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真理奈再び・前半

投稿日:2009/06/08

少し肌寒い空気が道を吹き抜けている。
灰色の雲に覆われた空はお世辞にも美しいとは言えず、見る者に無言の威圧感を与えていた。
そんな空の下、彼女は凛とした表情で静かにたたずんでいる。
「――ごめんなさい」
軽く頭を下げた拍子に、つやのあるストレートの長い黒髪がふわりと揺れた。
相手の少年は厳しい、だがなぜか納得した顔でその答えを聞いていた。
「そう……ですか。すいませんでした」
小柄で童顔のその後輩はそう言い、彼女に一礼して去っていった。
真っ直ぐでひたむきな気持ちは嬉しかった。きっといい恋人に巡り合ってほしいと思う。
だがその役は自分ではない。彼女は顔をあげて少年の後姿を見つめた。
そしてあまり大きくない声でぽつりとつぶやく。
「――啓一、もういいよ」
その言葉を聞いて、すぐそばの建物の陰から一人の生徒が姿を現した。
均整のとれた体と凛々しい顔立ちを持つ少年で、優しい雰囲気が彼女と似ている。
彼は少しだけ困ったような顔で彼女に話しかけた。
「あー、お疲れ。恵」
「……やっぱり断るのは辛いね。何回やっても慣れないよ」
「それでも以前に比べたら減ったと思う。俺の方もだけど」
「だって最近はいつも一緒にいるもん、私たち」
にこりと笑って彼女が言った。
制服のセーラー服がよく似合う清楚な女子高生。それが彼女、水野恵だった。
「一緒にいるのはいいけど、変に噂になっても困るぞ」
「そう?」
「そうだって。俺たちは兄妹だからな、一応」
隣に立った少年が彼女を見下ろして言った。何となく会話を楽しんでいるような印象を受ける。
彼の名は水野啓一。恵の双子の兄で、誰よりも彼女を想う少年だ。
そして恵の方も啓一を慕い、いつも彼と共にいるのが当たり前になっている。
「じゃあ帰ろっか」
鞄を両手に下げ、恵が明るい声で言う。
「ああ、ちょっと遅くなったな」
「そうだね。でも栄太も由紀もいないから、今日は二人きりだよ?」
「へえ、それで何が言いたいんですか、恵さん?」
「別にぃ、何でもないよー? あははは……」
二人は仲良く連れ立って、校門に向かって歩いていった。

校舎の窓、三階から密かにその一部始終を見下ろしていた者がいた。
「水野、恵……」
小さな声で少女の名を呼ぶ。
「まったく、せっかく食いついてきた男をなんで振り払っちゃうのかしら?
 味見くらいしないともったいないわよ。相手の気も知らないで……」
短い茶色の癖っ毛、無駄のない引き締まった手足、そして勝気な表情。
加藤真理奈。この学年では水野恵に次ぐ人気を誇る少女だが、彼女とはまるでタイプが違う。
気に入った男はすぐに手をつけ、同時に複数の男子と付き合うのは当たり前。
何事にも積極的で、常に物事の中心に自分がいないと気が済まない。
泣かせた男は数知れず、だがそれでも絶大な人気を保っているのはある意味人徳だろう。
その彼女が何の意図があってか、上からこっそり恵の様子を盗み見ている。
「そうね、色々と気になるじゃない……面白そうだわ、うふふふ♪」
唇をにやりと吊り上げ、真理奈は我慢できずに笑い声をあげた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

翌日の昼休み、水野恵は仲のいい友人たちと昼食をとっていた。
もちろんその中には彼女の双子の兄、啓一の姿もある。
「でさ、またこいつ升田を怒らせちゃって――」
「あははは――」
中身は手作りだろうか、可愛い水色の弁当箱を片手に彼女は微笑んでいた。
日の光のような明るく朗らかな笑みを、周りの男子が時折ちらちらと見やっている。
その様子を廊下から眺め、真理奈は軽く顔をしかめた。
(確かに顔は可愛いけど、あたしに比べたら地味でいかにも腹黒って感じじゃない。
 見た目だけ繕ってても裏で何考えてるかわかったもんじゃないわね)
対抗意識も手伝って、真理奈はいい子ぶる恵にあまり好感が持てなかった。
それに彼女が常に傍に兄の啓一を侍らせているのも真理奈は気に入らない。
兄妹共に人気の二人だが、他の男女とは決して交際をしたことはなく、
一部には兄妹で付き合っているのではないかという噂もある。
だがいくら似合いのカップルといっても、血の繋がった兄妹では恋愛にならないではないか。
まるで貴重な資源を無駄遣いしているような不快感を彼女は覚えた。
(まずは、本当にあの子が啓一君と付き合ってるのか確かめないとね……)
拳を力いっぱい握り締め、真理奈は教室に入り、恵の席に近づいていった。

「――水野さん、ちょっといい?」
「あ、加藤さん……どうしたの?」
恵と啓一と、その場にいた二、三人の友人たちが一斉に真理奈を向いた。
「水野さんに話があって。ご飯中悪いけど、すぐ済むからこっち来てもらっていい?」
「うん、いいわ」
予想通り、優しい彼女はこの誘いを断ることはしなかった。
上手くいったことに内心ほくそ笑みながら、恵を廊下に連れ出した真理奈。
そのまま廊下の突き当たり、人のいない場所に彼女を誘い込んで話しかけた。
「水野さん、こんなことあまりみんなの前では言えないけど……」
「何?」
「前歯に何かついてるわよ」
「え、ホント?」
その言葉に慌てる恵。真理奈を疑う様子はまったくない。
彼女はにやにや笑いつつ、恵と至近で向かい合った。
「ほら、ここ……ちょっと口、開けたままにしといてね」
「う、うん……」
やや恥ずかしそうにしながら、可愛らしい口を半開きにする黒髪の少女。
当然のことながら、並びのいいその歯には何もついていなかった。
真理奈はそんな恵を前に、ごそごそと自分のポケットを探ると、小さな錠剤を取り出した。
そして――。
「ぽいっ」
「―――― !?」
こちらを向いて口を開けたままの恵に、その錠剤を飲ませてしまった。
「――か、加藤さ…… !?」
「はい一丁あがりー。それじゃあたしも――」
同じ錠剤をもう一粒取り出し、真理奈もそれを飲みこんだ。
飲み込んだ薬が胃に届いたと同時、彼女の視界が不意に揺れた。

(ああ、くる……この感覚――)
まだまだ慣れないが、決して初めての経験ではない。
ふらりと揺れる体を壁にもたれかからせ、彼女は何とか我を取り戻した。
目を開けると茶色に染めた癖のある髪の少女の姿が目に入り、成功を確信して笑みを浮かべる。
「――ふふん、うまくいったわね」
恵は彼女には似合わない勝気な表情でひとりうなずいた。
真理奈よりか細く華奢な自分の体、そのストレートの長髪を面白そうに撫で回し、満足そうに笑う。
「え、あなた――私…… !?」
目の前の真理奈は頭に手を当て、驚いた様子で恵を見つめていた。
手に触れる短い茶色の癖毛にも、引き締まったしなやかな手足にも、
それがまるで自分のものでないかのように驚いている。
「はぁい水野さん。あなたの体、ちょっと借りるわよ」
清楚な彼女に似合わないにやにや顔で恵は言った。
言われた方は、彼女の百分の一も落ち着いていない様子で慌てている。
「え……あなたが私で、あれ、ひょっとして啓一……え、違う…… !?」
「何でここにお兄さんが出てくるのよ。あたしは真理奈、加藤真理奈。
 まあ今はあんたの、この水野恵の体を借りてるけどね。
 そしてあんたが加藤真理奈になった水野恵ってわけ。どう、わかった? 優等生さん」
「私……加藤さん? あなたが……私?」
真理奈は状況をまだ飲み込めない様子で、自分と相手の姿を見比べている。
頭は良くてもこんなときは何もわからないのね、と恵は相手を嘲った。

「あたし、一回水野さんになってみたかったのよ。自分とまるっきり違うタイプでしょ?
 勉強もスポーツもできて、優しくて、しかも素敵なお兄さんがいて……。
 まさに理想の優等生、完璧超人って感じじゃない。
 でもその正体が皆のイメージとは全然違うってこと、このあたしが証明したげるわ」
「か、加藤さん……何言ってるの? こんなことやめてよ……」
戸惑う真理奈に、恵は勝ち誇って告げる。
「だーめ! もう入れ替わっちゃったんだから、しばらくこのままよ。
 元に戻せるのはあたしだけ。あたしがその気にならないと入れ替わったままね。
 まあ、しばらくはあんたがあたし、あたしがあんたを演じるしかないわ。
 情報交換しないといけないから、ほら、あんたのケータイよこしなさい」
「そ、そんな……嘘……?」
力なくうつむく茶髪の少女。普段の強気な表情はどこにもなく、落ち込んだ様子でじっとしていた。
「……うふふ、あんたと啓一君がどんな関係なのか、あたしすっごい興味があるの。
 ただの双子なのかそうじゃないのか、この体でちゃんと確かめなくちゃね」
「え……啓一を……?」
いつも一緒にいる兄の名前を出され、真理奈が顔をあげた。
「当たり前だけど、このことをお兄さんにバラしちゃ駄目よ。わかってるわね?」
「そんなのできないよ……お願い、元に戻して……加藤さん」
「しつこいわね。だーめ、駄目駄目駄目駄目! しばらく啓一君に近寄らないように!
 逆らったらこの体で何するかわかんないわよ !? それでもいいの !?」
恵は唾を飛ばして真理奈を怒鳴りつけた。
「それじゃあたし、あんたの席に戻ってお弁当の続きにするわ。
 あんたは購買のパンでもかじってなさい。机の中に入ってるから」
「か、加藤さ……」
「じゃーね、加藤さん♪ うふふっ、あたしが優等生かあ……」
恵は楽しくてたまらないという様子でスキップをしながら教室に戻っていった。
後に残されたのは、半泣きになってうつむく真理奈のみ。
彼女はあまりにショックだったのか、顔を伏せたままぶつぶつ独り言をつぶやいていた。

「たっだいまー!」
不意に聞こえた恵の大声に、教室の皆がざわめいた。
「恵、どうしたの? なんか珍しくテンション高いけど」
「ふっふふーん、何でもないよー♪」
自分を迎える友人たちにそう答え、恵は再び席についた。
そのまま水色の弁当箱を手に持って、じろじろと中を覗き込む。
「で、加藤さんの話って何だったんだよ、恵?」
向かいに座って同じ弁当をつついていた兄、啓一が彼女に聞いた。
恵は笑って手を振って、何でもないことを強調する。
「あー、ただの勘違いだって。何でもなかったよ」
「ふーん、そうか」
啓一はいつもの穏やかな表情で、彼女の顔を見つめている。
まさか妹の中身が別人になっているなどとは思うまい。恵は内心勝ち誇っていた。
(学園七不思議の一つ、水野兄妹の秘密――後で教えてもらうわよ。啓一君……!)
「――でさ、あいつの彼氏がね……」
「へーそうなの? マジでー?」
友達の会話に適当に合わせながら、恵は自作の弁当の出来を確かめるように味わっていた。

午後の授業は数学と世界史だ。
特に何事もなく数学をやり過ごした恵だったが、不運にも世界史の授業で当てられてしまった。
眼鏡をかけた若い女教師が神経質そうな視線を彼女に向ける。
「神聖ローマ皇帝、ハインリヒ四世が教皇グレゴリウス七世に謝罪した、この事件のことを……
 はい、水野さん。何と言いますか?」
「え? えーと……」
普段の恵ならば難なく答えられた問題であろう。
だが今の彼女の中身は、世界史など大嫌いでほとんど勉強したことのない真理奈だった。
もちろんわかるはずがなく、沈黙したまま目を泳がせることしかできない。
「あら、水野さんならわかると思ったのに……変ねえ」
首をかしげる教師とクラスメートが、揃って彼女の方を見つめてくる。
できて当然。突き刺さるような皆の視線にふとそんな言葉が頭をよぎり、恵は声を失った。
とても彼女がいつもしているような、笑って誤魔化せる雰囲気ではない。
「う、ううう……わ、わかりません……」
開き直ることもできず、耳まで真っ赤になってうつむいてしまう。
「そう? じゃあ坂本さん」
別の生徒に順番が回ったことに心から安堵して息を吐く。
(まったく、優等生ってやつはこれだから困るわ……。しんどい……)
よく手入れされたストレートの黒髪をいじりながら、恵はため息をついた。

放課後。恵は当然のように隣のクラスまで双子の兄を迎えに行った。
「啓一、今日は部活ないでしょ。一緒に帰ろ?」
「ああ、んじゃ栄太と由紀さんと、いつもの四人で……」
「――駄目っ !!」
いきなり兄を遮って、彼女は大声をあげた。
「今日は啓一は、あたしと二人で帰るの。いいわね?」
「……よくわからんが、別にいいぞ。じゃあ帰るか」
恵は満面の笑みを浮かべ、兄と手を組んで歩いていった。
いつになく親密な双子の様子に、周囲にいる生徒たちも彼らをじろじろ見ている。
「そういや小腹がすいたな。ちょっと寄り道していこうか」
啓一の提案に力いっぱいうなずいて、恵は抱きつくようにして彼についていった。
大通りから脇道に入り、人のいない細い道を二人は進んでいく。
「――ねえ啓一」
「ん、なんだ?」
「……啓一にとって、あたしは何?」
頬を朱に染めて恵が問う。啓一でなければ思わず抱きしめてしまいそうな艶っぽい表情だった。
「いきなり何だよ、そんなこと聞いて」
「だめだめ、ちゃんと答えてよ、啓一!」
少女が頬を膨らませる。その子供っぽい様子に、啓一は笑いをこらえきれなかった。
「ははは、恵は俺の大事な妹だよ」
「ほんとにそれだけ……? 女の子としては見てくれないの?」
「そうだな、恵は綺麗で可愛いからな。妹じゃなかったら、今頃お付き合いしてるかな」
「あたしは……別にそれでもいいんだよ?」
ぎゅっと彼の腕を抱きかかえて言う。いつもの恵では決して見せない、男に媚びる仕草。
しかし彼女の兄は気のない様子で生返事をするだけだった。

そのうちに、住宅地に埋もれるような隙間にあるコンビニに二人はやってきていた。
「じゃあ肉マンでも食うか」
「あ、あたしもー!」
「はいはい。じゃあお前の分も買ってきてやるから待っててくれ」
自分にかけられる兄の言葉に、いい気分ではしゃぎ回る恵。
啓一は生真面目な優等生と思って今まで気にしてなかったのだが、こうして二人でいると
優しくて自分を大事にしてくれる彼を、やはり魅力的に感じてしまう。
この入れ替わりが終わったら本気で付き合ってもいいかもしれない。
やがて店内を喜色満面でうろつく恵のところに、買い物を済ませた啓一が戻ってきた。
楽しそうに微笑みながら兄妹はコンビニを出る。
「ほら、熱いから気をつけて食えよ」
「うん、ありがと!」
恵は嬉しそうな顔で、湯気をたてる饅頭にかぶりついた。
「…………」
と、その動きが突然停止する。
一秒、二秒、三秒。時間が経過するごとに恵の顔は赤くなり、体は激しく震え始めた。
「――ひいぃぃぃぃっ !!? 辛いぃぃぃぃっ !?」
大口を開けて舌を出し、悲鳴をあげて飛び上がる長髪の優等生。
涙を流して叫ぶ妹を不思議そうに見ながら、啓一は彼女に問いかけた。
「あれ、どうした? いつもの激辛カレーマンだろ。お前それ好きじゃないか」
「あ、あたしこんなのいつも食べてんの…… !?」
「うん。ちゃんとカラシもたっぷりつけといたぞ」
「ご……ごめん。今あたしちょっとお腹いっぱいで……啓一、代わりに食べてくれない?」
ひりひり痛む口を押さえ、食べかけのカレー饅を差し出す。しかし啓一は頭をぽりぽり掻きながら、
「あれ、おかしいな。いつもこれは別腹とか言って旨そうに食ってるじゃないか。
 なんで今日に限って食えないんだ? 変だな……?」
と恵を見つめる目を細くした。
「そういえば、今日の恵は何かおかしい気が……」
急に自分を射抜くような鋭い視線を向けてきた兄に、恵は慌てふためいた。
「な、何でもないない! あたしいつも通りだから!
 ほーら、これあたしの大好物だもんね! うん、おいしいおいしい……」
必死に涙をこらえつつ、カラシでどぎつい黄色に染まった饅頭を食べる恵。
今は恵を演じて啓一を油断させないといけない。その思いで彼女は我慢し続けた。

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最終更新:2009年07月02日 00:39