五木寛之「下山の思想」(2011)
評価
★★☆☆
ひとこと
「下り坂」を迎えた日本。下山のことを考えよう。
この着想は非常に興味深いが、かなり「消化不良」な中身。残念。。。
分類
目次
- まず、はじめに
- いま下山の時代に
- 下るという大事なプロセス
- 下山しながら見えるもの
- 日は堂々と西へ沈む
- 新しい物差しをもって
- 残された者の歩きかた
- 第二の敗戦を生きる
- 成熟のとき
- 変化はゆるやかに
- 下山する人々
- 法然とフランチェスコ
- 平安末期に流行した今様
- 裁きと許し
- 修行、善行を不要とした法然
- 暮しのなかのニヒリズム
- 不安と不信の世の中で
- “当り前”が変るとき
- 「前向き」が無力なときは
- 人間にわかっていることはほんの一部
- 黒でもなく白でもなく
- 二分法はやさしい
- いま死と病いを考える
- この世で絶対的な真実
- 病人大国日本の憂鬱
- 病をかかえて生きるということ
- がんは健康な細胞と同居する
- 見えない死者たち
- 魂のデプレッションの問題
- 養生と宗教のあいだには
- 長寿とブッダの教え
- 大震災のあとで
- 言葉もなく、おろおろと
- 下山途中の生き地獄
- 備えるということ
- ノスタルジーのすすめ
- 「時には昔の話を」のとき
- 古い記憶の再生装置
- 流行りものと時分の花
- 靴は人生を映す鏡かも
- ワラジと高下駄のころ
- 一九六八年のパリの靴屋で
- 日本人と西洋の靴
- 夏の夜の小さな娯しみ
- 真実は怪しさのなかに
- 砂糖は甘く美味しくて
- 郷愁世界に遊ぶ楽しみ
メモ
参考文献
最終更新:2012年01月25日 00:28