投稿日:2010/01/30(土)
かじかんだ指先に血液を通わせるために、手を何度か握って開くを繰り返し、息を吹きかける。
その、空中を漂った白いもやは、迷うようにたゆたっていたが、すぐに霧散した。
時刻は朝の三時過ぎ。御堂桜は、正直後悔していた。
(追加料金貰わなきゃ……これは)
時間外にも程がある。明日――いや、既に今日は、桜が通っている高校は休みだからいいが。
(まさか、三日続けて朝帰りとは思わなかった……昼間は学校あるし……)
「あっ!」
突如、すぐ近くにいた男が声をあげる。桜は、彼に向かって顔の前で人差し指を立てると、
あからさまに責める視線を向けた。
それから、隠れていた物陰から顔を出し、目標の家を見ると、桜と同じ年頃の女が、
門から入るところだった。
それを確認し、物音をたてずに、そっと塀の間から抜け出る。
向かう家の門にたどり着き、鍵を開けようとしている背中に告げる。
「おかえりなさい。上山唯さん」
大げさな挙動で、こちらに振り向く、桜の高校の上級生――上山唯。
もっとも、桜との面識はまるでないが。
「そんなに驚かなくても。こんな時間に帰ってきて、やましいことでもしてたんなら、
仕方ないかもしれませんが」
「……あんたは?」
「藤堂大輔さんに、あなたを元に戻して欲しいと頼まれたものです」
探るような視線の唯だったが、途端に嘲るように言ってきた。
「はっ!あの粗チンか!じゃあ、あんたは探偵かい?にしちゃ随分若いようだけど」
喋っている姿は紛れもなく――写真で確認もした――上山唯のものだし、声も彼女の肉声に間違いない。
しかし、喋り方や雰囲気は、事前に聞いていたように、彼女のものとは大きく異なっているようだ。
「探偵ではありません。わたしは、御堂桜と言います。唯さんの後輩ですよ」
こちらが名乗ると、相手の表情は一変した。今度は、自らの頭の中を探るものに。
「御堂……桜?……二年の?」
「はい」
一歩、足を門の中に踏み入れる。途端に、唯がありえない跳躍をし、塀を飛び越えようとしたが、
空中で何かに阻まれ、地面に落下した。
「噂の祓い屋か!」
「はい」
背を塀に向け、こちらを睨みつける唯――と、その中にいる悪霊に、唯は笑いかけた。
「はい、完了です」
しかし、その言葉を聞いている人物はいなかった。
「唯!唯ぃ!」
「大……ちゃん」
正気を取り戻した彼女と、それに抱きつく一緒に物陰に隠れていた男。
できればそういうのは後にしてもらいたい。
(早く帰りたいんだけど)
あくびをかみ殺せず、口から出て行くままにして、その男――藤堂大輔が落ち着くのを待つ。
「あの――ありがとうございました!」
やっと大輔がこちらに顔を向けた時には、ちょうど一番でかいあくびをしていたところだった。
そのため、とても焦った。表情は取り繕えても、口の前にある大きな白いもやは見られただろう。
「い、いいんですよ、先輩。仕事ですから。それで、後払いなんですけども、
今日はもう遅いので、後日ということで」
とっとと終わらせたい。言葉はつい早口になった。
「あ、あと、これ御守りです。持っててください。それじゃ」
ぼっとして、いまいち状況が把握できているのかどうかわからない唯の手に、
小さな袋を押し付けて、唯はそそくさとその場を後にした。
「ただい、まぁ……」
できるだけ音をたてないように扉を開けつつも、つい言ってしまうのは、習慣だからだろうか。
こんな時間に娘が帰宅すれば、普通の親は心配するのだろうが――あの上山唯のように――、
桜は訳あって親元を離れ、従兄の家に住まわせてもらっている。
ならば、その従兄が心配するのではないかという話だが、事前に話は通してあるから問題はない。
どう歩いても音がなる古臭い階段には辟易するが、どうやら従兄を起こすには
いたらなかったようだ。
やっと自室にたどり着き、明かりをつけて、羽織っていたコートを脱ぎ捨ててから一息つく。
そのままベッドに直行し、身体を投げ出して仰向けになった。着替えるのも億劫だが、
このまま寝るわけにはいかない。起きてから泣くのは自分だ。
「よっ」
不思議な浮遊感に襲われる頭が飛んでいかないようにこらえつつ、なんとか寝間着に着替えた。
ボタンの一つも、かけ間違えたかもしれないが。
とにかく着替えを終えて、今度こそと布団に潜り込む。
しかし、眠気は襲ってきているのだが、なかなか寝付けない。仕方ないので、
働かない頭は邪魔でしかないが、つらつらと考えごとに意識をかたむけた。
(あの悪霊、強かったな……完全に滅しきれなかったかも……)
気配は完全に消えたし、結界の中にいたのだから、逃げられるわけはないのだが、
妙に手応えがなかった。それに、
(笑っ……てた……)
自分がそう感じただけかもしれない。滅する直前は、既に唯の身体からはじき出していたのだから。
(そういえば……上山さん……なんか……変……だったな……)
悪霊は祓ったというのに。とり憑かれていた直後だから、ぼっとしていたのかと思ったが、あれは、
(寂し……そう……?残念……そう……だった)
彼氏に抱きしめられている時でさえ。
(もう……だ……め……)
疑問は尽きないが、ついに限界がやってきた。続きは明日でも構わないだろう。
桜は安らかな眠りに身を任せ――
「あんたの想像通りだよ」
眠っているはずの桜の口が突然言葉を発し、口元が唯が浮かべた嘲笑とよく似た形を作ったが、
深い眠りに落ちた桜は気づかなかった。
最終更新:2010年02月02日 20:41