北野武「全思考」(2007)
分類
目次
第一章 生死の問題
第二章 教育の問題
第三章 関係の問題
第四章 作法の問題
第五章 映画の問題
評価
★★★★☆
ひとこと
北野武が日々思っていることを一冊にまとめたエッセイ。
正直、北野武のことはごくごく表層的なことしか知らない。
でも、北野武という人が「どう感じているのか」ということがよく伝わって来ました。
この本を読んでいて何度も出てきたキーワードは「下品」と「恥ずかしい」という言葉。
「上品」という言葉は聞きます。「××の品格」なんてもんがちょっと前に流行りました。
でも「下品」であることを非難する風潮ってすごーく弱い気がします。
そもそも「品」に関する共通認識がないからなのかな。妙に「品格」とか小難しい言葉に祀り上げちゃうからいけないのか。ともかくとても「新鮮」に響いたのでした。そして強く共感しました。
お高くとまりたくはないし、自分を落とすのもよいけど、「下品」にだけはなりなくない、というたけし氏の感覚。
人が死んだら、ただいなくだけだと知った。<中略>どんなに死んだ人間のことを思っていたとしても、生きている人間は、死者とは無関係の世界を生きていく。その殺伐とした事実に、ひどく衝撃を受けたのだ。(p13)
物体は激しく動けば、それだけ摩擦が大きくなる。人間だって、激しく動くと熱を持つのだ。端から見れば、輝いている人間のことが、きっと羨ましく見えるのだろう。だけど、輝いている本人は熱くてたまらないのだ。(p26)
どうしてそういう無理をさせるのだろう。なんでも努力のせいにして、人間には本来差があるという現実をうやむやにする。(p64)
基本的に、芸を磨くためにはやっぱり、お金を払ってお笑いを見に来てくれた人のために勝負した方がいい。<中略>しかし、金を払って笑いに来ている客の前では、そういう言い訳はできない。ウケないのは、自分のせいでしかない。あれはかなり辛かった。辛かったからこそ、努力もしたし、必死にもなったというわけだ。(p99)
お金がないことを、そのまま「下流社会」といってしまう下品さに、なぜ世の中の人は気づかないのだろう。<中略>だからそれを逆手に取って、ギャグにしていた。インタビューされたときとかに「俺だけ金を儲けて、俺だけ幸せになればいい。他人なんてどうだっていい」なんて言うと、昔の記者ならゲラゲラ笑っていた。そんな身も蓋もないことを言うもんじゃないという感覚がみんなにあったから、平気でそれが笑いになったのだ。だけど近頃は、下手をすると「ああそうですか」って普通の顔で聞いてる記者がいる。<中略>そういうことがギャグにならない時代になってしまったのは寂しいなあと思う。(p122)
自分のために映画を撮ることと、思い込みで映画を撮るのとは違う。<中略>客観的に作品を見るというのは、撮影の苦労や思い入れを忘れて、一人の観客として自分の映画を見るということだ。マーケティングの結果がどうだからとか、世の中がこうだからというような話とは、まったく関係ない。信じているのは、結局のところ自分の感覚であって、他人の感覚じゃない。そういう自分のために撮った映画を公開するのは、俺が面白いとお思うことを、同じように面白いと感じる他人がいることを信じているからだ。
映画のテクニックでいえば、強火はアップだ。弱火は、その反対の引きの絵。映画でアップにするのは、料理でいえばガーっと強火で炒めるようなものだ。フライパンに火が回るような強火は、たとえば目や口だけのアップ。見てる人の気持ちを、ぐわっと一気につかむテクニックだ。あまりやりすぎると、焦げてしまうところも似ている。鍋を弱火にかけてトロトロ煮込むのは、カメラを引いて撮る淡々とした絵だ。すぐには意味がわからなくても、見ているうちにじわじわと意味が伝わっていく。(p217)
メモ
参考文献
最終更新:2010年08月15日 14:09