『好き。あなただけが好き。愛してる』
『ああ、僕もだよ』
嘘だ。
二人とも、嘘をついている。そう感じた。
兄と義姉、二人の睦事が展開されるのを、アリサは微睡みの中で感じていた。これが夢だということは分かっていた。しかし、夢の中の自分が誰なのか――空中に浮いている霊魂のようなものなのか、はたまた義姉なのか。判断つかなかった。
視点は義姉のものだ。しかし、意識は遠く天井の彼方にあった。熱気溢れるベッドとは違う、薄暗い隅に。
目の前にある兄の裸体。耳に障る二人のあえぎ声。据えた体液の匂い。兄の体液の味。兄の体温と感触……
義姉が感じている情報が止めどなく頭に流れ込んでくるが、全てに現実感がない。
『ああ、んんっ、もっと――』
二人がこのような行為をしているであろうことは、妹ながら当然予想していた。子供ではないのだから。
しかし、具体的な情事を想像、もとい妄想できるわけでもないし、覗いたことなどは当然ない。それに、親しい人間のこういった姿は見たいものではなかった。
だが今、まるで我が事のようにアリサはそれを感じていた。これは妄想だろうか?――いや、妄想のはずだ。夢の、はずだ。見たことないのだから。しかし、自分の発想にしては、その二人の姿は意外だった。
義姉が異常に乱れている。
二人の行為を、妄想したこともないと前述したが、全く予想しなかったわけでもない。なんとなくそう感じたというだけのものだが。その中で義姉は、もっと慎ましい人間だった。
兄もまた、大人しい人間だ。更に兄は、昔から内向的だったので、義姉が主導権を握っていたように感じてはいたが、どちらも性的なことには奥手だろうと思っていた。
だが今、その兄が激しく無言で腰を降り、義姉は半狂乱で叫んでいる。
気付けば体位が入れ替わり、何度も何度も交わっている。専ら義姉が求め、兄はされるがままだ。こんなところでも主導権を奪われているのか。
二人を見ながら、気付けばアリサも身の内から火照りを感じた。今は自分の身体はないはずなのに、何かが溢れだした気がする。素直に義姉を羨ましいと思っている自分がいる。いや、兄に貫かれるなんて……
妄想を振り払おうとするが、意識は義姉の身体から離れないのだから、どうしようもない。なんでこんな夢を見ているのか。溜め息を吐こうにも、義姉の身体は有らん限りの息を大声に変えていく。自分の身体はわからない。
そんなことが続いていく内、はっきり羨ましいと感じている自分を認めざるを得なくなってきた。そこまで性交渉に飢えているつもりはなかったのに。しかも相手は兄だ。気持ち悪い。
だが、その願いは唐突に叶った。いつの間にか、義姉の身体では無くなっている。これは自分のものだ。
驚く暇もない。身体は勝手に義姉とバトンタッチをして、当然のように、今までずっと続けていたかのように兄と性交する。絶対に有り得ないことをしている。それはとてもリアルだったが、肝心の感覚は情報としてしか伝わってこないのが、やはり現実感を損なっている。まるで他人同士の絡みだ。
『いいえ、わたしはあなたよ。今も、さっきもね』
『その……ぇに、した……っては……い。君……は……』
声は突然、二つ重なるように聞こえた。一つは誰のものかは分からなかったが、馴染み深くはっきりしたものだ。しかしもう一つも誰のものか分からなかったが、こちらは完全に知らない人間の、掠れて上手く聞き取れないものだった。
アリサはそこで目をさました。
夕陽が頬を照らしている。アリサは机に突っ伏して寝ていた。その体勢のまま、つけたままになっていた扇風機の風を感じながら、寝起き特有のもやもやした感覚を味わった。
もやは形になろうとせず、頭から抜けようとしている。それが何なのかも分からないまま、煙に巻こうとしている。夢でも見ていたのだろうか。
ぼーっとしながら、アリサは頭と同じく、机の上にあるであろう携帯をまさぐった。時間を見る。夕方の、そろそろ夕飯の準備をする時間だ。今日も兄は遅いかもしれないが、二人分作らなければならない。
起き上がって、とりあえず顔を洗おうと動き出す前に、違和感があった。股間だ。
嘆息する。また、下着を変えなければならない。今日だけでもう三度目だった。
冷蔵庫を開いて、中身を確認する。といっても、この一週間でこの家の食糧は把握しきっている。兄が買い足しでもしない限りは、知らないものがある道理はない。
つまり、今しているこの作業は、溜め息を吐くためにしているようなものだ――本当は、今日買ってくる予定だった。
予定というなら、今日は実習の後に友人と出かけるつもりでもあった。そろそろ気分転換をするつもりで。
しかしそれは、二度目のアレが全てを台無しにした。まさか――
(犬はないわよね……犬は)
思い出すのもおぞましい。
犬のブラッシングをしている最中にアレに触れて、アレを……
アリサは全てを忘れるつもりで頭を振った。自分にそんなつもりはなかった。絶対に。
下着がまた濡れていたのは……乙女のアレだ。そうアレ。みんなあるアレだ。そうしよう。
さて。
半ば無意識で作っていたジャガイモの味噌汁を味見する。一口すすり、まあ、こんなもんかとアリサは妥協した。
料理なんて、実家住まいだったアリサは家庭科の授業でしたことくらいしかなかったけれど、中々いけるものだ。母が作る姿をいつも見て、手伝って――
(あれ……?)
違和感。次の瞬間、アリサはすぐに理解した。また記憶の齟齬だ。ワタシハ母ノ手伝イヲイツモ嫌ガッテ逃ゲテイタジャナイカ。シタコトナンテ無イト、カンガエタバカリダッタノニ。
(なんなんだろう、これ)
まったく無いはずの記憶が捏造されている。自分を形作る記憶というものは、こんな曖昧なものだったのか。
ナスを手に取りながら、意識はまた現実から剥離しそうになる。このところずっとそうだった。
と。茄子。
実家から貰ってきたものだ。形がいいわけでも、殊更大きいわけでもない。これを――
「挿入れてみたい……」
ぽつりと呟いたアリサは、端から見たら、恋する乙女に見えたかもしれない。この一瞬だけは。
「い、挿入れて……それを、素焼きに……」
それを、兄が食べたら。
どうせ今日も、兄の帰りは遅いのだろうけど――もし、もし家で夕食を摂ったら。
今ならなんでもできる。ケイイチは妹の手料理を無下にするどころか、怪しみもしないだろうから、毛を入れようが、唾や爪を入れようが、それこそ、尿や――あ、愛液でも。
変なものが入っているかと聞かれれば、愛する彼に嘘をつくつもりはないけれど、聞かれなければ教える義務もない。
――いや、でも兄妹でそんなの、気持ち悪いでしょ。
冷静に呟く声にそれもそうかと思い直しかけたが、また別の声が囁いた。意思の濁流が心を押し流す。
――いや、別にいきなり食事全てを自分まみれにしなくてもいい。最初は少し。ほんの少し。
――でも――いや――少しだけ?――そう、少しだけだから。
どっちが正しくて、どれが間違いなのか。アリサは次第に分からなくなっていった。そもそも、間違いはどうして間違いだったのかすら、もう分からない。そして。
――そう。まずは。この。手にしたナスに――
アリサはそっと口付けた。
最終更新:2010年09月23日 21:20