女城主

502 名無しさん@ピンキー [sage] 2010/09/13(月) 21:48:24  ID:Wq6/af4q Be:

    40年です。
    長らくの規制が解けたようなので、ひさびさにSSいってみましょう。

    『女城主』

    ※本文中に使われる『女城主』は実在した特定人物の呼称ではなく、架空のものです。


     大物俳優の大量投入の鳴り物入りで放映された連続歴史ドラマシリーズ『女城主』だった
    が、平均視聴率は物語中盤、第10話を終わった時点で平均5.2%と低迷している。そし
    てその悪因となるのが主演の女城主を演じる鷹羽沙耶の演技力不足であろう。確かに、彼女
    は近来の若手女優の中では出色の技量ともてはやされているが、他のベテラン共演者のレベ
    ルから見れば、まだまだ未熟と言わざるを得ない身のこなしや台詞繰りで、なまじその端麗
    な美しさだけが先行するイメージである。これでは視聴者は女城主お延を見ているのか、そ
    れとも単に鷹羽沙耶の和装姿を見せられているのかわからなくなっているだろう。
     また、共演者のレベルが高いとは言いながら、俳優としての旬をとうに過ぎたものを平然
    と使うところについても指摘をせねばなるまい。中でも女優Kなどは名ばかりは大物であっ
    てもその動きはやや緩慢で精彩を欠いてきている。往年の彼女のファンであったならば、な
    おさらその悲哀ぶりが滑稽に映ることだろう。
     ともあれ、『女城主』も残り9話を残すばかりとなったが、ここから先にはよほど大きな
    テコ入れでもしないことには再起の目は残ってはいないのではないだろうか。
                     (ある週刊誌にて辛口コメンテーターの寸評より)


    「と、まあ、どの雑誌を見ても軒並み評価はこんなもんだってことよ」
     緊急に設けられた会合の中、監督は監督でも工事現場の監督のようにいかつい図体の撮影
    監督は鼻毛をぶちぶち抜きながら淡々とした口ぶりをみせていた。
    「なにしろ、数字が出ないのではねえ、これだけの予算を組みこんで、何をやっているって
    話になるわけです」
     白髪頭にチョビ髭の局事業部長はやや口調を震わせるように言葉を絞っていた。この視聴
    率の低迷の責任の半分近くを実質、彼一人が負っているのだからその苦悩も察するものがあ
    った。
    「だが、この脚本で駄目だったとは私には心外でならんよ」
     脚本家はぼそり、と呟く。今まで書き続けてきたものの殆どに外れ無しとの神話を打ち立
    て続けているだけに、今回の不出来についても思うところがあったのだろう。
     そして、周囲の視線は一点に、一人の若い女性へと注がれる。
    「……え、っと、それはつまり、私がその元凶だっていうことですよね」
     やや目を伏せながらも、その態度は卑屈に落とすものではない。鷹羽沙耶は重苦しい空気
    の中に辟易とした様子を隠すことも無く、ぼそりと言葉をもらした。
    「いや、別に君一人の問題って訳ではないのでね……」
     事業部長は、彼女の起用を強力に推し進めた経緯から擁護の口を出す。
    「いいや、でもよ、沙耶ちゃんの演技に対しての酷評は多いぜ。ここから先も同じような調
    子で撮影を続けていくのはまずいんじゃないかい?」
     荒くれ者のように見えて、撮影監督はわりと機微を察知する能力に長けていた。
     鷹羽沙耶は確かにこのドラマシリーズでは彼女自身の本来の万全な力を出せていないのだ。 それがこの不振に直結していることは覆うべくもない事実だった。
    「……いいんですよ、どうせ。私なんてただの雛人形なんでしょうからね。演技下手で共演
    者の足を引っ張るだけの力不足な主人公なんですからねっ!」

     会議室の中に、しばしの静寂が流れた。
    「おやめなさい、沙耶ちゃん。ここはあなたを責めてどうこうする場ではないのですよ」
     短く刈り込んだ白髪の、70歳に届こうとする老女優が低いおだやかな声で窘めた。
    「宮城さん……」
     彼女は宮城小鶴。子役から始まって70作もの映画に出演したことのある実力派である。
    この「女城主」では主人公の乳母の役を演じていたのだが、第8話をもって病没するために
    あとは回想シーンのみの登場となっているのだった。
    「まだ、撮影回は13話から最終の19話まで7話も残っているでしょう。それならばそこ
    に全力を傾注してこそ女優じゃありませんか、それを何です、雛人形だなんて、自分を安く
    売るような言葉は慎みなさい」
     祖母に叱られる孫娘のように、沙耶は口をつぐんでうなだれた。
    「ま、そう言いなさんな小鶴さん。サヤちゃんだって相当悩んでここまで来たんだろうから
    さ」
     甲高い声を張ったのは、総監督の北崎だった。C調でお気楽そうな50男だったが、切れ
    者として業界では一目置かれる存在だった。
    「それに、この不振にはさ、小鶴さんにだって思うところがあるんじゃないのかい?」
     ちらりと眼光をかがやかせて、老女優を一瞥する。
    「ええ、たしかに、私もまた、まだまだ未熟だってことですわね」
     正確には熟しきって傷みかけているといった方が正しいだろう。先ほどの記事の中にあっ
    た「女優K」とは彼女のことである。半世紀以上も女優として活躍し続けてきた彼女は、最
    近になって、明らかな衰えに苦しんでいたのであった。
     言葉が途切れて、一同が暗くなりかけたその時であった。
    「でも、まあ、ここまでは計算通りと言ったところかな」
     総監督の場違いに明るい声が響いた。一同の視線が彼へと集中する。
    「んー、でも、ここから先は、我に秘策ありだよ。大丈夫大丈夫、だまって俺についてきな
    ってね」
     そして総監督は、パンパンっと手を叩いて話し合いの終わりを告げると一同に解散を促し
    た。
    「ああ、でもサヤちゃんと、それから小鶴さんにはここに残ってもらおうかな」
     

     そして、三人だけが残った会議室。
    「それで、監督さんの言う秘策ってのは……」 
     沙耶が神妙に口を開く。
    「きっと、ここからの撮影。お延の晩年期に別のキャストをあてるっていうんでしょ」
     相手から聞くよりは先に言ってしまったほうが楽なものもある。
     総監督は構わずに横を向いたまま煙草をぷかりぷかりとふかしている。
    「私なら別に構いませんよ、どうせ、ここから先は演技力だけがモノを言うんでしょうしね。
    だったら、もっと実力のある熟年の女優さんを起用したほうがいいに決まってるし」
     と、そこまでを一気に言ったあとで、沙耶は悔しさに表情を歪めていた。
    「ん、そうだねえ、それでもいいのかもしれないけどね」
     ゆっくりとした口調を変えることなく、総監督は灰皿に煙草を押しつけた。
    「俺としては、ここから先もサヤちゃんたちにご尽力を願いたいんだよねえ」
     総監督は、沙耶たちの方にくるりと振り向いて言葉を続けた。
    「知ってるよ、俺。サヤちゃんが忙しいスケジュール縫って乗馬の教室に通ってた事」
     不意をつかれた格好で、沙耶は動揺した。
    「普通ならさ、こんなもん別にスタントに任せて終わりで良かったのにね、って話なんだけ
    どさ、サヤちゃんは少しでもいい演技がしたいからって練習してたんだよね。シーン自体は
    少なくてあんまり報われてなかったかもしれないけどさ、俺、知ってるんだ」
     総監督の言葉に、沙耶は顔を紅潮させ、鼻を鳴らして小さく頷いた。
    「そうね、それに沙耶ちゃんは誰よりも早く撮影に入って、他の共演者の撮りを全部見てい
    たわ。少しでもそれを自分の糧にしようとしてたんでしょうね」
     小鶴もそれに同調する。
     確かに、鷹羽沙耶の演技に対する評価は低かった。しかし、それはあくまでも彼女の演技
    技量が低かったためというわけではなく、他の大物と呼ばれる共演者との所作や台詞の張り
    方などでの「違い」が大きかったがために起きた溝に起因するものだったのだ。
    「それに、テレビ越しに見た時にさ、サヤちゃんは他の人たちよりも、若くて瑞々しくて、
    艶めかしい、いい身体をしてるもんだから、余計に目立ち過ぎたんだよね」
     
     これは、役者起用の大失敗とも言えた。この一大シリーズはテレビ局の開局50年を記念
    して、主役を若手最有力、鷹羽沙耶、そして脇を宮城小鶴をはじめとする大物で固める布陣
    だったのだが、それがために、弱冠23歳の沙耶は他の熟年俳優たちに囲まれて、浮いた演
    技を強いられる羽目になってしまったのだ。早逝した夫の役の松木豪一郎ですら57歳なの
    だから、もはや親子の差以上である。
    「……ええ、ですから、これ以上この作品を貶されないためにも、私より使える女優さんを
    お延にしてもらいたいんです」
     本当は役を続けたいはずの沙耶の要請に、総監督は首を横に振る。
    「いいや、俺の中の彼女はね、戦国の世をしぶとく生き抜いた女城主お延はね、どこまで行
    ってもサヤちゃんなんだ。ここで全く違う女優さんをあてても起死回生なんて、とてもとて
    も……」
     そして、じっと沙耶の目を見つめて一言。
    「俺はさ、沙耶ちゃんに女優を感じてるんだよ」
     ふうっと一息。そして目に、沈んだ光をためつつ言葉を続ける。
    「それでさあ、ここから先の撮影の前に……なんだけどさ、ちょっと覚悟のほどを聞いてお
    きたいんだよね、俺、ほれ、サヤちゃんのさ」
    「はあ、覚悟ですか?」
     怪訝に聞く沙耶。
    「うん、そうだ。……その、小鶴さんくらいの年代の役者さんなら知ってるだろうけどね、
    『老け役』を演じるってのはなかなか難しいんだよ。それこそ、老人の顔を作るために、自
    分の前歯を何本も引き抜いて、とかねぇ。……その覚悟が君にはあるのかなあ?」
     口調はいつも通りののらりくらりだったが、語調には詰まるものがあると見えてところど
    ころがしどろもどろになっている。
     沙耶は、自分の口元に手を当てて、ゆっくりとその歯の感触を舌で確かめた。一度抜いて
    しまったら、二度とは生えてこないこの白く輝く歯。親から貰った貴重な身体の一部。それ
    を代償にしてでも、自分は演技に打ち込めるのか、と。
     しばしの躊躇の後に、
    「ええ、役作りのためになら、なんでもしますよ。若さだって捨てます」
     一言だけ。覚悟と共に。

    「そうか、ありがとう。……じゃあ、次は小鶴さんの番だね」
     と、今度は監督は宮城小鶴を振り返って言った。   
    「えっ、私?」
     眉間に深い溝を刻んで、老女優は馴染みの監督の顔を窺った。
    「ええ、ここから先、小鶴さんにもやっていただかなくちゃならないことがいろいろあるん
    ですよ」
    「えっ、でも、私のこの先することと言ったら次回放送の予告くらいなもので、もうそれだ
    って全部撮り終わっているでしょう。その他にも何か、私にしろって言うの?」
     本来ならば、彼女はもうお役御免のはずである。何しろ彼女の役、お芳はもう他界してい
    るのだから。
    「ええ、でもですね。小鶴さん、悔しくはありませんか」
     視線に険を蓄えながら、監督は大物女優を下から上へと非礼な態度で眺め上げた。
    「……どういうこと。タクちゃん」
     さすがに温厚な態度は保っておきながらも、内心穏やかではない小鶴は、自分の子供ほど
    の年齢の総監督を静かにじろりと睨んだ。
    「小鶴さんの演ってきた作品は、俺もほとんど見てきたつもりですが、このシリーズでのあ
    なたの演技は、そりゃあ、もうひどいものでした。それこそ、サヤちゃんなんかの比じゃあ
    なく、ね」
     遠慮会釈のない総監督の言葉に、大女優はそれでも動じることはない。
    「なるほど、それは言われても仕方のないことね。たしかに『女優K』はひどい働きだった
    と思うもの。台詞を出すタイミングは遅いし、動作はもたもたしていてメリハリがなかった
    し、いくらなんでもこんなお婆ちゃんが30歳からの女ざかりを演ってたら、失笑ものでし
    ょうね」
     自らの老いを認める小鶴は、寂しそうな笑いを片頬に浮かべていた。
    「だから、この老害が取り除かれた後になら、きっとこれからの撮影はうまくいくと思うの
    よ、だから、ね。タクちゃん、これから先のことなんて、ムリ言わないで、ね」
     すると、監督はその言葉にも首を横に振っていた。
    「いいえ、もう一つ、小鶴さんには隠していたことがあるでしょう」
     首をかしげるように覗きこむ沙耶から視線を逸らそうとする小鶴。
    「あなたはね、ずっとこの撮影中、サヤちゃんに対して嫉妬から敵愾心を抱き続けていたん
    ですよ。自分がもう二度と手に入れる事の出来ない、男の目を惹きつけてやまない若さを、
    魅力に対してね」
    「黙りなさいよ、タクちゃん!」 
     かあっ、と顔を赤らめる宮城小鶴は震えながら言葉を奔らせた。
    「そうよ! 悪い? 私はたしかに沙耶ちゃんの若さを羨んだわ。だけど、それが何よ、そ
    んなの私たちの年代の人間なら当たり前に持ってていいはずの感情じゃない」

    「だけど、その負の感情を抱いたままに演技をしていたら、舞台の上での意思疎通なんてで
    きないことくらい、余人なら知らず、宮城小鶴なら分かっているはずでしょう?」
     総監督の言葉にはうっすらと怒りが込められていた。
    「動きが悪いうんぬんは差し引いても、あなたは今回、主役を空転させてしまいました。そ
    れをただ、出番がなくなったから降板なんて、ムシが良すぎると思いませんか?」
     小鶴は今度は白くなって、表情を引き攣らせていた。
    「……だったら、だったら私にどうしろっていうのよ」
     小鶴は今にも消えそうなほどにか細い声で、目の前の虚無的に無表情な男に尋ねた。
    「ええ、サヤちゃんみたいに未熟な子でさえ『若さを捨てる』と言ってもらったんですもの
    あなたほどの女優だったら……そうですね、『過去の名声の全てを捨てる』くらいのことは
    言ってもらわなけりゃ、示しがつかないでしょう」
     小鶴は、いままで子役時代から数えて主演客演70作もの映画に、そして数えきれないほ
    どのテレビドラマに出演し、賞と名声と、そして地位とを得てきたのだ。しかし、そんなも
    のは、今の彼女の中に渦巻く情念の前には毛ほどの意味も持たなかった。
    「ええ、いいわ。いいわよ、捨てるわ。地位も名声も、お望みならば命だって捨ててやる。
    だから、監督さん、私にもリベンジの機会を頂戴よ!」
     迸る感情を雷のように一度に奔らせると、肩で息をしながら小鶴は監督を睨みつけた。
    「ええ、いい表情です。小鶴さん、そうこなくっちゃ、死中に活を見いだすなんて真似はで
    きるもんじゃありませんよ」
     再び飄々とした口調に戻った監督は、満足げに老若二人の女優を見比べた。
    「一人は芝居のためならば若さも捨てるといい、そしてもう一人は芝居のために過去も捨て
    てくれるという。それでこそ俺も監督冥利に尽きるってもんですよ」
     そして、監督は壁に掛けられた自分のコートのポケットを探ると、中からゴムチューブの
    ようなものを取り出した。真ん中にはポンプのようなものが付いている。
    「あら……血圧計かしら、別に私、そんなもの必要ないわよ」
    「いやいや、ははは、これはそんなもんじゃありませんよ。さ、それじゃあ二人とも腕を出
    してくれるかな、うん、そう、袖はまくって、そんな感じで」
     まったくしていることは血圧測定のようなものだった。ただし、腕に巻きつけるカフとい
    うベルトが二股に延びているということ。あとは測定器が付いていないということだろう。
    その部位には小さな人工肺のような嚢が付いていた。
    「さあ、それじゃあ二人とも服を緩めてね、サヤちゃんはブラウス、一番上のボタンは外し
    て、ベルトは外してスカートのホックも外しておくこと。それから小鶴さんも、和服の場合
    には前の身ごろを大きく取って、そうそう、腹帯も少し緩めておいたほうがいいですね」
     てきぱきと、写真撮影の下準備のように手際良く、監督はソファに座らせた二人の衣服を
    緩めておのおのの腕にカフを巻き付けた。
    「ねえ、何をするつもりなんですか?」
     意味不明の準備を強いられれば不安は増すばかり。沙耶は不安に顔を陰らせた。
    「大丈夫、痛いことは一瞬だけだしね、ただちょっとだけ、意識が飛んじゃうかもしれない
    から、そこのところだけ、よろしくね」
     監督は軽く言いつつポンプをぺこぺこと押したり離したりする。
    「ちょっと、『飛んじゃうかも』じゃないでしょ、こら、ちょっと、いやっ、あ……あー!」
    「いっ……ぎゃー!」
     二人の悲鳴をそっちのけで、監督はなおもぽこぽことポンプを押したり揉んだり。
    「んー、間違えたかなあ?」
     すでに二人は白目を剥いて伏せ倒れている。しまったなあ、と頭をぽりぽりと思案にくれ
    る軽薄中年男がしばらくの間うろうろと二人の様子をうかがっている間に、彼の望んだ効果
    はゆっくりと二人の女の姿に発動していったのだった。

    「う……うん、いったいなんてことしてくれるのよ、タクちゃん、説明しなさい……?」
     小鶴は言葉を途中で止めて自分の声の異変に気が付いた。声量が、張り上げているわけで
    もないのにやたらとあるのだ。それに、いつもより声質自体に伸びやかな張りがある。
     あわててノドに手をやると、そこにあったはずの無数の横じわが消えてつるつるとしてい
    るのだった。
     はっ、と目をみはって自分の両手に視線を注いだまま固まってしまう。
    「……って、なんじゃ、こりゃあっ!」
     白い、のはそのままだが、その節くれだっていたはずの指先がしなやかに光沢を帯びて輝
    いている。渋皮の張り付いたようだった爪にまで赤みと艶とが戻っていた。
     そして、何よりの違和感。胸元の下着をぎちぎちと押し上げる弾力の正体に、小鶴はさら
    に目をみはる。
     そこにあったのは干し柿のように項垂れて、おどおどと下着に収まっておとなしくしてい
    た空気の抜けかけた風船ではなく、完熟の熱帯果実LLサイズの二点セットだった。完全に
    下穿きのトップスを脇に押しのけて肌着の前のボタンを弾き飛ばしてしまって、神々しいま
    でのその乳房の双頂を半ばまでも露わにしていた。
    「やあ、気が付きましたね小鶴さん、どうぞ、その鏡でよく見てください」
     やたらとにこにこしている監督を尻目に、手洗いに駆け寄った小鶴は、その鏡の中に見た。
    「きゃあっ、何よ、コレ、若い……若返ってるわよっ!」
     皺ひとつないつるつるとした自分の顔をさすりながら、小鶴は娘時分の美貌を取り戻した
    その姿を、食い入るように眺めた。
     艶やかな黒髪は青みを帯びて光を反射させ、理知的な瞳は視界も明るく、また長い睫毛の
    中に濡れたような潤みをのぞかせる。血色のよい頬から下に弛んでいた皮膚や脂肪は解消さ
    れて形良い輪郭を浮き彫りにさせる。かつて、世界にも通じる美貌だと賛美されたおそらく
    20歳前半、絶頂期の彼女の姿であった。
    「ちょぉっと、タクちゃん、後ろ向いてて頂戴ね」
     言いつつ、前をはだけてみる。と、いうよりは半ばまでが露わになった胸を完全にポロリ
    してしまっただけだった。それは、かつて、彼女の持っていた自信であり、そして勇気の象
    徴でもあった。思わず、知れず、笑みがこぼれてしまう。そして、裾をするり、と引き上げ
    て下半身をも確認してみる。するとそこにはもうひとつの彼女の自慢だった美脚もまた、完
    全に復活していた。白くなめらかな太ももの肉付きの良さは、野趣と色香と青春との結合し
    た美貌の結晶だった。
    「ね、いいでしょ、それ。俺も小鶴さんのセクシーな寝姿に思わず濡れちゃいそうだったよ」
     後ろを向いていても、結局はガラス戸に反射して見えるのだから仕方がないことだった。
     しかし、それに対して小鶴が怒る様子はない。
    「ねえ、さっきの道具よね、私がこんなに若くなっちゃってるのって、いったいそれってな
    んなのよ?」
     せっつくように質問を浴びせる。

    「……ええっと、ねえ。ま、それはつまりですねえ」
     どこから説明しようかと思案する監督だったが、隣の真っ暗な仮眠室から這い出してきた
    一人の女性の出現で、その手間は省けた。
    「ん……ん、そこにいるの監督さんと宮城さん、ですよねえ、なんだか私、目が良く見えな
    くて、やけにノドが渇くんですけど……」
     現れたのは、どこにでもいそうな『おばあさん』だった。顔立ちには往年の整った容貌の
    名残りがはしばしに見られて、愛嬌のある可愛らしさを醸すものだったが、その着衣や髪形
    だけは、若向きの最先端、といった完全にミスマッチなものだった。
    「やあ、サヤちゃん。具合はどうだい?」
     うー、と小さく唸り声を上げて、
    「もうサイアクです、なんだか身体の節々は傷むし、足元はふらつくし、なんなんですかぁ
    まったく……って、声まで変だし」
     喉元に手をあてた沙耶は、そこに触れた肌がゆるく弛んだものに変質していることに気が
    ついて、はっ、と指先を見た。
    「いやっ、何よ、これ、私の手じゃないわ!」
     そして、ようやくなじんできた視線を動かしていくと、そこにはなだらかに下降修整され
    た胸元が、締まりをなくして膨れ上がったウエストが、そしてスパッツの中にぼってりと沈
    みこむように膨張したヒップが光景として広がってきた。
    「な……何よこれ、鏡、鏡を見せてよ」
     よろよろと洗面の鏡に寄りつくと、
    「い、やああっ、私、年寄りになってるぅっ!」
     あまりに大きな声で叫んだために、むせて咳き込む沙耶だった。
     涼やかだった目元は瞼の弛緩により半ばほどが塞がった状態で、顔全体にはまんべんなく
    深い皺が彫刻されている。中でも頬から口元にかけてのマリオネット線は、まるで切れ込み
    が入っているのではないかというほどに、深く刻まれて、老いの実感を如実にさせる。グラ
    マラスロングの頭髪は完全に白くなっていて、つややかさもボリュームも減少していた。
    「いやいや、そんなに卑下したもんでもないよ、品の良さと過日の充実ぶりが窺える、老貴
    婦人としてはなかなかの風情じゃないか」
    「ちょ……っと監督さん、私の身体をどうしちゃったんですか、あの道具って、いったいな
    んなんですか」
     詰め寄られた監督は、沙耶にちらりと目配せをして小鶴の方に向き直らせた。
     向かい合い、そして硬直する乱れかけた和装の美女とカジュアルなフリルを多段にあしら
    ったワンピースの老女。

    「え、まさか……宮城、小鶴さんなんですか?」
    「あら……その声は沙耶ちゃん、なの?」
     驚き戸惑う二人の女に、監督は一言だけ。
    「うん、俺が年齢を入れ替えたんだ」

     女二人してのステレオサウンドでのしばらくの喧騒がようやく収まったのちに、
    「……ん、とね、女城主お延の晩年期はそれは不遇なものだったんだ」
     監督は今後の撮影部分についての説明に入っていた。
    「溺愛していた嫡子鹿子丸は不肖の息子でね、家臣の妻に入れ上げた末に夜這いをかけよう
    としてその家臣に斬り殺されてしまったんだよ。それから彼女の迷走は始まってね、家臣団
    との間の溝が深まって孤立していく中で、他国へ逃げようとして捕まり、とうとう農民へと
    身分をおとされてしまうんだよ」
    「あら、若い頃の武勇のほどからすると、それはちょっとかわいそうな結末ね」
     小鶴が合いの手を入れる。
    「うん、だけどここからがもう一つの彼女の物語でね、50をとうに過ぎていたはずの彼女
    は、なんと30前の男と再婚をして、そしてその家の女房としておだやかな晩年を過ごすん
    だそうな」
    「ええっ、そんな20も齢下の男と再婚って、どうしてそんなになっちゃったんですか」
     沙耶をはじめ俳優たちには今後の話の展開は伏せられていた。
    「どうやらね、彼女は絶大な権力を失って、そして歳をとって容色褪せた身になって初めて
    人間としての丸みが出てきたようでね、それが寡の男を惹きつけたということだそうな」
     そして、ちらりと沙耶を見た。
    「そこでね、サヤちゃん。君に演ってもらいたいのはそのお延の生き様なんだ。すべてを無
    くしても、どんなきびしい境涯におかれても人は生きていける、とその老い果てた姿で証明
    してほしいんだ……君ならできるね?」
     沙耶は、しばらくの間目を伏せて自問していたが、やがて老いくぼんだ眼窩に炯々と光る
    目を開いてその期待に応えた。
    「はい、私は女優ですから、私の武器は若さや美しさだけじゃない。心を込めて役を演じる
    ことが本意なんですから……できます、やらせてください」
     力強く頷いた。

    「それじゃ、次は小鶴さんだね。あなたにはこれから二つのことを同時に演じてもらうよ」
    「二つ……なの?」
     監督の言葉に小鶴は尋ねた。
    「そうさ、あなたはこれから新人女優、『山形ヒナコ』になってもらい、それからそのヒナ
    コにはお延の乳母お芳の孫娘で、お延をずっと陰に日向に支えていく『網代』という役を演
    じてみせてほしいのだからね」
     劇中劇、とはまた違う。なにしろ新人女優を演じた上に、もう一つの人格を演じろという
    のだから、この試みは前人未踏のものであった。
     小鶴は瞳を爛、と輝かせるとすっくと立ち上がって言った。
    「いいわ、やってみせる。せっかくサヤちゃんからこんなに若々しい23歳の娘盛りを貰い
    うけたんですもの、ほら、見てよこの胸の弾力、お尻の盛り上がり方。二度とこんなプロポ
    ーションには戻れないと思ってたわ」
     うっすらと陶酔した表情で、和服の上からでも確認できる素晴らしい肉体の凹凸を誇示し
    ていた。その様子に沙耶は非常にまずい表情をした。
    「ええっ、ちょ……監督さん、これって撮影が終わったら元に戻してくれるんですよね」
    「あら、タクちゃん、私このままがいいな。ねっ、いいでしょ」
     甘えた表情でシナをつくる小鶴。
    「いやっ、何気持ち悪いこと言ってるんですか、戻してもらわなくちゃいけないに決まって
    るでしょ、私だっていつまでもこんな身体でいたくはないですもの」
     しばしの間、女二人のやりとりを黙って観察していた監督だったが、
    「よし、それじゃこうしようか、今後の撮影でいい演技ができたほうを今後、23歳にする
    として、ダメだった方が69歳になるってのは……どないでしょ?」
     軽いものの言い方だったが、彼はマジだった。途端に瞳を輝かせる小鶴、もといヒナコ。
    そして、驚愕にぷるぷると震えながら血管を額に浮かせる沙耶婆さん。
    「いいわ、その勝負受けたわ」
    「いやっ、そんなの駄目です! どんな結果になろうとも私は元に戻してもらいますから、
    小鶴さん、絶対そんなの駄目ですからね」
    「あーん、そんなこと言われたって、ヒナコそんなお婆ちゃんになんてなりたくないもん」
     すでに勝負は始まっていた。小鶴はすでに、「現代の若者」の演技をはじめていたのだ。
    「絶対に……絶対に、ダメなんですからねーっ!」
     その二人の様子をほほえましく眺めながら、監督は今後の撮影の見通しが明るいものにな
    るであろうことを無責任かつ本能的に予感していた。 

     大型時代劇、「女城主」の前半部の評価は、やはり最低なものだったという言葉を私は翻
    すつもりはない。視聴率にもあらわれている通りに、役者間のちぐはぐな演技は話の本筋を
    食ってしまってどうにも受け付けられないしこりを残すものであったことは、前言をそのま
    まにしておこうと思うのだ。
     しかし、後半部。今まであまりにも瑞々しかった鷹羽沙耶が特殊メイクにより、完全に違
    和感ない老年女性に変身してからは、今までのとり澄ましたものでない迫真の演技が光って
    いた。鷹羽沙耶は、姥皮を被って本来の彼女の持つ情熱を示し得たとも言える。
     また、途中降板した宮城小鶴に替わって起用された無名の新人、山形ヒナコの異彩につい
    ても付言せねばなるまい。彼女は宮城が演じたお芳の孫娘という役柄だったが、若い頃の宮
    城の美貌を彷彿とさせる容姿で、実に感性豊かな表現能力を劇中で発揮し、鷹羽とその演技
    を競っていたように思われる。まだまだ新人で荒削りな面も目立つが、成長とともに大女優
    への道も拓けるのではないだろうか。
     後半7話の平均視聴率は30%オーバー。特に最終話での視聴率は実に41.5%という
    近年でも稀な興業に終わったのは、特に鷹羽、宮城の二人の鬼気迫るせめぎ合いの緊張の中
    に生まれた成果であったのかもしれない。
     ともあれ、次回の北崎拓也監督作品では、この期待の新人山形ヒナコが主演をするという
    ことなので、今からその動向が気になるところである。また、今回の老け役の面白みに目覚
    めたのか、鷹羽沙耶は、私生活でさえも特殊メイクを落とさずに、老婆の姿で生活をしてい
    るということで、こちらのセンでもいくつかの企画が持ち上がっているということだ。
     本当に、これからの二人の女優の活躍からは目が離せないところである。                         (ある週刊誌にて辛口コメンテーターの寸評より)          
    「ねえ……それで、監督さん。いつになったらその交換道具の修理、終わるのよ?」
     貫禄ある睨みを利かせながら、いまだに老女のままの姿の沙耶はしわんだ口を尖らせた。
    「いやいや、あはは、大丈夫大丈夫、そのうち必ず直るから、ね」
     冷や汗まじりに受け流そうとする監督も、そろそろどうにかしないと収まらないな、と思
    案しているところだった。
    「まあ、いいじゃないですか、沙耶さんだってその格好がだいぶサマになってきたみたいで
    すし、お仕事も引く手あまたでしょうし……それに私も別にこのままでも困らないですもん
    ねー♪」  
     ガーリーなセンスの上下に身を包んだ小鶴は、今ではすっかり新人の山形ヒナコになりき
    っていた。最近では大胆にもグラビア撮影などの新境地にも挑戦するなどと心身ともに充実
    した毎日なのであった。
    「何を言うの、ヒナコちゃん……じゃなかった小鶴さん、あなたもあなたよ、自分だけさっ
    さとその姿でのドラマ出演とかお仕事とか決めちゃって、元に戻ってそこに穴を開けたりし
    たら、周りの人たちにどれだけ迷惑かけると思ってるの!」
     唾が飛ぶほどの勢いで、沙耶は小鶴を叱った。
    「はいはい……ったく、沙耶さんったらアタマ固いんだから、それにだんだん説教臭くなっ
    てきてないですか?」
     からかうように微笑む小鶴にはもはや往年の威厳は微塵も残っていなかった。
    「……っ、こんのぉ小娘があ!」
     かしましく口げんかをはじめた二人の女の姿をぼんやりと眺めながら名匠北崎監督は、次
    はどこのどいつを入れ替えたら面白いだろうなあ、などと思案にふけるのだった。 

    おしまい

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最終更新:2010年09月30日 21:04