669 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 02:05:37.04 ID:4l4LGpEp Be:
「目覚め得ぬ君」
夕暮れ時、雑多な薬品や骨董などがごろごろと置かれた、暖炉が赤く燃える部屋で、
「……もう一度、聞かせていただけますか?」
清潔な美貌をたたえる娘は、神妙な面持ちで目の前の木箱に腰を下ろす老婆に質問を繰
り返した。傍らのベッドには、端整な眉目の逞しい青年が横たえられて、寝息も立てずに
目を閉じたままに、そこに存在していた。
すると、古希をはるかに過ぎた朽木のような姿かたちで、皺の上に皺を重ねたような老
婆、『灰の谷の魔女』はやれやれ、といった口振りで、
「だからさ、あんたがもし、どうしてもこの男を助けたいと言うのなら、あんたはあんた
の持つ、若さと美貌の全てをあたしに譲り渡す必要があるってことさ」
事も無げな様子で、娘に向かって言葉を投げ返していた。
アリスという名のその娘は目を瞠り、そして絶句した。
アリスの恋人にして、国一番の武勲を誇る勇士トーゴは、見当もつかない呪いに身を侵
され、もうひと月も目を覚まさず、医師にも匙を投げられていたのである。
そこで、アリスは人づてに、悪評はあるものの見識豊富な『灰の谷の魔女』を訪れ、ト
ーゴの治療を依頼したというわけなのだが……
「そ……そんなことまでしなければ治療ができないというのですか」
かすれる声を振り絞るように、アリスは非難めいた声をあげていた。
「そうさ、それにはわけがある」
魔女は、身体を前後にゆらしながら、アリスの動揺を嘲うように説いていた。
「まず、第一に、あんたの恋人のトーゴさんは南の城塞を奪還するときに、邪竜と戦い、
勝利こそしたものの、その最期にかけられた呪いによって、眠りの世界から戻れないよう
になってしまったのさ、それが、この症状の原因さね」
トーゴは、たしかにふた月前ほどに竜を退治するという大武功を挙げている。それから
しばらくしての発症だったから、これはアリスにも頷けることであった。
「次に、この呪いは非常に厄介なもので、おそらくはこの近隣諸国を見回しても、その解
除ができるものは皆無なんだってことさ」
魔女は黄色く濁った瞳を暖炉の火に凝らせたままで言葉を紡いだ。
「……でも、それがあなたの要求する私の若さとどんな関係があるっていうのですか」
670 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 02:06:06.15 ID:4l4LGpEp Be:
アリスは魔女の言葉を遮って自らの不審をぶつけていた。しかし、それを老魔女は予期
していたように小さく鼻で笑って、
「いやいや、話はここからが本当に大事なところでね、実を言うとあたしにだって、この
恋人さんの呪いを打ち消すだなんてことはできないのが正直なところなのさ」
老獪な弁者は終始、話の主導権を握り続ける。
「なにせ、この呪いを解くためにはね、莫大な魔力を擁する純潔の乙女が、その男と交合
することが不可欠になってくるからなのさ」
そこで、ぎろりと眼を剥いて、
「お前さんは……どうやら魔力らしいものはそこそこに持ち合わせているようだが、大事
なところが足りないようだね」
アリスは、ぼっと顔を朱に染めてしまう。老婆は、くんくんと鼻を利かせる仕草をして、
「……どうやら、あんたはもうその純潔ってやつをその男に呉れてやってしまったようだ
ねえ、ふふふ、残念残念」
すると、アリスは恥辱に耐えかねたように、
「でも、それだったらあなただって同じなんじゃありませんか」
すると、ふうっと老婆はひとつ息を吐いて、
「……いいや、あたしはこんなにくたびれ果てた身体をしちゃあいるが、それでも縁遠く
てねえ、残念ながら、まだ誰にもその『はじめて』ってやつを貰ってもらっちゃあいない
のさ」
そして、顔を上げて、アリスを覗きこんで、
「だからさぁ、あんたの若さと美貌さえ貰えれば、あたしもようやく解呪の儀式ができる
ようになるってことなのさ」
アリスは、背筋にはしる悪寒にどぎまぎと目を白黒させて、
「……っ、それなら、その儀式さえ済ませれば、私にその若さを返してくれることだって
できるわけじゃないんですか?」
すると、魔女は首を静かに横に振って、
「いいや、そういうわけにもいかないのさ」
671 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 02:06:33.43 ID:4l4LGpEp Be:
老婆は小卓のうえにごとり、と素焼きの壺を取り出して、
「これは、東方の秘宝のひとつで『ミイラ壺』というものなのさ。一方の持つ美点をもう
一方に受け渡すというはたらきを持っているんだがね……」
そこで、地鳴りするほどに低く声を張って、
「一度きりなのさあ、一度きり。使えばこいつは粉々に砕けて二度と使うことは叶わない
というやつなのさぁね」
蒼白になるアリスを横目に、そこで老魔女はくっくと笑いながら、
「いやいや、だからさ、こいつは強制するわけじゃないよ。他に解決の糸口が見つけられ
るっていうのならそっちに縋ったほうがいいに決まってる」
かたかた、と足で床を鳴らしながら、
「それとも、諦めるのだってありさ。この男じゃなくとも、あんたみたいに別嬪なら男な
んてのはよりどりみどりだろう? こんな怪しい魔女の手を借りなかったからといって、
誰に責められるものでもないだろうさ」
『灰の谷の魔女』の言葉は、まるで断崖に立ち戸惑うアリスを揺さぶるような効能をあら
わしていた。もしくは、それそのものが魔法であったのかもしれなかった。
アリスは、ひとしきりの思案に目を伏せていた。
「言っておくけどね、どこぞの人買いから娘を買ってきて自分の身代りにしようだなんて
卑怯な真似は考えないことだよ。あくまでもあんた自身の恋人を救うためさ、他の誰かを
犠牲にしようだなんて肚だったら、あたしは手を貸さないからね」
しばしの時間が沈黙のうちに流れた。
アリスは、トーゴとの甘やかだった思い出に浸りながら、何度か息を吐き出して、そし
て、何度も彼の寝顔をのぞきこみ、葛藤して苦悶し、そして、ついに、
「……お願いします。トーゴを、彼の事を助けてあげてください」
アリスは、真摯な視線を魔女に投げて言った。
「いいのかね、一時的な自己犠牲の精神に酔って、それで後悔して生きていくことになる
のは悲しいことだよ」
優しげな声を出す魔女は、しかしよくよく見れば皺に埋もれた片えくぼに笑みを押し殺
して、狡猾な、いやらしい表情をしていたのだった、が、
「はい……後悔はありません。私はどんなことがあっても彼を助けようと決めたんです。
それで、たとえ、この身を投げ捨てて、二度と彼のそばにいられなくなるとわかっていて
も、それでもかまわないのです」
アリスは、とうとう結論を出してしまったのだった。
672 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 02:07:18.02 ID:4l4LGpEp Be:
魔女とアリスは小卓を囲み、そして壺をその卓の中央へと据えた。そして、魔女はアリ
スに告げる。
「さあ、それじゃあ儀式をはじめるとするかね。そのあんたの崇高な決意とやらが曲がら
ないうちにね」
多くの嫌味が内包された言葉を甘受しながらも、アリスは魔女の指示に従った。
「さて、それじゃあんたにはこの壺と、それからあたしに対して宣誓してもらうよ。さて
何をだったかねえ?」
魔女の問い掛けに、アリスは毅然と声を張って、
「私は、『灰の谷の魔女』に私の若さと美貌を全て譲り渡します」
すると、魔女はうん、と頷いて、
「さあ、その通りだ。もう一度」
「私は、私の若さと美貌の全てをあなたにお渡しします」
魔法に魅入られた感覚に襲われながらも、アリスは言を重ねた。
「そうだとも、あんたの若さと美貌は、かわってこれからは私が身につける。それじゃあ
最後にもう一度、あんたは何を宣誓するのかね」
魔女の言葉も狂気にふるえていた。そして、アリスは最後にひときわ大きな声で、
「私の若さと美貌はすべて……すべて『灰の谷の魔女』のものです!」
アリスの言葉が契機となり、素焼きの壺からは暗黒の煙が立ち上り、そして二人の女を
包みこんでいた。
ぞわりぞわり、とアリスは汲み出される喪失感を、そして魔女は注ぎ込まれる充実感を
満身におぼえつつ、そして、黒い煙がすべて晴れたとき、
「う……ふふふ、どうやら儀式はうまくいったみたいねえ」
台詞は魔女のものだったが、声は張りのある高音程に変容していた。
黒く古めかしい緩胴ローブに身を包んだ魔女は、白く輝く肌と、輝く瞳。そしてなまめ
かしく起伏する肢体と輝く金髪を手に入れて、赤く燃える妖花と返り咲いていた。
「さて、とあんたには……手助けが必要かねえ?」
にやり、と目を細めて魔女は目の前に膝をつく痩せこけて歪んだ老女と化したアリスに
声をかけた。
「う……っぐ、心配しないで、ください……それよりも、約束を……」
落ちくぼんだ目に苦悶を湛え、肉体の急激な衰えからくる苦しげな喘鳴をまじえながら
も、アリスは毅然と顔を上げ、魔女に契約の履行を迫った。
すると、魔女はしばしの間、アリスの存在を無視するかのように楽しげな様子で手鏡に
見入っていたが、
「……いいさ、それじゃあ約束は果たしましょうか」
673 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 02:07:52.14 ID:4l4LGpEp Be:
薔薇のオイルとニガヨモギのリキュールを溶かし込んだ白濁した湯にその身を浸しなが
ら、魔女は嬉々とした表情で自らの変貌に酔っていた。
「……ふふ、この歯並びの良さ、喋りやすいはずよねえ」
妖艶な口唇の中に綺麗に生え揃った皓歯をいーっと剥きだして、くっくと笑っていた。
「それに、あんなに痩せて薄板のようだった胸も、こぉんなに膨らんじゃって。ふふ、嬉
しいわあ……」
胸元の二つのみちみちた隆起は、はりつめた質感をともなって白く輝いていた。これは
彼女が娘時代にさえも持ち得なかった、まさに女としての誇り、ステータスそのものであ
った。指先でなぞれば、きゅきゅっと旬鮮の果実の緊張を音に示していた。
いつもは文字通りのカラスの行水で済ませる沐浴も、こうなってくれば楽しいもので、
ついつい長引いてしまうのが道理であった。手鏡に向かって何度もにやにやとしながら、
あらゆる角度から、美しくなった自分を映しては満足の溜め息を吐くのだった。
「ひひひ、お尻だって、ぎゅぎゅっと膨らんで丸くなったんだものさあ……っと、駄目ね、
こんなに若返って美人になれたのに、言葉遣いも、直さなくっちゃね、えへへ」
そして、ふいに興奮の潮が引いたように淋しそうな表情を刷いて、
「……そうよね、あたしの『はじめて』を、これから貰ってもらうんだからね」
湯あみを終えると魔女は、上気する身体を簡素な単衣に包み、アリスとトーゴとが待つ
儀式の間へと歩み出していた。
「随分と、遅かったじゃありませんか」
非難しているわけではなく、枯木のようなアリスは思うままを口にしていた。窪んだ眼
窩に瞳の光が頼りなげに揺れていた。
「ああ、すまないね。潔斎ってものはわりと段取りに時間を食うものだから、別に悪気が
あってのことじゃないんだよ」
なだめるように魔女は応えて、そして縦長円陣の中央に横たえられた男を見据えた。
「……さて、ここから儀式をはじめようってわけなんだが」
口元に指を寄せ、ちらりとアリスを振り返った。
「さて、あんたはどうするね?」
魔女の質問に、アリスはしばし目を伏せていたが、
「私は、もういいです。トーゴはきっと、あなたが目覚めさせてくださるのでしょうから、
こんな老いさらばえた身体を彼に見られたくもないものですし、このままお暇させていた
だくつもりです」
すると、魔女は少しだけ声色に軽さを乗せて、
「でも、もしかしたらあたしはあんたとの約束を果たさずにすませてしまうかもしれない
よ、そうしたら、どうなんだい?」
しかし、アリスはふふ、と小さく笑って、
「いいえ、おそらくあなたの言葉のいくつかには嘘があるのでしょうけれど、あなたはき
っと約束は果たすのでしょう。それに、どうあれ、私の役目はここまでなんです。もしか
したら、それも所詮は浅はかな自己満足に過ぎないのかもしれませんがね」
674 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 02:08:47.43 ID:4l4LGpEp Be:
そして、アリスは魔女の目をもう一度、見つめながら、
「……どうか、トーゴのことをよろしくお願いします。そして、できることなら彼に告げ
てあげてください。『ついに、結ばれることはなかったけれど、私はあなたのことを愛し
ていました、どうぞ、私の事は忘れて他の誰かとお幸せに』と」
すると、今度は魔女が目を瞠って、
「あんた……この男に抱かれたことは……?」
すると、アリスは悲しそうに首を振って、
「いいえ、私の初めては暴漢に奪われました。ですから、その私を慮って彼はずっと私に
手を触れることさえもなかったのです」
そして、ちらりと動揺する魔女に目を向けて、
「あとは……そうですね。どこか、誰の目にも触れないような静かな場所で、私は余生を
過ごしましょうか。きっと、あなたがされていたように、ひっそりと、ね」
「……せめて、隠れて声だけでも聞いていこうとは思わないの?」
すると、アリスは小さく首を振って、
「ううん、できないわ。彼が、あなたに抱かれてるところを想像したら、それだけで心が
折れ尽きてしまいそうだから……だから、それは無理」
アリスは、ただ、別れのあいさつだけを言い残して行李を背負って魔女の館を去って、
夜闇に紛れるようにふらふらと彷徨い出ていってしまった。
残された魔女と、そしてトーゴのことである。
「さて……本当なら、この濡れ場を元恋人さまに見せつけて嫉妬させてやろうかと思った
んだけれどもね」
自嘲しながら衣服を脱ぎ捨てると、白く輝く裸身をランプの光に照らしながら、ゆっく
りと眠ったままのトーゴへと近づいていき、そして彼の衣服を取り払ってしまった。
「ふふ、ずっと眠ったままだっていうのに……ずいぶんと、逞しい胸板ねぇ」
目を細めながら若者の精悍な横顔に見惚れていたが、その発達した胸筋に指を這わせ、
そして、伸びやかな脚を投げ出して男の下腹部に跨ると、彼の突起物にトゼンソウとエ
ニシダの成分を抽出した特別誂えの香油を手でぴしゃぴしゃと塗り込んでいく。
「ん……はぁ、ここからは……はじめてだから、うまく……いくか、どうか」
そして、次第に力強く張り出してきた屹立部に、自らの女陰をあわせるように、ゆっく
りと腰を前後させ、そして、
「ん……は、うん!」
魔女は、強い疼痛と同時に貫かれていく充足を満身にみなぎらせ、頬を紅潮させながら、解呪の儀式を進行させていく。
「さあ、停滞をもたらす灰色の災いよ、乙女の献血をもって退くがいい!」
675 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 02:09:20.92 ID:4l4LGpEp Be:
魔女は喘ぎを懸命に押し込めながら、呪文を高らかに歌い上げる。すると、彼女の丘陵
から滴り落ちた鮮血は、トーゴの肉体に網目を成して広がっていき、そしてそこに展開し
ていた呪力と拮抗し、じりじりと火花を散らすような不快な音を何度も立てて、ついに、
ばじゅっ、と火玉が水中に没するような軋みを残して、呪力網と呪いはともに消滅してし
まったのだった。
ぐいっ、と背を浮かせて一、二度の呻きをあげたかと思うと、
「ん……ぐあっ、ててて」
額に汗の滴を浮かせて、トーゴはついに目を開いたのだった。
「は……あ、お目覚めですね、トーゴ様」
魔女は、トーゴの上に跨って結合したままの姿勢で、それでも彼女としては驚くほどに
淑女然とした声で、彼に言葉を投げ掛けた。
無論、トーゴとしては起き抜けにとんでもない体勢になっていることに狼狽するばかり
である。
「うわた……たた、君は? いったい?」
慌ててぐいっと魔女を押しのけようとするが、交合したままの男女の対の極が深く絡み
あったままでは、そうはいかない。
「ん……駄目ですよ、あんまり強く、動いたら……ぁ……ん」
ひくん、と身を震わせて、魔女はトーゴの行動を制する。
ようやく、ぬらり、と糸を引くような結合を解きながら、二人は対面し、会話する余裕
を得たわけなのだが、
「君は……俺を助けてくれたのは君か?」
すると魔女はこっくりと頷いて、
「そうよ、私は『灰の谷の魔女』です。あなたの呪いを解いたのは私なのよ」
トーゴは驚きに瞼を引き上げて、
「いや……俺の知ってる彼女なら、もうとっくに八十の齢は過ぎているような皺だらけの
婆さんだったはずなんだが……」
すると、魔女は手を口元にあてがい、優雅にくすくすと笑みをこぼしながら、
「ええ、本当はまだ七十八歳だから、ちょっと行き過ぎなんだけど、まあ、皺くちゃだっ
たっていうのは否定はしないわね」
艶然と微笑む魔女の視線から、トーゴは心当たりを得て、
「……そうか、おそらくはミイラ壺だな。あれで若さを得たってわけか。それじゃ、その
相手ってのは……まさか……」
トーゴの表情がみるみるうちに曇っていくが、構わずに魔女は告げる。
「さすがのご明察ね。そうよ、あなたの恋人のアリスさんから若さと美貌とを吸い上げて、
私はこの姿になって、そしてあなたと交わることで呪いを解いたってわけよ」
トーゴは、言葉を無くして眉をひそめた。
「ふふ、このミイラ壺の入れ替わりの秘術は私が死なない限りは決して解けないわよ。さ
て……それでこれからあなたはどうするの?」
言葉に冷徹な切っ先を孕ませて、魔女は勇者に決断を迫った。
677 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 03:07:28.96 ID:4l4LGpEp Be:
するとトーゴは、大きな息を一つ吐いて、
「……まあ、そうだなぁ、あいつならそれくらいのことはやりかねないだろうなあ、本当
に一途っていうのか、捨身主義っていうのか、俺にもよくはわからんが……」
そして、目の前の魔女に強い視線をひとつ投げ掛けて、
「それはそうと、あんたも随分と永い間守り続けてきた大事な貞操ってやつを、俺なんか
にくれてしまって、本当によかったのかい?」
思いもかけない返答に、目を丸くしたのは魔女であった。
「へ……? いや、その、別にあたしなんかの、そのアレなんかはこの場合にはそんな、
重要なことじゃなくってだねえ、いや、本当は嬉しかったくらいなんだけど……」
用意していなかった返答をしどろもどろに紡ごうとする魔女に、トーゴは苦笑して、
「いやいやいや、女の子には何よりも大事なことだぜ、初体験ってのは。まあ、かく言う
俺もまあ、これがはじめてってことになるんだろうけどもね」
頭を掻きながら、ぼやきを入れて、
「でもまあ、なんだ。嬉しかったって言ってくれるのなら、これはもう、男冥利に尽きる
ってものなんじゃないのかな?」
そっと、魔女の背中に腕を差し入れて、その身体を抱きとめてしまった。
「あ……ええっ、ちょっと、ちょっと」
予期せぬ事態にただただ戸惑いながら、魔女は身ぶりでトーゴに小さく抗議する。
「いやあ……だって、さ。俺もはじめてだったんだぜ。それが意識もないままに済まされ
ちゃっただなんて、なんだかお互いに悲しすぎるとは思わない?」
そして、おのれの力強い手を魔女の白く輝く乳房に沿わせてみる。
「ん、それじゃあ、どうするっていうの?」
身体を固い蕾になぞらえた魔女は、男の春の陽光のあたたかさがもたらされる瞬間を待
って息を止めた。
「決まっているだろう。俺たちは若く健康な男と女さ。そして、その繋がりを邪魔する衣
服さえもその身に帯びてはいない。だったら、することはひとつだろう?」
くっ、と魔女のとがった顎を自分のもとへと引き寄せて、
「いい匂いがするなあ、薔薇と、それから……頽廃的な煙草にも似た……」
「まあ、その種の薬草よ。詳しくは説明するほどのものでもないけど……む……んん」
おもむろに唇を襲われて、魔女は静かに目を閉じた。
それから、二人は野生の生物のように、ただ自然と相手の身体を欲しがって、動いた。
678 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 03:08:06.62 ID:4l4LGpEp Be:
「……愛されたのは、ね、それこそはじめてだったかもね」
情事の最中に、ふと、魔女は呟いた。
「そうか」
とだけ、トーゴは応えた。
「貧しい生まれでね、おまけに器量もこんなじゃなかった、ひどい不美人でね。どこにい
っても、誰に会ってもずっとひどい扱いを受けてきたのよ」
男の逞しい腕に頬をすり寄せながら、魔女は来し方を振り返っていた。
「自然とね、歪んだわ。心も性根もね。腐臭を撒き散らすほどになった私は、いつしか畏
怖と蔑みとを受けて、『灰の谷の魔女』になっていたわ」
トーゴは黙ったまま、ゆっくりと身体を揺らすばかりだった。
「…………わかっていたんでしょ、あなたを蝕んでいた呪いは邪竜なんかのものじゃない
のよ。あたしがしかけたものよ。他の誰にも解けないような強力な、特別製……のぉ」
何度目かの絶頂に言葉を途切れさせながら、魔女はなおも懺悔のようにつらつらと言葉
を重ねていく。
「そして、幸せそうなあなたたちの仲を引き裂いて、それからあなたに抱かれることで、
彼女の事を嫉妬に狂わせてやろうと思ったわ。……そして、最後にはあなたに突き殺され
て、嘲りの笑いを浮かべながら……この世の全てを呪って、怨んで、そして死んでやろう
と思っていた。それなのに、それなのに……!」
魔女は、全身を震わせるほどの激情に衝かれて、涙にむせびながら叫んだ。
「なのに、どうしてあなたはあたしを抱いているのっ?」
トーゴは、小さい子供をあやすときに誰もがするような仕草で魔女の頭を両腕で抱き締
めながら、諭すように、
「いやね、ほら、『英雄色を好む』っていうじゃない、俺も根は助平な性分だからさ、そ
こはまあ、勘弁してよね」
言い訳をひとつ、前置きしながら、
「何が正しいかなんて、世のことわりに正答なんてあるとは思わないよ。アリスのことだ
ってもちろん、むちゃくちゃ心配だし、助けにいかなきゃなんないなあ、とは思うさ。で
も、それをあいつが望んでいるかどうかは、それもやっぱりわからない話でね」
苦笑しながら、心底、困ったという身ぶりを示しながらトーゴは、
「でも、やっぱり目の前で悲しんでる女の子がいたらさ、俺はその子の涙をまずは拭って
やりたいと思うのさ。あとのことはあとで考えても間に合うことかもしれないんだし、さ」
679 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 03:09:22.76 ID:4l4LGpEp Be:
「……あなたは、私なんかのことをずいぶんと大事に扱ってくれるのねえ」
しみじみと、呆れ声を放つ魔女。
「まあ、君が婆さんの姿だったら、どうかは知らないよ? 俺だってさ。俗物だからさあ」
すると、魔女はくすくすと声を上げてトーゴの胸に顔を埋めて、
「そうね、それにこの姿だったからこそ、あなたとこんな楽しいことができたんだしね」
そして、曇りの晴れた瞳を、トーゴに向けて、
「楽しかったなあ……この世の最後に、ようやくあたしは笑うことができたんだなあ」
不意に、魔女の白い首筋に深い亀裂がはしった。
トーゴは、息を呑んで沈黙した。しかし、魔女は微笑みながら、
「えへへ、良かったなあ。最後の最後に、私は誰も怨まずに、憎まずに、綺麗な身体のま
ま、真っ白な心のままで死んでいけるんだなあ……」
魔女の壺を用いた邪術の効果は、ごくわずかな時間しか継続せず、そして代償は術者の
命そのものであった。
ぴしり、ぴしり、と魔女の白い肌には、まるで雪花石膏にひびが走るようにいくつもの
亀裂が生じてきていた。
「……この世の最後に、あなたたちみたいな人たちに……会えて……本当に良かったあ」
トーゴは、ぽつり、とひとつだけ、
「でも、俺はまだ、君の本当の名前を聞いてなかったよな……教えてくれないかい?」
優しい目を向けて、魔女の手をぐっと、強く握りしめた。
魔女は、軽いおどろきを表情に浮かべたが、すでに言葉を成さない声で、懸命にトーゴ
への感謝の意を伝えようと、口を動かした。
そして、その直後に、魔女はきらきらと光る砂と化して、その場に崩れ、形を失ってし
まったのだった。そして、その中から光る球体、生命力と美しさの塊は、天井をすり抜け
て、そのもともとの持ち主であったアリスのもとへと飛び去っていったのだった。
残されたトーゴは、手の中に砂となった悲しい女の亡骸を掴んだままに、甘くせつない
一夜の情事の余韻に浸っていた。
『もしも、生まれ変わったら、また、私のことを抱きしめてね』
魔女の最後の声は、はっきりと彼の耳のなかに残っていたのだった。
さて、これで物語は終わりとなるのだが、その後のトーゴとアリスのことである。
アリスはめでたくもとの姿を取り戻し、トーゴと結ばれ、そして数年後にひとりの娘を
授かることになる。
とある悲運を辿った女と同じ名を与えられたその娘は、父親譲りの勇気と、母の一途さ
と美貌と、そして何よりも深い弱者への慈悲の心を持ち合わせ、長じては国難を救護する
ほどの存在となり人々の信望を受けることとなるのだが、その彼女が、実はアリスのもと
へと戻ってきた若さに混じり込んでいた魔女の魂のかけらが転生したものだということは、
さすがに英雄たるトーゴでさえも了知し得ない真実なのであった。
ただ、彼は魔女と最後に交わした約束は、知らず達成していたことになるのだろうか。
終わり
680 名無しさん@ピンキー [sage] 2012/03/04(日) 03:14:32.13 ID:4l4LGpEp [被レス:3] Be:
……と、ここまででした。途中アクセス規制が入ってしまいました。
そろそろ、凡ミスは無くしていきたいなあ、と思います40年でした。
「読んでいるよ」と仰っていただけた方、私には望外の喜びです。
いろいろと試行錯誤ばかりで作風さえも定まらない悪筆ですが、せめて
ご厚意にはお応えしたいものだなあ、と思う次第です。
最終更新:2012年04月18日 18:02