2008年(10月-12月)
12月
11月
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「今日の試合は一生忘れられない。強い私たちで終わりたいと思っていた」と潮田。小椋は「ここまで一緒に頑張ってこれたのも玲ちゃん(潮田)がいたから。2人で決めたことなので、今はしっかりと前に進みたい」と互いをたたえた。
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スエマエこと、末綱聡子、前田美順組との決勝戦。代々木第二体育館は超満員の2800人のファンで膨れあがった。初日の1回戦から、1300人がオグシオの応援に駆けつけ、カメラを手にした個人ファンや両親に連れられて熱心にプレーに見入る小学生の姿もあった。
昨年の大会までは3回戦まで観戦無料だった。今年は「混乱を避けるため」(協会関係者)もあって、1回戦から500円を徴収したが、それでもチケットを求めて、長蛇の列ができた。
「2人が出なければ、1回戦の観客なんてせいぜい100人ほどでしょう」と明かすのは、協会広報部の今井茂満部長。過去にも陣内貴美子氏(現スポーツジャーナリスト)らの時にバドミントンブームはあったが、「オグシオだから、ここまでの人気になった」と認める。
オグシオの始まりは、2人が三洋電機入りした6年前にさかのぼる。マイナースポーツからの脱却策として、「卓球の愛ちゃん(福原愛)」のような存在が必要と考えた協会側は、ルックス・実力とも抜群の小椋、潮田に目をつけ、三洋のスタッフとの話し合いで路線を決めた。
狙いは当たり、2人の効果は個人のファンから競技ファンへの拡大、実際に競技を行う層も増やす。6年前に18万4000人だった協会加盟者は昨年、22万7000人に上った。競技人口の裾野が広がれば、必然的にトップ選手の発掘にも期待ができ、協会関係者は「現状の盛り上がりは予想の100倍以上」と打ち明ける。
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館内は、異様な熱気だった。立ち見まで出る2800人の超満員で、コート上の気温が29度まで上がったほどだ。
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一進一退。「オリンピックの4位が自信になり、コートで相手がよく見える」という前田が強打を連発すれば、潮田が絶妙の前衛力で切り返す。第1ゲームは、ジュースの末25-23でオグシオ。第2ゲーム、末綱が芸術的なネットプレーを見せ、スエマエが19-15とリードする。空気が変わったのは「これはファイナルゲームまでもつれるか……」と、会場がじっくり腰を据えてからだ。コート後方のコーチ席で指示を飛ばした三洋電機・喜多努監督がいう。「4点リードされていても、あの2人はなぜか負ける気がしないんです。勝っていても“これは危ないぞ”と不安なペアもあるんですが、絶体絶命だった準々決勝でも、僕はあたふたしなかった」
潮田にとっても「不思議な感覚」だった。「リードされても、すごく冷静に相手が見えたんです。急に、スペースが見えるようになった。あとはそこを攻めていくだけでした」と、前田を集中的に攻め5連続得点で逆転。スエマエにとっては「あと2点が早く欲しくてラリーが小さくなり、ミスが出てしまう」(末綱)状態から立て直しがきかず、最後は前田のスマッシュを潮田がクロスのネット前に落として決めた。長いラリー、51本目。劣勢からでも、自らのゾーンに入り込めたのは「これまでやってきたことへの、神様のごほうび」(小椋)か。「ありがとう」と声を掛け合い、抱き合った2人の目から、涙が止まらなかった。
「オグッチ(小椋)が、“新しいパートナーと、ロンドンにチャレンジしたい”と言ってくれたんです。4年という長い期間、オリンピックを目指すのはとても苦しく、同じ気持ちを持った2人で戦うことが必要なんですね。ただ私にとっては、現役は続けても今はそういう気持ちになれない。それを知っていたからこそ、オグッチからペア解消を言いだしてくれたんだと思います」(潮田)
五輪を目指すには、獲得ポイントの高いスーパーシリーズに出場することが早道だ。それには、一定の世界ランキングを維持しなければならず、潮田が“その気になる”まで待っていては、すぐにランキングが下がるわけだ。だから小椋は「それを理解してくれた玲ちゃん(潮田)の気持ちを大事にしたい」と新しいパートナーを求めたのだ。苦しい決断だっただろう。それでも「玲ちゃんがいたから」「オグッチがいたから」ここまでやってこられた。高校時代に初めてペアを組んでから9年、小椋が熱心に潮田を誘い、三洋電機に入社してから7年。もう「復活することはない」(潮田)。だからこその、涙。
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コート上で、肩が震えていた。崩れ落ちそうなひざを必死で支えた。小椋と潮田、2人で歴史をつくった9年分の涙がコート上にこぼれ落ちた。立ち見も出た超満員3200人の観客から、拍手が鳴りやまない。抱き合い、ともに「ありがとう」と言葉を交わすのが精いっぱいだった。
5連覇に死力を尽くした。小椋は持病の腰痛に加え、2日前の準々決勝で右足をねんざ、左ひざにも故障を抱えた。潮田も連戦の疲労による右ひざのテーピングが痛々しい。「今日は悔いがなく、最後の最後の最後まで戦おうと思っていた」(潮田)。これが最後という気力だけが2人を突き動かした。
「一生忘れられない試合になった」(小椋)。名勝負だった。第1ゲーム、20-20から延長に入り、オグシオがつかんだ6度目のゲームポイントで決着がついた。第2ゲームは最後に6ポイント連取で逆転。300試合を超えるオグシオの歴史は、潮田のバックのストップ・ショットで幕を閉じた。
12月のチーム戦日本リーグでともにプレーする可能性は残るが、ダブルスのペアとしては、事実上最後の試合となった。
高校卒業の時、九州出身の潮田は地元企業への進路が内定していた。だが、三洋電機に入社が決まっていた小椋が毎日のように電話をかけ、潮田を口説き落とした。「一緒にダブルスを組んで五輪を目指そう」。それから9年間、家族以上に2人はともに生きた。
きずなは別れの時も深かった。この日、潮田から初めて「ペア解消」の経緯が告白された。「実は、オグッチ(小椋)に『違う子と組んでロンドン五輪を目指したい』と言われていた」。だから、北京五輪後の潮田は、現役続行か否か揺れていたのだ。2人の目から再び涙があふれた。
最後の試合の後に事実を公表しようと、事前に2人で決めていたのかもしれない。「決別」を告げた小椋からは言いにくいことだ。自らの口で明かしたのが、潮田の小椋への気遣い、ロンドン五輪へのエールに映った。
(cache) オグシオ万感!涙のラストゲーム5連覇締め(バドミントン) ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ Go!アスリート 小椋久美子&潮田玲子(オグシオ) 2008年11月17日 22:50
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潮田の絶妙なショットが決まった瞬間、アイドルペアの顔がくしゃくしゃに崩れた。握手し、抱き合った。タオルでぬぐった目には見る見る涙があふれる。「1秒でも長くコートに立っていたかった」と振り返った小椋は中腰で下を向いた。「言葉にできない」と潮田はコートにひざまずいた。目を真っ赤に腫らした2人は、8年間という一緒に過ごしてきた長い時間をかみしめるように、コートにたたずんだ。
3年連続で同じ顔合わせとなった決勝。「どっちに転んでもおかしくなかった」と2人が口をそろえた第1ゲームは、大熱戦だった。奮起したのは潮田。「自分たちがこの4年間(の日本)を引っ張ってきたのは間違っていなかったことをもう一度、証明したかった」。計4回のジュースの末に25―23でもぎ取った。
第2ゲームは、2人が一体となった。15―19と大きくリードされたが、ここから2人の表情が明らかに変わった。「どうやってポイントを取ったか分からない。気持ち1つでやっていた」と小椋。切れ味鋭いスマッシュ。気迫で相手の前田のミスを誘った。6連続得点で勝利を決めた。
大会開幕前日の11日、2人はペア解消という衝撃の発表をした。北京五輪後、小椋は12年ロンドン五輪への意欲を強くしていたが、燃え尽きた潮田は引退を迷った。そんな潮田に小椋が伝えたという。「4年間、同じ気持ちで戦えるパートナーと戦いたい」。言葉は最後通告のような冷たさがあるが、自分の意欲が逆に潮田の決断を鈍らせているのではないかとの配慮が、小椋にはあったはずだ。
「オグッチは素直に言ってくれたけど、言いにくかったと思う」と潮田。小椋は「私の気持ちを分かってくれた玲ちゃんの気持ちを大事にして、これからも頑張りたい」と話した。べたべたした友情だけではない、強いきずな。会見で涙を浮かべた2人は最後に「ありがとう」と言い合った。
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約2800人ものファンで膨れあがった注目の決勝は、オグシオに勝利の女神がほほえんだ。20回近く続いたラリーから潮田のスマッシュで勝負を決めると、2人は歓喜のあまり、コートに顔を伏せて号泣した。
両者の対戦成績はオグシオの7勝2敗だが、7月の全日本実業団選手権では0-2と完敗し、北京五輪でスエマエは世界ランキング1位の中国ペアを破って4強入り。立場は逆転した。
因縁の対決は、息のつく間もない一進一退の白熱したプレーが続く。第1セットを何とかものにすると、第2セットでは15-19と追い込まれながら、6連続ポイントで逆転勝利。自らが日本一のペアだということを実力で証明した。
北京五輪で夢の舞台に立った後、目標を見失った潮田は引退を考えたという。「バドミントンの楽しさ」を実感し、現役続行を決意した矢先、小椋から「4年後のロンドンを目指すため、違う子とやりたい」とペア解消を持ち掛けられた。小椋の夢を優先し、受け入れた。
オグシオのコンビはチーム戦の日本リーグなどでは続行するが、ダブルスを含めた個人戦としては今回が最後。「今日の試合は一生忘れられない」と声をそろえた。潮田は観客席に「オグとシオ、個々の選手としてこれからも温かい声援をお願いします」とあいさつ。バトミントンブームを巻き起こした2人はとびきりの笑顔で会場を後にした。(青山綾里)
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わずか32分。オグシオが準決勝で完勝した。相手は並み居る強豪を破って勝ち上がってきた高校生チャンピオン。「少し緊張した」(小椋)とはいうが、終わってみれば歯牙にもかけなかった。
「とにかく末綱さん、前田さんと対戦するまで負けたくなかった」と潮田。オグシオの視線は、「スエマエ」と対戦する決勝に向いていた。
ルックスと実力を兼ね備えて人気を集めたオグシオは、昨年の世界選手権で銅メダルを獲得。北京五輪では日本のエースとして国民の期待を背負った。しかし結果は準々決勝敗退。かたやスエマエは世界ランク1位の中国ペアを下して4位入賞。今や「実力はスエマエが上」は一般的な認識だろう。
だからこそ潮田は「2人に挑戦したかった」。あえて“挑戦”という言葉を使い闘志を表した。
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オグシオとして最後の試合となる決勝で、「1分でも1秒でも長くコートに立っていたい」と潮田。小椋は「絶対に勝って私たちの最後を終わりたい」と宣言した。二つのペアの意地が激突する-。(青山綾里)
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今大会にかける思いも技術もコンビネーションも、高校生ペアとはけた違いだった。オグシオとして臨む最後の個人戦で、高校総体女王の高橋・松友組にわずか32分で圧勝。79~84年に6連覇した米倉よし子・徳田敦子以来、史上2組目の5連覇に王手をかけた。
「高校生に負けられない思いがあって少し緊張したけど、自分たちのプレーが出せた」と振り返る小椋の隣で「心の準備をしっかりして試合に入れた」と潮田が笑みを浮かべた。日本協会は本年度に初めての年間表彰を検討中。年度末の来年3月に開催する方向で、現時点でMVP最有力候補は、北京五輪4位入賞の末綱・前田組。そのスエマエとは3年連続の決勝対決が決まった。過去2年、倒してきたスエマエを撃破して5連覇を達成すれば、オグシオに逆転MVPが見えてくる。
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ペア解消宣言から2日が経過。潮田の母・睦子さん(51)は「きょうの試合を見ていたら、息も合っているし、もったいないなあと思う」と感傷に浸った。だが2人のロンドン五輪に対する情熱の温度差が違うことは事実。別々の道を歩むのはやむをえないことなのかもしれないが、現役続行か引退かで揺れていた娘に、母は自分の思いを伝えた。「私はコートに立っている姿を見たい」。25年間の人生を支えてくれた母親に背中を押された潮田は「やっぱりバドミントンが好き」と思い直してプレー続行を決意した。
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潮田が「前のシングルスの試合が意外と早く終わって慌ててアップをした」と明かした第1ゲーム。全日本社会人選手権3位の日野・小池組にペースを握られ、19―21で落とした。第2ゲームも左ひざと腰に不安を抱える小椋がミスを連発。13―12の場面では2人が交錯し、潮田のラケットが「バチン」と大きな音を立てて折れた。だが、動揺するどころか「ラケットは2万5000円もする。もったいないなと思った」と余裕で振り返った潮田が、焦りの見えた小椋をフォロー。1度は逆転されながら22―20でこのゲームを取ると、第3ゲームも21―15で連取して逆転勝ちした。
「今回で最後という思いがあって変な重圧があった。勝ってよかった」。笑い飛ばした潮田とは対照的に、小椋は会見後も左足を引きずりコーチの肩を借りて歩くほど状態が悪い。それでも、オグシオ最後の大会で負けるわけにはいかない。準決勝の相手は高校王者の高橋・松友組だが、2人は「経験では負けない」と口をそろえた。
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足や腰を痛めていた小椋は、北京五輪後初のコート入り。第1ゲームは「試合独特の緊張感で良いプレーができなかった」と悔やんだが、第2ゲームからは2人のリズムもそろい、相手が力を出し切る前に21-10で下した。「最後に自分たちの形を出すことができた。次につながる」と小椋。潮田も「相手の攻撃を考えて頭は疲れたが、体力はまだまだ大丈夫」と余力をアピールした。
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「これをやると決めたらとことん取り組む。昔から全部を自分で決める子でした」と小椋選手の母、光江さん(49)。
北京五輪が終わった直後の9月、所属チームの地元、大阪府大東市を表敬訪問した小椋選手は、現役続行に前向きな姿勢を示し、それからまもなく、ロンドン五輪を目指すと明言した。
幼いころから小椋選手は「オリンピックに出たい」が口癖だった。だが、高校時代にはヘルニアに悩まされ、北京五輪直前の今年4月にも腰椎(ようつい)ねんざで出場が危ぶまれた。順調に見えても、光江さんの心配は絶えなかった。
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北京五輪後の10月、公式戦に出場しなかった小椋選手を心配した光江さんは携帯電話を鳴らした。その電話で、小椋選手は初めて「お母さん、ロンドンを目指したい。ごめんね」と告げた。「謝ることはないよ。あなたが決めたことだから」。光江さんは娘の決心を静かに受け止めたという。
「『オグシオ』がなくなることは残念だけど、自分たちが決めたこと。これからも応援し続けたい」
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今でも一緒にお風呂に入るほど仲が良いという母、睦子さん(51)は「五輪直後から娘は迷い続けていました」と明かす。
北京五輪では、中国ペアに敗れたオグシオ。報道陣には気丈な姿を見せたが、睦子さんとの電話では泣いていたという
「ロンドンを目指すことになれば、過酷な4年間に耐えないといけない。しかも出場できるとはかぎらない。自信が持てなかったのでしょう」。
そんな潮田選手が10月帰省した際、睦子さんはこう背中を押したという。
「レイちゃんはもっと強くなれるよ。私はもう少し、あなたのプレーを見たい。自分がやれるところまで頑張ったら」
潮田選手ははっきりと返事をしなかったが、母のエールが、迷いを吹っ切る理由のひとつになったようだ。今月11日の記者会見で潮田選手は「自分が人に感動を伝えられるのはバドミントンではないか」と話した。
「ペア解消は寂しいけど、ようやく独り立ちできたんじゃないかな」と睦子さん。「これからは、あの子やおぐっちの新しい面が見られる。楽しみです」
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一方の小椋は「4年後の五輪を目指したい」と、明確にロンドン五輪を目標にしている。五輪出場権は国際大会で稼ぐポイントを基にしたペアの世界ランキングで決まるため、潮田が中途半端な気持ちのまま組み続けることにはリスクが伴うと判断した。
潮田の引退も想定した水面下での小椋の新パートナー探しは進んでおり、来春、三洋電機に入社予定の日本代表、内藤真実(日体大)が有力。2000年のアジア・ジュニア選手権で初めて組んだ“オグシオ”は、バドミントンを注目の集まる競技に引き上げた功績を残し、9年間の歴史を終えた。
10月
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小椋はこの日、大阪府内の病院で検査を受け、三洋電機・喜多努監督は「医師からは思い切ってプレーするため、リハビリ込みで3週間ぐらいは必要だと言われている。欧州は長時間の移動で、悪化しないために回避した」と説明した。
人気ペアは現在、微妙な問題を抱えている。潮田は日本リーグ開幕戦後、「来年のことはわからない。(年末までの)日本リーグが終わった時点で自分の思う気持ちを大切にしたい」と、今年限りの引退も視野に入れていることを明らかにした。潮田にはスポーツキャスター転身の誘いや芸能プロダクションからのオファーがきているが、小椋は「わたしは現役を続けるつもり。4年後のロンドン五輪を目指せたらいい」と明言しており、コンビ存続は不透明な状況にある。
9月
北京五輪のバドミントン女子ダブルスで8強入りした小椋久美子、潮田玲子組(三洋電機)の潮田が引退を検討していることが17日、分かった。2人は10月下旬からのデンマーク・オープンとフランス・オープンにエントリーしているが、日本協会の銭谷欽治強化本部長も「潮田が(引退か現役続行かを)正直迷っていると言っている」と認めた。小椋の方は現役を続けるという。
潮田は16日の記者会見で「五輪が終わり、もう一回頑張ろうという気持ちがなかなかわき上がらなかった」と語った。11月の全日本総合選手権終了後にロンドン五輪も見据えた来年の日本代表を選ぶため、それまでに結論を出す予定という。
「オグシオ」の愛称で親しまれている2人は2006年アジア大会、昨年の世界選手権で銅メダルを獲得。実力と端麗な容姿で注目を集め、バドミントン人気に貢献してきた。
調整不足でヨネックスオープン欠場を表明した小椋は「気持ちも体調もうまくつくれなかった」、潮田も「万全じゃない状態で試合をするのは見に来てくださる方にも失礼」と話した。今後は10月開幕の日本リーグに照準を合わせて調整する。2012年ロンドン五輪について小椋は「今は考えられないが、狙えるところまできていたら狙うかも」と前向きな姿勢を見せ、潮田も「私も同意見。今は目の前の試合を戦っていきたい」とした。
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2人は「メダルには手が届かなかったけれど、一緒に戦ってきてよかった」と振り返り、市職員らから花束を贈られ笑顔を見せた。
岡本日出士市長は「皆さんの活躍が注目され、市内でもバドミントンを始める子供たちが増えている。今後もそんな子供たちの目標でいてほしい」。
最終更新:2009年11月14日 12:50