「……大人になりたい、ですって?」
ジェシカの言葉に、エリザベスは力強くうなずいた。
「ええ、なりたいですわ。わたくし、まだ子供ですもの」
「まだ子供って言ったって……そんなの当たり前でしょう。あんた、今いくつよ」
「先月で十三歳になりました」
そう答えるエリザベスの青い瞳を、ジェシカはじっと見つめた。
彼女はこのアイザック王国の王女で、三人いる姫君の末娘である。
長いストレートの髪は見事な黄金色。瞳はつぶらで目尻はほんの少し垂れ下がっており、いかにも淑やかな深窓の令嬢らしい、繊細な容貌を持つ。性格は大人しく控えめで、王女という高貴な身分でありながら周囲に威張り散らすことはまったくない。それゆえ城にいる人間からはもちろん、国の誰からも敬われ、愛される姫君だった。
「十三歳……そういえば、ベスももうそんな歳なのね。早いもんだわ。ほんのちょっと前まで、ぬいぐるみを抱きながらあたしの後ろをついて回っていたのに」
ジェシカはフォークの先に載ったチョコレートケーキの欠片を口に放り込み、しみじみと言った。
ジェシカは十七歳。宮廷魔術師カリオストロの娘で、エリザベスとは幼馴染みの付き合いである。
四つ下のこの愛らしい姫君を、ジェシカは実の妹のように可愛がっており、現在はエリザベスの家庭教師として学問の手ほどきを任されていた。
その立場上、家族以外で唯一エリザベスと対等に口をきくことを許されており、城の中でこの麗しい第三王女を、「あんた」呼ばわりできるただひとりの存在である。
そんなジェシカがかぐわしい紅茶の香りを堪能していると、エリザベスは珍しく大きな声をあげた。
「少しはわたくしの話を聞いて下さい、ジェシカ!」
普段は雪のように白い姫君の頬が、今は薄紅色に染まっている。どうやら、今はただの茶飲み話として聞き流していい話ではないようだ。
ジェシカは紅茶のカップを皿に戻し、容姿端麗な王女に視線を向けた。
「ああ、聞いてる聞いてる。大人になりたいんだって?」
「そうですわ。わたくし、まだまだ子供ですの。魔法使いのジェシカなら、わたくしを今すぐ大人にしてくださるんじゃないかと思って……」
「エリザベスを大人に、ねえ……」
ジェシカは軽く首をかしげ、ひと呼吸おいてからエリザベスに問いかける。
「何かあった? またお姉さまに子供扱いされたとか?」
「そ、そんなことは……!」
図星だったようだ。テーブルを挟んだ向かい側で、小柄なプリンセスの顔が紅潮していた。
あまりにもわかりやすい反応に、ジェシカは声をあげて笑った。
「あっはっはっは……何度目よ、それ。あんたがマリア殿下に子供扱いされて、あたしに泣きついてくるの。気にするなっていつも言ってるでしょう?」
「そんなこと言われましても……」
「もう、あんたも繊細というか、しょうもないことを気にしすぎというか……」
ジェシカはエリザベスの心中を察した。おそらく、第二王女のマリアが原因なのだろう。
マリアはエリザベスの三つ上の十六歳。とても明るく朗らかな性格で、妹のエリザベスのことを日頃から可愛がっている。
だが、幼い頃からの癖で、エリザベスを子供扱いしてしまうことがしばしばあった。
無論、本人に悪気はないのだが、エリザベスは気に入らないらしく、ほんの些細なことで、今のようにジェシカに言いつけに来るのだ。
何しろ、思春期を迎えて多感、かつ複雑な年頃である。
背伸びしようとするエリザベスの心理は、幼馴染みのジェシカとしては微笑ましくもあるのだが、そのたびにいちいち機嫌を直してもらわねばならず、困った話でもあった。
「はあ。わたくし、早く大人になりたいですわ……」
「そんなもん、ほっときゃ嫌でも大人になるわよ。で、今度は何? あのマリアお姉さまに何を言われたの」
「小さいって……」
「え? 何?」
「胸が小さいって言われました……」
「ああ、そう」
ジェシカはしばらく王女の顔を眺めたのち、席を立ってテーブルの向こう側に回り込んだ。
「ジェシカ?」
訝しげにこちらを見上げてくるエリザベスの白いドレスに両手を伸ばし、そっと肌を撫でる。
今年で十三歳になる少女の乳房はほとんど膨らんでおらず、まるで洗濯板だった。
「うん、小さいなんてもんじゃないわね。まったいら。あんたのお姉ちゃんたち、どっちも大きいものねー。本当に姉妹か疑わしくなるわよねー」
「や、やめて下さい! うう、ジェシカまで……ぐすっ、うえええん……」
とうとう王女が泣き出してしまい、ジェシカは慌てて彼女から離れる。
(こりゃあ、大変だわ)
慌てずとも、まだ十三歳なのだから、これからいくらでも成長するはずである。
今は蕾のような少女の身体が、やがて華やかな女の肉体へと開花するさまを思い描くと、誰であろうとエリザベスの将来が楽しみになる。だが、本人にはそれが待てないらしい。
「しょうがないわね……可愛いお姫様のために、ひと肌ぬいでやるとしますか。ほら、泣きやみなさい、ベス。あたしがあんたを大人にしてあげるから」
ジェシカがなだめると、エリザベスは涙で汚れた顔を上げた。
「え? 本当にそんなこと、できますの?」
「できるできる! このあたしを誰だと思ってるの? 王国一の天才魔術師、ジェシカ・カリオストロ様よ! 不可能なんてあるわけないじゃない!」
ジェシカはぴんと親指を立て、これ以上ない笑顔で請け負ってみせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジェシカはエリザベスに言って、メイドのヒルダを部屋に呼ばせた。
王女の部屋に入ってきたヒルダは、主人に向かってうやうやしく一礼した。
「姫様、御用でございますか」
「よくいらしてくれました、ヒルダ。実は、あなたに折り入ってお願いがありますの」
エリザベスは椅子に座ったままヒルダを見つめた。
ヒルダはエリザベスに仕えるベテランのメイドで、歳は二十八。理知的な表情に細い眼鏡がよく似合う。
女性にしてはかなりの長身で、肉づきのいい柔らかなボディラインが人目を引いた。白いエプロンの胸元を豊かな乳房が押し上げ、そのボリュームは同性のジェシカでさえ意識せずにはいられない。
「姫様のおっしゃることでしたら、どんなことでもお引き受けしますが……」
「そう、それはよかったわ。実はあなたのそのムチムチの体を、しばらくお姫様に貸してあげてほしいのよ。いいわね?」
「は? 体を……」
こちらの言葉を理解できずにいるヒルダに構わず、ジェシカはエリザベスを彼女の前に立たせた。
杖を掲げて呪文を詠唱すると、エリザベスの小柄な身体がかすかに光り始める。
「姫様、ジェシカ様、何をなさるおつもりですか?」
光はどんどん強くなっていく。ただならぬ気配にヒルダの表情が強張ったが、忠誠心が篤いメイドは決して主人の前から逃げ出そうとはしない。
「それじゃ、いくわよ。ベス」
「はい、お願いします」
了承の返事を受け取り、ジェシカは呪文の詠唱を終えた。それと同時に、エリザベスの体から白い光が放たれ、ヒルダの身を撃った。
「ひ、姫様っ!? きゃあああっ!」
ヒルダは悲鳴をあげて倒れ伏す。エリザベスも同様に、膝をついて横になった。意識を失った二人の間で、白い光がまるで生き物のように揺らいでいた。
「さて、うまくいくかしらね。初めての魔法だから、あんま自信ないんだけど……」
固唾を呑んで見守るジェシカの前で、やがて魔法が効果を現しはじめた。
エリザベスの細い首に光がまとわりつき、怪しい文様が首を取り巻く。
やがて、驚くべきことが起きた。エリザベスの首が音も無く身体を離れ、宙に浮いたのだ。
それは奇妙な光景だった。首を切り離された王女の体からは、血の一滴も流れていない。首の切断面はハムの切り口のような肉の色を晒しており、そこに血管や骨の断面はなかった。
生きているのか、死んでいるのか。
目を閉じた姫君の表情は実に安らかで、眠っているようにしか見えない。
エリザベスの生首は長い金髪を揺らしてゆっくりと宙を舞い、ヒルダに近づいていく。
そのとき、ヒルダにも同じことが起きていた。
ヒルダの首が体を離れ、ひとりでに宙を舞っていた。
エリザベスとヒルダ。二人の頭部は空中ですれ違うと、それぞれ相手の体に接近した。
白い光に包まれたエリザベスの首は、向きを変えてヒルダの胴体に接触した。ちょうど、エリザベスの首の切り口と、ヒルダの体の切り口とが合わさる位置である。
白い光は再びエリザベスの首を覆い、そこを怪しい文様が取り巻いた。
少女の首と、女の胴体。大きさの異なる肉の切り口は形を変え、一つに繋がった。
魔術の文様は光と共に少しずつ薄れ、やがて光が消えたときには、エリザベスの頭がヒルダの体と完全に結合していた。
とても、今切り離して繋げたばかりとは思えない。最初から繋がっていたかのように、二人の肉の境目には傷一つなかった。
「オッケー、うまくいったみたいね」 エリザベスの間近で経過を観察していたジェシカは、満足の笑みを漏らした。
メイド服を身にまとったエリザベスの首に指を当てると、確かな脈動が感じられる。首が繋がった証だ。彼女の魔法は、どうやら成功したようだった。
ヒルダの頭の方も、ジェシカの思い通りにエリザベスの胴体と融合していた。
念のため、そちらも触診して確認する。やはり、何も問題はなかった。
「やったわ。さっすがあたし! こんな難しい魔法を成功させるなんて、そこらの魔術師には不可能だわ。あたしってつくづく天才よねー」
「う、うう……ジェシカ?」
大騒ぎするジェシカの声に意識を取り戻したのか、エリザベスが目を開けた。
はしたなく床に寝そべっているのに気づいて、少女は慌てて立ち上がる。聡明な少女は、すぐに自分の身に起こった異変に気づいた。
「こ、この格好は……それに、この体つき……!」
「お目覚めね、ベス。新しい自分の体はどう? 気に入ってくれたかしら」
ジェシカは部屋の隅に置いてあった大きな姿見を魔法で運び、エリザベスに見せてやった。
そこに映っているのは、白い絹のドレスを着た小柄な姫君の体ではなかった。三十路を控えたメイドの成熟した女の体が、エリザベスの繊麗な顔の下にあった。
エリザベスは食い入るように姿見をのぞき込み、驚愕の表情で己の口を押さえた。
「わ、わたくし、大人になってます! 大人になって、メイドの服を着ています!」
「ええ、そうよ。あたしの魔法で、ベスとヒルダの体を取り替えっこしたの。だから今のあんたの首から下は、ムチムチボディのメイドさんの体になってるのよ」
ジェシカはエリザベスの背後に立ち、豊満な乳房を後ろからわしづかみにした。二十八歳のメイドの肉体が刺激され、十三歳の王女の脳に未知の感覚をもたらす。
「ああっ、やめて下さい。へ、変な感じがします……」
「ふふっ、いいじゃない。せっかく大人の女になれたんだから、楽しまないと」
ジェシカは、今や自分より背が高くなった姫君の身体を玩具にしていた。
そんな幼馴染みの悪行を受けて、戸惑い、恥らうエリザベス。
無理もなかった。いまだ初潮を迎えていない生娘が、突然、女盛りの成人女性の体にされたのだから、困惑して当然だ。
二人が姿見の前で騒いでいると、突然、悲鳴があがった。
「きゃあああっ! これはどうなってるの!?」
「あ、起きたわね。ふふふ……気分はどう? お姫様」
不敵な笑みを浮かべるジェシカの視線の先には、高級なドレスを身にまとった小柄な少女の姿があった。
しかし、顔は少女のものではない。そこには短い黒髪に眼鏡をかけた、古参のメイドの顔があった。
「ど、どうして私がこんな格好を……こ、これは姫様のドレスではありませんか!」
「ええ、そうよ。あなたが着てるのは間違いなく、第三王女エリザベスのドレス。でも、ただ着替えさせただけじゃないわ。自分の身に何が起こったか、わかる? あなたは、王女様と首から下の体を取り替えっこしたのよ」
「と、取り替えた?」
信じがたいジェシカの説明に、ヒルダは目を白黒させた。
だが、本来ならば一番長身のはずの彼女がジェシカとエリザベスを見上げているのは、ただ服を取り替えただけでは説明がつかないことだった。
ヒルダは白い手袋に包まれた自分の両手を目の前に掲げ、その小ささに唖然とする。
「こ、この手、私の手じゃない。でも、体を取り替えただなんて、そんな馬鹿な……」
「まだ信じられない? じゃあ、その証拠を見せてあげる」
困惑するヒルダのきゃしゃな手をとり、ジェシカは彼女を姿見の前に連れてくる。変わり果てた自分の姿を己の目で確認したヒルダは、腰を抜かさんばかりに仰天し、呼吸を引きつらせた。
「ひいいっ!? わ、私、本当に姫様の体になってしまったの……」
「そうよ。やっとわかった? 今はあなたとベスの体が入れ替わってるのよ。顔はそのままだけどね」
ジェシカはヒルダの肩に手を置き、そう耳元で囁いた。
ヒルダは再び自分の両手を見つめる。その小さな手は、本来ならばエリザベスの手だ。だが今は二十八歳のメイド、ヒルダの手だ。
アイザック王国第三王女、エリザベスの身体に忠実なメイドの頭部が結合し、敬愛する姫君の手足を我が物としていた。
「も、元に戻して下さい! 私ごときが姫様のお体を使うなんて……」
血相を変えて取りすがってくるヒルダを、ジェシカはなだめすかす。
「まあまあ、落ち着いて。心配しなくても、ちゃんと元に戻してあげるわよ。そうね……一日経ったら、元の体に戻してあげる。それでどう?」
「い、一日……私に一日中、姫様の体で過ごせというのですか。そんなことできません」
ヒルダは青ざめ、ふらついて壁にもたれかかった。そんなヒルダを、大柄なメイドの体になったエリザベスが支えてやった。
「ごめんなさい、ヒルダ。わたくし、どうしても大人になりたかったの。だから一日だけ、あなたの体をわたくしに貸してくださいませんか?」
「ひ、姫様……」
ヒルダは渋ったが、王女直々に頼まれては断れるはずもない。結局、二十四時間だけという約束で、肉体交換を了承してくれた。
「こうなっては仕方ありません。姫様のお体は、私が責任もってお預かり致します……」
「ありがとう、ヒルダ。あなたの今日の仕事は免除するよう、わたくしから言っておきますから、安心してこの部屋で休んでいて下さい。既に人払いはしていますわ」
「ありがとうございます……」
「じゃあ、あたしたちは行きましょうか。ヒルダ、お留守番をお願いね」
「え? どこに行きますの、ジェシカ」
ジェシカの言葉に、エリザベスは顔に疑問符を浮かべた。そんな彼女の手を引き、若い女魔術師は窓の外を見やった。
「どこって、決まってるでしょ。せっかく大人の体になったんだから、その体をたっぷり楽しめる場所に行くのよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ベッドに寝転がり、ヒルダは何度目かの嘆息をした。
彼女が今寝そべっているのは、使用人館にある彼女の平凡なベッドではない。平民の彼女が使うことは一生ないであろう、豪奢な天蓋つきのベッドだった。
ベッドだけではない。この部屋にある家具は、いずれも腕のいい職人に作らせた最高の品だ。
視線を下方に転じると、そこには白い絹のドレスを着た自分の体があった。
肘から先を包んでいるのはドレスと同じ色の手袋で、いずれも自分が身に着けることはまずないだろうと言っていいほど高級な衣類だった。
だが、真の問題はそこではない。今、ヒルダが動かしている肉体にあった。
「はあ……何度見ても、姫様の体だわ。小さくてとっても可愛らしい……」
ベッドから離れ、大きな姿見の前に立つ。そこに映っているのは、いつもと同じヒルダの顔だ。
だが、顔の下は普段の彼女とはまったく異なっていた。
白いドレスを身にまとった、十三歳の少女の体。それはヒルダの主、この国の第三王女エリザベスのものだ。
なんと宮廷魔術師の娘ジェシカの魔法によって、二人の首が挿げ替えられてしまったのである。
一介のメイドに過ぎない自分が、姫君の肢体と融合させられ、好き勝手に動かしている。
その恐ろしい事実に比べれば、高価なドレスやベッドなどものの数ではなかった。
彼女と首から下の体を交換したエリザベスは、「大人の体を堪能する」と言って、ヒルダを置いてジェシカと二人だけで街に行ってしまった。
慣れない王女の体で、一人取り残される不安は耐え難いものだった。
「姫様は人払いしてるって仰ったけど、いつ誰かやってくるかわからないし……。こんな姿でいるところを、もし陛下や姉君に見つかったら……」
鏡の前でヒルダは恐怖した。背筋が悪寒で震え、青い顔がますます青ざめる。一刻も早く元に戻してもらわなくてはならなかった。
「とにかくバレないようにしないと……ここでじっと待ってるのが良さそうね」
プリンセスの体を持つ二十八歳のメイドは、そう決心して再びベッドに寝転がった。ノックの音がしたのは、ちょうどそのときだった。
(ええっ!? 今日は誰も来ないって聞いてたのに!)
ヒルダは飛び上がった。ここはエリザベスの寝室で、出入りする人間は限られている。エリザベスが人払いしていると名言した以上、今日は誰も入ってこないはずだった。
だが、無情なノックの音は再び鳴らされ、ヒルダの心臓を激しく打った。
(ど、どうしよう!? とにかく隠れなくちゃ……!)
咄嗟に身を隠せそうな場所は、一つしか思いつかない。
ヒルダはベッドの下に潜り込み、息を殺した。小柄な王女の身体だからこそ、隠れられる場所だ。
やがてドアが勢いよく開かれ、ノックの主がずかずかと部屋に踏み込んできた。
「ベス! いないのー!?」
(この声は……マリア様!)
エリザベスの部屋に入ってきたのは、彼女の姉に当たる第二王女のマリアだった。
「あれ、いない……おかしいわね。今日は気分が悪いから部屋で寝てるって聞いたのに。ひょっとしてかくれんぼしてるのかな? ベスちゃん、まだまだ可愛いもんねー」
ヒルダから細い足しか見えないマリアは、妹の部屋の中をうろうろしはじめた。
(ヤバい……見つかる!)
ヒルダはぶるぶる震えたが、マリアの目を誤魔化すことは不可能だった。すぐに見つかってしまう。
「あ、こんなところにいたのね! もう、ドレスが汚れちゃうじゃない」
マリアはヒルダの腕を引っ張り、彼女をベッドの下から引きずり出した。
そしてヒルダの顔を持つ妹の姿をまじまじと見つめ、小首をかしげた。
「あれ? その顔……あなた、ヒルダ……よね。 でも、どうしてエリザベスのドレスを着ているの? それに、そんなに小さくなっちゃって。いったい何がどうなってるの?」
「も、申し訳ありません……じ、実は私……」
ヒルダが半泣きになってことの次第を説明しようとしたとき、異変が起きた。ヒルダの体を白い光が包み、室内を照らしたのだ。
「きゃあああっ!? な、何!?」
ヒルダとマリア、二人の女の悲鳴があがる。どこかで見た覚えのある光に包まれて、たちまちヒルダの意識は闇に沈んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからしばらくして、マリアは城の廊下を歩いていた。その足取りは、快活な彼女らしくない重いものだった。
「おかしいわね……どうしてかわからないけど、頭がくらくらするわ」
ヒルダの身体から出た光を浴びたマリアは、気がつくと廊下に倒れていた。
訝しがる彼女を襲ったのは、原因不明の頭痛と意識の混濁だった。
それは再び発動したジェシカの魔法のせいなのだが、事情を知らぬ彼女にそれがわかるはずもない。
エリザベスとヒルダの体を入れ替えた、肉体交換の魔法。本来であれば、その効果は一度だけ発動するものだ。
だが、ジェシカはミスをしていた。あの魔法をかけられたエリザベスの肉体は、一定の時間ごとに、そばにいる女性と強制的に頭部を交換するようになっていたのである。
「ああ、頭が重い……なんか体と胸が小さくなってる気がするし、病気かしら? それに、このドレス……これは私のじゃなくってエリザベスのものじゃない。さては、着せるときに間違えたわね? まったく、うちのメイドはドジなんだから……」
毒づきつつ、マリアは自分の部屋を目指す。
その首から下は彼女の体ではなく、妹のエリザベスのものになっているのだが、意識が朦朧としている今の第二王女にとっては、どうでもいいことだった。
時おり壁にぶつかりながら自室に向かうマリアのもとに、一人の少女がやってきた。
「あ、姫様! どうしたの?」
「誰……?」
やってきたのは、まだ四、五歳の幼い娘だった。
ミンティという庭師の娘で、時々父親の仕事の手伝いと称して城に連れてこられている。マリアとも面識があり、何度か言葉を交わしたのを覚えていた。「ううっ、ミンティ……」
「マリア様、ご病気なんですか? 今、お父さんを呼んでくるね!」
「お、お願い……うっ」
マリアがその場に崩れ落ちると同時に、身体から白い光が放たれる。
「な、なに!? これ、なんなのぉっ!?」
光は驚く幼女と王女を包み込み、二人の首を胴体から切り離した。
そして意識を失ったミンティの頭部を、知らぬ間にマリアの胴体と繋げてしまう。庭師の娘の頭と第三王女の肉体が結合し、新しい命になった。
それに対して、第二王女の生首は、本来の彼女の背丈の半分ほどしかない童女の身体と連結させられ、アンバランス極まりない姿で床に倒れ込んでしまう。
全てが終わったあと、先に目を覚ましたのはミンティだった。
「う、ううん。あれ? あたし、どうしたんだろ……」
王族しか着ることを許されない高価なドレスを身にまとった庭師の娘は、自分の足元に倒れているマリアのことにも気づかず、ぼうっとした顔でその場をあとにする。
「そうだ、お父さんに言わなくちゃいけないことがあったんだ。お父さんのところに行かなくちゃ……」
エリザベスの肉体を手に入れたミンティは、おぼつかない足取りで城の廊下を歩きだす。
ますます被害者が増え、事態は悪化していた。
最終更新:2013年11月22日 00:19