199 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/18(金) 00:21:48 ID:yIIadQBi
「闇姫様」
茂作とその娘お吉が急なお達しで城に呼ばれたのは夕暮れのほどのことであ
った。
城の広間に二人を一刻ほども待たせてから姿をあらわしたのがこの城の主、
宇和剛徳その人である。還暦をすぎても近隣に積極的に戦を持ちかけて領土を
押し広げていく固肥りのこの男には、やつれの色もまるでないことであった。
「その方ら、よく来てくれたのう。苦しゅうないぞ」
と、どっかりと壇上に腰を下ろし、持っていた扇子で面を上げるよう促す。
待っていた二人は足もしびれるし、尿意も近づくし、と苦しいことこの上無
いのだがしょせんはお偉いさまの知ったことではない。
「へへえ、お殿様におかれましてはますますのご健勝、まことにもって祝着な
ことと存じます」
這いつくばるようにして辞儀をする茂作は城の用人としては最下層であり、
このように直接の思し召しなど、普通には考えられないのだ。
だから、これは普通の用向きではないのだ。と、ひそかに茂作は心音を速め
ていたわけである。
横に並んだ愛娘、お吉にこそ用があるのだ、と。
お吉は齢は十六歳。長い睫毛の中にぱっちりとひらいた瞳は玉のように輝き
形のよい唇は、白い肌の中に花びらのようであった。愛くるしい容貌と、人好
きのする性格が相まって、求愛してくるものは後を絶たない、茂作にとっては
まさに掌中の玉なのであった。
「おう、たしかに俺も体調は悪くないのだが、だが、それでも悩みの種という
ものがちくちくと臓腑のあたりを痛みつけるものだからな、それでそなたの力
を貸してもらおうというわけだ」
ほうら、来た。茂作とお吉はびくん、と身を竦めた。
こんな年端もいかない娘に自分の愛妾になれというのか、それとも自分の息
のかかったもののところへ無理やり嫁がされるのか。
ところが、宇和の殿の口にした言葉は二人の想像を絶することだった。
200 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/18(金) 00:25:28 ID:yIIadQBi
「いや、悩みというのはの、うちの綺羅のことだわいな」
はあ、と茂作は息をこぼした。
綺羅姫は、名前こそは立派であるがその顔立ちは異様そのもので、ごつく節
くれだった大きな顔の中に二つの小さな目が外側に離れて付いており、また鼻
はぐっと下のほうに突き出て下あごがやたらと飛び出している大したご面相な
のである。居姿はたおやかで、声も甘やかに可愛らしいのに、かえって短所が
浮き彫りになっている寸法なのである。城下の口さがないものなど『牛姫様』
などと陰口をたたくほどであるが、無論、そんなところを告げ口されればその
者の打ち首はまぬがれない。彼女は宇和の殿から、まことにもって溺愛されて
育ってきたのであった。
「ええ、たしか次の春には姫御は筧の若様のところへ輿入れされるのですな。
まことにもってめでたいことで……」
政略結婚といったらいいものか、筧の国は宇和の下になびくところであり、
どんな難儀なことでも頼めば聞かざるを得ないという子分のような存在なので
ある。
「それよ、それ。その縁談のことで頭が痛いのよ」
たたんだ扇子で背中をかきながら宇和の殿は苦い顔を作った。
「じつは筧の嫡男とやらのことなのだがな、どうやら相当に造作のよくない顔
をしておるようで、うちの綺羅もこれではどうにも好きになれないとこぼして
おるのよ」
はあ、と茂作はこぼした。それはお互い様では、と思わず言ってしまいそう
になったが、それはなんとか引っ込めることができた。
「そこで、だ。そなたの娘、お吉をだ。呼んだ次第よ」
おずおずと、それでもなんとかしっかりとお吉は口を開いていた。
「それでは、私めに姫様の身代わりに筧に嫁げということでしょうか?」
すると、宇和の殿は渋い顔を作って首を振った。
「いやいや、それでは綺羅の輿入れを待ちわびる筧のものにも申し訳がないと
いうもの。さりとて俺も可愛い綺羅を無理に嫌がる相手に嫁がせるのはしのび
ない」
そこで、宇和の殿は立ち上がり、奥の襖をぱんと開け放った。
「そこで、八方を収める秘策を思いついたということよ」
そこには静かに端坐する牛姫ならぬ綺羅姫の姿と、その横には白装束に白覆
面という全身白づくめの男とが控えていた。
201 名前:名無しさん@ピンキー[] 投稿日:2009/12/18(金) 00:26:25 ID:yIIadQBi
「ここなる男こそは、かの高名な山田流の忍びである。茂作よ、そなたも聞き
及びあろうが」
茂作は、山田流と聞いてもしばらくはぽかん、と呆けるばかりであったが、
次第にその使う術の荒唐無稽なことにおいては右に出るものなし、とうたわれ
た妖術使いの一派のことを思い出していた。
「左様、それがし右弦實甲斉と申す。流れの忍びにござるよ」
初老の白覆面は、低い声で自己紹介をした。
「ここな忍者めはなんと人の面相を切り取って付け替えるという神技を会得し
たものなのよ。俺もこの目でその技を確かめるまでは信じられんかったがの」
顔を、と宇和の殿が口にしたところでお吉はひいっ、と悲鳴を上げていた。
「いやいや、心配にはおよびませぬぞ。それがしの技ならばひとすじの跡さえ
も残さずに姫様のお顔とそなたの顔をそっくりそのまま入れ替えることが可能
なのです。そうですな、もともとそれぞれがその顔であったかのように、ごく
自然に」
言いつつ實甲斉は懐から小さな錐やら小刀やらが入った胴巻きを取り出して
いた。つまりはこれが手術道具ということなのだろう。
「それでお互いの顔を交換した後に、そなたの娘お吉を綺羅姫として筧へと輿
入れさせる。そして本物の綺羅はしかるべき相手が見つかるまで、もう一人の
俺の娘として手元に置いていくという算段よ。どうだ、妙案であろう?」
お吉は息も止まらんばかりである。彼女には女としての自信と、自由とを両
方差し出せと言われているのだ。
茂作も目を白黒させながら甲高い声で反論する。
「い、いや……いかにその術をもってなさいましても姫様のお顔と、うちの娘
のとでは大きさがまるで違いますゆえ、無理にございましょう!」
すると、意を得たりとばかりに宇和の殿はもう一つの奥襖を開け放つ。
すると、そこに現れたのは端坐する若侍の姿であった。
しかし、異様なのはその頭である。にぎりこぶし二つ分くらいに竦められた
頭には呆けたような赤子の表情が載っていたのであった。あたかも、それがま
るでもともとそこに収まっていたもののように。
今度こそ、お吉は完全に失神してしまっていた。
「いやいや、これは好都合。これで楽に術が進められるというものです」
淡々と言い放つ白覆面の底に目は異彩の光を放っていた。
「うふふ、わたくしもこの顔を失うことは本当に辛い事ですけれど、それでこ
の難を逃れることができるのでしたら耐えてみせましょう。慣れない顔では不
自由なこともありましょうが」
言いつつも綺羅姫の小さな二つの目は笑み細められていた。お吉の顔を自分
の手にとって、いろいろな角度からその愛らしさを眺めまわしている。
「よし、これで事は成るな。お吉には綺羅の顔を下賜することとし、作法など
伝授の後に筧へと嫁がせることにする。よいな、茂作よ」
否も応もなかった。すでにしてお吉は襖の奥へと運び去られ、宇和の殿も席
を立っていってしまった。
その場に残されたいくばくかの金子を前に茂作は愛娘の過酷な運命を想って
号泣に暮れたのであった。
おしまい。
最終更新:2009年12月24日 17:06