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真理奈憑依・前編

投稿日:2009/10/31(土)


告げられた言葉は、簡潔極まりないものだった。
「加藤さん。あなた、追試だから」
「ええっ !?」
放課後の職員室の中、周囲の教師たちが好奇の視線を向けてくるのにも構わず、
真理奈は露骨に嫌そうな声をあげた。
平凡な公立高校らしく、身にまとっているのは地味でシンプルな冬物のセーラー服だが、
彼女はそれが似合わない、長身で派手な雰囲気を持つ生徒だった。
鮮やかな輝きを放つ短めの茶髪は、校則の厳しい学校ならば、
即座に取締りの対象となってしまうだろう。
そして顔を飾るくっきりした目鼻立ちが、彼女を実年齢よりも大人びた姿に見せていた。
二年C組、加藤真理奈。顔とスタイルの良さを武器に、
あちらこちらに迷惑を撒き散らす、トラブルメーカーの女生徒である。

いつもは強気な態度を崩さない彼女も、このときばかりは困った様子だった。
後ろ手に組んだ両の指を落ち着きなく動かし、所在なさげに突っ立っている。
そんな真理奈の前では一人の女教師が椅子に座り、彼女を鋭い視線で射抜いていた。
「ええっ、じゃありません。あなた、自分の成績わかってるの?」
「え、えっと……そういや、今回はちょっと悪かったかも……」
「ちょっと?」
世界史教師の升田は、眼鏡の奥で細い目を光らせた。
まだ若い。真理奈の記憶によると、たしか二十代の後半だったはずだ。
黒のショートヘアと、細身の体を包み込むぱりっとしたスーツ、そして縁なしの細眼鏡と、
見るからに知的な印象を感じさせる女である。
升田はデスクの前で椅子をきしませ、真理奈を見上げて言った。
「あなたの基準では百点満点で一桁は、『ちょっと悪い』ということになるのね。
 じゃあ、『とても悪い』ときはいったい何点なのかしら?
 コンマ以下? ゼロ? それともマイナス? すごく気になるわね」
「い、いいえ……どーなんでしょ、あははは……」

真理奈は冷や汗をかきながらも、内心、はらわたが煮えくり返る思いだった。
こんな嫌味くさい女の説教を、なぜ自分だけ受けなくてはいけないのか。
升田は、彼女が密かに自分に敵意を向けていることには気づかず、冷徹に真理奈に告げた。
「まったく。この学年で世界史の追試はあなただけよ。少しは恥ずかしいと思いなさい」
「え、あたしだけ?」
「そう、あなただけ。中間で落とした子もちゃんと期末で取り返してるっていうのに、
 本当にあなたときたら……。少しくらいやる気はないの?」
「すいません……」
この升田という女教師は厳しいことで知られる。しかも短気で毒舌家だ。
不真面目な生徒は容赦なく怒鳴りつけ、不出来な者はこうして呼びつけ説教をする。
美人で熱心な性格のため、一部には高い人気を誇るが、
その厳しさゆえに彼女を苦手とする生徒も多い。人によって好みがはっきり分かれる教師と言えた。
成績が悪く、授業態度もいいとは言えない真理奈にとって、そんな升田は、
言うまでもなく、あまり関わりたくない相手である。
だが試験で赤点を取ってしまったからには、升田の言う通り、大人しく追試を受けなくてはならない。
しかも追試は彼女ただ一人。
必然的に升田と一対一で向かい合い、針のむしろに座らされることになる。
ようやく二学期も終わろうかというのに、なんと悲惨なことだろうか。
非は自分にあるとはいえ、真理奈はこの女を憎まずにはいられなかった。

手のひらの汗を握りしめる真理奈に、升田が相変わらずの冷たい声で言った。
「そういうわけだから、試験範囲は中間と期末で出したところ、全部よ。
 ちゃんと勉強しておきなさい」
「え……二学期の範囲、全部ですか? それはちょっと……」
「もう期末試験は終わってるんだから、授業もほとんどないでしょ?
 頑張って勉強して、今度こそ合格してちょうだい。さもないと単位は出せません」
「う、うう……」
教師の容赦ない言葉に、少女はうなずくしかなかった。
「話は以上です。試験日はまた連絡しますから、準備しておくように」
「はい、わかりました……」
形だけぺこりと頭を下げ、真理奈がその場を立ち去ろうとすると、
デスクに向かった升田の指に、小さな指輪が光っているのが目に入った。
そういえば、少し前に結婚したと、校内で噂になった覚えがある。
私生活について、少なくとも生徒たちには何も語らない無愛想な女だが、
こんな鬼教師でも嫁のもらい手があるのかと、真理奈は世の不条理を嘆き悲しんだのだった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

「――っていうわけでさあ。もう最悪。マジ最悪」
カウンターに力なく突っ伏し、真理奈は息を吐いた。
それに答えるのは彼女と同じ年頃の、爽やかな少年である。
「それは大変だね。まあ、頑張って勉強してよ」
「あの女と同じこと言わないでくれる !? あー、腹立つ……」
「あっはっは、今日はおかんむりだね」
少年は冬物の私服に身を包み、座る真理奈の正面に立って、彼女を悠然と見下ろしていた。
この上なく端正な顔立ちをしているが、不思議と印象は薄く、
まるで空気のように存在感がない。どこかとらえどころのない、風変わりな少年だった。
明るい顔と声で笑う少年に、彼女は不機嫌そのものの声で言った。
「当たり前でしょ !? あんな年増の鬼婆に説教されて、ニコニコできるわけないじゃない!」
「まあまあ、ちょっと落ち着いて」
ここは住宅地の中に埋もれるような場所にある、小さなドラッグストアだ。
狭く地味な店内には真理奈一人しか客がおらず、店員らしき人物もこの少年だけだった。
あまり商売が成り立っているようには見えないが、真理奈はこの店がお気に入りで、
よく下校途中に立ち寄っては、何を買うともなしに彼と世間話に興じることにしている。

「はい。これでも飲んで、機嫌直してよ」
彼女は店の奥から少年が持ってきたコーヒーカップを礼も言わずに受け取ると、
湯気の立つミルクティーを喉に流し込んだ。甘いクリームの味が口内に広がり、
師走の北風に冷やされた真理奈の体をゆっくり温めていく。
「ふぅ、おいし」
「それはそれは。喜んでもらえて何より」
両手でカップを持ち、子供のような仕草でそれを口元に傾ける真理奈を、少年が笑顔で見つめている。
真理奈は貪るように紅茶を飲み干すと、彼にカップを突き出した。
「おかわり」
「はいはい、ちょっと待ってね」
苦笑した様子で店の奥に引っ込み、またすぐに戻ってくる。
二杯目の紅茶を慇懃に差し出す少年に、彼女がため息混じりに言った。
「あ~、それにしてもあの女……マジすっごいむかつくわ。
 このあたしに追試を受けさせようだなんて、頭おかしいんじゃないの?」
放課後呼び出された職員室でのやり取りを思い出し、真理奈は吐き捨てた。
愚痴とぼやき混じりに升田を罵ってみせるが、それも所詮、負け犬の遠吠えでしかない。
どう足掻いても追試は受けなければならないし、そのための勉強も必要なのだ。
向こうは教師でこちらは生徒。この立場の差はいかんともしがたい。

少年はそんな真理奈の文句を黙って聞いていたが、やがて彼女に問いかけた。
「で、君としてはどうするつもりなの?」
「どうするもこうするも……そりゃー悔しいけど、大人しく追試受けるしかないわね。
 相手は先生なんだもん。あたしに何ができるってのよ」
「へえ、意外だね。君はそんなに大人しい女の子だったっけ?」
「何よ、その言い方は」
少年は自分の薄い唇に手を当て、目を細めている。その表情に真理奈は見覚えがあった。
小学生の頃、クラスの悪童が悪戯を思いついたとき、よくこんな顔をしていたものだ。
彼女は相手の真意をうかがうように、カウンターの向こうに立つ少年を見上げた。
「……あんたがそんなこと言うからには、助けてくれると思っていいのよね?」
「もちろんさ。実は、以前作った薬の改良版ができてね。実験したいと思ってたんだ。
 良かったら、君が試してくれると助かるね」
手に持った小さな紙箱をからから鳴らし、微笑む。市販の目薬とほぼ同じ大きさだが、
この少年が作ったものとなれば、普通の薬ではないだろう。
ひょっとしてこれを使えば、あの尊大な女教師に目に物見せることができるかもしれない。
真理奈は少年からその紙箱を受け取り、唇の端を不敵につり上げた。
「いいわ。よくわかんないけど、試してあげようじゃないの」
「話が早くて助かるね。じゃあ、イタズラの計画を立てるとしようか」
彼は上機嫌で、真理奈に笑いかけた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

ある日の放課後、水野啓一は放送で生徒指導室に来るようにと連絡を受けた。
終業式も差し迫った師走の午後である。もう試験は終わっているので授業もほとんどなく、
特に部活のない者は昼頃に帰宅することができた。
啓一はサッカー部に所属しているが、この日は練習もなく、真っ直ぐ家に帰るつもりでいた。
そこへ突然の呼び出しである。彼が疑問に思うのも無理はなかった。
「啓一、呼び出しって何だろうね?」
一緒に廊下を歩いていた双子の妹、水野恵が彼に尋ねた。
長い黒髪をストレートに垂らした、清楚で落ち着いた娘である。
「さあ、何だろうな。世界史の升田先生だろ? 呼び出したの」
啓一は窓の外を見ながら、妹に聞き返した。
十二月の青空には灰色の雲が浮かび、冬らしく寒々とした雰囲気を漂わせている。
今日も冷えるなとつぶやき、軽く身を震わせた。

「ひょっとして啓一、何かしでかした? それで升田先生に怒られるとか」
「そんなわけないだろ。お前だって知ってるくせに」
啓一と恵は、二人揃って優等生である。成績は常にトップクラス、さらにスポーツ全般に通じ、
その上二人とも、整った顔と均整のとれた肢体に恵まれていた。
どちらも負けず劣らず、理想の優等生の兄妹として、教師たちにも受けがいい。
当然、素行にも問題などあるはずがなく、
今のように生徒指導室に呼び出される理由は思いつかなかった。
「まあ、先生に直接聞いてみればいいか」
「そうだね。そうしよっか」

二人は目的の部屋に到着すると、ドアを軽く叩き、中で待つ人物に話しかけた。
「失礼します。二年の水野啓一と、水野恵です」
「来たわね。入りなさい」
啓一と恵が室内に入ると、奥に世界史の担当である升田美佐が座っているのが確認できた。
狭い部屋で窓はない。その上、資料の詰まった本棚が壁の辺りを占領しているため、
四、五人も入れば一杯になってしまいそうだ。
何の飾り気もない長方形の机が一つ中央に置かれ、そしてその手前にパイプ椅子が二つ並んでいる。

升田は座ったまま二人を見つめ、穏やかな声を発した。
「二人とも、鍵をかけて、そこに座って」
「はい。わかりました」
カバンを足元に置き、並んで腰を下ろす。二人は升田と向かい合う形になった。
いつもの細眼鏡の奥で、鋭い眼光がこちらを見据えている。
少々気圧されつつも、啓一は教師に問いかけた。
「それで、僕たちに何のご用でしょう。升田先生」
「ええ、二人に大事な話があるの。聞いてくれる?」
「はい」
机の上には、メーカーのロゴが入った黒のトートバッグが、無造作に置かれていた。
彼女の堅物のイメージには今ひとつそぐわない品だが、成績表か資料でも入っているのだろう。
兄妹二人にじっと見つめられ、升田は口を開いた。
「あなたたち、二年の加藤真理奈って子、知ってる?」
「え? ええ……一応、友達ですけど……」
意外な名前を出され、恵が戸惑いながらも答えた。

真理奈は二人の顔見知りであり、一応は友達と呼べなくもない存在だった。
もっとも、向こうがどう思っているかは、よくわからない。
何しろ勝気なトラブルメーカーの加藤真理奈と、人望厚い優等生の水野恵では、タイプがまるで違う。
共に人気の美少女だが、真理奈の方は恵を一方的にライバル視している部分があるため、
大人しい彼女としては少々困ってしまうというのが、正直な感想である。
だがそうした複雑な説明を教師にできるはずもなく、恵の返答は当たり障りのないものにとどまった。
「そう。一応ね……一応……」
升田はその言葉を噛みしめるようにつぶやき、眼鏡を指で整えた。
ひょっとして気に入らない返答だったか、と二人は緊張したが、構わず彼女は後を続けた。

「実はね、加藤さんが追試を受けることになっちゃったのよ」
「はあ……追試ですか……」
「頑張って合格してもらわないと、先生も困るのよ。わかる?」
「はい、わかります」
啓一はうなずきつつも、話の流れがどうにも読めず、教師の顔を見ながら眉を曇らせた。
規定の点数に満たない者は追試を受けることもあるのだろうが、
優等生の二人はそんなものに縁はない。
啓一も恵も、他人の点数をあまり気にしたことはなかったので、
なぜこの場で真理奈の成績のことが話題になるのか、二人して首をかしげるばかりだった。
「しかも、二年で追試に引っかかったのは加藤さん一人だけなの。
 可哀想だし、何とか助けてあげたいじゃない?」
二人はますます訝しんだ。
真理奈を助けてやりたいと言うが、担当教師の升田にしてみれば、簡単な話だろう。
形だけ追試を受けさせて合格にすればいいし、あるいは追試そのものを免除し、
試験の点数に救済措置を施して――要は下駄を履かせて、無理やり合格にしても構わない。
つまりは、升田さえその気なら、真理奈の成績などどうにでもなる。
それなのに、なぜ彼女とは直接関係がない二人が、わざわざここに呼ばれたのだろうか。
脳内で疑問符を点滅させる双子の兄妹を見やり、升田はようやく本題に入った。

「それでね。あなたたちに、ちょっと協力してほしいの」
「協力……ですか? それはいいですけど、いったい何をすれば……」
追試の対策のため、真理奈の試験勉強につき合えとでもいうつもりだろうか。
二人は世界史の成績も極めて良かった。必要ならば、彼女の勉強を手伝ってもいいと思う。
やや相性の悪い面もあるが、一応、真理奈は二人の友人だ。困っているなら助けてやらねば。
口を開こうとした恵を制止し、升田はトートバッグの中に手を差し入れ、あるものを取り出した。
「あなたは、これを使ってちょうだい」
「え?」
恵はそれを見て、驚きの声をあげた。
升田が取り出したものは、家庭用のビデオカメラだったのだ。
黒いボディは小ぶりで持ちやすいサイズだが、レンズは大きく、無言の光沢を放っている。
「使い方わかる? なんか色々機能ついてるけど、まあそんなのはどうでもいいわ。
 とりあえず撮れたらオッケーだから」
「は、はあ……。多分使えると思いますけど、でもなんで……?」
「いいから、今からしばらくの間、それで先生を撮影してちょうだい」
「…………?」
啓一と恵は顔を見合わせて互いの疑問を視線で交換したが、
教師の唐突で不可解な命令に、どちらも腑に落ちない表情だった。

手渡されたビデオカメラをいじりながら、どうしたものかと躊躇する恵に、升田が厳しい口調で言う。
「早くしなさい! 先生の言うことが聞けないの?」
「はっ、はい……。わかりました……」
唾を飛ばして怒鳴る升田の姿に身を竦ませ、仕方なく彼女はカメラを構えた。
家にあるものと似たような型なので、大体の操作方法はわかる。
恵は教師にレンズを向け、スーツ姿の女教師の姿を撮影し始めた。
それを確認し、升田はにやりと笑ってみせる。
冷徹な彼女に似合わないその笑みに、二人は驚きを隠せなかった。

「そう、それでいいの。あなたはしばらくそのまま、撮り続けてね。絶対よ」
「はあ……」
「で、先生。僕の方は何をすれば……」
戸惑いながらも尋ねてくる啓一に顔を向け、彼女は楽しそうな声を出した。
「うん。あなたには、もっと大事な仕事があるの。ちょっとこっちに来て」
彼はその言葉に従い、立ち上がって机の向こう側に移動した。
升田も席を立ち、狭い部屋の中、啓一の隣に並んでみせる。
彼女はそこそこの長身で、啓一との身長差はあまり感じられなかった。
恵よりは高く、啓一より少し低いくらいだろうか。
スレンダーな体のラインにぴったり合った黒のスーツが、
眼鏡をかけた知的な風貌と合わさって、静かな大人の女の魅力をかもし出していた。

校内を流れる噂によると、最近結婚したらしい。
特に聞いてはいないが、苗字は変わったのだろうか。
二人が升田を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、女教師が次の動作に移った。
「啓一君、こっち向いて」
「はい――って、んっ…… !?」
升田は啓一の首に両手を回して背伸びをすると、無防備な彼の唇に自分のを重ねた。
突然のことに唇を奪われた啓一も、それを撮影していた恵も、驚愕のあまり硬直してしまう。
「ん、ううんっ……んむっ、んん……」
女教師の舌が生徒の唇に割って入り、彼の口内に侵入する。
柔らかな侵入者の感触に、彼は両腕を力なく垂らしたまま、動くことができなかった。
新妻の教師とその生徒の激しい接吻が、ビデオカメラの前で繰り広げられる。
「け、啓一…… !?」
恵は異様な事態に狼狽しつつも、言われた通りに撮影を続行した。
途中で撮るのをやめると怒られると思ったからだが、やはり多少の好奇心も否定できない。
升田の舌が啓一のそれに絡みつき、彼の中に唾液をたっぷりと流し込む。
なぜ真面目な教師がこのような振る舞いに及んだのか。啓一も妹と同様に狼狽していたが、
相手が教師ゆえ乱暴に引き離すわけにもいかず、されるがままに口内を貪られるしかなかった。

「ん……ちゅ、くちゅっ――ぷはぁっ……」
やがて満足したらしく、升田は啓一の口から離れると、二人の唇を繋ぐ唾液の線を指で拭い去った。
いつも雪のように白い頬は朱に染まり、冷徹な瞳には彼が見たことがない、淫蕩な色が浮き出ている。
なぜ。いったいなぜ。心の疑問が解けぬまま、彼は升田にきつく抱き締められていた。
普段は授業を淡々と進めるその唇が、思いもよらぬ言葉を発する。
「ん……やっぱディープなキスは最高ね。どう、あたしのツバ美味しかった?」
「せ、先生……な、なんでこんな……」
「そんなの、あんたがイケメンだからに決まってんじゃない。他に理由ある?
 いいから大人しくしてなさい。あんまウジウジ言ってると、このまま逆レイプしちゃうわよ」
「升田先生……ど、どうしちゃったんですか……?」
カメラを下ろして問いかける恵を、女教師は眉をつり上げて怒鳴りつけた。
「こらそこっ! ちゃんと撮っとけって言ったでしょ !?
 何のためにあんたを呼んだと思ってるのよ! ほら、カメラ構えて!」
「せ、先生、ホントにどうしたんですか……?」
「早くしなさい。あたしの言うこと、聞けないの?」

升田は一旦啓一から離れ、恵に予想外の言葉をぶつけた。
「あたしに逆らったら世界史の点数は0点になるわよ。あんたも追試受けたい?」
「ええっ !? な、なんでそうなるんですか! 横暴です!」
「嫌なら大人しくカメラ回しとくのね。それに、あんたも興味あるでしょ?
 いつも無愛想なこの女のエッチな場面なんて、滅多に見れるもんじゃないわよ」
にんまりと口を三日月の形に開き、奇妙な台詞を放つ升田。
まるで別人になってしまったかのような女教師の変貌ぶりに、二人は声も出ない。
升田は訝しがる兄妹を満足げに眺めながら、自分の服を一枚ずつ脱いでいった。
上着から腕を引き抜き、厚手の白いシャツを脱ぎ捨て、膝丈のスカートを床に落とす。
そして露になった自分の下着姿を見下ろし、彼女は感心した様子で言った。
「へー、意外とエッチなもんつけてるじゃない。やっぱ新婚だからかな?」
腰のベルトから吊り下げられた、薄いベージュのガーターストッキング。
ショーツとブラジャーはそれよりやや濃い色で、派手なフリルのデザインだった。
細身だが尻や胸の肉づきは決して悪くなく、柔らかな体のラインがありありとわかる。
恵や真理奈とは一線を画した妖艶な裸体から、啓一は目を離すことができなかった。

「な、なんで脱ぐんですか、先生……」
「そりゃー、今からあんたと楽しいことするからに決まってるじゃない。うふふ♪」
「そ、そんな……やめて下さい……」
「ふーん、まだそんなこと言うんだ。あんたたち、一緒に破滅したいの?」
紅の入った自分の唇をぺろりと舐め、升田が笑う。
「今ここで大声出したら、あんたたち、どうなると思う?
 しかもビデオなんて回しててさ。二人がかりであたしに乱暴して、
 その映像を脅迫材料に――なんて思われちゃうかもね」
「そんな……!」
二人は歯噛みして、女教師をにらみつけた。
冷静に考えれば、カメラの中には升田が啓一を誘惑するシーンが収められているため、
そのような展開はありえないはずだが、それでも教師との淫らな関係を疑われ、
今まで模範的な学生だった啓一の名前に傷がつく可能性はあった。

二人を追い詰めるように、升田が続けた。
「それにあたしは知ってるのよ? あんたたち兄妹が、実は好き合ってるってこと。
 血の繋がった実の兄妹、双子同士で犬みたいに絡み合って……やだやだ、不潔だわ」
「!? ど、どこでそれを……!」
啓一と恵、双子の兄妹の間に戦慄が走った。
確かに彼女の言う通り、周囲に内緒でこっそりと恋人つき合いをしている二人だが、
その関係を知る者は極めて少数で、彼らとほとんどつき合いのない升田が、
このことを知っているはずがなかった。
女教師は、自分の豊満な乳房をブラジャー越しに撫で回しながら、彼らに問いかけてくる。
「わかんない? まだわかんないの? あたしのことが」
「…………」
啓一はにやけ顔の升田を見返し、思案に暮れた。
とにかく事態が異常すぎて、なかなか理解が追いつかない。
突然升田に呼び出され、彼女から肉体関係を強要されつつあるということ。
彼女は人が変わったように非常識な態度を見せ、さらに啓一と恵の関係も知っているということ。
そして最初に話題に出てきた、加藤真理奈の追試の件。

加藤真理奈。その名前に啓一は引っかかるものがあった。
彼女はたしか、奇妙な薬を持っていたはずだ。
飲んだ者同士の精神を入れ替える、不思議な錠剤。
真理奈はそれを使い、よく悪戯を繰り返していた。
ということは、まさか――。彼はようやくその結論にたどり着いた。

「あんたもしかして、加藤さんなのか……?」
「ピンポーン♪ やっとわかったわね、遅いわよ?」
升田は下着姿のまま腰を振り、その場で得意げにくるりと一回転した。
とても普段の彼女からは考えられない、分別を欠いた行動。
自分たちとほとんど接点のない彼女が、二人の重大な秘密を知っている理由。
それらは全て、升田の姿をしたこの女の正体が学年一の迷惑娘、
加藤真理奈であるとすれば納得がいく。
おそらく、またあの薬を使って升田と入れ替わったのだろう。
しかしそれにしても、なんと迷惑なことを。啓一は歯軋りせずにはいられなかった。

対照的に、升田は楽しくてたまらないといった様子で不敵に笑っている。
「新しい薬が手に入ってさ。
 今度は入れ替わるんじゃなくて、あたしが一方的にこの女の体を使ってるの。
 すぐバレるかと思ったんだけど、意外とあんたたちも鈍いのねえ」
「なんで……なんで加藤さん、こんなことするの?」
律儀にカメラを構えたまま、恵が問う。
「だってこの女、前々からうるさかったし、あたしを捕まえて追試受けろとかウザすぎなんだもん。
 だからこうして弱みを握って、楽していい成績をいただいちゃおうってわけ」
「弱み?」
「そうよ。新婚ホヤホヤの女教師が教え子に手を出すなんて、面白いネタだと思わない?
 学校に暴露するって脅してもいいし、旦那さんにバラすって脅かしてもいいし、
 どっちにしても、なかなか楽しいスキャンダルだわ」

つまりは、ここで升田の姿をした真理奈と啓一が性を交え、
その現場を撮影して、後で升田を脅迫しようというわけだ。
たかが学校の成績一つで、まさかここまで大それたことを考えるとは。
そのやり口に顔が青くなった二人は、何とか彼女を説得しようとするが、女教師は止まらない。
「せ、先生を脅迫するつもり…… !? そんなことやめようよ、加藤さん……」
「そうだよ、もしバレたら進級どころじゃない。大人しく試験受けよう、加藤さん」
「何言ってんの。今のあたしは正真正銘、あの偉そーな女教師なのよ? バレるわけないじゃん。
 だいたい追試とかさー、あたしがまともに勉強するとか思ってる?
 まあそういうわけだから、あたしが無事に進級するためにも、ね、協力してちょうだい」
「勉強するなら手伝うからさ……お願いだ、加藤さん。こんなことやめてくれ」
「イ・ヤ♪ さあ水野君、先生と愛し合いましょ……ふふふ」
半裸の升田が自分の胸を揉みながら、啓一に近寄っていく。

恵はカメラを机の上に置くと、双子の兄を助けようと立ち上がった。
「加藤さん、馬鹿なことはやめて! このことは誰にも、先生にも言わないから、やめなさい!
 追試に受かりたいからって、何もこんなことする必要ないじゃない !!」
「成績の話だけじゃないわ。はっきり言っとくけどね、あたしはこの女が大嫌いなの。
 年増のヒステリーの分際で、この真理奈様にケンカ売ろうなんて百万年早いわ」
「加藤さんっ! いいからやめるんだっ!」
狭い室内で、恥じらいもなく下着姿になって妖艶に笑う女教師と、
それを挟んで説得を続ける二人の生徒。

三人の口論を中断させたのは、突如として部屋に響いた、穏やかな声だった。
「まあまあ。二人とも、いいじゃないか。たまには真理奈さんにつき合ってあげなよ」
「…………!」
その声に三人が振り返ると、粗末なパイプ椅子の上に、あの少年が優雅に腰かけているのが見えた。
いったいいつの間にこの密室の中に侵入したのだろうか。
常ながら人知を超えた、非常識な存在である。
双子は少年に気づくと、どちらも納得した表情を顔に浮かべた。
「そうか……加藤さんをけしかけたのは、あんただったのか……」
「その通り。ちょうど以前の薬を改良したから、つい試してみたくなってね。
 啓一君は覚えてるかい? 君の叔母さんが従妹の希ちゃんに乗り移った、あの薬だよ」
「あのときの……!」
彼の言葉に、啓一は思わず唇を噛んだ。
以前、彼が叔母の家に立ち寄った際、叔母は謎の薬を飲んで実の娘、啓一にとっては従妹にあたる
希という少女に乗り移り、そのまま成り行きで啓一と交わってしまったのである。
あのときは半信半疑だったが、この少年が裏で手を回していたと聞けば納得がいく。
しかし自分たちどころか、その親戚まで薬の実験台にされていたとなれば、
とても愉快な気分にはなれなかった。

升田は少年と啓一を見比べ、怪訝な顔をしている。
「なんだ。あんたたち、知り合いだったの?」
「うん。啓一君も恵さんも、僕の大事な友達だよ」
「…………」
啓一と恵は、反応に困るとでも言いたげに肩をすくめた。
過去、彼ら兄妹とこの少年の間に、いったい何があったのだろうか。
升田は多少の関心を示したが、今の彼女にはそれよりも優先すべきことがあった。

「ま、来てくれたんならちょうどいいわ。
 あんたからもその二人に言ってやってよ。この女教師をハメ撮りするから手伝えって」
「ということらしいよ?」
少年は椅子に腰かけたまま、啓一と恵に笑いかけた。
男であれ女であれ、見る者を虜にしてやまない美貌が、柔らかく微笑して言った。
「君たちに迷惑はかけないようにするから、ぜひ協力してくれないかな」
「いや、でも……」
「だって、先生の体を勝手に……」
「大丈夫だよ。君たちの身の安全は、僕が保証するとも」
二人は顔を見合わせた。この少年は基本的に嘘はつかない。
安全を保証すると言ったら、本当に後腐れのないように取り計らってくれるのだろう。
だが、自分たちが教わっている教師をもてあそんで脅迫するなど、
二人とも、そう簡単にうなずくことはできなかった。
一方、少年と升田――女教師の姿をした真理奈のしつこさはそれ以上だった。
「ほら、何事も勉強だよ。それに友達を助けるためでもあるんだよ?」
「いいからあんたたち、手伝いなさいって。さもないと絶対に後悔させてやるんだから」
「…………」
結局、啓一と恵は二人揃って、ため息をつくしかなかった。

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最終更新:2009年10月31日 17:57