投稿日:2009/09/13(日)
私が、そのマジックショーに足を運ぶきっかけは、今考えてみれば、それ自体が不思議としかいいようのないことからでした。
土曜日の午後、休日だったその日、買い物から帰ってきた私は、テーブルの上に積まれたDMの山の中から、そのチケットを見つけだしました。
かなり、月並みなネーミングが、そのチケットには書かれていました。
問題は、そのチケットの有効日が、それを見つけた当日だったことです。
幸いにも、開場は、夜8時からでしたし、今夜は、なんの予定もありませんでしたから、、時間的には、問題はありません。
もし、つまらなければ、そこで帰ってきてもいいのです。
会社での話題くらいにはなるだろうと想い、私は、会場に脚を運ぶことにしました。
会場の正確な位置を私は知らなかったので、駅前から、タクシーを利用しました。
流石に、プロのドライバーとなれば、その辺は、任せてかまわないところです。
10分ほどで、私は、その会場へとたどり着きました。
タクシーから降りた私は、想わず息を呑みました。
いつのまにできたのでしょう。
まるで、ラスベガスのホテルを彷彿とさせる(といっても私自身、ベガスに行ったことはありません。あくまでも、テレビなどでみた映像から、そう判断しただけです。)絢爛豪華な建物がそこにありました。
この辺りには、少なからず、来たことがあるはずなのに、こんな立派な建物があったとは、気づきませんでした。
とにかく、ここが、マジックショーの会場であることは間違い在りません。
建物の豪華さに気圧されながらも、私は、会場へと足を踏みれました。
受付で、チケットを提示すると、私は、丁寧にも席へと案内されました。
私の席の番号は、783番でした。
位置的には、やや前側のほぼ中央です。
なかなかステージが見えやすい位置といえるでしょう。
私が席に座った時には、6割程度の入りだった会場が、少しすると、急に観客も増えてきました。
幕開けの時間が迫ってきたのです。
観客席は、ほぼ満員になっていました。
まもなくステージが始まることを知らせるアナウンスが流れました。
場内を照らしていたライトが、ゆっくりとその照度を落としていきます。
不意に、BGMが流れ始めました。
ステージを隠していた幕が、ゆっくりと上がっていきます。
いくつものスポットライトが、ステージの上をてらしだし、肌も露わな格好の女性を従えたタキシード姿の男性が、姿を現します。
マジックの内容は素晴らしいものでした。
イリュージョンマジックだけに、いずれもおおがかりなものばかりですが、どれも、スケールが半端ではないのです。
5人の女性が、階段でも上るかのように宙に浮いたと想えば、彼女たちは、そのまま空中でダンスを踊り始めました。
アニマルプリント柄のドレスの女性が、檻の中に入れられました。
布地が、一瞬、その檻を覆い隠し、そして外されたその後、檻に中には、女性ではなく虎の姿があります。
途中で帰るなんてとんでもない!
私は、このマジックショーにすっかり魅入られていました。
ショーが始まってもうすぐ1時間と言うところでしょうか。
エプロンドレス姿の、7,8才くらいの愛らしい女のコがステージに姿を見せました。
ステージの中央まで、小走りに駆け寄ってくると、女のコは、ぺこりとお辞儀をしました。
その愛らしさに、会場に、小さなどよめきが生まれます。
私も、想わず、口元を緩めていました。
女のコが現れた反対側のステージの裾から、今度は、黄色く塗られた箱が1つ姿を見せました。
高さは130センチほど・・・この女のコより、やや高めと言うところでしょうか。
箱の途中には、それぞれ、上下から40センチ強ほどのところで、横に線が描かれており、3つの立方体が縦に重ねられたかのようなイメージがありました。
その線に合わせるようにして、箱の3つの蓋が開きました。
アシスタントの女性が、手を取って、女のコをその箱の中に、誘います。
女のコが、箱に入ると同時に、パタンと蓋が閉じられました。
これが、確かに箱であることを証明しようと言うように、アシスタントの女性が、ゆっくりと箱を回転させていきます。
箱が一回転し、その正面が、ステージに向いたところで、顔と足下の蓋が開けられました。
そこには、紛れもなく、女のコの顔と脚が見えます。
再度蓋が閉じられました。
マジシャンの男性が、箱の一番上・・・女のコの頭が入っているところに、両手をかけました。
いくら男性とはいえ、女のコの入ったこの箱を持ち上げられるとは想えません。
そう私が思ったとき、一番上の箱が、持ち上げられました。
そう、女のコの入った箱は、1つではなく、40センチほどの箱が3つ積み重ねられて造られていたのです。
残った2段分の箱は、もう1メートルほどの高ささえありません。
いくら小さな女のコとはいえ、こんな狭い箱の中では息苦しいのではないのでしょうか。
そう想ったとき、続いて、2つ目の箱が持ち上げられました。
残った箱は、45センチ四方ほどの小さな箱にすぎません。
いくら女のコとはいえ、この小さな箱の中に、入れるとは想えません。
分割された3つの箱が、それぞれ、テーブルの上に横に並べられました。
一体、女のコはどうなってしまったのでしょうか?
マジシャンの手が、今度は、バラバラになった箱の蓋にかけられました。
彼が手を伸ばしたのは、脚の入った箱のはずです。
なんの遠慮もなしに、マジシャンは、蓋を開きました。
もしこれがマジックでなければ、残酷な場面に他ならない光景が、そこにあるはずでした。
しかし、その想像は裏切られました。
確かに、そこには、箱と一緒に3分割された女のコの脚がありました。
スカートの裾に、フリルのついた白いソックス、光沢のある赤い靴。
しかし、箱の中は血塗れではありません。
それどころか、その小さな足がステップさえ踏んでいるではありませんか。
胴体から切り離されているにも関わらず、脚が動いているのです。
続いてマジシャンは、胴体の入った箱の蓋を開けます。
そこには、やはり分割された胴体がありました。
もちろん、白いエプロンには、赤い染み1つありません。
女のコの手が、落ち着かない素振りで、ドレスのフリルを触っています。
そして、遂に、マジシャンの手が、最後の箱の蓋にかかりました。
果たして、そこには、女のコの頭が入っているのでしょうか。
知らず知らずのうちに、私は、息を呑み、両手をぎゅっと握りしめていました。
マジシャンの手が、勿体ぶった動きで、蓋の留め金を外します。
指先がゆっくりと蓋にかかり、次の瞬間、まるで、バネが弾けるように、ぱっと蓋が開けられました。
観客席から、どよめきが起こりました。
半ば、予想し期待していたこととはいえ、それを現実に目の辺りにした時の驚きが0になるわけではありませんでした。
いや、むしろ、想像していただけに、驚きがそのまま興奮へと繋がったのでしょうか。
箱の中には、紛れもなく、女のコの首が入っていました。
無論、血など一滴も流れてはいません。
自分を照らし出すスポットライトがまぶしいとでもいうように、その目が、瞬きました。
女のコの頭は、まるで、自分がバラバラになったことを喜んでいるかのように笑顔を振りまき、両手は振られ、両脚は、楽しそうに箱の中でステップを踏んでいます。
バラバラになっているにも関わらず、この女のコは、確かに生きているのです。
いくらタネも仕掛けもある手品とはいえ、どうやったらこんなことができるのでしょう。
観客の拍手は鳴りやむことを知りません。
そして、それは私も同じことでした。
女のコの箱が、再び、縦に重ねられました。
マジシャンの手にはいつのまに(多分、これもマジックなのでしょう。)マイクが握られていました。
「ここで、ちょっと観客の皆様に、お手伝いをお願いしたいと想います。それでは・・・783番の方。」
783・・・それは私の番号のはずです。
いつのまにか、私のすぐそばに、アシスタントの女性が2名、やってきていました。
彼女たちが、手のさしのべてきては、もはや拒絶するわけにもいきません。
それに、私自身、どのようなことになるのか、興味はありました。
ステージの上にあがることに恥ずかしさはありましたが、それ以上に、この後、何が起こるのか・・・それも自分の身に・・・そのことへの好奇心が勝りました。
私が、ステージにあがると同時に、観客席から、一斉に、拍手が起こりました。
恥ずかしさは、相変わらずあったものの、注目とスポットライトを浴びる、それもステージの上でとなれば、それは決して不快なものではありません。
もっとも、そうと分かっていれば、もっとおしゃれをしてくるんだったと想いましたが。
そんな私の想いを読みとったのでしょうか。
私の目の前で、大きな布が、波打つように振られました。
一瞬、視界が布で覆われます。
不意に、私は、感触の変化を感じました。
布が、床へと落ち、視界が元に戻った瞬間、観客席から、一斉に拍手が起こりました。
一体、何が起こったというのでしょう。
私は、不意に、肩のあたりに、風が吹き抜けるのを感じました。
そして、肘の辺りから、指先へ、何かに軽く締めつけられるような感触も。
先ほどまで、私が着ていたはずのブラウスとフレアスカートは、どこにもありません。
一瞬のうちに、私の服装は、ダークパープルのカクテルドレスと、肘までの手袋、そして、シルバーのピンヒールへと変わっていました。
衣装の早変わりは、テレビのマジックショーで、何度か見たことはあります。
しかし、アシスタントの女性が相手なら、予め重ね着するなど、仕掛けを施すこともできるでしょうが、観客席からあがってきたばかりの私が相手では、一体、いつタネと仕掛けを用意できるというのでしょう。
それとも、これこそマジックとでもいうのでしょうか。
先ほどの女のコの入った箱より、箱1個分、つまり、45センチほど高くなった箱が、ステージに姿を現しました。
私のすぐそばまでやってきたその箱の蓋が、開かれました。
マジシャンの男性が、私に、その箱に入るようにと、仕草と視線で、指示してきました。
私の身体も、あの少女のように、バラバラにされてしまうのでしょうか?
自分がバラバラにされると言うことへ、一瞬恐怖を覚えた私でしたが、やはり、どういう仕掛けなのか気になりましたし、それに、これは、あくまでも、マジックにすぎないという事実を想い出しました。
バラバラになった少女の手と足は、精巧なダミー、あるいは他の人間が、箱の裏側や下から、その部分だけを突き出しているのでしょう。
無論、いくら、目を凝らしても、そういった仕掛けは、どこにあるのか、皆目見当もつきませんでしたが、そもそも、そう簡単に分かってしまっては、マジックとはいえません。
どういう仕掛けなのかは、断言できませんが、身をもって体験すれば、それも分かるに違い在りません。
意を決して、私は、箱に中に入りました。
私が箱に入ると同時にその蓋が閉められます。
想っていたより、その箱は、密閉性が高かったようです。
蓋が閉められた途端、その中には、一筋の光も射し込まなくなり、完全に暗闇となってしまいました。
あまりに暗さに、私は、自分の身体さえ、見ることがかなわなくなってしまいます。
しかも、この箱は、大人である私には、余りにも狭すぎ、手も足も、ろくに動かすことができなくなっていました。
不意に目の前の蓋が開き、と同時に、足下からも光が射し込んできました。
どうやら、私が、確かに、この箱の中にいることを、観客に確認して貰うため、蓋を開けたようです。
しばらくして、再度蓋が閉められました。
私は、またもや暗闇の中に、閉じこめられたことになります。
不意に、頭の両脇の板から、軽い振動が伝わってきました。
何かが、箱・・・その両脇から触っているかのような感触です。
次の瞬間、私は軽い浮揚感・・・エレベーターで、上の階へと向かうときにも似た感触を覚えました。
持ち上げられている?
そう想った時、新たな異変に私は気づきました。
身体の感触は、突如消え失せていたのです。
まず、手そして指の感触がなくなっていることに気づきました。
そして、箱の底を踏みつけているはずの両足の感触も。
狭い箱の中で、ろくに動かすことができないとはいえ、身体の感触までなくなるとは、一体、どういうことなのでしょうか。
首から下の感触がなくなってしまったことに、私は、悲鳴を上げそうになりました。
後数秒時間が在れば、間違いなくそうしていたでしょう。
混乱した私は、そこで、ことんという小さな音と振動の感触に気づきました。
いつのまにか、浮揚感が消え去り、途端に身体の感触が戻ってきました。
床を踏み立っている脚の感触、そして、間違いなく、指を閉じたり開いたりもできる手の感覚。
私が、暗闇の中で、ほっと安堵のため息をはいたその時、いきなり、箱の蓋が開けられました。
それほど長い時間ではなかったとはいえ、暗い箱の中に閉じこめられていた私には、照明の光が、突き刺すように感じられます。
観客席から、われるようなどよめきと拍手がおこりました。
一体、なにがあったというのでしょうか。
先ほどまで、暗闇の中に閉じこめられていた私には、分かるはずもありません。
アシスタントの女性の手招きに応じて、箱から、脚を踏み出した私は、そこで、違和感を覚えました。
どう言ったらよいのでしょう。
十数秒後、私は、その理由に気づきました。
目線の位置が低くなっているのです。
ステージ上のマジシャンやアシスタントの顔が、私の遙か頭上にありました。
まるで、両膝を地面についている体勢のような高さです。
無論、膝をついているはずがありません。
両足からは、確かに、その両足で立っているという感触が伝わってきます。
一体、私はどうなってしまったのでしょうか?
私は、足下に視線を向けました。
もしかして、自分が立っているその場所が、一段沈んでいるのではないか、そう想ったからです。
しかし、その考えは、呆気なく裏切られました。
私が立っていたのは、アシスタントの女性達と全く同じ高さの床の上でした。
しかし、別の事実が私を、驚愕の底へと、突き落としました。
またもや、私の服装が変わっていたのです。
箱に入る前のカクテルドレスではありません。
といっても、その前の、ブラウスにスカートという格好でもありません。
今の私の服装は、あの女のコと同じエプロンドレスになっていたのです。
無論、それだけなら、私は、それほどまでに驚きはしなかったでしょう。
私を驚愕させたのは、そのエプロンドレスに包まれた私の体型でした。
見下ろしているとはいえ、自分の体型の変化は一目瞭然でした。
そもそもこの視界の低さ自体、今の私の変化を明確に物語っています。
私の身体は小さくなっていました。
そう、先ほどの女のコのように!
私が見下ろしている私の身体は、まるで、7,8歳の少女のようになっていたのです。
私は、恐る恐る自分の手を、顔の高さまで持ち上げました。
エプロンドレスに包まれた小さな腕が、ゆっくりと持ち上がってきます。
自分でも、細くて綺麗だと自信のあったその指が、そこにはありませんでした。
以前とは、半分ほどにまで小さくなったその手・・・そしてその指は、ふっくらとした可愛い指でした。
不意に、私のそばに、鏡が移動してきました。
大人でも、ほぼ全身が映しだせるような大きな姿見です。
反射的に、私は、鏡の方へと振り向いていました。
今の自分の姿を確かめずにはいられなかったからです。
一目見ただけで、私は、絶句せざるを得ませんでした。
まさかという想いは、鏡を見る前から、頭の中に浮かんでいました。
そこに映し出されていたのは、紛れもなく、子供の身体・・・エプロンドレス姿の・・・先ほどの女のコの身体でした。
その上に大人である私の頭が載せられた・・・
そう、私は、首から下だけ、子供になってしまったのです。
ただ、単に、箱の中の身体がバラバラになるのなら、トリックだと考えることもできます。
しかし、首と身体をすげ替えるなんて、これは本当にマジックでできることなのでしょうか?
はっと、振り向くと、そこには、黄色の2段重ねの箱の上に、赤い箱が1つ置かれていました。
その箱の蓋は開けられていました。
私は、そこから、出てきたのでしょうか?
そしてそのすぐ脇には3段重ねの赤い箱の上に、黄色い箱が1つ置かれていました。
まさか・・・
私がそう想った瞬間、箱の蓋が開きました。
私の予想は違いませんでした。
あの女のコの首がついた私の身体が、箱の中から、姿を見せたのです。
際どい位置まで伸びたスリットから、惜しげもなく、脚を晒し、その女のコは、ゆっくりと箱の中から、外へと出てきました。
観客席から、再び拍手が鳴り響きます。
これは、本当にマジックなのでしょうか。
首と首をすげ替えるなど、もはや、これは、タネや仕掛けというレベルではない本当の魔術としか想えません。
私の身体を得た女のコは、すっと私のそばに立ち並びました。
40センチ以上、背が小さくなってしまった私は、必然的にその姿を見上げることになってしまいます。
首をすげ替えられた、それとも身体を入れ換えられた。
もっとも、結果は同じことです。
私の頭は、女のコの身体に、女のコの頭は、私の大人の身体に。
観客席から、どっと割れるような拍手が鳴り響きました。
観客にしてみれば、これも全てマジックと想っているのでしょう。
しかし、当事者となってしまい、こんな不思議な姿となってしまった私には、これが、とてもマジックとは想えませんでした。
まるで、悪い夢でも見ているかのようです。
いや、夢の中でさえ、こんなことがあり得るとすら想えないほどでした。
「え~ん、あたしの身体、かえしてえ!かえしてえ!・・・!?」
そう叫んだ私は、そこで言葉を継ぐことができなくなってしまいました。
私の発した声は、大人のそれではなく、どう聞いても、幼い女のコの声です。
いえそれどころか意識してそうしたわけでもないのに、口調や言葉遣いまで、女のコそのものになってしまっています。
まるで、いじめっ子に、オモチャをとられてしまった女のコのような声と口調です。
私は、本当に、自分が、小さな女のコになってしまったような気がして、不安に陥りました。
私は、どうなってしまうのでしょう。
不安と恐怖の余り、私は、泣きそうになっている自分に気づきました。
そう、小さな子供の様に。
私の不安に気づいたのか、女のコの首がついた私の身体が腰をかがめたと想うと、腕を伸ばし、私の頭をやさしくなで始めました。
自分の髪を梳いていく指の感触に、私は、なぜか、心が落ち着いていく自分に気づきました。
私の身体を得た女のコが、私に、もう一度、箱の中へはいるようにと誘います。
まるで、素直な子供が、母親に言われるままに、布団に入るかのように、私は、箱の中に入りました。
私が箱に入ると同時に、再び蓋が閉じられました。
先ほど同様の軽い浮遊感とと同時に、身体の感覚の消失。
私は、ようやく、元の身体に戻れると思い、安堵しました。
しかし、それが甘い考えだったと、私は、思いしることになるのです。
ややあって、ようやく、身体の感覚が戻ってきました。
ああ、やっと、元に戻れた。
無意識のうちに、私は、安堵の息を吐いていました。
しかし、その安堵も、数秒足らずのことでした。
確かに、身体の感覚は戻ってきました。
にも関わらず、身体の違和感は消え去りません。
それはまず足下が、どうにもおぼつかないという感触で現れました。
まるで、酔いが回ったか、あるいは、不安定な足場に立っているかのような、そんな感じが全身に付きまとっています。
箱の蓋が開きました。
私は、飛び出すように、箱から外へ出ました。
なにより、自分の身体を、確かに見て触って確かめたかったからです。
にも、関わらず、私の身体は、なかなか外に出てくれません。
確かに、脚は動いているはずなのに、身体が前へと進んでくれないのです。
焦れったさを感じつつも、ようやく箱から出た私は、急いで、自分の身体を見下ろしました。
期待・・・願望ともいえるそれは見事に裏切られました。
私の目線と床までの距離は、40センチほどしかありませんでした。
今度はまるで、腰を床におろしてしまったかのような視線の低さです。
もちろん、腰をおろしているはずはありません。
かなり頼りない感じですが、今の自分が、脚で立っているという感触は伝わってきます。
最初に見えたのは、本来の私の握り拳ほどもない小さな足でした。
ピンク色の可愛らしい小さな靴下と、小さなスニーカーを履いたその足は、先ほどの少女のモノより、更に小さなモノです。
続いて、目に入ったのは、私の身体を包むオレンジ色のベビードレスでした。
慌てて、両手を目の前にかざそうとしても、その指先は、私の目の高さまで届きません。
辛うじて視界に入ったその指は、まるで、ゼリービーンズのような、短くてふっくらとした小さな指でした。
再び、姿見が、私の前にすえられました。
ここまで見たものによって、今の自分がどのような姿になっているか、ある程度想像できていたとはいえ、やはり、鏡に映った自分の姿は、衝撃的でした。
頭は、確かに私のモノでした。
しかし、そこから下は、全く違います。
ふっくらとした腕と、立っていられるのが不思議なくらい小さな足。
オレンジ色のベビードレスの裾は、服の意味がないほどに短く、そこから、紙おむつが、姿を見せていました。
私は、赤ん坊のような小さな身体に首をすげ替えられてしまったのです。
もはや、これは悪夢としか言いようがありません。
「あ、あたち、あかたんになったったの?」
想わずそう叫んだ私の声は、舌足らずな・・・そう赤ん坊そのものな口調と声に変わっていました。
元々安定性の悪い幼児の体型に、大人である私の頭が加わったためでしょうか。
立っているだけでも、少なからず精神と筋肉の緊張を必要としています。
ふと、脇を見上げれば、本来の私の身体についた少女の顔が、どこか、母性を感じさせる笑みを浮かべながら、私のことを見つめていました。
無意識のうちに、私は後ろ図去っていました。
が、これが失敗でした。
バランスの悪い私の身体は、後ろへ体重をかけた途端、辛うじて保っていたそのバランスを失ってしまったのです。
一度、均衡を失ってしまうと、もはや、それを取り戻すことは、至難の業でした。
数秒の無意味な格闘の末、私は、両足が床から離れた感触に気づきました。
ずっこーん!という、重みに欠ける騒々しい音と同時に、後頭部に、痛みが走ります。
耐えられないほどの痛みではなかったはずなのに、一度、痛みを感じると、湧き出すように涙が、溢れ出てきました。
それと同時に、声を抑えることもできなくなってしまいます。
「うえ~ん!うわーん!ふえ~ん!」
私は、まるで赤ん坊そのもののように泣き出していました。
痛みそのものよりも、身体をすげ替えられたという、あまりにも理不尽な自分に降りかかってきた状況への不安と恐怖と苛立ちが、一挙に溢れでたための涙だったかも知れません。
不意に、私の両脇に、手が伸びてきました。
あっと想う間もなく、私の小さな身体は、持ち上げられていました。
持ち上げられた弾みで、危うくバランスを失い、ひっくり返りそうになった私は、慌てて、マジシャンの身体にしがみつきました。
これでは、父親に甘えている赤ん坊そのものです。
不意に、マジシャンは、私を抱きかかえていた腕をまっすぐに伸ばしました。
そう、私の身体を、観客席の方へと突き出すように。
観客席から、再びどよめきがおこります。
無理もありません。
赤ん坊の小さな身体の上についているのは、大人の女性の頭なのです。
観客席のどよめきとは裏腹に、私は、こんな不思議な身体となってしまった自分が、見せ物・・・さらしものにされているかのようで、耐え難いモノがありました。
「いやん、やだやだあ・・・」
私は、必死にあがいて、マジシャンの手から逃れようとしますが、今の私の小さな手足では、どうすることもできません。
むしろ、あがいているうちに、身体がずり下がってしまったためか、もともと、短かった裾から、紙おむつが姿を見せてしまいました。
「や、やだ・・・はじゅかちい・・・」
私は、必死に、裾を引き下ろして、紙おむつを隠そうとしましたが、小さく短な腕では、ろくに、裾をさげることすらできません。
大人の女性の顔に、おむつをした身体というアンバランスさのためでしょうか。
会場から、失笑がまきおこりました。
「あ~ん、やめちぇやめちぇ・・・」
恥ずかしさと悔しさのあまり、私は、再び泣き出しそうになっていました。
それを察したのか、私の身体は、マジシャンから、他の手に渡されました。
私を受け取ったのは、私の身体を得たあの少女でした。
彼女は、まるで自分が、私という赤ん坊の母親であるかのように私の身体を抱きかかえました。
やはり、園からだが女性であるためでしょうか。
男性であるマジシャンの腕の中に比べ、どこか、落ち着くような感じがありました。
ちょっと落ち着きを取り戻した私の目の前に、突き出されたものがあります。
それは、プラスチックの容器に、黄色の吸い口のついた哺乳瓶でした。
もちろん、中には、白色の液体・・・ミルクが入っています。
いくらなんでも、哺乳瓶とは・・・
子供、いや赤ん坊のような扱いに、屈辱を覚えずにはいられません。
そんな想いにも関わらず、私の口は、私の意識に逆らうようにして、哺乳瓶をくわえていました。
吸い口のゴムの味が、口の中に広がり、次の瞬間、生ぬるい・・・人肌のミルクが口の中に、広がります。
美味しいというほどではありませんが、想ったよりは、まずくはありませんでした。
人肌の温度であることと、哺乳瓶のせいでしょうか。
どこか、懐かしい味がしました。
私の喉が、こくんこくんと音をたてながら、ミルクを飲み込んでいきます。
一口飲むことに、自分のお腹が満たされていくことが分かりました。
哺乳瓶の半分も飲まないうちに、私は、満腹感を覚えていました。
ベビードレスのお腹のあたりが、ぽっこりと盛り上がっていることが、自分でも分かります。
お腹だけではなく、心まで満たされてしまったのでしょうか。
いつのまにか、私は、吸い込まれるような眠気を覚えていました。
少女の頭のついた私の身体が、まるで私をあやすようにして、私の身体を、小さくゆっくりと揺らし始めました。
ゆっくりとした心地よいリズムに、私は眠気を覚えました。
もはや、睡魔に抗う気力もありません。
私の意識は、そのまま、闇の中へと落ち込んでいきました。
気がつくと、私は、自分の部屋のベッドの上にいました。
と同時に、昨夜の悪夢の様な体験が蘇ってきました。
慌てて、私は、自分の身体へと視線を向けました。
パジャマ越しに見えるその身体は、確かに大人のものと想えました。
着ていたパジャマも下着も脱ぎ捨て、私は、改めて、自分の身体を見つめ直します。
全裸となったその身体もまた、確かに、見慣れた自分の・・・大人の女性の身体でした。
あのマジックショーの痕跡は、微塵も捉えることができません。
一体、あのマジックショーは、なんだったのでしょうか。
その後、私は、あの晩の会場へと脚を運ぼうとしました。
もはや、マジックショーなどやっているはずもなかったのですが、やはり気になりました。
しかし、遂に、私の、あの会場へとたどり着くことはできませんでした。
タクシーに乗っていたとはいえ、途中の風景や道順は、それとなく覚えていたはずなのに、その会場の建物が見つかりません。
電話帳で調べても、タクシーの運転手に聞いても、あの夜の会場を見つけることはできませんでした。
あの夜の出来事は、本当に夢にすぎなかったとでも言うのでしょうか。
しかし、あの夜以来、私の心の中に、それまで存在しなかった想いが、確かに根付いていました。
なぜなのか、自分でも分かるはずもありません。
ですが、あれ以来、街の公園や、駅のホームで、赤ん坊が哺乳瓶に口を付けているところを見かける度に、その吸い口にしゃぶりつき、ミルクを飲み干したいという渇きにも似た衝動を覚えずにはいられないのです。
最終更新:2009年09月14日 02:00