5 :D'OLL:2010/11/19(金) 18:38:32 ID:xbKVbDeB
彼女がその店を見つけた…正確にはその店を見つけるきっかけとなったのは、勤務先からの帰宅途中のバスの中のことだった。
(あれ…あそこにあるのって…)
商店街にさしかかったバスの窓から、不意に気づいた店舗同士の隙間の奥に見えた1つの灯り。
普通の家庭用の照明とは何か違うその灯り。
独特のデコレーションが感じられるそれは、なんらかのショップの看板、あるいは店内照明を思われるものだった。
ネット通販が当たり前の時代とはいえ、路地裏の隠れた名店の人気も根強い。
そのすぐ後の休日の午後、彼女はこの商店街のバス停に降り立った。
「この辺だと思ったんだけど…」
かなり古くからあるこの商店街は町並みや建物も古く、それだけに作りも複雑化している。
裏路地は行き止まりやおかしなところに繋がっているところも多く、ちょっとした迷路状態。
路がそれほど狭くないことだけが救いだが、それでも迷ってしまうことにはかわりはない。
「昼間にきて正解だったわ。あの時、無理に降りてたら夜だけに完全に迷っていたかも。」
明るいだけに何とか目印になりそうなものを見つけられるお陰で迷ったと思っても、なんとか元のルートに戻ることができているが、肝心のあの灯りの元へは未だたどり着けそうにない。
「あれって、もしかしてお店じゃなかったのかも…」
少々凝り性な人が住んでいる一般家屋だった可能性も高い。
(このままじゃみつかりそうもないし、今日は帰ろうかな。)
彼女がそう思いつつ、何気なく振り返った時、そこに見覚えのある灯りが見えた。
「あ、あれ!」
あの時は通り過ぎた瞬間と言うこともあってそれほど明確に覚えているわけでもないが、一方で印象としては強く残っている。
バスの窓からみた灯りは確かにこんな感じだった。
急に狭く…大人だとすれ違うのが大変なくらい…路地の奥へと向かうと、そこには小さいながらも明々と光を放つランプが吊されたアンティーク調の建物があった。
オーク材だろうか、重厚そうな扉には「Open」と描かれたボードが吊されている。
「ここだわ。間違いない…けど、何のお店だろう。」
「Open」のボード以外、看板らしきものは何も見あたらない。
「でもオープンて描かれているってことはお店だと思っていいよね…」
半ば自分に言い聞かせるようにして、ドアノブに手をかけると、それは思った以上に呆気なく回転し、そしてドアが内側に開く。
「わ」
ドアの重さに引きずられるようにして建物内に入ってしまう彼女。
「え、え…わあ…」
小さく感嘆の声があがる。
そこに置かれていたのは無数の人形。
それも一般的なおもちゃ屋などに置かれている類のものではない。
アンティークドール、あるいはビスクドールと呼ばれる、高級志向の強い、ややマニアックなものだ。
「なるほどぉ…」
この人形を見れば店の外見なども納得がいく。
こういった商品は、大きな看板や派手な宣伝で、お客を呼ぶと言うより、技術や商品の質で信頼を築く一方で、同じ趣味をもつ人間同士のコミュニティで名前が広がっていくモノだ。
またそういったお客は、知識に欠けるミーハーなお客を嫌う傾向があり、それだけにこんな路地裏の更に奥、そして看板を出していないことも合点がいく。
「けど、凄い数。それになんかもの凄く綺麗…高いんだろうなあ。」
アンティークドールにはそれほど詳しくない彼女でも、そうと分かるほど人形のデキはよかった。
人形が着ている服は間違いなくオーダーメイドで、彼女が今着ている服の値段とは桁からして違うだろう。
「いらっしゃいませ。」
不意に背後から聞こえたその声に彼女は心臓が口から飛び出すかと思うくらい驚いた。
慌てて振り返ればそこには店の造りにあわせたのだろう。アンティーク調のドレスに身を包んだ30代後半と思しき女性が柔らかな笑みを浮かべながらたっていた。
「なにかお探しものでも?」
この女性がおそらく店長あるいはオーナーなのだろうが、それを考えるほどの余裕は彼女にはなくなっていた。
「えー、あー、その…あたし、よく分からないで入っちゃっただけで、その…探しているとかそういうものは…」
呆れられても仕方ないところだが女性の笑みは変わらない。
「あらあら、でもこんな目立たないお店にこられたということは偶然だとしても1つの出会いと運命ですよ、どうぞゆっくりとご覧になっていってくださいな。」
「は、はい。ありがとうございます。」
そう言われてしまってはすぐに立ち去るわけにもいかない。
普段着でお見合いパーティーに参加しているかのように落ち着かない状況ながらも店の中をまわってみるしかない。
とりあえず、あの女性に失礼がない程度に時間を潰そうと思っていたのだが、店の奥に足を進めるうちに置かれている人形の変化に気づいた。
アンティークドールやビスクドールは子供を模して頭身が少なめのデザインが一般的だ。
だが、店の奥に置かれているモノは、実際の人間、それも成年の体型をかなり忠実になぞったデザインのものが中心になっていた。
サイズこそ違うものの、後ろ姿だけなら人間と見間違えそうなものまであった。
「うわあ、凄い…でも、部屋に飾るとしたらちょっと怖いかも。」
人形にしろヌイグルミにしろ、適度にディフォルメしてあるから可愛いのであって、あまりにリアルだとむしろ恐怖あるいは嫌悪を感じるものだ。
「なにか気になるものでも?」
いつのまにかそばまで来ていたらしい店長の声に、再び心臓が飛び出そうになる。
「い、いえ…でも凄くよくできてるなあ、と思って…」
「まあ、それはありがとうございます。ところでよかったらお茶でもいかがですか?今日はご予約もお客様もなくて、一人でお茶の時間というのも寂しいものですから。」
あの柔らかな笑顔でそう言われると断ることもできない。
誘われるままに店の更に奥の扉をくぐると、そこもまたアンティークな造り。
案内されてテーブルにつけば、白い陶器のティーポットとカップが運ばれてきた。
「ミルクと檸檬は、どうしましょう?」
「え、あ、それじゃあミルクを。」
どんな高級な葉を使っていても、こんな状況が味が分かるどころじゃないな。
そう思いつつ、カップに口をつけようとすると、なんとも言えない香りが漂ってくる。
緊張や混乱がみるみる収まっていく。
そのままゆっくりとカップの縁に唇をつけた。
「ん…美味しい。」
考えるより先に言葉がでていた。
「まあ、よかったわ。よろしかったらこちらもどうぞ。」
テーブルの上に並べられるスコーン。
「偶然、ここに来られたようですけど、こういったお人形にご興味は?」
「いえ、全然ないというわけではないんですけど、あたしの収入だと流石に手を出すのは無理があって…」
紅茶の香りと味に気分が落ち着いたためだろうか、すらすらと言葉が出てくる。
「そうですわね。でも、ここにあるお人形達、よくできていますけど、それほど高いものでもないんですの。」
「そうなんですか。でも、そうだとしてもそれほど安いものでもないんでしょうね。」
「ええ、そもそも人形というもの自体が材料や産み出す手間暇以上のものが含まれることも珍しくありませんし。」
「そうなんですか…それってちょっと怖い…あ、ご、ごめんなさい。」
「いいんですよ。こういったことをしているとそういった話とも無縁ではありませんし。」
「え、じゃあ、本当にそんなことが?」
「それはあくまで秘密にしておきましょう。それより、こんな分かり難い場所にあるお店に、来ることができたこと自体、1つの奇跡、運命の出会いだとは思いませんか?」
「え…そうですね。あの夜、お店のランプの灯りに気づかなかったら、ずっと知らないままだったかも。」
「ですから、その記念とお礼に、貴女に贈りたいものがあるの。受け取って貰えるかしら?」
「え、そんな悪いです。あたし、何も買うつもりもなかったのに。」
「断る前に、実際にそれを見てご覧なさい。それにそろそろ効いてくる時間だわ。」
「え?効いてくる?」
次の瞬間、彼女は身体の異変に気づいた。
身体が動かない…まるで動かないというわけでもないが無数の手か縄に束縛されているかのようだ。
手足が動かないのはもちろん、胴体をよじることも頭をふることもできない。
ついには唇も凍り付き、瞬きさえできなくなった。
「うまくいったみたいね。」
店長の柔らかな笑みも今となってはむしろ不気味としかいいようがない。
「ほら見てご覧なさい。」
店長が彼女の手をつかみ、ゆっくりと視線の高さにまで持ち上げた。
動かすことのかなわない視界の中に入ってきた「それ」をみて彼女は言葉を失った。
店長の持ち上げた手は、彼女の手、いや人間の手とは思えなかった。
彼女の視界の中に入ってきたそれ…それは、指や手首の関節部に球体がはめ込まれた、まるで人形を思わせる作り物のような手だった。
(な、なに……これ……)
身体は動かせないが感覚は残っており、自分の手が掴まれ、そして他人の力で持ち上げられていることは分かる。
それだけに、今自分の視界の中に入ってくる手が自分の手と腕であることは否が応でも分かってしまう。
(あ、あたしの手?…これがあたしの手?)
驚きの中、更に視線を向けてみれば、変化は関節だけでないことに気づく。
いや関節以前に気づくべきだっただろう。
肌が違う。
その手、その指が肌色であることは確かだ。
しかし質感が全く違っている。
人間の肌のような柔らかさがまるで消えている。
そこにあるのは、まるで合成樹脂か、磨いた木材か、あるいは昆虫の甲殻か。
少なくとも人間の弾力のある肌とは思えないしろものだった。
(どういうこと?これじゃまるで作り物…まるで人形ミタイじゃない…あ!)
人形というキーワードに気づけないはずがない。
この建物の中は人形で一杯。更にその中にはまるで人間さながらのものの。
(そ、そんな…あ、あたしまさか…人形…)
彼女の困惑と懐疑混じりの確信にトドメを刺すかのように店長が動いた。
「流石にまだ自分に何が起こったのか分かっていないみたいね。でも、これを見ればわかってもらえるわね。」
いつのまにか、どこから取り出したのか、彼女の両手にはタライほどもある大きな鏡が握られていた。
(え、え、鏡?鏡?)
そこに映るであろうものには想像がついていただけに恐怖を覚えないわけではなかったが、それ以上に真実と事実を知りたいという思いが強い。
そうでなくても、身体が動かない以上、その鏡から視線を逸らすことすら敵わない。
陽が昇るようにゆっくりと鏡が持ち上げられ、遂に彼女の顔全体がそこに映し出される。
(!)
もし身体が動いたとしたら、目は大きく目開かされ、口はOの時に開いたことだろう。
そこに映っていたのは、紛れもなく人形の顔。
とても人造とは思えないほど精巧ではあるが確かに人形の顔。
本来の彼女の顔に面影はあるとはいえ確かに人形の顔。
肌の色は、手同様確かに肌色ではあるが、それは明らかに作り物の色彩。
瞳はガラス玉のような輝きと透明度。
頬には赤身はなく、唇も鮮やかな朱色がむしろ毒々しい。
首の付け根にはジャバラのような関節もみえる。
「ふふ、今、貴女に飲んでもらったあの紅茶。あの中にちょっとした薬みたいなモノを入れておいたんだけでちゃんと効いて良かったわ。」
鏡をかざしながら呟く店長。
「さて、最初の準備はできたし、次の準備に移りましょうか。」
店長は鏡を床におくと、背後の戸棚へと手を伸ばした。
(こ、今度は何が起こるの?…)
今自分に起こったこと自体、信じられないことばかりだが、だからといって、これ以上何が起こっても驚かないというわけではない。
(ま、まさか、今度はあたしが人形にされてあのお店に飾られちゃうの?)
店の奥に飾ってあった人間そっくりの人形が脳裏に蘇る。
そんな考えに反応するかのように店長がゆっくりと振り返った。
その手に掴まれていたのは、人間サイズの人形…の手だった。
今の彼女同様の素材で作られた球体関節で繋がれた指をもつ手…
(な、何…これで何をする気なの?)
人形の服でも出てくればまだ先が読めただろう。
しかし、人形の手だけとは…
「さて、これで準備はできたわ。さて、いよいよ本番だわ。もう少しビックリすることになると思うけど、なるべき気を落ち着けてね。」
店長は取り出した手を、テーブルの上に置くと、改めて、彼女の手…右手を握りしめた。
(え?え?)
事態を飲み込めず、身体を動かすこともできない彼女がただ狼狽える…しかも心の中だけで…ことしかできないままをいいことに、その手を掴んだ店長がゆっくりとしかし力を込めて、手を捻った。
ぽん
という音こそしなかったものの、そう聞こえても不思議ではないように、彼女の手が手首からすっぽりと抜けた。
最終更新:2010年11月26日 17:02