「皆さん、お楽しみいただいてますか? それでは、次のマジックを始めますから、どうぞお座り下さい」
「へえ、まだ続きがあるんだ。お次は何を見せてくれるのかしら?」
麗華をあざ笑っていたエミリとヨシ子が、カトーに促されて興味津々の顔で席に着いた。
黒いローブの占い師は一同を見回し、フードの奥で満足げな笑みを浮かべた。その姿は、邪悪な魔法使いが陰謀を企てているようにしか見えなかった。
健太の背に震えが走った。いったい次は何をするつもりだろうか。あらゆる常識を超越した彼の奇術、いや魔術に健太は恐怖すら覚えた。
「今までのマジックをご覧になって、もうお気づきかもしれませんが、今回のマジックショーのテーマは、人の身体と心です。僕のマジックで他人と心や体の一部を取り替えると、日頃の自分では味わえない新鮮な体験をすることができます。既に僕に協力して下さったエミリさんやヨシ子さんは、僕の言いたいことをおわかりかと思います」
「うんうん、なるほどな。わかるわかる」
と、エミリ。彼の言うとおり、麗華と記憶を交換したことで、彼女は普段の自分とは比較にならない知能を獲得した。さぞ、いい気分に違いない。
「ありがとうございます。それでは、これをご覧ください」
茶髪の少女が賛同の意を示したのを受け、カトーはパチンと指を鳴らした。あの白い煙がまたしても湧き上がり、一瞬ながら彼の左腕を覆い隠した。
煙はすぐに晴れたが、その中から現れたカトーの手を見て、その場の全員が軽い驚きの声をあげた。
その手に、今まで存在しなかったはずのものが握られていたのだ。
つるりとした光沢を持つ、人間の頭ほどの大きさがある白い卵状の上部。その卵の下部からは太い円柱が伸び、一番下の大きな円盤と繋がっている。
「それは……マネキンの頭?」
観客の誰かが言った。確かに、それは頭部と頚部だけのマネキンだった。服飾店で商品の帽子を載せるのにしばしば使われる品である。
顔のないタイプで、人間の顔に相当する前面には目も鼻も口もなかった。
「ご明察です。今度のマジックはこれを使用します。それと、これをね」
マネキンの頭を持った手と反対側の手には、いつの間にか白いマスクがあった。演劇やパーティで仮装に用いる、顔の前面をすっぽり覆う玩具である。
こちらもマネキンの頭部と同じく、表面に何も描かれていない。のっぺらぼうの白いマスクで、鼻や口に当たる部分には穴も開いていなかった。
(あいつ、あんなものを出して、今度は何をしようっていうんだ)
カトーが取り出した品々を見て、健太は疑問を抱いた。
「それでは、今回も皆さんの中からお一人、マジックに協力していただきたいのですが……鈴木ノリ子さん、お願いできませんか」
「私? ええ、いいわよ」
周囲から米俵と呼ばれる肥満少女が、勢いよく立ち上がった。
カトーの要請をあっさりと了承したのは、先の二人を見ていた彼女なりの打算からだろう。エミリもヨシ子も、彼のマジックのおかげで麗華の学力や身体を得て、非常にいい思いをしている。あわよくば自分も……そう考えているように健太には思えた。素直にやってきたノリ子にうなずくと、カトーは彼女の顔に白いマスクをかぶせた。
「さあ、マジックの第三幕です。ここにいらっしゃるノリ子さんのお顔を、こちらのマネキンに移しかえてみせますよ。それっ!」
カトーは何ごとかつぶやき、ノリ子の顔からマスクを取り去る。マスクの下から現れた光景に、健太は肝を潰した。
ノリ子の顔には、目も、口も、鼻も無かった。のっぺらぼうになっていたのだ。
不細工な顔があったはずの顔面には、ただ扁平な肉が無情な姿を晒していた。残っているのは髪と耳、そして顔の輪郭だけだ。
「きゃあああっ !? ノリ子の顔がっ!」
「ふふふ、この通りです。ノリ子さんのお顔はのっぺらぼうになってしまいました。次は……」
不気味な笑い声をあげ、カトーは手の中のマスクを白いマネキンにあてがった。彼が囁き声と共にそのマスクを取ると、そこにノリ子の顔があった。
少々強張った不器量な少女の顔が、マネキンの顔面を覆っているのだ。まるで、死者の顔をかたどったデスマスクのように。
人間の顔が頭部から剥ぎ取られ、プラスチックの塊であるマネキンの顔面に移植される。それは現実には起こりえないはずの出来事だった。
あまりの驚きに、健太は声さえ出すことができない。エミリもヨシ子も健太と同様、目を見開いて固まっている。
そんな中、ただひとり麗華だけが変わらず床にへたり込んで泣いていた。
「さあ、ノリ子さん。大切なお顔がなくなってしまいましたね。気分はいかがです?」
カトーは顔を失ったノリ子に話しかけたが、口の無い彼女は返事もできず、ひたすら慌てふためくだけだ。やがてノリ子はふらふらとよろめき、その場に尻餅をついた。
「おやおや、このままではいけませんね。のっぺらぼうでは生きていけません。それでは、こののっぺらぼうのノリ子さんに、別のお顔を移して差し上げるとしましょうか。ここで再び、嘉門院麗華さんにご協力願います。ちょっと失礼しますよ」
健太は戦慄した。カトーがマスクを手に、麗華に歩み寄ったからだ。めそめそ泣いている麗華の顔に、白いマスクがかぶせられた。
「れ、麗華……!」
これから起こるであろうことを考えると、耐え難い不安と恐怖が健太を襲う。
予想通り、麗華の顔からマスクが剥ぎ取られ、つるりとしたのっぺらぼうの顔が現れた。つぶらな瞳も、高い鼻梁も、薄い桜色の唇も、全てが麗華の顔から消え失せていた。
「あ、あああ……!」
「顔を移し取れるのはノリ子さんだけではありません。麗華さんもこの通りです」
麗華から女の命とも言える顔を奪ったカトーは、今度はノリ子の傍らにかがみ込む。
「ふふふ……皆さん、よく見ていて下さいね。このマスクをノリ子さんにかぶせると……」
顔のないノリ子の顔面にあてがわれる白いマスク。一同は息をのんだ。
マスクが取り去られると、困惑したノリ子の声が聞こえてくる。
「な、何? いったい何が起きたの?」
「ご覧なさい、ノリ子さん。これが今のあなたのお顔ですよ」
カトーがノリ子に手鏡を差し出した。
「え? 私の顔……きゃあああっ !?」
ノリ子が驚きの声をあげた。一瞬遅れて、周囲からも同様の声があがった。
肥満した少女の顔面に備わっていたのは、輝くばかりの美貌だった。やや青みがかった瞳と、細く形のいい眉。鼻筋はすらりと通り、細い唇へと続く。
大きな顔の輪郭には少々アンバランスだが、それでも充分に美少女と言っていいだろう。
ノリ子の顔面で驚愕の表情を浮かべるその目鼻立ちは、紛れもなく嘉門院麗華のものだった。
「か、嘉門院さんの顔? もしかして、これが私の顔なの……?」
「そうです。このマスクで麗華さんの顔をあなたに移しかえて差し上げたんですよ」
「し、信じられない。これが私の顔だなんて……でも、悪くないわね」
ノリ子の顔面に貼りついた麗華の顔が、にやりと笑った。本物の麗華ならば絶対に見せない邪悪な表情だった。
「ノリ子の顔……本当に嘉門院さんみたい……」
サダ子がぽつりとつぶやいた。その陰気な顔には驚きと嫉妬が見てとれる。
「れ、麗華の顔が、鈴木のやつに……!」
異変に次ぐ異変を前に、健太はすっかり取り乱していた。
当然のことだった。なにしろ、最愛の少女の美しい顔が奪われ、他人の所有物になってしまったのだ。こんな異様な状況下で、とても平静を保っていられるわけがない。
健太の目の前にあるのは悪夢そのものだった。覚めることのない悪夢だった。
「お気に召していただけたようですね……ふふふ」
怪しい魔術師は得意げに笑うと、手の中の白いマスクをノリ子の顔が貼りついていたマネキンにかぶせ、先ほどと同じようにする。するとマネキンは、元のつるつるした姿に戻った。
「さて、お次はのっぺらぼうになってしまった可哀想な麗華さんに、このノリ子さんのお顔を移して差し上げます。麗華さん、ちょっと失礼しますよ」
「や、やめろ……やめろおっ!」
健太は叫んだが、無駄な行為でしかなかった。
顔のパーツを全て無くした麗華の頭部を、白いマスクがゆっくりと覆い隠す。
やがてそのマスクは剥ぎ取られ、新しい麗華の顔が姿を見せた。
「ううう……わ、私、どうしてしまったのですか?」
「ふふっ、ご覧ください、麗華さん。これがあなたの今のお顔です」
「え……きゃああああっ !? わ、私の顔ぉっ !?」
「あははっ、やっぱりね。あの子、ノリ子の顔になってるわ」
悲鳴をあげる麗華を指さし、ヨシ子とエミリが大声で笑いだした。陰気であまり感情を見せないサダ子でさえ両手で顔を覆い、肩を大袈裟に震わせている。それほどまでに、今の麗華の外見は奇妙で滑稽だった。
細い糸状の目は情けなく垂れ下がり、太い鼻梁は洞穴のような巨大な口を開けている。正面から中が見えそうな鼻孔からは、立派な鼻毛が何本も飛び出していた。唇は元の三倍は分厚くなり、その隙間からは黄色い前歯が覗く。
その顔はほんの数十秒前まで、鈴木ノリ子のものだった。「米俵」のあだ名を持つ不細工な少女の顔が、麗華の顔面にへばりついていた。
「れ、麗華。あれが麗華なのか…… !?」
一部始終を見ていた健太でさえ、本人か否かを思わず疑ってしまいそうな変化である。首から下は田中ヨシ子、そして顔は鈴木ノリ子。見るにたえない姿だった。
だが、化け物じみた顔にかかる黄金色の細い髪も、幅ったい口から出てくる透き通った声も、健太がよく知っている嘉門院麗華のものに間違いない。
変わり果てた麗華は気の毒なほど青ざめ、鏡に見入ってひたすら涙を流していた。
健太も同じありさまだった。どうすることもできない彼の目からは止めどなく涙が溢れ出し、顎の先から滴り落ちていた。女々しいと恥じ入る余裕もなかった。
「れ、麗華が、麗華があんな……!」
すっかり理性を無くした健太の視線の先では、カトーとノリ子が麗華を見下ろし、号泣する彼女を面白そうに観察していた。
「いやあ、そんなに涙を流して感激して下さるなんて、嬉しいですよ。今の麗華さんのお顔、とっても魅力的です」
「うふふふ……可哀想ね、嘉門院さん。私なんかの顔になっちゃって。私はあなたの綺麗な顔をもらって、とってもハッピーだけどね」
ノリ子は優越感たっぷりの表情で麗華の顔をのぞき込み、優美な唇の端をにいっとつり上げた。
二人の顔が入れ替わっていることを知らない者からは、まるで麗華がノリ子を嘲っているように見えるだろう。ノリ子のものになった麗華の顔が、麗華のものになったノリ子の顔をあざ笑っていた。
「ううっ、私の顔……鈴木さん、私の顔を返して下さい……」
「はい、なんて言うわけないでしょ。バカじゃないの? もとはあなたの顔だけど、今はもう私の顔よ。返してなんてあげない。あなたは一生、その不細工な顔で生きていきなさい」
「そ、そんな……」
「それにしてもすごいわ。あの嘉門院さんの顔が私のものになるなんて。ああ、なんて綺麗なのかしら。夢みたい……」
「喜んでいただいて、僕も嬉しいですよ。マジックはただ人を驚かせるためのものじゃありません。見る人を喜ばせてこそ、本当のマジックですからね。いかがです? せっかくお顔を交換したんですから、ついでに髪も取り替えませんか」
と、カトー。その手には先ほどのマスクではなく、黒い毛糸の帽子があった。
「え? そんなこともできるの」
「もちろんですとも。この帽子を使えば、お二人の髪型を交換することができます。あの麗華さんの綺麗な髪が、ノリ子さんのものになるんですよ。いかがです?」
「する、交換するっ! あの子の髪を私にちょうだい!」
ノリ子は腹を空かせた犬のように見苦しく、異能の魔術師に懇願する。
うなずいたカトーがノリ子と麗華の頭にひと組の黒い帽子をかぶせるのを、健太は絶望の表情で眺めた。
まったく同じデザインの二つの帽子は、二人の少女の髪を覆い隠してしまった。そして、それが取り去られたとき、ノリ子の頭を黄金色の輝きが彩っていた。
麗華の長い金髪と、ノリ子の短い黒髪が置き換わったのだ。
顔と髪……貪欲なノリ子はそれでも満足しない。カトーは彼女に乞われるままにマジックを続けた。気がつけば、麗華の声も顔の輪郭も、首から上の全てがノリ子と入れ替わっていた。
「こ、これが私? い、いやあああ……」
透き通るような声さえもノリ子に奪われ、麗華は手鏡を見つめて泣き崩れる。もう、誰も彼女が嘉門院麗華だとわからないだろう。
入れ替わる過程を見ていた健太でさえ、あれは麗華ではなく別人ではないかと疑いたくなるほどだ。
反対に、麗華の容姿を得たノリ子は、顔といい髪といい、もはや麗華本人にしか見えない。
だが、その下品な表情や口調は、明らかに嘉門院麗華のものではなかった。
「すごい、すごいわ。私の顔も、髪も、声も、全部嘉門院さんになっちゃった。うふふ……何でも言ってみるものね。どうもありがとう」
麗華と頭部を入れ替えたノリ子は有頂天になって、自分の席に戻っていった。
すっかり別人になったノリ子を、友人たちは驚きの表情で迎えた。
「その顔……あなた、本当にノリ子なの? 嘉門院さんにしか見えないわ」
「うん、私はノリ子よ。顔も声もあのお嬢様になっちゃったけど、首から下は私の体なんだから、わかるでしょ。ほら、このお腹もそのままよ」
「あははは、そうね。この大きなお腹……あなた、やっぱりノリ子だわ。ついでにこの重量級のボディも何とかしてもらえばよかったのに」
ヨシ子は、大きく膨らんだノリ子の腹部を撫でながら軽口を叩いた。顔だけは麗華の繊細な造作だが、ノリ子の体型は以前と変わらず、肥満児そのものだ。
それとは対照的に、麗華の肢体を得たヨシ子は、首から下だけが細く艶かしい。
「ちょっと、やめてよね。お嬢様の体になったからって、調子に乗っちゃって。そのスタイル抜群の体も私のものだったら、もう言うこと無いのに……」
「それは私も同じよ。その可愛い顔が私のものだったら、どんなにいいか」
「結局はお互い様か。まあ、これでよしとしましょう。おほほほほ……」
「そうね。文句を言ってもしょうがないわね。あはははは……」
麗華の身体を奪ったヨシ子と、麗華の美貌を盗んだノリ子が揃って笑い出した。
そこに麗華の知能を獲得したエミリが加わり、盗人は三人になった。
肢体、顔、髪、学力。皆が激しく妬んだ麗華の美点が、次々と奪い取られていく。そして、そのたびに麗華は醜くなっていく。
もはや正視にたえない姿になった麗華を、三人の少女が蔑んでいた。
「ふふふ……ノリ子さんも喜んで下さったようで、何よりです。それでは、マジックを再開しましょうか。次も楽しいですよ」
「ま、まだ続けるのか。もうやめてくれ……」
カトーの宣言に、健太はいっそう深い絶望の淵に突き落とされる。残酷極まりない辱めを受けた麗華を、彼はさらに痛めつけようというのだ。
これ以上麗華が貶められるのを見るくらいなら、いっそ消えてしまいたいとさえ思った。
「まだ僕のマジックにご協力してくださってない方は、佐藤サダ子さんだけですか。いかがです? こちらにいらして、僕の魔術を体験してみませんか」
「は、はい、あたしも体験してみたいです……」
己の名を呼ばれた陰気な少女が立ち上がり、おぼつかない足取りでカトーに歩み寄る。
常軌を逸したマジックショーを目にして、正気を失いかけているのだろうか。半ば前髪に隠れたサダ子の目は、怪しい光を放っていた。
「では、次のマジックを始めます。もちろん、次も麗華さんにご協力していただきます。さあ、サダ子さん。あなたは今の麗華さんをご覧になって、どう思いますか?」
「ど、どうって……」
サダ子の青い顔がますます青ざめる。無理もない。学校一の美少女として皆の憧れだった麗華が、こんな不細工な肥満娘になってしまったのだ。
今の麗華は、学力も容姿も体型も人並み以下である。
そんな麗華に羨むべき点など、もはや残っていない。
いや、正確には一つだけあった。麗華を麗華たらしめるものが。
「知恵、肢体、容姿、髪、声……嘉門院麗華さんの美点は、そちらの皆さんのものになってしまいました。しかし、まだ麗華さんには皆が羨むものが残っています。サダ子さん、学生証をお出し下さい」
「え? は、はい……」
カトーに促され、サダ子はポケットから学生証のカードを取り出した。その表面には陰気な少女の写真と名前、生年月日が印刷されている。
サダ子の学生証を受け取り、カトーはにやりと笑ってみせた。
「今度のマジックは少々地味かもしれません。でも、今までのマジックよりも凄いですよ。さあ、皆さん。これがサダ子さんからお借りした学生証です。そしてこちらは、先ほど僕がこっそり拝借した、麗華さんの学生証です」
カトーの左右の手には、それぞれ学生証のカードが握られていた。右手にはサダ子の学生証が、そして左手には麗華のカードがあった。
健太は充血した目で彼の手を見つめた。カトーが持つ麗華の学生証には、この悪夢のようなマジックショーが始まる前の、麗華の美貌が写っていた。
「あ、あの……それ、どうするつもりですか?」
「こうするんですよ。それっ!」
カトーが掛け声と共にカードを軽く振ると、またも煙が舞い上がり、彼の両手を覆った。恐ろしいマジックショーの第四幕が始まったのだ。
健太は麗華の身を案じてうつむいた。
だが、健太の予想に反して、不気味な煙はサダ子と麗華の体にかすりもしなかった。
ただカトーの手を覆い隠し、そしてすぐに消え去った。煙が晴れても、相変わらず彼の手には二枚の学生証があるのが確認できる。
いったい、何が起こったのか。皆が訝しがる中、カトーは片方の学生証をサダ子に手渡した。
「はい、どうぞ。これがあなたの学生証ですよ」
「あ、はい。あれ……名前が変わってる?」
サダ子の困惑の声が聞こえてくる。遠目から見て、彼女が受け取ったカードは先ほどと同じサダ子の学生証に思えた。写真がそのままだったからだ。
「さあ、サダ子さん。それを皆さんに見せてあげて下さい。氏名の欄に『嘉門院麗華』と記された、あなたの学生証をね」
「何だって?」
健太ははっとした。距離があるのでよく見えないが、サダ子の学生証に印刷されている名前が変わっていた。ついさっきまで「佐藤サダ子」と書かれていたはずが、いつの間にか「嘉門院麗華」になっていた。
事態を飲み込めずに戸惑う一同に、カトーが説明する。
「僕のマジックで、あなたと麗華さんの立場を交換して差し上げました。今からあなたは『嘉門院麗華』で、こちらの麗華さんが『佐藤サダ子』になります」
「な、何を言ってるの? そんなわけのわからないこと言わないで」
「論より証拠。あなたが間違いなく麗華さんだと証明してくれる方をお呼びしましょう。こちらです」
声を震わせて動揺するサダ子をなだめ、カトーは音楽室のドアを開けた。
すると、室内に一人の女が入ってきた。歳は二十代後半だろうか。黒のドレスの上に白いエプロンをつけ、細長いレンズの眼鏡をかけていた。
「麗華お嬢様!」
「ひ、秀美さん……!」
涙で顔を汚した麗華が女に答えた。健太も相手の女を知っていた。麗華の身の回りを世話をしているメイドの秀美だった。麗華の家に遊びに行くと、よく彼女が飲み物や茶菓子を出してくれる。
(秀美さんがどうして学校に? いや、それより問題は麗華だ。あんな姿になっちまった麗華を見たら、秀美さんはどう思うか。そもそも、麗華が麗華だってわからないんじゃないか……)
秀美は変わり果てた麗華の姿に気づくだろうか。いや、それは不可能だ。麗華の体は先ほどの箱の中で分割され、首から上はノリ子のものに、首から下はヨシ子のものになってしまった。もはや、誰が見ても麗華を麗華だと認識することはできまい。
おそらく秀美は、麗華と顔を交換したノリ子を主人だと思うだろう。麗華とは似ても似つかぬ肥満体のノリ子だが、その顔も髪も、まぎれもなく麗華本人のものだ。ノリ子のことを「麗華お嬢様」と呼び、元の麗華には目もくれない。そんなメイドの姿を見れば、麗華はますます絶望するに違いない。
「麗華お嬢様、どうなさったのですか。こんな時間になっても連絡ひとつお寄越しにならないなんて。こちらから、お嬢様の携帯電話に何度もおかけしたのですよ」
「ひ、秀美さん、麗華は……」
健太が声をかけると、秀美は目つきをやや鋭くして健太を見返した。「やっぱり健太さんとご一緒でしたか……試験が終わって気が緩むのも多少は仕方ありませんが、お友達とお遊びになるんでしたら、きちんとこちらに連絡なさって下さい。心配になりますから」
「秀美さん、私はここです。私が麗華です……」
麗華は悲愴な面持ちで涙を流したが、案の定、秀美は現在の麗華にはまったく関心がないようだ。今まで身を案じていた主人の返事がないことに苛立っているのか、大股で教室の中にやってくると、サダ子の前で立ち止まった。
「お嬢様! 私の話を聞いていらっしゃいますか !?」
「え? あ、あたしですか?」
秀美とカトーを除く、その場の全員が驚いた。一番驚愕したのはサダ子だろう。顔を麗華と交換したノリ子ならとにかく、なぜ無関係のサダ子が秀美に「お嬢様」などと呼ばれるのか。
サダ子の反応に、秀美はますます機嫌を損ねたようだ。険しい顔で小柄なサダ子を見下ろすと、両手を自分の腰に当てて説教を始める。
「あなたが麗華お嬢様でなかったら何なんですか! ふざけないで下さい! 私は怒ってるんですよ !?」
「あ、あたしは嘉門院さんじゃありません。嘉門院さんのクラスメイトの佐藤サダ子といいます……」
サダ子は長い前髪で顔を隠し、消え入りそうな小さな声で答えた。日頃、ヨシ子やノリ子以外の人間とはほとんど会話しない内気な少女は、秀美の剣幕に圧倒されていた。
「まだそんなことをおっしゃるんですか !? どこからどう見たって、あなたは嘉門院麗華様でしょう! 何年、あなたのお世話をしてると思ってるんですか! そんなくだらない冗談で誤魔化そうったって、そうはいきませんからね!」
「そ、そんな……いったい何がどうなってるの?」
「いかがです? 確かにあなたは麗華さんになってるでしょう」
目を丸くするサダ子に、カトーが囁きかけた。
「これも僕のマジックです。ただカードの名前を入れ替えただけじゃありません。今やこの教室の外にいる誰もが、あなたを嘉門院麗華さんだと認識しているんです。こちらの秀美さんだけじゃありません。あなたたちのクラスメイトも、先生も、ご家族でさえもサダ子さんのことを麗華さんだと思っていますよ」
「し、信じられない……あたしが嘉門院さんだなんて」
「お嬢様! 私の話を聞いてますか !?」
「は、はい。えーと……もう一度訊きますけど、あたし、嘉門院麗華さんなんですよね?」
「だから、わけわからないこと言わないでください! あなたが麗華お嬢様でなかったら、他の誰が麗華様なんですか。とにかく、これからは遅くなるようでしたら、私に連絡してください! わかりましたね !?」
「は、はい、わかりました」
サダ子の顔に、今までにない嬉しさがにじみ出ていた。カトーの魔術によって、麗華の名前と立場を我が物にしたことを実感しているのだ。
やがて言いたいことを言い終えた秀美は、外で待つと言って部屋から出て行った。
「ひ、秀美さん……! どうして私のことがわからないの……」
サダ子と秀美の会話を横で聞いていた不細工な麗華が、がっくりと肩を落とした。
長年仕えたメイドでさえ、今の麗華を麗華だと認識することはできない。
それは、単に容姿が変わったとか、声が別人のものになったという理由からではなかった。カトーのマジックのせいで、周囲の認識が変化してしまったのだ。
「信じられねえ……秀美さん、佐藤のことを麗華だって……」
理解すら追いつかない異常な事態に、健太はただうろたえるしかない。
「あたしが麗華……あたしが嘉門院麗華なのね……」
「その通りです。サダ子さんのお顔もお声も体型も学力もそのままですが、今のあなたは紛れもなく嘉門院麗華さんです。名前だけじゃありません。立場が変化したんです。麗華さんの名前も、家も、お金も、家族も、今はあなたのものなんです。立場が入れ替わったことを知っているのは、この音楽室にいる僕たちだけですよ。これはそういうマジックです。種も仕掛けもありません」
「あたしがお金持ちの嘉門院麗華……えへへ、まるでシンデレラみたい」
サダ子はだらしなく相好を崩し、麗華の立場になった喜びをかみ締めた。
それに対して、床に這いつくばって泣きじゃくっている肥満少女は、もはや麗華ではなかった。「嘉門院麗華」の名前と立場を奪われ、平凡な庶民の娘「佐藤サダ子」になってしまったのだ。
人間の立場や周囲の認識を入れ替える──とても現実に起こりうる話とは思えないが、あの稀代の魔術師がそう言うのだから、おそらくそうなってしまったのだろう。
「ふふふ……サダ子さん、お気に召していただけましたか? ああ、間違えました。今は嘉門院麗華さんでしたね。失礼しました」
「ああ……本当にあたし、嘉門院さんになってるのね。ありがとう、最高よ!」
サダ子は普段の陰気な態度が嘘のようにはしゃぎ、カトーに抱きついた。カトーは照れるでもなく、手に持つもう一枚のカードを麗華に差し出した。
「はい、どうぞ。これがあなたの新しい学生証ですよ、麗華さん……いえ、佐藤サダ子さん」
わざとらしく言い直すあたりが本当に憎たらしい。健太の脚さえ動くのなら、今すぐ彼に飛びかかって半殺しにしているところだ。だが、いまだに脚は動かない。
強靭な綱かワイヤーで足を固定されているかのように、まるでびくともしないのだ。
「私、こんなの受け取れません。私は麗華です。佐藤さんじゃありません……」
「何を言うんです。この写真をご覧なさい。あなたの可愛いお顔が写ってるじゃありませんか。
あなたがなんと言おうと、今は世界中の人間があなたのことをサダ子さんだと認識するんですよ」
カトーが手に持つカードには、麗華本来の顔ではなく、不細工なノリ子の顔が載っていた。ノリ子と顔を取り替えたため、それを反映させたのだろう。
今の麗華はノリ子の頭部とヨシ子の体、エミリの学力を持つサダ子という名の少女だった。
他人が羨むところなど何ひとつない。全てが並かそれ以下。蔑まれることはあっても嫉妬されることは決してないだろう。
大事なものを残らず失った麗華があまりに気の毒で、健太は声も出なかった。そんな二人の絶望を皆が喜んでいた。今まで嫉妬してきたため、麗華の転落を心から歓迎していた。
「さて、もう一人、学生証を書き換えなくてはいけない人がいましたね。鈴木ノリ子さん、これをお受け取り下さい」
「え? それは私のカード……いつの間に」
カトーがノリ子に差し出したのは、麗華やサダ子と同じ、この学校の学生証だ。
名前に「鈴木ノリ子」と記されたカードの写真が変わっていた。不器量なノリ子の顔ではなく、麗華の顔が写っていたのだ。
「ノリ子さんは麗華さんとお顔を交換しましたからね。立場も替えておかねばなりません。今のあなたの綺麗なお顔を見て、鈴木ノリ子さんだと皆が認識するようにね」
「なんかややこしいわね……でも、確かに顔も声も変わっちゃったんだから、そうしないと大変ね。うちに帰ってもママに追い出されちゃう」
「そうでしょう? だから、こうする必要があるんです。でも、もう安心です。ちゃんと済ませておきましたから、ノリ子さんがそのお顔で自宅に帰っても大丈夫ですよ」
得意げに解説するカトー。彼の説明が本当だとしたら、現在の三人の顔と立場は次のようになる。
麗華の顔とノリ子の立場を持つノリ子。
サダ子の顔と麗華の立場を持つサダ子。
ノリ子の顔とサダ子の立場を持つ麗華。
この目で見ていなければとても信じがたい内容だが、現にノリ子は麗華の顔を奪い、サダ子は麗華から名前と立場を盗み取った。
人を玩具のようにもてあそぶ魔術師の業に、完璧だったはずの麗華はなすすべもなく全てを奪われた。
麗華の名が刻まれた学生証を持って自席に戻るサダ子を、三人の少女が笑顔で迎えた。
「おかえり、サダ子。あなたはお嬢様のお金をゲットしたのね。羨ましいわ」
「そ、そう? あたしはノリ子が羨ましいな。嘉門院さんの綺麗な顔になったんだから」
「んー、どうかしら。あの子の顔になったのは嬉しいけど、やっぱりヨシ子のスタイル抜群のボディには敵わないな」
「そんなことないって。私は賢くなった吉本さんに嫉妬しちゃうな。あんなに難しい問題を軽々と解いちゃうんだもん」
「おいおい、何言ってるんだよ。世の中カネに決まってるだろう。一番の勝ち組は金持ちになった佐藤だよ」
それぞれ麗華から大事なものを奪った女生徒たちが、勝手なことを言い合い笑っていた。
そんな盗人たちの輪から離れたところで、全てを奪い去られた哀れな少女が床にへたり込んで泣いていた。
麗しい容姿とスタイル、頭脳、家柄、財産を誇り、皆の憧れの的だった嘉門院麗華はもういない。他人が羨む麗華の魅力はあの魔性の少年によって分割され、それぞれ別人のものになってしまった。
愛する少女が大切なものを一つずつ奪われ、どんどん醜くなっていくのを見ながら、健太は何もできなかった。深い深い絶望と後悔、無力感が健太の心を責め、苛んでいた。
「さて、皆さん。僕のマジックを堪能していただけましたか?」
全ての元凶である黒衣の魔術師、カトーが一同に問いかけた。少女たちは満面の笑みでうなずく。
「もちろん大満足よ。最高のマジックショーだったわ。本当にありがとう」
「いえいえ。喜んでいただけたようで、僕も安心しました。それでは、いよいよ次が最後のマジックになります」
「ま、まだあるのかよ。いい加減にしてくれよ……」
暗色の絶望感に苛まれながら、健太はつぶやいた。もう麗華から奪うものなど何もないのに、まだこの狂気のマジックショーを続けようというのか。カトーは泣き続ける麗華の傍らに立った。
「皆さん、こちらの麗華さんをご覧下さい。今まで皆さんといろいろなものを交換し続けた麗華さんですが、実はまだ、一番大切なものは変わらずにそのままお持ちでいらっしゃいます。僕の最後のマジックで、それを皆さんのうちのどなたかにお渡ししたいと思うのですが……我をと思う方は、どうか挙手をお願いします」
「はい、はあいっ!」
カトーの言葉に、四人の女生徒が揃って返事をした。皆、「麗華の一番大事なもの」が欲しくて仕方ないのだ。
それが何かはまだわからないが、麗華にとって学力や容姿、髪、プロポーション、名前や家族よりも大切なものだという。そうと聞けば、誰もがそれを欲しがるのは当然だった。四人は先を争い、カトーの前に進み出た。
「私がやるわ! 今度は何をもらえるのかわからないけど、とにかく欲しいっ!」
「いいえ、あたしがやります! やらせてくださいっ!」
「おやおや、困りましたね。このマジックも今までと同じく、どなたかおひとりだけに協力していただこうと思ったのですが……」
と、苦笑するカトー。欲望を丸出しにする少女たちに呆れているのだろうか。それとも楽しんでいるのか。黒いフードに顔の過半を覆われた彼の内心を推し量るのは難しい。
カトーはその場にかがみ込み、これ以上なく醜悪な姿となった麗華の髪を優しく撫でた。
「ふふふ……しょうがないですね。それでは、特別に麗華さんの一番大事なものを、皆さん全員にお分けすることにしましょう。それで構いませんか?」
「うーん、四人で山分けか……まあ仕方ないわね。それでいいわ。だけど、いったい今度は何を交換するの? もう、この子からもらえるものなんて、何もないと思うんだけど……」
皆の視線が怯えた麗華に向けられた。四人の少女が醜い彼女を凝視し、値踏みしていた。そんな麗華の肩にカトーが手をかけ、明るい声で宣言した。
「それでは、最後のマジックを始めます。皆さん、準備はいいですか?」
最終更新:2013年08月15日 13:47