
他誌でもグラビアを飾ったことは何度かある。そこそこ仕事運にも恵まれてきたおかげで、テレビ
での仕事も舞い込んできて、そろそろ一流の仲間入りもできたんじゃないかというふうに、自分で
は多少、うぬぼれている。
「ふふ、いつも見てくれてるの? アリガトね」
 こんなふうにちやほやされて、舞いあがるのは嫌いじゃない。
「ええ、ミオリさんって私と違ってスタイルもいいだけじゃなくて、顔だって素敵だし、話だって
上手だし、頭もいいし、憧れちゃいますよぉ」
 頭もいい、かどうかは分からないが、それでもちょっとだけトーク術にはうるさいのだ。
「ううん、そんなことない。あなただって、可愛らしいわよ。わりと同性からも好かれるほうなん
じゃないの?」
 すると、彼女は手をぶんぶんと振りたくって照れてみせた。
「いえいえいえ、そんな恐れ多いです。天下のミオリさんに可愛いだなんて言われたら、勿体なく
て夜も眠れなくなっちゃいますよぉ」
 まあ、たしかにお世辞は半分は入っているが、それでも彼女は顔の造作自体はそんなに悪くない
ほうだと思う。鼻筋も通った方だし、口元も締まりがいい。まあ、肉付きが良すぎて目元が細くな
っているし、身体の方は、これはかなりダイエットが必要になってくるとは思うんだけどね。
「あ、あーっ。そうだ、せっかくミオリさんに会えたんだから、アレよ、アレ。アレを出さなくっ
ちゃ」
 あせらなくてもいいのに、手提げかばんの中をがさごそと漁って、何かを探している様子だ。サ
イン帳なのか、それとも何かプレゼントでもあるっていうのかな。
 なかなかお目当てのものが出てこない彼女に近づいて、ひょい、と顔を近づけた瞬間。
「はい、出てきました」
 制汗の携行スプレーほどの細長い缶を取り出しざま、私の顔に吹き付けた。
 くらん、と世界が揺れて私はそのまま意識を失っていた。



目が覚めると、周囲はすっかり真っ暗になっていて、私は冷たい床の上に転がされていた。
 闇に目が慣れると、そこは無機質な部屋の一隅で、それも鉄格子のなかにおかれていることがわ
かったのだった。
 最初から、彼女の狙いはこれだったのだ。私は思わず舌打ちした。
「あっ、大丈夫でしたか。もう目が覚めたんですね」
 声が格子の向こうの暗がりから響いていた。私は思わず身体のあちこちを触って怪我や悪戯をさ
れていないかを確かめていた。
 さきほどの彼女が椅子に跨った姿勢で、こちらを見つめてにやにやとしていたのだった。
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。お怪我なんてさせるつもりはございませんもの、心配しないでくだ
さいよ」
 なんて、しれっと言ってくれるが、それならどうして私は檻の中なんかに閉じ込められているの
だ。心配しないで、が聞いて呆れる。
「……それで、何が目的なの」
 バッグは取り上げられているようだった。もちろん、携帯電話も。
 だけど、物盗りだとしたら、もうとっくに用件は済んでいるはずだろうに。不安を顔に出せば、
つけこまれる隙を作るだけだ。
「ええっと、ですね。少しだけ、私のお願いを聞いてください。そうしたらすぐにでもここからお
出ししてさしあげますから」
 お願いって、それは強要というものだろう。
「それは……そのお願いとやらの内容にもよるんじゃないの?」
 すると、彼女は交渉の場に私が乗ったとみて満足げな笑みを浮かべながら、
「いえいえ、たいしたことじゃないんですよぉ、ホント。ただ、ですね、ワタシの作ったレオター
ドをですね、着てもらえたのなら、それだけで十分なんです。お荷物も全てお返しして、すぐにで
もここを出してさしあげますから、ね」
 彼女の足元に置いてあったレオタードが入ったビニール袋を檻の格子の間から投げてよこしてき
た。
 これはあからさまに不審な言葉だ。
 着替えている最中の様子を盗撮などしたうえで、出版社などに売りつけるか、それをネタに私を
脅して金をせびるか、まず、狙いとしてはそんなところだろう。もしかしたら、彼女自身が性的に
それを望んでいるのかもしれないが、さて、どうしたものだろう。



「悪いけど、そんな一方的な要求には応じられないわ」 
 彼女の目をにらみつけながら、つっぱねた。
「ああ、そう仰るとは思っていましたけれどもね」
 彼女は細い目をさらに糸のようにしてにやり、と笑った。
「だけど、それなら、あなたにはずっとここで暮らしていただくことになるだけなんですよぅ」
 ぞっとするような声色だった。
「別に、私としてはそれもまたいいことだなぁ、なんて思ったりしますけどね?」
 椅子の背もたれに顎を乗せた格好で、彼女は笑顔をいささかも崩さない。
「言っておきますけど、ここってワタシの家の持ちビルでしてね。どんなに大きな声を出しても暴
れても、誰にも聞こえないように、なっているんですよね、これが」
 たしかに、床も壁も分厚くて、まるで周囲の物音が耳に入ってこないのだから、逆に、私がどん
なに声を張り上げても無駄なのだろう。それは単なるハッタリなどではない。

「別に、そんなに身がまえなくても心配ありませんよ。盗撮なんて下衆なことしませんから」
「……誘拐や監禁っていうのは下衆じゃないとでもいうの」
「あっはっは、それもそうでしたね」
 まるで悪びれる様子もなく、彼女は椅子を揺らして、脚をかたかたと鳴らしている。
「はっきりいいましてね、これは私の憧れの気持ちのあらわれなんですよ。好きな人に自分のデザ
インしたものを着てもらいたいって、それだけ願いがかなったのなら撮影記録を残すだなんて馬鹿
な真似もせずに、きちんとあなたを解放してさしあげますから、ね」
 そして、彼女は自らの着衣をするりするりとはだけていって、あっという間に下着姿になってい
た。
「ね、これなら盗撮なんてしていても無駄でしょ」
 そうは言っても、まだ部屋の隅から撮っていたり、もしくは編集で彼女の部分だけ消すとか、そ
んなことだってし放題じゃないか、とは思われた。
「じゃあ、そうね。わかった。着替えるところだけ、隠せるようにバスタオルか何かを貸してちょ
うだい。そうしたら……いいわ」
 ついに、私も折れた。
 いや、きっと折れなければならなかったのだろう。はやく、この悪夢のような夜から解放された
かったのだ。



 彼女はその条件を快諾し、私は頭から毛布を被ったままに彼女の作った青いレオタードとやらを
着ることになった。下着はつけずに、そのまま着るタイプのそれは、たしかに私の身体の凹凸にあ
わせてぴったりの作りになっていた。胸の中心の突起までがはっきりとうつるほどに、それはぴっ
たりの作りだった。たしかに、彼女は私のファンなのだろう。それもおそろしく偏執的な。
「もう、いいですかあ?」
 彼女の声が興奮にうわずっていた。
 返事にかえて、私は毛布をばさり、と床におとしていた。
 どうだ、見てみろ。とばかりに胸を張った姿勢で、私は彼女に自慢の肢体を見せつけていた。
 わずかな月明かりの中で、彼女はひとつ、ほう、という感嘆の声を上げると、小さく拍手をして
いた。
「すばらしいです。さすがはミオリさん、もう、最高ですよ」
 目をみはったままで彼女はうっとりとした声をあげていた。
「……さあ、もういいでしょ、これで私を解放してちょうだいよ」
 すると、彼女は首を縦にして、
「ええ、もちろんですとも。でも、その前にこれをみてくれませんか」
 彼女はおもむろに着けていた下着を脱ぎ捨てるともうひとつ、足元に置いていたビニール袋から
赤いレオタードを取り出していた。 
「何よ、なにをするつもりよ」
「もちろん、着るんですよ。ワタシが」
 ぎゅきゅっ、と窮屈そうな音をたてながら、その肥満した身体をレオタードに包んでいた。
「さあ、いかがですかぁ」
 そして、彼女も恥ずかしくもない様子で、私にその姿を見せていた。
「……ちょっと、コメントは控えたいところよね」
「うふふふ、いいんですよ、はっきりと、だらしない身体だって言ってくれても」
 にやにや、と彼女は気持ちの悪い笑みをはりつけたままで私に話しかけていた。
「小さい時から異性には……虐められましたよ。そりゃ、こんな身体ですもん、仕方ないですよね。
お腹のほうが胸より突き出たビヤ樽女だって」
 声に、冷やかな自嘲が籠っていた。
「女友達だってそうでした、表面上は仲良しを装っていても、結局は私はコンパの数合わせにも使
ってもらえない、結局安く見られているんです」
 声をかけることもできないままに、私は彼女の様子を見ていた。
「不公平ですよね、ホント、あなたみたいに美しい人がいる半面で、ワタシみたいなミソッカスが
いるんですもの、ええ、ホントに不公平」
 彼女の瞳には、それでも笑みがたたえられていた。
「でも、それも今日までのことですよぉ、うふふふふ」
 彼女から、ぞっとするような妖気が放たれていた。



「それより、ミオリさん、いかがですかあ、そのレオタードの着心地は、痒かったりなんてしたり
してませんか?」
 そうなのだ、このわき腹あたりに、どうも鈍い痒みのようなものが奔っているのだ。生地にかぶ
れたのだろうか?
 私は、ぼりぼりと指先でそのあたりを掻いていた。
「ええ。どうやらうまくいったみたいですねえ、その痒みっていうのはですねえ、ミオリさん。あ
なたのわき腹に贅肉が付く前兆なんですよぉ」
 びくん、とその言葉に手を止めた私の身体には、次の瞬間に大きな衝撃が奔っていた。
「きゃっ、うわっ、なになに、いたたたた」
 私の身体は、瞬間にぶわり、と全体の盛り上がりが始まっていた。
「そうら、はじまりましたよ」
 同じく、彼女の身体にも変貌が奔っていた。
「はははっ、それではスタイル入れ替わりのはじまりでーす」
 彼女は高らかに宣言した。
「ああっ、脚がっ、私の脚が短くなってくっ」
 みるみるうちに床が近くなっていく。脚が短く太くなっていくのだ。それと同時に腕も同じ比率
で縮んでしまっていく。痛さで頭が割れ鐘のようだ。
「ほうら、私にも憧れのウエストのくびれができてきましたよぉ」
 彼女の腰のまわりがぐんぐんと締まっていくのだ。無駄な肉が落ちていく。
「いや、なによこのお腹っ! まるでおばさんじゃないのっ」
 むちむちとはりついてくる脂肪は身体全体に張り付いてくまなく広がっていく。
「ひゃははっ、ミオリさんがどんどんチビデブになっていきますね」
 対する彼女は脚が長くしなやかに細く引き締まり、私との身長差があっという間に逆転していく。
「私は胸もお尻も、つんつんのつーんってなもんですよ」
 私の自慢だったバストはわき腹の脂肪の中に陥没し、乳房も平坦にならされてしまう。対して彼
女の胸は豊かに盛り上がり、引き締まったアンダーバストとの対比がとても女性的で美しい。
 ヒップもそうだ。でん、と沈み込むような感覚で太ももの肉のなかに沈み込み、ただでさえ短く
なった脚にめりこんでいく。対する彼女のお尻は引き締まり、かつ持ち上がり、魅力的な曲線へと
整えられていく。
「いやぁ、戻して戻してェ」
「いーえ、すぐに終わりますから我慢してくださいよぉ」
 ねっとりとした笑いを帯びた声で、彼女は言い放った。むろん、その間にも変化は止むことはな
い。


変化がおさまるまでには、ほんの数分のことだった。
 しかし、痛みがひいてやっと私が顔を持ち上げることができるようになったときには、鉄格子の
向こうには先ほどまでの彼女はもういなかった。
「どうです、これで完成ですよぉ」
 ずいぶんと、高い位置から声が響いてきた。さきほどまでのシルエットとはまるで違うスリムな
線を描くレオタードの肢体のその上に乗っていたのはさきほどまでの彼女の顔だった。いや、正確
には目元も涼やかになって、頬が引き締まって、顎の肉が落ちた美人と言って差し支えない顔だっ
た。
 私は、ずっしりと重量を感じる身体のままで硬直していた。
 彼女は奥に裏返っていた姿映しの鏡を取り出していた。
「わーおぅ、これがあこがれのミオリさんのスタイルですかぁ。嘘ぉ、夢みたいです」
 しなやかに伸びた太ももから腰にかけてのラインに指を這わせると、もう一方の手で盛り上がっ
た胸元の弾力を確かめて、顔をほころばせていた。
「うーん、顔もすっかり変わりましたねえ、目も大きくなってぱっちりしたし、二重あごともこれ
でオサラバですよ、まるで整形手術したみたいですねえ」
 そして、硬直したままの私に向かって、彼女はいくつかの、かつて私が水着撮影などでとったポ
ーズを見せつけた上で、
「それにしても、ふふふ、ミオリ、あんたずいぶんとみっともない格好になったものね」
 姿映しをこちらに向けてあざけりの言葉を放っていた。
 そこに映し出された自分の姿を見せつけられて、私はひいっ、と情けない声を上げることしかで
きなかった。
 だぶついたお腹と寸の詰まった胴体、そこから伸びる手足は短くて太く、だらしない印象としか
言いようがなかった。
「……ああ、嫌っ、嫌よぉ」
 瞼はぼってりと腫れぼったくなり、目も細く小さくなり、弛んだ肉によって顔が二まわりは大き
くなってしまったようだった。
「ふふ、外国製の矯正下着でどうにか身体を引き締めてたんだけど、本当のところはずいぶんとや
ばかったのよ。そのカラダ、身長は百四十六センチで体重は七十五キロ、バストは九十二センチの
Bカップで、ウエストは八十八センチ、ヒップはちょうど百センチなの。今のあんたのスタイルな
んだから、これから下着とか買う時の参考にしなさい」


「なんで、どうして、こんなになっちゃうのよお!」
 私は見上げるように彼女に向かって声を張り上げていた。
「なんでって、そりゃあワタシがそうしたからに決まってるでしょ。何を今さら言ってるの、あん
たって、ホントはそんなに頭も良くなかったってわけ?」
 見下すように、と言うより本当に見下して彼女は私を虚仮にした。
「それに、ワタシは今までアンタの持ってた『美貌』にたいしてきちんと敬意を払ってたでしょ?
だったらあんただってそうしてくれなきゃいけないでしょ」
 なんという言い草だ。私は怒りのあまり声も出なかった。
「まあまあ、あんまり怖い顔しても不細工が増すだけよ」
 言いつつ、彼女はレオタードを脱ぎ捨てて一糸まとわぬヌード姿になっていた。
「ううん、それにしても体が軽いわあ」
 さきほどまで、私がしていたスタイルを誇示しながら、彼女はにやにやと私に話しかけてきた。
「どう、ミオリ。悔しいでしょ、ねえ、さっきまで見下していた女にこんなふうにされる気分は、
サイアクでしょ?」
 興奮して彼女は姿見を見たまま、その手を秘所に伸ばして自慰行為にまで及んでいた。
「うふふふ、私は美しい。私はスリムで、私はグラマーで、そして私はセクシーなのよ」
 くっちゃくっちゃと粘液の糸をひかせながらオーガズムに浸っている彼女を見ながら、私は絶
対にこの状況を乗り切って、もとの身体にもどってやろうと心に決めていた。

「……そうか、このレオタードに仕掛けがあったってことなのね」
 私は彼女の脱ぎ捨てた赤いレオタードと私の着ているレオタードを見比べて舌打ちをした。
「ええ、そうよ。だけど、それがわかったからってどうなるの」
「それなら、その赤いレオタードを私が着て、この青いやつをあなたに着せれば元に戻れるのよ
ね!」
 すると、くすくすと笑って彼女は、
「ええ、いいわよ。じゃあ試しにやってみましょうか」
 私が脱いだレオタードを手渡すと、彼女は私の着ていたそれを身に付けた。
「うーん、これじゃ、だぶだぶでサイズが合わないわ」
 余った生地を手にして、笑いをこらえながら彼女。そして、私は、
「……きつい……入らない」
 今の肥え膨らんだ私の身体には入らない小ささだった。でも、さっきはあんなにも伸び縮みし
ていたはずなのに、それが、どうして。
「うふふ、オバカさん。そんなの無理に決まってるでしょ、魔法の効果は一度だけなのよ。それ
で元に戻るなんてことは絶対にできないんだから」



「さあ、わかったらあんたの着てたものをこっちに寄越しなさいよ。どうせ、今のあんたじゃあ
太すぎて着られないのわかってるんだから」
 彼女の非道な言葉を受けながら、私はそれでも諦めてはいなかった。
 彼女の台詞のなかに、そして私の持ち物のなかに、なにかの解決を得られるものがあったはず
なのだ。

 そして、私は気が付いた。たったひとつだけ、この状況を逆転させる方法があることに。

「……はい、それじゃあどうぞ、その代わりに私の荷物とこの檻の鍵をください」
 私がしおらしく言葉を紡ぐと、彼女は満足そうに頷いて、脇にどけてあった私のカバンと金色
の鍵と、それからさきほどまで自分が着ていたものを下着ごとこちらに投げて渡した。
「ふん、ずいぶんと大人しいものねえ、なんだかしらじらしいケド、ま、いいわ今のあんたなら
飛びかかって襲ってきても、平気で叩きのめす自信があるんだから」
 そう言って、彼女は私が渡したショーツを、ブラジャーを、感触をたしかめながらゆっくりと
着け始めていた。もちろん、私も彼女の着ていたものを身につけていたが、こんな感触は確かめ
たくもなく、さっさと着替えてしまっていた。
「ふふん、良く似合うわよ。ミオリ。あんたも、これですっかり庶民の肉体になりきったのよ。
これからは謙虚な姿勢でひっそりと生きていくといいわ」
 恍惚の表情でわざと胸の下で腕組みをして、その膨らみを見せつける彼女。もとはそれが私自
身のものだったのに、と思うと悔しさで胸が張り裂けそうだったけれども、今冷静さを失ったら
もう終わりだから、落ち着かなければならないのだ。
 都合三か所の錠を解除して檻の中から抜けだした私を遠巻きにして、彼女は戸を開けてビルの
出口を案内した。もちろん、用心のために、私を前に歩かせながらだが。
「もっときびきび歩きなさいよ、ああ、ゴメンネ、足が短いからノロいのかあ」
 ほの暗い廊下をゆっくりと歩きながらも、彼女の責めは続いていた。
 私は、カバンの中に化粧品ポーチがあることを確認して一息をついて、そして彼女に訊ねてい
た。
「ねえ、あなたがしたこと……私のスタイルを奪うってことだけどね、あれって私が意識を無く
している間に済ませることってできなかったの?」
 すると、彼女は、
「ううん、別にできたとは思うんだけどさ、ただあんたにレオタードを着せれば済むだけの話な
んだからさ、でもそれじゃあ面白くないじゃない?」
 後ろに歩いていても、この女の邪悪な笑みは手に取るようにわかる。この女はもともとが歪ん
でいたのだ。


「へえ、じゃあそのくだらない楽しみがあんたの失敗のもとだったってわけね」
 私はくるりと振り返って彼女に言葉と指先をつきつけていた。
「何、負け惜しみにしてはくだらなさすぎるわねえ」
 私の態度の異変にわずかに動揺したのか、彼女の視線が一瞬泳いだ。
「あなたはさっき、これが『魔法』のわざだって言ったわね。『科学』でもなく、『医術』でも
なく、『魔法』のわざだって」
「ええ、そうよ、私が魔王さまとの契約で手に入れたすばらしい力よ、そんな科学なんかと一緒
にされるようなものじゃないわ」
「……だとしたら、私にはこれが使えるのよっ」
 化粧品ポーチの中から取り出したのは小ぶりなコンパクトだった。
「けへっ、何を言うかと思ったら、あんたは魔法少女にでもなったつもり?」
 魔法少女はお前だろう、とつっこむのももどかしい。
「よぉく、この鏡を見てごらんなさいよ」
 小さな鏡面を彼女に示して、私は祈るように両手でそれを持っていた。
「はあ?」
 覗きこむ彼女の視線が、一瞬、止まった。
「ひい、何よ、イタイイタイ痛いぃぃ!」
 彼女の体が圧縮されるように縮んでいた。そして、私の体には痛みはなかったけれども伸長し
て、元に戻っていく感触が全身に奔っていた。
「いやあ、せっかく手に入れたのにいっ、ワダシの胸ぇ! 脚いっ! ウエズドぉぉっ!」
 ばちん、と破裂音をたてて彼女の着ていた私のブラウスとブリーツスカートは吹っ飛んでいた。
まあ、それくらいは仕方がない、と思おう。
 そして、ほんの少しだけの時間の経過をみて、完全に私の体と顔は元の通りに戻っていた。
 何もかも元通りに、というわけではない。彼女の身長は、まるで小学一年生程度にまで縮めら
れていたし、体はまさにビヤ樽のように、ぱんぱんにはじけそうにまで変貌していた。
「うぞぉ、どうひてえ、どうひて、ごんなになるのぉ」
 ぜえぜえ、と荒い呼吸の中に彼女は片膝をついたままに私を見上げていた。
「私のこのコンパクトの鏡はお守りなの。古い神社に祭られていた鏡を切り分けてもらった、呪
いを遠ざける特別なものなのよ」
 と、言ってもその効果をこの目で見るのははじめてなのだが。
「当然、あなたはもう魔法を使えなくなっているはずよ」
 もちろん、確証なんてない。
「……うぞよ、ダったあ、どうひて、あだしはごんながらだになっちゃっだのよ」
「それは……昔から言うでしょ、人を呪わば穴二つって。きっと、魔法が破られたせいであなた
の体に倍返しで返ってきちゃったんでしょうよ」
 私は余った彼女のスカートのウエストを折り返してヘアピンで留めてようやくずりおちるのを
固定しながら呟いてみた。もちろん、根拠なんてあるわけがない。
「ゆるざないガラ、わだしをよぐも……こんな」
 どうやら、彼女の身体に降り注いだ痛みも倍返しだったようで、彼女は前のめりに崩れるよう
に気絶をしてしまった。
「許さないのはこっちのほうなんだけどね……まあ、それでも許してあげるか」
 もしも、私が彼女と同じ立場で、そして同じ機会を得たとしたなら、どうだったろうか。それ
は考えたくもないことではあったけれど。
 そして、私は彼女をそのままにして魔城のようなそのビルを脱出したのだった。

 それでも、どんよりと重い濃紺の夜の闇はどこまでもどこまでも続いていた。

 おわり

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最終更新:2010年05月05日 17:37