投稿日 2010/03/12(金)
まぶたの裏に瞬いていた白光は、再び開けると嘘のように消えていた。
それがあった気配すらない。
だが、それは当然だろう。私には、目を閉じて開くまで一瞬の出来事に感じられたが、
どうやら違うらしい。
少なくとも仰向けに寝かせられて、両手足を縛られるほどの時間、気絶していたようだ。
世界が再び、暗い闇に閉ざされているのは仕方のないことだろう。
「どこ……?」
つぶやきながらも、答えは容易に予想できる。篤子の家にある地下室。
これは予想というよりも、気絶する前の状況をおさらいしただけだが。
なら、自分をこの冷たい手術台のような寝台に寝かせたのも、手足も縛ったのも、
篤子しか考えられない。意図まではわからないが。
いや、それも予想はできる。彼女が私を何のために自宅に招いたのか、私には
予想できていた。できていたからこそ、これから起きることも予想できてしまう。
それに、今の自分の状況を考えれば……
それは受け入れがたいことだ。できれば、外れていることを願うが。
『咲ちゃんは愛のあるセックスを経験すべきだよ!』
冷や汗が、額を伝った。目に入らなかったのは幸運だろう。
(冗談じゃ、ないって!)
「ふん!」
その吐息とともに、手足に力を込める。しかし、緩む気配すらない。
この先に何が待っているのか。最悪の想像ばかりが浮かぶ。
いや、でも。これをしたのが篤子ならば、さすがにそこまでは……
(精々、私の体をいじくって終わり、とか)
溜息をつき、いったん力を抜く。自力での脱出は不可能――
「篤子!篤子なんでしょ!?」
視線を動かせる範囲には誰もいない。人の気配もしない。
「どこにいるの!?なに考えてるのよ!?離して!」
一発殴ってやる。今までも色々馬鹿げたことにつき合ってきたが、これはやりすぎだ。
「ねえ!篤子!」
しかし、返事はない。せまっ苦しい地下室に、私の声だけが反響している。
とうとう息が持たなくなって、私は一呼吸ついた。だが、それを見計らったかのように。
「目、覚めたんだね。咲ちゃん」
「篤子……!」
相手が、こちらが怒鳴ることができないタイミングで入ってきたのは明白で、
だからこそ大声を出せないことがくやしかった。
「何考えてんのよ、あんた」
「んー、そんなことよりも気にならない?」
「何が」
「例えば、今自分が裸だとか」
そんなこと。言われなくても気づいている。正真正銘の全裸であることなど。
「知ってるわよ!だから早く外して!」
だが、手足を縛られていては、裸であることをどうにもできない。だから後回しだ。
「例えば、自分とわたしの声が違う、とか」
「そんなの――え?」
それは、全くの予想外。意識の範疇から外れたことだった。
「声が……?」
言われて、初めて耳を傾ける。
「あ、あー」
正直、間抜けなことをしているという自覚はある。だが確かに違う。私の声じゃない。
「……嘘」
「咲ちゃんって、予想外のことに弱いよね。あと、なんか胸のあたり、重くない?」
「え?」
胸?しかし、考える間もなく、部屋に明かりが灯された。暗闇が取り払われ、
光になれない目を、私はしばたたかせた。
やっと目が慣れてすぐ、私はそのまま見開いた。答えが、“目の前にあった”からだ。
「……篤子?」
天井に、篤子がいる。全裸だ。
「それは鏡」
言われなくても、そんなことは分かっている。しかし、鏡ということは――
私は、先ほどから会話をしていた人物のほうへ顔を向けた。
そこには、“私がいた”。
「どうやって……」
全く分からない。これはつまり――信じがたいことだが――私たちの体が
入れ替わったということ?
「魔法」
私がこれまで、鏡や写真では見たことのない表情を浮かべながら、篤子が入った
私は答えてきた。
魔法。確かに、篤子はそんなことを言っていたが。まさか本当だとは思わなかった。
「……それで、何するのよ」
体を入れ替えて。裸にして。手足を縛って。こんな地下室で。
「うふふ、それはねぇ……では、スペシャルゲストの登場です」
こんな状況でも、篤子の調子は普段と変わらない。それが殊更苛立たしかった。
「あんたねぇ!」
怒鳴っても、篤子は怯えない。この子のこういうところが私はたまに――「健ちゃんでーす」
「どうも」
呼ばれて入ってきたのは、篤子の彼氏だった。片方の手を後頭部に当てて、
頭など下げてくる。脳天気に、こいつらは。
「あんたね、私は今裸なのよ!つまりあんたの体が裸なのよ!」
「え?だって健ちゃんだし。何度も見られてるし。それに」
そこで、にやっと篤子は笑った。顔は私のものだというのに、背筋に悪寒が走る。
「それに、“篤子”が見て欲しくて、そうしているんでしょう?」
訝しむ間もなく。世界が――いや、私が変わった。
…………
「……篤子」
「あれ?健ちゃん?」
いつの間にか、健ちゃんがわたしの目の前にいた。あれ、わたしどうしたんだっけ?
「篤子が、わたしに健児君としているところを見て欲しいって、呼んだんじゃない」
「あ……あー、うん。そうだったっけ」
そうだったそうだった。なんだろう、わたしぼけっとしちゃって。
それにしても咲ちゃん。よくこんなことオッケーしてくれたな。いつもなら
絶対怒鳴り返されるよ。全く、そんな怖いから彼氏も――って、あれ?咲ちゃんにいつ、
「ん、うぷ」
いけない。考え事をしている間に、健ちゃんにキスされちゃった。もう、こんな時に
考え事なんておかしいよ、今日のわたし。
あらためて集中して、わたしの歯を叩いている健ちゃんの舌を受け入れる。
この二ヶ月、早々と行為に至ったわたしたちは、いつもこのキスを欠かさない。
だから、わたしも健ちゃんもすっかり上手くなった。
あん。でも、今日はなんかいつもよりも健ちゃんが上手い。わたしはすっかり
圧倒されている。おかげで、キスだけであそこが熱くなってきた。
「へー、それがディープキスね。気持ちいいの?」
口を離さないまま、首を縦に振って咲ちゃんに答える。咲ちゃんは、こんなこと
したことないだろう。
セックスがどんだけ気持ちいいか、わたしが今日咲ちゃんに――
「ふうん、良かったね。“咲ちゃん”」
え?わたしは――
…………
私は、咲だ。
(え?あ、いや、ちょっと!)
口の中を這い回る他人の舌の感触。もちろん、初めてだ。今まで自分がどうなって
いたのか、それを考えたいのに思考はまとまらない。
どうにかして止めなければ。だが、
(あ、あふぇ、ううん)
どうして、こんな気持ちになるの?頭と、股間の奥が熱い。酸欠のせい?
それに、脳裏を滑るこの思い出は?
今キスをしている“健ちゃん”と、初めて軽いキスをした記憶や、手を繋いだ記憶。
色々遠回りしたけど、やっと報われ――
(待って、そんなの私の記憶じゃ……)
そんな思いも構わず、流されていく。
ああん。あふん。いやん。心も口も散々滅茶苦茶にされて、私は解放された。
足りない酸素を吸い込むために喘いで、何も言えない。何も考えられない。
「どう、気持ちよかったでしょ?」
「……うん」
答えてからはっとして体を起こそうとするが、失敗する。手足を縛られていることを忘れるなんて。
「ちがっ、違うの!今のは!」
こんな私、違う。こんな気持ちよく感じる私は違う。こんな素直な私は違う。
「でも、セックスはもっと気持ちいいなんて、本当なの?“篤子”」
私が変わる。その“わたし”は、違う。
最終更新:2010年04月13日 02:23