186 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/10(木) 22:05:38 ID:c9jjP3zj
「四十年証文」
古い魔術の産物に「四十年証文」というものがある。
当事者双方の合意があってはじめて効力を発揮する証文なのだが、その
効力は文字通り目をみはるものがある。
一方は、おのれの持っている若さと青春とをもう一方に与えて、もう一
方はそれをそのまま受け取り回春するのである。その時間が四十年である
からこそ、これは「四十年証文」と呼ばれるのである。
さて、ここにその魔術がよみがえった好例がひとつある。
薄幸の少女マリアは難病に苦しむ母親の治療費を全面的に肩替りしても
らうかわりに、某大手物産会社の会長夫人シズカと、この証文による約定
をかわしたのであった。そして、同時にマリアはシズカの住む館のメイド
として働くことになったのであった。
都心からわずかに離れた閑静な住宅街の東南に、その館は古くから威風
を示して存在していた。
そして、その重厚な戸を開け放って、陽のふりそそぐ表へと歩をすすめ
てきたのがこの館の主である三田村シズカであった。颯爽とした長身にタ
イトなスーツを着込んだその体型には寸分の緩みもなく、またほほやあご
にも弛んだ様子はまるでうかがえない。大きく張り出した胸とひきしまっ
た腰と、そしてスーツの下にのぞく白くかがやくような素足とが印象的な
美女であった。
瞳には理知的な光をたたえており、唇は深紅の艶を放っている。まさに
人生の春を存分に謳歌する美女であるが、彼女が今の若さを手に入れられ
たのはわずかに一週間前のことだったのである。
187 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/10(木) 22:10:25 ID:c9jjP3zj
彼女の古い友人で、骨董好きの人間から冗談半分で譲り受けた古い羊皮紙
は、本物の魔性を持っていた。
そのことを悟った彼女がとった行動は実に迅速なものであった。
興信所に手をまわして、一人身に住んでいる若くて美しく、そして金銭で
困っている娘がいないかを調べあげさせて、そして手に入れた情報というの
が水元マリアという娘だったのである。
母一人、子一人のむつまじい暮らしを過ごしてきた彼女に突然にふりかか
った災難が彼女の母の難病だったのであった。
卒業を間近にひかえた高校を自ら退学し、昼も夜もなく働く彼女ではあっ
たが、しょせんは細腕のわざに過ぎず、希少な薬剤ひとつをまかなうにも事
欠く有様だったのである。
そこへ、シズカは交渉をもちかけたのであった。
マリアにとっては思いもかけない申し出であり、半信半疑の心持ちであり
つつも、自分に対してこんこんと話を重ねる老婦人の熱意と、そして母親の
介護への全面的な支援の約束とを受けて、彼女は証文にサインをしたのであ
った。
魔術の効果はあらたかなものだった。
証文にサインをし終えた二人の身体はみるみるその様相を変貌させて
いったのである。
六十五歳という老境にあったシズカの肉体は、細かな震えを伴いなが
ら上へ上へと持ちあがっていった。 顔全体にめぐらされていた皺や老
斑は、大きいものから細かなものまで全てが消失し、かわってバラ色の
彩りが歓喜にほころぶ顔全体にほどこされていった。
崩れていた体型はみるみるうちに補正されて、胸元を大きく張り出し
そして臀部を引き締め、そしてせりあげて、あれよあれよと衣服の着こ
なしをも乱れさせていったのだった。
そしてその変化の波は、十七歳の哀れな少女をものみこんでいった。
くたんっ、と大きく疲労感のかたまりが彼女の身体の奥深くからつ
きあげてきたかと思うと、全身の肉は残らず弛み、今までになかった
前、横腹部の張り出しなどを衣服のシルエットに浮かばせていた。
つややかな髪は灰色に濁っていき、そして指先から少しずつ潤いは
失われていき、目はくぼんで、頬はゆるみ、体型全体が下へ下へと押
し下げられていったのだった。
老女は美女へと、少女は大年増へと、それぞれ変貌していったので
ある。
結果、今のシズカは女性の人生でもっとも美しいとされるヴァンサ
ンカン(二十五歳)へと若返り、そして恋も知らなかった処女マリア
は、五十七歳という老境へのきざはしへと、不自然きわまる手段によ
って乙女には思いもよらない変貌をさせられてしまったのであった。
188 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/10(木) 22:21:04 ID:c9jjP3zj
「いってらっしゃいませ、奥様」
うやうやしく頭を下げたのは、メイド服を着た初老のマリアであった。
彼女はシズカの屋敷のたったひとりの使用人だった。
シズカは悪評高いわがままな性質だったために、もうずいぶんと前に夫
に別居をつきつけられ、そしてここに一人暮していたのだが、どんなに高
給をその使用人に与えても、彼女の苛烈な扱いに耐え切れなくなって逃げ
出してしまうのであった。それは男でも女でも、老いも若きもだった。
しかし、今のマリアにとってはそれでもここで働かせてもらえるという
ことがとても魅力的なことのように思われたのだった。
なにしろ、ここにいれば今までの彼女を知る者に会うことはないのだか
ら、恥ずかしいなどと思うことは何もないのだ。そして、同じく苦境にい
る母親にも、余計な心配をさせなくて済む、と。
思えば不思議に力が湧いてきた。掃除も洗濯も、庭木の剪定にも、その
他に彼女が今までにしたことのなかったどんなことにも立ち向かう勇気が
生成されていくのであった。
シズカは、いつも通りに古い愛車を自分で運転して出かけて行ってしま
った。帰りが何時頃になるなどとは伝えてはいないし、夕食をいつにしろ
という指図も、いらないという連絡さえも寄こすことはないのだ。そして
そのことについて少しでも訊ねようとすれば、遠慮のない不興をぶつけら
れることになる。
マリアはシズカの下で働いてわずか三日でそのことを頭に叩き込んだの
である。
もちろん、今までの自分の若い身体でないという事実は彼女を容赦なく
傷つけていた。
屈伸をしようとすれば膝ががくがくと笑い出すし、靴の紐を結ぼうとす
るにも立ったままにすることは困難になっていた。何もないところでつん
のめるのも足が思うように上がらなくなっている証拠だった。
シャワーを浴びるときなどにも、なるべくは鏡を直視しないようにして
いた。見ればきっと傷つくことが次々に出てくることがあるのはわかりき
っているのだから、この身体に慣れきるまでは見ないで正解なのだと彼女
は割りきっていたのだった。
『それに、まだまだ人生これからだしね』
割り切りこそが、活力のみなもとであった。老いたとは言っても、まだ
五十代なのだから、平均的な女性の寿命までにはまだ三十年近くも猶予が
ある。それに、腰だってまだ曲がってはいないのだ。
意志ある人間は老人ではない。それを彼女はこれまでのわずかな人生の
なかでおのずと体得していたのだった。
189 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/10(木) 22:34:14 ID:c9jjP3zj
辺りは夕闇に包まれていた。
庭先で大きく車のクラクションが鳴らされたことが、シズカの帰ってきた
合図である。洗濯物を取り込んで、夕餉の支度を済ませてうつらうつらとし
ていたマリアは飛び起きて彼女のもとへと飛んでいく。
「トランクの中のもの。いいわね?」
口ぶりはぞんざいだったが、機嫌は悪くないようだ。ほっとしてマリアは
いそいそとトランクから重い紙袋を取り出して屋敷へと運んでいく。
もちろん、シズカはそれに構う様子もなく一人でさっさと屋敷に入ってし
まい、そして靴も放り出してさっさと自室へと戻ってしまう。実年齢にはそ
ぐわない行儀悪さだった。
『どうせ、また高いお召し物でも買っていらしたんだろうなぁ』
と、苦笑しながら想像するマリアだったが、その思考のなかでまで、しっ
かりと敬称でシズカを位置づけるあたり、マリアも使用人としての適性のあ
る人間だったということである。
風呂につかり、軽めの夕食を終えるとシズカはマリアを自室へと呼び寄せ
た。妙に言葉に弾みがあるときは、この女主人の悪い癖のはじまりの時なの
である。
「はい、ただいま参りました、おくさ……」
マリアが絶句しかけたのも無理はない。シズカはその豊満な肢体を何ひと
つ、つつみかくすことなくベッドに腰掛けていたのである。
「ふふ、来たわね、マリア」
愉悦に口の端をわずかに吊り上げて、シズカは先ほどの紙袋からいくつか
の布切れを取り出していた。
「今日は私、下着を買ってきたんだけど、どんなのが似合うのかお前の意見
も聞いてみたくてね、それで呼んだのよ」
インナーを買ってきて、試すというのはもちろん口実である。
そして、実際にしたかったのはどういうことかというと……
「着けるのを手伝いなさい」
そして立ち上がり、全身が映る大きな鏡台を前に白い背中を彼女に向ける
と、そのまま腕組みしてマリアの動作を待っていたのだった。
190 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/10(木) 22:40:31 ID:c9jjP3zj
若返った自分の弾力のある素肌を、胸を、腰を、見せつけたかったのであ
る。そして、それらを奪われて老いて悔しい思いをしているマリアに、羨望
と嫉妬の心とを植え付けてやりたかったということである。
「ふん、どうしたの。さっさと手伝いなさい」
しかし、そんなシズカの思惑と、マリアの反応とはまったくちぐはぐなも
のだった。
「うわあ、奥様って本当にとても美しいおからだをされてらっしゃるんです
ねえ……」
心から感心したように、溜め息まじりにマリアは賞賛の言葉を口にしてい
た。
「えっ? ああ、ありがと……」
目を輝かせるマリアに毒気を抜かれてシズカは一瞬、ひるんでしまってい
た。
「これなら、どんなデザインの下着でもお似合いだとは思われますが、どう
でしょう。まずはこれから試してみませんか」
そして手にしたのはサーモンピンクに緑の縁取りのほどこされたブラジャ
ーとショーツだった。
もちろん、若い主人は足を軽く持ち上げるだけ、あとの全ての作業は老い
た使用人がすることになる。
「さあ、どうでしょうか」
上下を着けおえた若いシズカは金色に輝く髪を両手でかきあげていた。こ
の髪の色は、もちろん彼女が若返った後に染色したものだということを付け
加えておく。
「まあ、こんなものかしらね……」
言葉とは裏腹にシズカの表情は紅潮していた。
張りのあるしなやかな肉体は、一切の無駄な部分が無いかのように思われ
た。胸元もずいぶんと弾力が戻って大きくなったものだな、と自分のことな
がらに感心してしまう。以前に着けていたトップスは胸元を支えるためのそ
れであったが、今のこれは一個の完成した調度品にアクセントを添えるだけ
ものなのだ、と。
後ろに微笑んでいるマリアがいなければ、顔全体で笑うところなのだが、
今はひくひくと片頬で笑うに留めておくばかりである。
「はあ、素敵ですねえ。まるでトップモデルさんですよ」
つややかなシズカの後ろ姿に、ほう、とマリアは思わず息をこぼす。
「ま、そりゃあ私だって昔は銀幕の主演を担ったこともあるんだから、この
くらいは当たり前なのよ」
と、ついつい喋らなくてもいいことまでシズカは口をついて出てしまう。
「銀幕って、奥様は女優をなさっていたのですか?」
その言葉に、マリアは目をくりくりとさせて食いついてきた。
はあ、と溜め息をつきつつシズカは面倒だと思いつつも自分の来歴につい
てを彼女に語っていた。
「たった二作品だけよ。それもどちらも同じように黙って微笑んで、それで
死んでいくだけの薄幸のヒロイン。ひどく、つまらない役どころだったわ」
「でも、それでもすごいことですよ。みんなの目に触れて惹きつけるお仕事
なんて、できるような人はかぎられていると思われますもの」
目を輝かせてマリアは賛辞を口にする。
すっかり話がそれてしまったところで、シズカはもう沢山だとばかりに大
きくくしゃみをした。
「あらあら、すみません。このままではお身体が冷えてしまいますね」
あわててガウンをクローゼットから取り出そうとするマリアを制止して、
シズカは一言。
「もう寝る」
半裸のままに興ざめの主人は肌掛けにくるまって、ごろりとベッドに転が
りこんでしまう。その様子がなんだかとてもほほえましく思えて、思わずマ
リアはクスリ、と声をこぼし、目を細めてしまったのであった。
「おやすみなさい、奥様。どうぞ良い夢を」
五月のころ、それは月の明るい夜の一幕だった。
最終更新:2009年12月12日 22:47