喰いかけの林檎(古文書)

「喰いかけの林檎」とは古オデュロン時代に執筆されたものであり、現時点で著者は不明である。
本書は14巻からなる文書集であり、得られる情報を断片的に集めた複書も存在する。
現存する全巻揃った完璧な状態の「喰いかけの林檎」は6典ほどであると考えられており、Odysseaは原典を含め4典を確保できている。
内容については全巻「古オデュ言語」で執筆されており、翻訳作業が極めて困難であり
翻訳に成功したとしても内容が不可解であることが多く、情報の取得が難航している状況にある。
それでも幾つかの事が読み取れ、オデュロン時代の風習、思想、宗教、などが断片的にも読み取れる。
中でも「ある筈のない数式」と呼ばれる特異なものが記されており、現代の知識においても証明は不可能であった。
オンドルーンはこれに注目し、『OH(オンドルーン予想)』とする形式で再構築再出題するに至っている。
また、全編においてしばしば概念が人知を超えており、あまりに深く読み込んでしまうと「俺が俺でなくなっていく」という感覚に
襲われ、自我が潰えてしまう危険性も高くアクセスには大審院の同意を得る必要的措置をOdysseaは取っている。

下記の文章は1巻の序章に記されていたものを訳せる範囲で訳したものであり、当時の宗教思想についてであると考察されている。





歓迎されるべき時代の夜、天蓋(イデア)は単純に泥烏須と呼ばれた。

壮大な言葉とともに混淆の六芒星を刻み、呆気なく上を向く様はなんとも苔を捉えるようであり、ある種の舟の存在を感じさせてくれる。

ズベン・エル・ハクラビと四つの太陽を掲げる忌地エシュリオンは儚く流出する。一匙の黄丹を浮かべずに帰依した結末は余りにも喰いかけの林檎であった。

ならば最早説明不要に農人こそ罪と咎められるべき存在であり、主上に至っては友人と呼べよう。

泥烏須曰く、「奴隷大農園(きにする)な」 切れ切れに響く声は灰煙のように揺れ、我が身かと思案する間もなく大げさに小さくなる。

歩く者(オデュロン)は、林檎を律儀に数えるが最早何事へも還らない。只々海は微笑を浮かべるばかりだ。

星の数え方は朝にある。小径(みち)の先にアーサブカブの峡谷が必要であり、況やあの男の寝所である。

榾火(きむずか)しい明りが内陣に火口を生み、泥烏須は土を見る。それこそ土と見紛う程に。

そして昼に火は隠れ、鶏は頭を擡げ朗々と暴露を受ける。

翡翠樹(ジレンマ)を識別できるのはtus ntoo khaub lig(おそらく十字架のことであろう)を捧げる苦艱を残す者のみだろう。

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最終更新:2020年03月09日 21:40