入れ替わりの鉄棒

462 入れ替わりの鉄棒 [sage] 2010/08/19(木) 21:16:28  ID:tViTa4yh Be:

     閑静な住宅地の隅にある公園。
     夕焼け空の下で、鉄棒の傍に二人の少女が睨み合っていた。
     地元の公立中学のセーラー服に身を包んだ少女たちは、これ以上一歩も引くまいといった雰囲気で鉄棒を握っている。

    「…そう、野山さんは、別れるつもりはないっていうのね?」

     ストレートロングなヘアを無駄に輝かせているお嬢様風ながら、気の強そうな女の子が、ツーテイル(ツインテール)のかわいいながらもごくごく普通の女の子に向かっていう。

    「当たり前よ。
     だって、あたし、佑くん好きだもん。あたしが佑くんと付き合ってるんだもん」

    「ふん、野山さんもいうようになったものね。
     わたしと比べたら、佑のこと三年ぽっちしか知らないくせに!」

    「…だって、しょうがないじゃない! あたしが、佑くんと出会ったのって小五のときだったんだから」
    「そんなのってないわ。ずるい、ずる過ぎるわよ。わたしなんか幼稚園のころから佑のこと知ってるのよ。なんだって、あなたみたいな泥棒猫に佑を取られなきゃいけないのよ!」
    「耀子ちゃんこそ、いつも幼なじみぶって、お金ばっかりかけて佑くんを誘っていたじゃない? あたしがどんな気持ちだったか分かっていてやっていたでしょう?」
     二人の女の子をお互いに相手の顔を自分の瞳に映しながら、鉄棒を握りしめる。
    「そういうあなたこそ、佑といきなり付き合い出したりして、どういうつもりなのよ? ああもう、佑も佑よ。わたし、全然理解できない!」

    「それは耀子ちゃんが佑くんの気持ちをちゃんと考えてないからよ。いつも自分の気持ちばかり押し付けて、それで相手がいつも喜んでいるとでも思っているの?」
    「な、何ですって!?」
    「耀子ちゃん、いつも自分のことしか見えてないし、自分のことしか考えてないじゃない! 祐くんのことだって、佑くんなら自分と釣り合いそうな容姿とか成績だからちょうどいい男ってくらいにしか思ってないんじゃないの?」
    「そういう野山さん、あなたこそわたしの気持ちを考えたことあるのかしら? いつもいつもわたしの邪魔ばかりして、この上、佑まで奪うだなんて、わたしのプライドがどれだけ傷つけられたか分かる? 一度、わたしの気持ちをあなたにも味わわせてあげたいものだわ」
    「お、お互いさまよ!」
    「こんな普通の女の、どこがいいのかしら? こんな女にわたしが負けるなんて、許せないわ」
    「何よ!」

     二人は両側から全体重をかけるように、上から同じ鉄棒を押さえつける。
     そのとき、鈍い色をした鉄棒がキンという音とともに火花を散らした。
     鉄棒が真ん中で折れ、その途端、摩擦か何かで電流でも生じたのだろうか、二人はビリっしたものが全身を駆け抜け、その途端痺れる手足の先から感覚がなくなっていくのを感じた。
    「キャッ!」
    「いやっ!」
     ぼやけていく視界の中で、憎き恋敵の顔が歪んでいくのが最後に見え、二人は意識を失った。


    「痛っ……頭が……か、体が痺れて……どうなって……」
    『どうなってるの』と言いかけて、こげ茶な長髪の女の子…榊原耀子は、地面に手をついて上半身をお腰かけた姿勢のまま凍り付いた。
    「な、何、この声……」
     どう聞いても、自分の声ではない女の子の声が自分の喉から発せられている。
     そして、さらりと背中に垂れている長い髪の毛が首筋を撫でる感覚にぞわっとした。
     自分はツーテールで、首筋には髪の毛が当たっていないはず。
     それどころか、左右に結っている髪の毛の引っ張られる感覚がまるでない。
    「……この声、なんか耀子ちゃんの声……のような」
     頭が引いていく音を聞きながら、耀子は上半身を起こし、自分とは鉄棒を挟んで反対側にいる女の子の姿を認めて、顔を凍らせた。
    「あ、あたしがいる…」
    「わ、わたし……なの」
     先に目覚めていたらしい自分…野山梓は、呆然としながら顔を引きつらせていた。



    「ウソ、一体何がどうなっちゃってるの?」
    「見ての通りよ、わたしと野山さん、体…というよりは、心が入れ替わっちゃってるみたいね。まあ、記憶だけが入れ替わっちゃっているのかもしれないけど」
     野山梓になった(耀子)は先に目覚めていたためか、まだ冷静な口調で、突き放すようにいう。
    「そ、そんな、あたし、耀子ちゃんになっちゃってるの!?」
    「そういうことね。ふふ、でも、いい機会かもしれないわね。どうしてあなたみたいな女が佑の隣にいるのか、見極めさせてもらうのに絶好の機会だわ」
     あまりにも理解不能なことを言い出す(耀子)に、耀子(梓)は頭がフリーズしそうだった。
    「……よ、耀子ちゃん、何言ってるの?」

    「今言ったとおりよ、わたしは暫く野山さんになりきってるみるわ。そして、あなたも榊原耀子して暫くわたしの振りをなさい」
    「な、何でそんなことしなくちゃいけないのよ!?」
    「あら、そんなこと言っていいの? こんなこと、他人に言って信じてもらえるとでも思う」
    「そ、それは……思わないけど」
    「下手したら精神病院送りになるわよ」
    「う、ううっ……でも、耀子ちゃんは今すぐにでも元に戻りたいと思わないの?」
    「最初は思ったわよ。当然ね。あなたみたいな普通の女になりたいわけないじゃない。でもね、倒れてるあなたをずっと見てて思ったのよ。これはわたしの敗因を探るチャンスかもしれないって、そう思ったのよ」
    「な、何よ、それ?」
    「今はわたしは野山梓、佑の彼女なわけでしょう? あなたがなぜ好かれたかを探るのも、あなたの評価を下げるのも、わたし次第で何だってできるのよ」
    「ひ、酷い!」
    「いいじゃない? あなた、今榊原グループの社長の娘なのよ。もっと胸張りなさいよ。榊原耀子のすべてが今はあなたのものなのよ」
    「そ、そんなのどうでもいい。 あたしを返して!」

    「わたしに言われても無理よ。わたしがこの状況を作り出したわけじゃないし、何より入れ替わりの原因になったと思われるあの鉄棒だって折れちゃってこの様なのよ」
    「そ、そんな……」
    「まあ、暫くはこの状況を楽しみましょう。わたしも野山さんがどんな生活しているのか興味くらいはあるのよ」
    「いやよ、あたし、そんなのいやっ!」
     余裕の様子で今にも梓の家に帰ろうとしそうな(耀子)を引き止めようと、耀子(梓)が彼女の手を掴む。
     その途端、また異変が起きた。
     まるで、正坐していて痺れた足を崩して、血がどーっと流れ出したときのように、触れ合っている手を通して、何かが(梓)の、(耀子)の中に流れ込んでくる。
     手がパソコンの転送ケーブルになっているかのように頭と直結して、頭に何か焼き付けていく。
    「いやっ!」
    「キャッ!?」
     悲鳴がさっきとは逆になった。

    「い、今の……何だったのかしら………き、気持ち悪い」
    「はあ、はあ、あたし……あたしの中に……な、何か」
     耀子(梓)はつぶやきながら、梓の声を聞いて、ゾワッとした。
    「ちょ、ちょっと、野山さん。あなた、どういうつもりなの? わたしの振りなんかして」
    「……」
    「え、わたし、自分のこと、野山さん……だなんて、どうしちゃったのかしら?」
     声だけじゃなく、口調まで耀子になってしまったような自分に、耀子(梓)は顔を青ざめさせる。
    「ふーん、面白いじゃない。どういうことになっちゃってるかよく分からないけど、あたしたち手を繋ぐと、人格…もしくは性格まで入れ替わっちゃうんだ」
    「そ、そんな!?」

    「なんだか出来過ぎてると思わない。今、あたしたち、手を繋いだら、今の自分らしく振る舞えられるようになるのよ」
    「まさか……そんなこと」
    「試してみる? もっと、榊原耀子に染まってみようよ」
    「だ、ダメ、これ以上、わたし、よ、耀子に……耀子ちゃんに染まりたくない。もしそうだとしたら……わたし、ほんとに耀子ちゃんみたいな女の子になっちゃうんでしょう?」
    「いいじゃない? 気持ちいいかもしれないわよ」
    「いや…よ。わたし、あたし、あたしは野山梓だもの。梓だもん!」
    「大丈夫よ。あなたならうまくやれるわ。榊原梓としてね」
    「あ、ダメっ……ん、きゅっぅ!」
     油断したほんの一瞬、(梓)は元の自分の姿をした(耀子)に手を捕まれていた。


   榊原曜子になった(梓)は、野山梓になった(曜子)に背中を押されて、無理
   やり榊原家へと帰らされていた。
  『じゃあ、今夜はあたしをよろしくね』と意味深なことを言い捨てて、梓
  (曜子)は野山家へと帰っていく。
  なぜ(曜子)が梓の家を知っているかというと、梓との約束を優先するとい
  って(曜子)との約束を受け付けなかった佑に強引に付いてきたことがあった
  からだ。
  あのときは、玄関先で帰ってもらったが、まさか梓に成り代わって自分の
  家に入られることになるなんて(梓)には信じられないような事態だった。
  「わたしが………よ、曜子……曜子ちゃんの家で一晩過ごさなくちゃいけな
  いなんて」
  曜子は、じっと自分の手を見詰めながら、溜め息を吐く。
  見慣れない、指が長くてすらっとした綺麗な手。
  美人だとは(梓)も思っていたが、手までこんなに綺麗だとは思いもしなか
  った。
  悔しいものの『いいなあ』と思っていた相手の容姿をそっくりそのまま手
  に入れてしまったなんて今でも現実とは思えない。

  「でも……」
  自分の喉元から漏れる、この声、この口調。
  外見だけでなく、自分の中身も既に変わってしまっているらしいことは、
  (梓)にも分かる。
  ほんの十数分前、無理やり梓(曜子)に手を合わされ、お互い手を握りあっ
  てしまっている間に、(梓)の中から自分らしさが抜き取られていくような感
  覚があったのだ。
  そして、自分の中に入ってくる、熱くて気持ちのよい(曜子)のものと思わ
  れる感情の噴流。
  自分が別人に染まっていくというのは、とてつもない快感でもあった。
  「ううん、ダメよ。わたしったら、どうしちゃったのかしら?」
  一瞬、自分が(梓)でなくなっていくあの感覚を思い出して、恍惚としかけ
  てしまった(梓)だったが、なんとか自分で正常と思われる気持ちを取り戻し
  て、気合を入れ直した。
  誰が何といおうと、(梓)は野山梓に戻らなければいけないのだ。
  そうでなければ、今まで築いてきた梓と佑の関係も、自分のしてきたこと
  も何もかもが無意味になってしまうのだから。

  『明日には、何としてでも元に戻らないと』
  曜子(梓)はそう自分に言い聞かせて、高級住宅街の一角にある、この榊原
  家の中へと踏み込んでいった。

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  「ここが……わたしの……曜子の部屋?」
  曜子(梓)は相変わらず自分の口調に違和感を感じながらも、広い曜子の部
  屋に足を踏み入れていた。
  やけにピンク色がまぶしいながらも、家具もカーテンもちゃんとコーディ
  ネイトされているらしいお金持ちの女の子の部屋に曜子は重い溜め息を吐く。
  容姿だけでなく、曜子の持つ財産は野山梓とは比べ物にならないのだ。
  「……この部屋に入るのって………わたし、初めて……だったわよね?」
  曜子は落ち着かなさそうに、長い髪の毛をかきあげながら、部屋の真ん中
  まで進んで、周囲を見回す。
  確かに(梓)として曜子の部屋に入ったことは一度もない。

  そして、今も『初めて』この部屋を見ているんだと認識している。
  「そう……わたし、記憶までわたしと入れ替わってるわけじゃないのね……」

  そうして、曜子(梓)は、記憶まで(曜子)のものに染められたわけではない
  のを確信して、内心ホッとした。
  何しろ、もし生まれてから最近までの記憶まで(曜子)のものになってしま
  ったら、自分はどうなってしまうのだろうという不安がずっと(梓)に付きま
  とっていたからだ。
  性格や癖、(曜子)らしさは、今の自分に浸透してきていても、まだ記憶が
  (梓)のままならば、ひとまず自分は大丈夫だろうと(梓)は思った。
  「そうはいっても、問題だわ……」
  記憶は問題なくても、今の(梓)は身体まで榊原曜子になっているのだ。
  この身体のままでいるということは、曜子として着替えやお風呂もしなけ
  ればならない。
  いくら羨望する気持ちはあったとはいえ、ライバルである曜子の身体のす
  べてを知るというのは、(梓)としては嫌なものだった。

  今もこうして立っているだけでも、自分の胸や脚の感覚に違いを感じるし、
  そのスタイルよさを自覚してしまうくらいなのだ。

  「わたしが榊原曜子なんて……」
  曜子(梓)は、クローゼットの傍にある鏡台を見つけ、ついそちらの方へと
  向かってしまう。
  分かってはいても、(梓)はまだじっくりと榊原曜子の身体を見てはいなか
  ったのだ。

  そして、曜子(梓)は、鏡台の鏡を開いて見てしまった。
  鏡に映る……ティーンモデルのような長髪で美人な女の子を。
  「はあ……」
  そのとき、全身を駆け抜けていった感覚が何なのか、(梓)にはすぐには理
  解できなかった。
  ビリッと脳髄を刺激する甘美な快感。
  自分のうっとりするようなマスクやスタイルを眺めていると、すべてがど
  うでもよくなるような感覚。

  (梓)は、もう榊原曜子としての自分の容姿に夢中になっていた。
  そう……(曜子)は、根っからのナルシストだったのだ。
  そして、今(梓)は、榊原曜子として、そんな自分に陶酔していた。

  「はあ、素敵……」
  自分の口から信じがたい言葉が漏れているのに関わらず、(梓)はそれを止
  めるどころか、自分自身を抱きしめてしまっていた。
  心の隅では、異常を感じ取っていてもどうしようもなかった。

  (梓)は、既にナルシストな(曜子)と同じになってしまっていたのだから。

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最終更新:2011年08月17日 21:04