家庭教師の夏

約一ヶ月の住み込みでの夏期集中家庭教師。 
この依頼に京子が飛びついたのは報酬額はもちろんだが、このような高報酬、しかも住み込みでの集中という特殊な条件での依頼主の場合、結果如何によっては太いコネができることを期待してのことだった。 
今年で20代後半に入るきょうこにしてみれば、この後家庭教師を続けるにしても、別の職を見つけるにしても、富裕層へのコネは今のうちに作っておくに越したことはない。 
仮契約を済ませたところで、京子は、その場所が避暑地…どころかかなり人里離れた場所であることをしった。 
これはますます期待と奮闘を前提にすべきかもしれない。 
この夏の結果次第によっては、この後数十年の収入の桁が変わってくるかもしれないのだ。 
住み込みとはいえ、1ヶ月しかも人里離れた場所となれば準備もそれなりのものとなる。 
旅行用トランクに大きなボストンバッグ、リュックサックに+手提げ2つという引っ越しかと思わせる様な格好で、比較的近くの駅に降り立った京子を出迎えたのは、どうみても高級車、どこからみても高級車。 
「お迎えにあがりました。」 
名前を確認するより早くそう言われてしまい、おそるそおる乗り込んだ先の車の運転手はこの暑さにかかわらず一分の隙もなくしっかりと着込んでいた。 
車のグレードにくわえ、それに劣らぬ運転手の仕様。 
京子は、自分の予想以上の富裕層に関わりをもったことをしって身震いを禁じ得なかった。それは車内に効きすぎているエアコンのせいだけではないだろう。 

道路はすいていたとはいえ、目的地につくまで30分ほどかかった。かなりの部分が坂道だったとはいえ20㎞は走っただろう。 
周囲の景色、そして車から降りた時の空気の涼やかさと草木の香りからかなり高い位置まで登ってきたことに気づく。 
しかし、目の前のそそり立つ建物に京子は圧倒された。 
ちょっとした市営アパートに匹敵する大きさの建物。しかも外見はどうてみても木造。 
中身は鉄筋コンクリートだったとしても、こんな場所にこれだけの建物を建てられるというだけでその資産は想像するに容易い。 
そんな京子を出迎えたのは、中年の男女2人。 
一瞬、ここの管理人…こんな立地条件なのだがから十中八九別荘だろう…と思った京子だったが、その2人の外見…身なりも含めて…が庶民とは思えないことに気づく。 
ということはこの2人は依頼人…これから自分が教師を受け持つことになる生徒の両親…夫妻と言うことか。 
京子が判断しかねているうちに、2人の挨拶が答えをだしてくれた。 
おかげで、京子も第一声と挨拶に関しては無礼を働かずに済む。 
「いや、助かりましたよ。こんな場所に加え、1ヶ月とはいえ住み込みでの家庭教師ですから。なかなか引き受けてくれる方がいなくて。」 
中年夫婦のうち、男性の方が、京子の中の小さな疑問に応えるように説明する。 
「貴方、それより…」 
女性の方が心配げに口を挟む。 
「そ、そうだな…先生、まずは生徒…まずは、私達の娘に会ってももらえませんか。そうすれば色々とわかってもらえると思えますし。そうすれば、ここまでが仮契約ということも話分かってもらえると思えますし。」 
その言葉に京子は、駅につくまで感じていた不安をより一層強く感じることになったが、ここまできたら引き返すこともまた困難であることを承知していた。 

京子が案内されたのは建物の最上階の一室だった。 
男性がドアノブに手をかけた瞬間、京子はこの階に脚を踏み入れた時に感じた違和感を理解した。 
中に人がいるはずなのに存在感を感じない。 
眠っているならともかく、そこに人間がいればなんらかの物音や気配、そういったものを感じる。例えば、そこに人がいれば出入りの際の痕跡が入り口や通路に残り、それが無言の存在感となっているはずなのに。 
中にいるのはもしや 
そんなイヤな予感を覚えつつ、 
開けられたドアを促されるままに通りすぎた京子が最初にみたものは、子供っぽい部屋、その奥に置かれたベッド…そしてその上で眠っているかの様に目の閉じた少女…年齢は7,8才だろうか、まだ10才より下ではあることはまず間違いない。 
「え…あ…こ、この子って…」 
眠っているに関わらず、美しく整った顔立ちをした可愛らしい少女だった。 
こんな時でなければ抱き上げて頬ずりしたくなるところだろう。 
「ちょっとまってください?もしかして、この女の子…」 
京子の質問を、夫妻は最後まで続かせなかった。 
男性側の手が少女の頭にかかる。 
そこで、京子は眠っているかのような女の子の頭がおかしいことに気づいた。 
彼女は横になって眠っているいる。にも関わらず彼女の頭は地面に対して限りなく垂直に近い状態に立っているのだ。まるで眠っていると言うより全身で立っているかのような状態だ。 
「みてくだい。」 
そういうと男性は、その右手で掴んでいる娘の頭をゆっくりと持ち上げた。 
鍛えられた男性の力なら、そのまま身体まで持ち上げることもできるかもしれない。 
しかし、その時持ち上がったのは、その少女の頭だけだった。 

京子が悲鳴をあげなかったのは奇跡に近かった。いや奇跡がその前に起こってしまったから悲鳴どころではなかったのかもしれない。 
男性で手で持ち上げられている少女の頭と、ベッドの間には、少女の身体はおろか、その他の何も見あたらない。 
確かに手品などなら、こういったトリックを用いることができるかもしれないが、家庭教師依頼で自分を呼んだ夫婦がこんなことをする理由が見あたらないl。 
「ちょ、ちょっとまってください。こ、これって一体なんなんです?!」 
たまらず京子は疑問混じりで叫ぶ。 
こんなことなら、クレーマーモドキの両親と我が儘な子供につきあった方がまだマシというものだ、 
「もうしわけありません。最初に一番重要な部分をみせた方がいいと思ったのですが。」 
そう応えながら、男性は、娘の頭をベッドの上に戻した。 
「とはいえ、貴女ももうお分かりなのではないでしょうか。」 
男性のその言葉に京子は背筋が震えることを禁じ得なかった。 
「あ、申し訳ありません。私達は、貴女の秘密を利用して貴女を脅そうというわけではありません。しかし、貴女でなければできないそのことについて手伝ったもらいたいだけなのです。」 

「ここまできたらズバリ切り出した方がいいですね。ろくろ首、飛頭蛮、あるいはデュラハン、その言葉の意味することを貴女は知っていますね。」 
具体的な言葉がでたことによって、京子の震えはますます大きくなる。 
「彼ら」は間違いなく自分の事を知っているのだ。 
「か、勘違いしないでください。私達もまた貴女の同族ですよ。もっとも傍流である私達にはもうそんな能力は失われていますが。」 
「傍流?失われている?じゃあ、この子は?」 
「傍流だとしても、先祖返りなどで時たま能力をもった子が生まれることがあります。たまたま、この子がそうだったわけですが。」 
「なるほど…先祖返りね…え、でも、首が離れているということは…まさか!?」 
「そう、そのまさかです。私達も、傍流ということでこの子にそんな能力があるとは思ってもいませんでした。そして気づいた時にはもう手遅れに。」 
「そういうことだったんですね。」 
自分にも起こったかもしれないそのことを反芻しつつ京子は頷く。 
「しかし、それなら、この後どうすべきかわかっているはず。なのに、なんでこのまま?」 
「ええ、私達も傍流とはいえ、万が一の時の対策は教わっています。念のため、本家にも助けを求めました。しかし、ここで傍流であることが災いとなって。」 
「傍流の災いということは…」 
「ええ、傍流であるが故に様々な血が混ざり合ったことで、本家に伝わる方法ではもはや対処のしようがなくなっていたのです。今私達ができることといえば、本来なら頭が離れたままでは翌日の夜明けには失われる命を引き延ばすだけです。」 
「なるほど。そういうわけで私を呼んだわけなんですね。けどちょっと待ってください。確かに我が家は多少本家に近い血筋ですが、こんな特殊な状況に対応できる能力も知識もありませんよ。」 

「失礼は承知でいいますが、そのことは分かっています。私達が求めているのは貴女の体質とでもいうべきものでして。」 
「体質?私にそんなものがあるなんて聞いたこともありませんが。」 
「最後まで聞いてください。 
そもそも娘がこんなことになったのは、ろくろ首のルール。一度、胴体から離れた頭h夜明けまでに胴体に戻らないと、そのまま元にもどれないどころかそのまま死んでしまう。 
それに抵触したせいなのです。際どいところで娘は死こそ免れたものの頭と胴体は離れたまま、そんな状態が続いています。 
しかし、これは延命処置に過ぎないわけです。このままでは、頭部がなく食物の補給が受けられない身体、身体がなく栄養の補給が受けられない頭。遠からず2つとも死を迎えることになります。」 
「え…でも、それをどうやって?しかも私が?」 
「ええ、その件に関して私達本家は元よりあちこちの分家の資料を求めました。そしてどうにか助けになりそうなものをみつけたのです。 
本来の頭と胴体がくっつけあえなくなったろくろ首、その時、別のろくろ首の頭がその胴体にくっついて、代役を務めることができるということを。」 
「え、そんなことができるんですか…あ!え!?も、もしかして、あ、ああ、あたしにそれやれと?」 
「そうです。私達は傍流であるが故に、頭と胴体を切り離すことはできません。例えできたとしても、頭と胴体にはある種の相性があるため誰でもいいというわけではないんです。 
貴女をみつけるのに実に2ヶ月以上かかりました。これ以上、たてば娘の身体はもうもたないかもしれません。」 
「だ、だからといってあたしは家庭教師としてここに来たんです。ろくろ首の正体はともかくとして、そんなことに巻き込まれるなんて。」 
「ここまで騙した同然に説明不足だったことはお詫びします。しかし、ろくろ首とという存在を広く知られるわけにも行かない以上、ぎりぎりまでお話するわけにもいかなかったわけですから。」 

男性の説明は不満はあるが納得がいくものだった。 
自分達がろくろ首という存在であることが世間にばれれば、よくて差別。悪ければ内乱か戦争が起こりかねない。 
そのための用心はしすぎることはない。 
「事情はわかりました、でも引き受ける引き受けない以前に、いつまでもあたしが、その子の胴体にくっついているわけにもいきませんよ。あたしにもろくろ首のルールは適用されるんですから。」 
「そのことも分かっています。幸いと言うべきか、本家筋でかなり有効そうな方法が見つかって、娘はなんとか助かりそうなんです。 
しかしそれがはっきりするまでまだ時間がかかって…その間だけでも娘の身体がもてば。それに1ヶ月間、娘の身体に栄養がまわれば、その後半年は身体がもつんです。そのために協力して欲しいんです。」 
その言葉に京子は落ち着いて考え直した。 
この娘が自分とおなじろくろ首であることは間違いない。 
そして彼女は命の危機に瀕している。 
同族であることはもちろん、まだ小さな存在を守りたいという思いが京子の心をくすぐる。 
ろくろ首が、別人の胴体にくっつけるという話は初耳だったが、そもそも胴体から首が離れるということ自体眉唾だけに、そんなことができても不思議ではない。 
それでこの娘が救えるならやってみる価値があるかもしれない。 
そんな京子の考えを見透かしたかのように男性が話しかけてきた。 
「もちろん、タダで…どころか、最初の家庭教師の報酬だけのつもりはありません。金額だけの問題ではありませんが、家庭教師の報酬の十倍、いえそちらが望むならもっと…」 
金額だけの問題ではないにしろ、収入が十倍というのは心が揺らぐ。 


結局、京子は引き受けることとなった。 
報酬もさることながら、事情を聞いた後では、こんな小さな女の子を見捨てるわけにもいかない。 
「あ、ありがとうございます!」 
男性は涙を流さんばかりに、女性の方は人目を憚らず涙を流しながら、京子の手を握った。 
数十分後、三人はあの少女の寝室にいた。 
「分家とはいえ事情は分かっていると思いますけど、充分に気をつけてください。もし貴方達が娘可愛さに何かおかしなことをすれば本家は何もしないわけにもいかないですし。」 
そう脅し混じりに説明しながら、京子は、ベッドの脇におかれた大きめの椅子のゆったりと腰掛けた。 
未成年の頃を面白半分に何度もやってきたが、最近ではちょっとご無沙汰だっただけにコツを思い出すのにちょっと時間がかかったが、まもなく首から下の感覚がなくなるあの状態。 
視線を下に向ければ、椅子に腰を下ろした「首ナシの自分の身体」が見えた。 
そのままゆっくりとベッド上に「頭」を移動させる。 
既に少女の頭は移動済みなので、胴体の首はみえる位置にある。 
他人の身体との接合は初めてだけに京子の「首」の動きもどうしてもゆっくりと慎重になる。 
(やめた方がいいんじゃないか。) 
そう思いかけた時、すぐ脇で、心配そうに、自分と娘の胴体を見守る夫婦の姿に気づいた。 
ここまできた以上やめるわけにもいかない。 
プール開きの時のまだ冷たい水に意を決して脚を入れる思いで京子は最後の十センチの高度を落とした。  
自分の分離面と、少女の首の分離面とが触れあう感触。 
しかし、それも一瞬のこと。 
不意に消失していた身体の感覚が蘇ってくる。 
京子は、今の自分の横になり、身体には軽い布団がかかっているという状況を認識した。 
おそるおそる視線を横に向ければ、そこには自分の身体…頭のない身体がもたれるように椅子にこしかけていた。 
つまり今感じている手足の感触は、本来の自分の身体のものではないということになる。 
慎重に両手の指を握りしめてみると、いつもとは少しだけ違う感触。 
どことなく力が弱く、そして小さくて短く柔らかな指の感覚。 
肩や腰に意識を向けてみれば、起きあがるのに苦労はいりそうにない。 
それでも、これがあの少女の身体だとしたら、自分のものとは勝手が違うだろうし、しばらくの間寝たきりだったことから筋力もそれなりに落ちているだろう。 
まず両手両腕に力を入れると、ゆっくりと上半身を起こした。 
かかったいたのは軽い羽毛布団だったらしく、思ったよりすんなりと起きあがる、今の京子の上半身。 
布団が身体からずり落ちて、フリルとリボンがふんだんに使われた少女趣味が強いこと一目瞭然のネグリジェを着ていることが分かる。 
と同時に京子は、今の自分の身体が間違いなく少女の身体、本来の自分のモノより明らかに小さくなっていることを実感した。 
ゆったりしたネグリジェに包まれているとはいえ、それは明らかだ。 
すっかり短くなって両腕、少し袖口に隠れてしまっている両手もまた小さく、そこから伸びる指も、如何にも子供の様な短く柔らかそうなものとなっている。 
そして、なにより確実なのは胸の起伏の消失だ。 
巨乳というほどでもないが、平均+α程度はあったバスト、胸の膨らみが無くなっていることは、ネグリジェのフリルに邪魔されていてもはっきりと分かる。 
試しに胸に手をあててみれば、布地越しにアバラの感触。 

ろくろ首同士とはいえ、他人の身体に頭をくっつけるなどということができるか、半信半疑の部分は多かったが、こうして、自分のものではない身体を自分の意志で動かしているという現実を目の当たりにしては信じるしかない。 
「でも、こんなことが本当にできるなんて…ん」 
ふと呟いたところで、京子は別の変化に気づいた。 
声がいつもと違う。聞き慣れた自分の声とは何か違う。 
と、その理由に気づく。 
人の声は、声帯や顎の作りだけではなく、肺活量、肺や胸から喉にかけての筋肉などにも影響を受ける。 
首から下は小学生の女の子の身体である以上、大なり小なり、声もまた影響を受けるのは当然だろう。 
「う、上手くいったんですね?」 
心配そうに見守っていた両親…男性の方が声をかけてくる。 
「ええ、接合は上手くいったみたいだし、上半身…腕とかは問題なく動きます。立ち上がって歩き回っても大丈夫か、今から試してみます。」 
そういいながら、かかっていた羽毛布団を完全に剥ぎ取ると、京子はベッドに腰をかけるような姿勢をとった。 
ネグリジェの裾から細い脚と小さな足が覗く。 
こんな小さな足で立てるか、ちょっと不安もあるが、脚が思う様に動かず立ったり歩いたりできないということになれば、他人の身体との接合には問題があるということになる。 
そうなれば、京子はもちろんこの少女にもどのような悪影響がでるか分からないだけに、問題がありそうなら早めに確かめておく必要があった。 
腰の脇でしっかりとベッドに手をつくと、両方の足の裏もまたしっかりと床につける。 
毛足の長い絨毯の柔らかな感触。 
脚と足へ力を込めてみれば、それなりの手応えというか足応え。 
これなら立ち上がるのには問題はなさそうだ。 
両手で上半身を浮かす様にして、京子は、少女の身体で立ち上がった。 

腰がベッドから浮き上がる。 
とはいえまだ両手はベッドについており、脚だけでたっているとは言い難い状態だ。 
まずは左手を放してみる。 
問題ない。 
続いて右手もベッドから浮かせる。 
と 
バランスをくずしかけ、前のめりに倒れそうになる。 
慣れない身体ということもありバランスを取り戻すことができない。 
だが際どいところで、体勢を整える。 
背筋を伸ばし、両腕両脚を少し広げることで安定性を高めてみれば、その後は意外とすんなりと立っていることができ、やや摺るようではあるが、歩くこともできた。 
「足腰も大丈夫みたいですね。後は、身体の感触になれてくれば、もっと安定すると思います。」 
京子の説明に、少女の両親は、安堵のため息を吐いた。 
「催促するようで申し訳ないんですけど、もう少し動きやすそうな服を用意してもらえませんか。この後のことを考えると、早めにこの身体に慣れておきたいですし。こんな格好だと動きにくくて、怪我をしてしまいそうですから。」 
パジャマ派だった京子にしてみれば、ネグリジェというのはかなり落ち着かない。 
母親は跳ねるようにして部屋から飛び出していった。 
「服が用意できるまで、座ったまたせてもらいますね。」 
そういうと京子はベッドに腰を下ろす。 
「うまくいって本当によかった。これで当面の間ですが娘の命の心配はなくなりました。本当に有り難うございます。」 
父親は今では奔流のように涙を流していた。 
「こんなことができるかどうかあたしも心配でしたけど、うまくいってよかったです。ところでこの後のことですが。」 
「え、あ…あ、はい。そのことですね。打ち合わせ通り、準備はしておきました。頭が離れている間、貴女の身体を保護しておく部屋は用意してありますし、その身体に戻るまでと戻った後の準備も整えてあります。」 
「それだけはお願いしますね。ろくろ首は、夜明け前までに本来の身体にくっつかないと死んでしまうわけですから。」 

ろくろ首は、一度頭を身体から離した後、夜明けまでにくっつかないとそのまま死んでしまう。 
これは紛れもない事実だった。 
人の頭が胴体から離れて飛び回ること自体、おかしな話とはいえ、あまり長時間、離れていれば死んでしまうのはある意味道理が通っている。 
原因は不明だが、頭も身体も仮死状態でどうにか死を免れているこの少女は例外中の例外というべきだろう。 
京子も、「もしできたとしたら」という前提の元、少女の胴体に自分の頭をくっつけるという作業に関して、安全策をいくつも設けさせてもらっていた。 
短いとは言えない間、頭がないままの胴体が弱っていることは確実だった。 
それを回復させるには、1日や2日ではとても間に合わないだろう。 
「家庭教師」としての契約期間である1ヶ月ぐらいはかかっても不思議はない。 
とはいえ、京子も1ヶ月の間、ずっと少女の身体にくっついているわけにもいかない。 
夜明け前までに自分の身体に戻る必要があるのはもちろん、ずっと離れっぱなしでは今度は京子の身体の方がまいってしまう。 
そこで次のようなシフトが組まれることになった。 
まず、京子は自分の身体で起床、朝食をとる。その後、少女の身体に移行し、再度朝食をとる。日中はそのままリハビリ、昼食、そして夕食後、京子本来の身体に戻り、再度夕食、そして自由時間、就寝。これをほぼ毎日繰り返すことになる。 
これならば、夜明け前というタイムリミットに引っ掛かることもなく、また本来の肉体も動かせるので健康面の問題もない。 
また京子は、自分の頭が離れた後の身体の管理も入念にお願いしていた。 
頭が離れた後の身体は、ある種の仮死状態にあり、新陳代謝が極度に落ちる為、丸一日ぐらいなら食事の必要もなく排泄もない。 
だが、離れている状態では、その身体に何が起こっても、京子には何も分からない為、それこそ病人を扱うのと同じくらい、管理が不可欠なのだ。 
火事などの事故はもちろんのこと、新陳代謝が落ちているということは汗もかかないということになる。 
つまり気温があまりにも高くなった場合、汗がでないため体温があがりすぎて、熱中症になってしまう可能性が高い。一方、体温の維持能力も落ちているので冷房のかけすぎもまた危険だ。 
時折、京子自身が確認にいくとはいえ、四六時中みていることも困難である以上、しっかりと管理してくれる設備が必要だった。 


他人の身体との接合に成功したという高揚感も数分後にはかなり消え失せ、京子は、接合直後とは異なる視点で今の自分の身体をみつめることができるようになっていた。 
改めて首から下が7歳の少女のものになっていることを確かめると何とも言えない不思議な気持ちがする。 
数分前まで、れっきとした成人女性だっただけに尚更だ。しかも視界の隅に自分の身体を捉えていることもあって。 
一時的とはいえ、こんな身体で生活すると言うことに一抹の不安を感じる自分を抑えきれない。 
と、そこに母親が着替えをもって戻ってきた。 
フリルだらけのネグリジェだっただけに、やはりフリルやリボン、レースなど装飾過剰なワンピースでももってくるのではないかと不安はあったが、動きやすい服という意味を理解してくれたらしい。 
キャミソールにノースリーブのパーカー、そしてデニム地のミニスカート。それにスニーカー。 
夏のアクティブ少女の服装といった感じのコーディネイトだ。 
着替えを受け取った京子はネグリジェに手をかけたところで、父親がまだ室内にいることに気づく。 
「あの…できれば着替えの時は外に…身体は娘さんのものかもしれませんが、あたしとしてはそういう割り切りはできないものですから…」 
「あ、こ、これは失礼…」 
顔を赤らめながら、男性は廊下に出て行った。 
「あの…私は残っていてもいいでしょ?女同士だし、慣れない身体での着替えには手伝いがあった方がいいと思うの。」 
先にそう言われてしまっては断るのも難しい。 
小さく頷くと、京子はまずネグリジェを脱ごうと布地の手をかける。 
と、早速手伝いが必要となってしまった。 
当然のことだが、成人女性と7歳児では、腕のリーチが全く違いすぎる。 
実際の腕の長さ以上に、その差を完全に理解していないため、手が思う様な位置に届いてくれないのだ。 
しかも、このネグリジェは背中のホックを止めるタイプのため、それを外すことに四苦八苦するハメとなった。 

「大丈夫かしら。ちょっとまってね。」 
女性はそう呟きながら手を伸ばすと、ホックを慣れた手つきで外し始める。 
ゆったりした造りのネグリジェとはいえ、背中が大きく開くとそれなりの開放感。 
思わず、安堵にも似た息を吐いてしまう京子。 
そのネグリジェを脱ぎ、身につけているのはパンツだけという姿になると、それまでとはやや違う意味で今の自分の身体が子供のものとなっていることを実感する。 
手足がすっかり短くなっていることはともかくとして、胸の膨らみは全く存在しない。 
色も薄く小さな乳首、触らなくても陰影でそれと分かるアバラ、ぽってりと膨らんだお腹、子供用の下着がそれを更に強調している。 
モデルやグラビアアイドルほどではないにしろ、バストサイズも含めてスタイルに関しては人並み以上の自信をもっていた京子にとって、このような姿になったことは少なからず自尊心を傷つけられるものだったし、羞恥心を刺激されないわけにもいかない。 
裸のままでいるとただ情けなくなるだけなので、さっさと着替えてしまおうと、まずキャミソールに手を伸ばした京子は、それが新品であることに気づいた。パーカーにスカート、靴下にスニーカー、いずれも新品だ。 
一瞬考え込んだ後、京子はこの母親あるいは両親の気持ちを理解した。 
子供に死なれた親は、その子が生きているつもりで、衣服やら学業用具を買い揃え続ける場合も多い。 
しかも、今回の場合、この少女はまだ死んではいないのだ。 
いつ目が覚めてもいいように、季節毎に衣服を新たに買い続けていてもなんら不思議ではない。 
当然のことながら、衣服はいずれもぴったしだった。 
「まあ、よく似合うわ。」 
女性のその言葉が、自分にというより「娘」の身体に向けられたものであることに気づかないほど京子は鈍感ではなかった。 
(うーん、父親はともかく母親のこの態度、後で厄介なことになるかも。) 
再び一抹の不安を覚えながらも、ここまできたら、引き返すわけにもいかない。 
数日は様子見、そしてこの母親には、自分は娘とは違うことをそれとなく理解して貰える様促していく様にしないと。 

頭がつながっていない、いわば仮死状態が長く続いていただけに、この身体はかなり弱っているようだ。 
着替えただけにもかかわらず、体育の受業直後のような疲労感がある。 
ゆっくりとベッドの上に腰をおろした。 
「着替えは終わりましたから、入ってもかまいません。」 
廊下で待ち焦がれているだろう父親のことに気づき、声をかける。 
ドアが少しだけ開き、男性が顔を覗かせる。 
「おお」 
小さいながらも感嘆の声を漏らしながら男性は部屋に入ってきた。 
「ぴったりじゃないか。これは良かった。」 
どうやら、父親の方も自分のことを娘としてみている部分があるらしい。 
まあ、無理はないことだが。 
「とりあえず、今日は夜まで、この身体で過ごしてみますね。実際に動いてみないと気づかない点も多いですから。ところで、この建物の中で注意した方がいいところとかありますか。特に、子供だと危ないところとか。」 
「そ、そうだな…キッチンとか以外ならそれほど危ない場所はないはずだ。多少階段は急かも知れないが、手摺はあるし、窓とかベランダも手摺りは高めにしてあるから落ちる心配はないと思う。 
ただ、ここはかなり山の奥だから、建物から離れると、あちこちに危ない場所があるかもしれない。」 
「そうですね。この身体でいる時は、一人で外には出ないようにします。」 
とそこで京子は不意に空腹感を覚えた。 
長らく失われていた頭部が他人のものとはいえ戻り、仮死状態から復活したことで内臓の動きも活発化しつつあるようだ。 
くぅ 
可愛らしい、腹の虫の鳴く音。 
思わず京子は顔を赤らめた。 
「あらあら、ちょっと早いけどお昼にしましょうか。」 
破顔しつつ、そう提案する母親。 
「え、ええ、そうですね。でも注意してくださいね。 
この身体の方は、長い間絶食のような状態だったんですから。胃とか内臓に負担がかからないようなものをお願いします。」 

用意された料理は、薄目のコンソメスープに、かなり薄め、重湯のようなお粥だった。 
それなりの空腹感はあったものの、小さくなった手をまだ思う様に動かせないこともあって、小さな食器に盛られていたにもかかわらず、半分ほど食べたあたりでもう満腹感に近いものを感じてしまう。 
「あの…ごちそうさまでした。」 
「おや、もういいんですか。」 
「はい、まだこの身体に慣れていないこともあるし、それに今の時点では食べ過ぎは危険ですから。」 
食事の後、京子は、2人に付き添われながら、建物の中を歩いてまわることにした。 
リハビリとしてこの身体を動かし慣れるという意味の他、この身体で危険そうな場所を事前に確かめておこうという意味もある。 
しかし、一緒に歩いてみると、歩幅の違いから、いつのまにか引き離されてしまう。 
「あ、申し訳ありません。」 
2人は立ち止まり京子が追いつくのを待つ。 
「なんでしたら、今日は私がオンブでもしましょうか。」 
「い、いえ、何はともあれ身体を動かさないことには始まりませんので。」 
しかし、この建物は別荘であるにはかかわらず、かなり大きかった。 
1階を全て回るだけで、京子はマラソンの後の様に疲れ切ってしまう。 
「ちょっと、休憩しましょう。今日中に全て回らないといけないわけでもありませんし。」 
「そうね。お茶にでもしましょうか。」 
まだ胃腸の具合は完全に復調していないだけに、スイーツがつかないお茶だけというのはかなり寂しかったが、休憩したことで多少京子の体力も回復した。 
2階へ向かう階段。 
いうほど急勾配ではなかったものの、7歳の身体その脚では、それを登るのも少々大変というか、大人の身体とでは違う脚の動きが必要であり、それを思い出すのに少なからず時間を必要とした。 
思いだしたのは結局階段を登りきった後のことだった。 

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最終更新:2011年08月17日 21:16