川口素生「千利休101の謎」(2009)

評価

★★★☆

ひとこと

千利休のこと、なーんにも知らなかった私。そんな人にも楽しめる一冊。
単なる文化人ではない、ということがよくわかる一冊。
Qの形を取っていますが「謎」ではなく、
いろいろな書物で明らかになっていることを読みやすくまとめたものだと思われる。

分類

目次

序章 千利休の<実像&業績>の謎
  • Q1.利休が現在でも根強い人気を誇る理由は?
  • Q2.利休が生きたのはどんな時代だったのか?
  • Q3.利休が残した業績にはどんなものがあるのか?
第一章 利休の<出自&家庭>の謎
  • Q4.不世出の茶人・利休はいつどこで生まれたのか?
  • Q5.姓に秘められた利休の先祖の職業とは?
  • Q6.利休はどんな通称や号を名乗ったのか?
  • Q7.利休が正親町天皇から居士号を勅賜された経緯は?
  • Q8.利休の生家の家業は何だったのか?
  • Q9.利休の二人の妻の人となりは?
  • Q10.利休には何人の息子や娘がいたのか?
第二章 利休の<私生活&子孫>の謎
  • Q11.利休はどんな風貌だったのか?
  • Q12.利休が大徳寺で一族の追善を依頼した意図は?
  • Q13.利休の花押の特異な形状とは?
  • Q14.利休はどういった人物と交友したのか?
  • Q15.利休が一度失脚したというのは事実か?
  • Q16.利休の血族にはどんな人物がいたのか?
  • Q17.利休の没後家族はどんな苦難を体験したのか?
  • Q18.孫の宗旦が清貧に甘んじたのはなぜか?
  • Q19.利休の子孫が三千家と呼ばれるわけは?
  • Q20.三千家出身の茶人で特筆すべき人物とは?
第三章 利休と<茶の湯&修業>の謎
  • Q21.茶はいつ誰がわが国へ伝えたのか?
  • Q22.なぜ和泉堺で茶の湯が盛んになったのか?
  • Q23.和泉堺はどんな町だったのか?
  • Q24.和泉堺に君臨した納屋衆・会合衆の実態は?
  • Q25.利休が複数の茶人に師事したのは事実か?
  • Q26.利休が嫌ったという闘茶の茶会とは何か?
  • Q27.利休が師匠に入門した時期はいつか?
  • Q28.利休が思慕した村田珠光の茶の湯の流儀とは?
  • Q29.師匠の武野紹鷗はどんな茶人だったのか?
  • Q30.利休はどのような姿勢で茶の湯の修業に臨んだのか?
第四章 利休の<流儀&茶会>の謎
  • Q31.利休の茶の湯の流儀の最大の特徴は?
  • Q32.利休の茶人人生の中で重要な茶会とは?
  • Q33.茶の湯の精神・心得を説いた「四規七則」とは何か?
  • Q34.愛唱された「利休百首」と利休との関係は?
  • Q35.利休が茶会で偽物の掛軸を用いたのは本当か?
  • Q36.茶会ではどんな菓子や料理が出されたのか?
  • Q37.亭主の心構えに触れた利休の発言とは?
  • Q38.利休はどのような人物と茶会を開いたのか?
  • Q39.利休が招かれた茶会で叱責されたのは事実か?
  • Q40.利休も参加した秀吉主催の北野大茶湯とは?
第五章 利休の<茶室>の謎
  • Q41.茶室はどのように発展していったのか?
  • Q42.利休が最初にもうけた茶室の規模と構造は?
  • Q43.利休ゆかりの茶室は現存するのか?
  • Q44.利休が小規模の茶室を愛したのはなぜか?
  • Q45.茶室の壁や窓などに込められた利休の真意とは?
  • Q46.茶室の一尺四寸の炉は利休が考案したのか?
  • Q47.茶室の「にじり口」は利休が創始したのか?
  • Q48.茶室の周囲はどんな造作だったのか?
  • Q49.利休は茶室・待庵をどこへ構築したのか?
  • Q50.待庵がいまなお重要視されるのはなぜか?
第六章 利休の<茶道具>の謎
  • Q51.利休愛用の茶道具にはどんなものがあるのか?
  • Q52.利休が茶道具を改良したというのは本当か?
  • Q53.天下の名物といわれた茶壺「橋立」の形状は?
  • Q54.利休が好んで用いた茶碗とは?
  • Q55.利休が楽焼の長次郎を見出したというのは本当か?
  • Q56.利休が国宝級の花入を作ったのは本当か?
  • Q57.茶会で用いられた香炉や水指の特徴とは?
  • Q58.利休が禅宗関係の掛物を好んで用いた理由は?
  • Q59.利休の名を冠した茶道具と利休との関係は?
  • Q60.利休の名を冠した利休鼠とは何なのか?
第七章 利休と<流派&弟子>の謎
  • Q61.利休の弟子にはどんな茶人がいるのか?
  • Q62.利休の江氏に戦国武将が多いのはなぜか?
  • Q63.利休の友人や弟子の中で悪名を残した武将は誰か?
  • Q64.利休の一族や弟子が流派を興したのは事実か?
  • Q65.利休の高弟・「利休七哲」の顔触れは?
  • Q66.利休の愛弟子を自称した愚かな男とは?
  • Q67.利休が高弟の力量を試した方法とは?
  • Q68.利休の高弟・細川三斎の「律儀な茶」とは何か?
  • Q69.利休の愛弟子・山上宗二はなぜ秀吉の命で斬られたのか?
  • Q70.利休の高弟らが非業の最期を遂げたわけは?
第八章 利休と<天下人&茶頭>の謎
  • Q71.利休がつとめた天下人の茶頭とはいかなる職か?
  • Q72.信長が家臣の茶の湯を制限したわけは?
  • Q73.信長が行った茶道具の「名物狩り」とは何か?
  • Q74.利休が信長に初めて拝謁したのはどこか?
  • Q75.利休ら堺商人は本能寺の変に関わっていたのか?
  • Q76.利休も出品した大阪城御道具揃えとは何か?
  • Q77.秀吉が利休を茶頭の筆頭に据えたのはなぜか?
  • Q78.利休の名声が天下に轟いた禁中茶会とは何か?
  • Q79.秀吉の「黄金の茶室」は組立式だった?
  • Q80.利休が秀吉の軍師・補佐役をつとめたのは事実か?
第九章 利休の<失脚&切腹>の謎
  • Q81.秀長の病没と利休の失脚とは関係があるのか?
  • Q82.秀吉はなぜ利休に切腹を命じたのか?
  • Q83.利休の木像が大徳寺山門へ置かれたのはなぜか?
  • Q84.利休が茶道具売買で暴利を貪っていたのは事実か?
  • Q85.利休はキリスト教信者だったのか?
  • Q86.秀吉が利休の娘・お吟に邪恋を抱いたのは本当か?
  • Q87.利休が秀吉暗殺未遂事件に加担していたのは事実か?
  • Q88.利休が石田三成に蹴落とされたというのは事実か?
  • Q89.利休は辞世の「偈」に何を記しているのか?
  • Q90.利休はどのような最期を遂げたのか?
第十章 利休の<史跡&供養>の謎
  • Q91.生母と娘が三成の「蛇責め」を受けたのは本当か?
  • Q92.利休亡き後に秀吉の茶道をつためたのは誰か?
  • Q93.利休の木像はその後どうなったのか?
  • Q94.利休の墓碑はどこの寺院にあるのか?
  • Q95.利休ゆかりの史跡はどこにあるのか?
  • Q96.現存する利休の書状にはどんなものがあるのか?
  • Q97.利休の亡魂を招いて供養行事が行われたのは本当か?
  • Q98.利休を描いた小説に力作・話題作が多いわけは?
  • Q99.利休をテーマとした映画の代表作とは?
  • Q100.維新後に大徳寺へ利休の木造を寄進したのは誰か?
  • Q101.現在でも利休の供養行事は続いているのか?


気になる表現



メモ

  • 利休七哲
    1. 蒲生氏郷
    2. 高山右近(南坊)
    3. 細川三斎
    4. 芝山監物
    5. 瀬田掃部
    6. 牧村兵部
    7. 古田織部




参考文献

  • 海音寺五郎「茶道太閤記」
  • 井上友一郎「千利休」
  • 今東光「お吟さま」
  • 野上*生子「秀吉と利休」
  • 山崎正和「木像磔刑」
  • 井上靖「本覚坊遺文」
  • 澤田ふじ子「利休啾々」
  • 山本兼一「利休にたずねよ」
  • 岡倉覚三「茶の本」
  • 豊田武「堺」
  • 桑田忠親「千利休研究」
  • 熊倉功夫「千利休」
  • 村井康彦「千利休」
  • 桑田忠親「千利休」
  • 小和田哲男「戦国武将」
  • 安藤英男「石田三成のすべて」
  • 芳賀幸四郎「千利休」
  • 村井康彦「利休とその一族」
  • 今井林太郎「石田三成」
  • 小和田哲男「軍師・参謀」
  • 米原正義「千利休のすべて」

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最終更新:2011年07月03日 18:02