投稿日 2010/03/08(月)
それが起きた原因は、間違いなく、私の言葉だろう。
だから、あれは自業自得なのかもしれない。しかし、あんなことになるなんて、
それを口にした当時の私はもとより、他の誰にも予想はつかなかったはずだし、
そもそも自業自得と言うには、理不尽すぎる。
その言葉とは――
「あんなの、気持ち悪いだけでしょ」
というものなのだが、これだけでは、当事者以外にはなんのことか分からないのは、
仕方のないことだ。TPOをわきまえた結果である。しかし、
「それは咲ちゃんが、気持ちいいセックスをしたことがないからだよ!」
……馬鹿じゃないだろうか、この子は。人が、わざと言わないようにした単語を、
べらべらと。
「咲ちゃんが今までどんな経験してきたのか知らないけど、わたしと健ちゃんの
愛の営みに比べたらままごとよ!セックスっていうのはねぇ――」
ああ、馬鹿だ。間違いなく馬鹿。本当に馬鹿。常々感じていたけれど、やっぱり
馬鹿だった。頭と背の養分を、胸に取られているという噂は伊達じゃない。
科学的な根拠はなにもないのに、私もついうっかり信じかけた話だったが、
今こそ確信できる。
その馬鹿に、私は冷静に対処した。悲しいかな、彼女の反応は予想の範疇だったからだ。
未だ熱弁をふるう篤子に向かって、私はきっぱりと告げる。
「ここ、教室よ」
「それが――え?あ、あう……」
途端に身を縮める篤子。胸は出っ張ったままだが。
そう、私たちがいるのは、クラスメイトひしめく、休み時間の教室である。
幸い教師は不在だが、いつ来てもおかしくない時間だ。
その中で、篤子は声高に先ほどの台詞を叫び、あまつさえ机を強く叩いて身を乗り出した
ものだから、教室中の視線を一身に集めた。
当然、話し相手の私にも視線は注がれているが――まあ、どうでもいい。もう慣れた。
とにもかくにも、これが全ての始まりだった。
「だからぁ、セックスっていうのはねぇ――」
再び休み時間――次の授業が終われば、昼休みだ。
篤子は、口に手を当てて、声をひそめているつもりらしいが――意味がない。
彼女の声はよく通る。
また、こちらをちらちらと覗いてくるクラスメイトらの視線が、気にならない
わけではないが、彼らを含め、周りの全てを無視して私は空を見ていた。
どんよりとした雲は、朝から降り出しそうで、なかなか降らない。帰りまでもてばいいけど。
「咲ちゃんって、西野君も斉藤君も向こうから告白してきて、咲ちゃんに自分は
必要ないんだって向こうから離れていったんでしょ?いくらもてるからって、
自分も愛する努力をしなきゃ」
「なんなら、健ちゃんに誰かいい人いないか聞いてみようか?咲ちゃんって
どんな男の子が好みなんだっけ?」
昼休み――もはや誰も気にしない。
私は取り出した弁当のおかずに一通り口を付けて、その出来に満足していた。
毎朝お弁当を作るのは面倒だが、もはや習慣だから仕方ない。まあ、大体は昨夜の
夕食の残りだ。
それに一番の理由は、離婚して、幼い私を女の細腕ひとつで育て上げた母の負担を
軽くするためだし。
その母も、今頃私が作った弁当を食べている頃だろうか。
「健ちゃんと同じバスケ部ならねー、山田君とかわたしの一番おすすめだね!あとはー」
「そうだ、咲ちゃんにも彼氏できたら、みんなでどっか出かけようよ。泊まり込みでさ」
今日、最後の授業――数学だ。教師も生徒も、みんな集中している。たった一人を除いて。
中間テストはもうすぐそこだ。高二最初のテストに、皆張り切っているのだろう。たった一人を除いて。
私語など誰もしない。たった一人を除いて。
「それでさあ、夜はみんなで……やだ、恥ずかしい。でも、ちょっとらん――」
「先生、黒板の記述が間違っています」
「あ、ああ、すまんな、早川」
早川。私だ。
「あーん、でもぉ、健ちゃん以外に裸見られるなんて」
「とにかく、咲ちゃんは早く彼氏作って、愛のあるセックスを経験すべきだよ!」
「じゃ、私部活あるから」
放課後――やっと解放される。
私は、水泳部員だ。屋外に存在するプールにはまだ入れないが、もうすぐ解禁。
それまでは、体力作りがメインである。
「え?あ、ちょっと待ってよ。部活終わったらうち来て。今日バイトないんでしょ」
「なんで」
とっさに出た言葉だった――なんで。疑問は後からついてくる。
なんで篤子の家に?
帰宅部の篤子は、わざわざ彼氏の健児が部活を終えるのを待ってから、一緒に帰る。
その後何をしているのかは知らないが(想像はつくが)、わざわざ彼氏との時間を
割くような用事?
「うち来たら教えてあげるからさ。ね?」
十中八九、先ほどまで続いていた(彼女の中だけで)話題についてだろう。断る方が
懸命だ。しかし、
「ね?」
なんで、手を合わせて片目を閉じるなんて可愛いことができるかな。実際可愛いし。
「……わかったわ」
ため息をつく。仕方ない。私が彼女のこういう頼みを断れないことも、もう慣れた。
なんで、断れないのか。彼女と私が、幼なじみだからとしか、言いようがない。
篤子とその彼氏、健児が付き合い始めて、二ヶ月ほどになる。
もっとも、付き合い始めたのは二ヶ月前だが、それまでに紆余曲折があった――一年ほど。
ほとんど恋愛漫画のようなイベントをこなし、二人は結ばれた。彼女らをくっつけるため、
私も少なからず尽力したので、当然自分のことのように喜んだが――こちらの
世話まで頼んだ覚えはない。
毎日、篤子からのろけを聞かされるのも面倒だというのに。
だいたい、今のところ私は、恋人など必要としていない。部活やアルバイトで手一杯だ。
『咲は、好きじゃないんだろ』
突如脳裏に浮かんだ言葉に、走っている足がもつれそうになる。今日の部活動は、
結局雨は降らなかったので、学校横の土手をマラソンだ。
『いつも、俺のことなんて二の次三の次じゃないか。結局、俺の片思いだったって、
思い知らされたよ』
それは、西野だか斉藤だか、もはや顔もよく思い出せない相手が、別れ際に
吐いた言葉だった――勝手なことを……
私は、強く歯を食いしばると、自らの余力も気にせず、振り払うようにスピードをあげた。
篤子の家は裕福だ。彼女自身は、問われても否定するだろうが。
広い庭に一戸建て。家屋は、地下一階から地上三階まである。だが流石に、
家政婦などはいないらしい。
部活を終えて、気が乗らないまま自転車を押して歩き続け、本当なら10分で着く
道のりに30分かけた。
そして私は今、篤子の家――松岡邸の門前にいる。
さて、どうしたものか。もちろん、チャイムを鳴らして知らせるべきだが、
このまま帰るという選択肢もある。今日がアルバイトや、母が早く帰ってくる日なら、
即断できるのだが。
少しの間悩み、意を決して――
「咲ちゃんおそーい」
「え、ああ。うん」
見計らったように出てきた篤子に連れられて、私は間違った選択肢の方へ歩みを進めた。
篤子が私を案内したのは、篤子の部屋ではなかった。地下だ。
「なにする気?」
意図が分からないので、聞いたのだが、篤子ははぐらかすだけだった。
そして、地下の一室に私は招かれた。
暗闇に包まれたその部屋は、とても不気味だ。いったいここで何をする気だろう。
篤子は『楽しいこと』だと言っていたが。
室内に入るよう促され、ついに足を踏み入れる。篤子が先陣を切っているため、
変なことはないと思いたい。そんな中、篤子は気楽に言ってきた。
「実はね、咲ちゃん」
「なに?」
「わたし、魔法が使えるようになったの」
「……は?」
「今から、見せてあげるね」
その言葉とともに、こちらが訝しむ間もなく、床が光り出す。その光は、幾何学的な
模様を描いていた。
光が、次第に強くなり――私の意識すら、真っ白に染め上げた。
最終更新:2010年04月13日 02:23