2008年7月-9月
9月
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~グッズオークションでは欠場した小椋・潮田組のサイン入りラケットバッグが12万円で落札された~
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潮田は16日の記者会見で「五輪が終わり、もう一回頑張ろうという気持ちがなかなかわき上がらなかった」と語った。11月の全日本総合選手権終了後にロンドン五輪も見据えた来年の日本代表を選ぶため、それまでに結論を出す予定という。
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2人は10月下旬からのデンマーク・オープンとフランス・オープンにエントリーしているが、日本協会の銭谷欽治強化本部長も「潮田が(引退か現役続行かを)正直迷っていると言っている」と認めた。小椋は現役を続けるという。
潮田は16日の記者会見で「五輪が終わり、もう1回頑張ろうという気持ちがなかなかわき上がらなかった」と語った。11月の全日本総合選手権終了後にロンドン五輪も見据えた来年の日本代表を選ぶため、それまでに結論を出す予定という。
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2人は「メダルには手が届かなかったけれど、一緒に戦ってきてよかった」と振り返り、市職員らから花束を贈られ笑顔を見せた。
岡本日出士市長は「皆さんの活躍が注目され、市内でもバドミントンを始める子供たちが増えている。今後もそんな子供たちの目標でいてほしい」。
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「三洋の一員として、お互いに優勝をめざしてがんばりましょう」。300人が集まった会場で、小椋がラグビー部にエールを送った。ところが壮行会はオグシオ撮影会といった様相で、むくつけきラグビー戦士も目尻は下がりっぱなしだ。
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8月
~初めて公の場で「引退」の2文字を口にした。日本バドミントン協会は19日、都内で同代表の帰国報告会見を開き、今後のことを聞かれた潮田は「今は何も考えられない。引退するかもしれないし、現役を続けるかもしれない」と、引退が選択肢のひとつであることを明かした。
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オグシオ人気で昨年11月の全日本総合選手権では、トヨタ自動車や日清食品など、大手企業が初めて協賛企業に名を連ねるなどスポンサー集めが順調だった。スエマエの活躍で、協会はさらに企業が増えることを期待している。
DVD付きのスポーツ入門シリーズを出版する新星出版社によると、十数種類ある同シリーズで、バドミントンはテニスに続く2番目の売れ行き。小学生から高齢者まで安全に楽しめる点が人気らしい。編集担当者は「五輪効果でさらに売れ行きが増える」と予測する。
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試合終了の瞬間、潮田は小椋に握手を求めた。「ゴメンね。ありがとう」。小椋にとって潮田は、腰痛で試合に出られなかった時にも激励のメールを送り続けてくれた盟友。それだけに涙がこらえられなくなった。
世界ランク3位の中国ペアは強かった。「前衛が速いのでつかまらないように」と話し合ってコートに立ったが、自分たちの持ち味を出すことができない。「展開を変えないと」(潮田)とリズムを変えたが空回りし、悪循環に陥った。
一方的な展開になった第2ゲーム、観念した小椋が「とにかく最後まで頑張ろう」と話しかけると、潮田は大きくうなずいた。
バドミントン人気を一身に背負い、「客寄せパンダ」と揶揄(やゆ)されることもあった。「それでも、多くの人が会場に来てくれるのはうれしかった」と小椋。次の五輪に質問が及ぶと、「今は休みたい」と小さくため息をついた。
北京五輪のバドミントン女子ダブルス準々決勝が11日に行われ、小椋久美子、潮田玲子組(ともに三洋電機)は、世界ランキング2位のズー・ジン、ユー・ヤン組(中国)に0-2(8-21、5-21)で完敗した。
以下は、試合後の小椋と潮田のコメント。
■小椋久美子「実力としか言いようがない」
今までやったときと同じ展開で終わったけど、あきらめないで戦えた。最後まで頑張ろうと話し合いながら試合ができたので、今は満足しています。相手は前衛が速いので捕まらないように、左右に大きく振ろうとしましたが、考えすぎてミスをして、また最初から(作戦を)やり直しになる形になってしまった。
(中国の応援がすごかったが)相手はすごく人気のあるペアなのかなと思いました。中国では何度も試合をしているので気にはならなかった。これが実力だと思う。(こちらの)実力を出せないようなプレーをされた。何回やっても、今日の結果が結果だと思う。
(もうひと組の日本代表、末綱・前田ペアが準決勝に進んだが)一緒に準決勝に上がりたいという気持ちと、勢いに乗りたいという気持ちだった。相手は格上で、失うものは何もないので、向かっていこうという気持ちでやった。勝つためにもう一回考えて出直してきます。今の頭じゃ戦えない。やる前からどんな相手か分かっていて対策をして臨んだ結果なので、実力としか言いようがない。
(メディアに取り上げられバドミントン人気を引っ張ってきたことについては)確かにそういう面でいろいろと考えたけれど、テレビに取り上げてもらって、応援が増えてパワーをもらっている部分もあった。バドミントンがたくさんの人に見てもらえたらいいと思ってやっていた。今も負けても取材してもらっているし。(今後については)今は何も考えていません。(4年後については)考えます。ちょっと休みたいです。
■潮田玲子「夢の舞台が終わった」
夢の舞台が終わった。相手は強かった。自分たちのプレーをやらせてもらえなかった。いつもこうなる。二けたも取らせてもらえない。何回も戦っていて(自分たちの)プレーも分かられていて、相手が自信を持ってプレーしていた。中国の応援は気にならなかったです。
(判定に抗議していたが)何が起きたのか分からなかった。でもしょうがない。そういうことを含めても、これが自分たちの実力。何回やってもこういう展開になる。思い切ってプレーしてもやらせてもらえない。展開を変えないとと思ってあせってしまった。相手も最初は緊張しているかなと思ったけど、流れを一気に持っていかれてしまった。考えすぎてロブ(オーバーハンド以外でバックライン付近に高く打ち返すショット)とかで凡ミスをしてしまった。終わったときは、(小椋に)ごめんね、ありがとうと言った。五輪は夢の舞台だった。ここ何日かは夢を見ているようだった。挑戦できてうれしかった。(4年後は)今は何も考えられない。じっくり反省してこれからのことはゆっくり考えたい。
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それでも敗戦が決まった瞬間、2人は顔を見合わせ笑みさえ浮かべた。潮田は「(相手が)強かった。これが実力」とさばさばした表情。小椋は完敗に終わった中国コンビについて「やる前から対策を練ってきてこの結果。自分たちで考えすぎてミスしてしまった」と力の差を認めた。今後について、オグシオはそろって「ゆっくり休みます」と話した。
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デイリースポーツは、8月12日付記事で、潮田玲子選手(24)が08年限りで現役引退する可能性があると報じた。それによると、潮田選手は、北京を集大成の場と考えており、早ければ年末の日本リーグを最後に引退するというのだ。そして、以前から希望し、オファーもあるキャスターに転身することが考えられるとしている。
また、スポーツ報知は、同日付記事で、2人には、東京、大阪のテレビ局3社からキャスター就任の要請が来ていると明かした。現役のまま兼業でよいといい、映画出演の話まであるという。
今後について「まだ考えられない」と漏らす2人。デイリーの記事では、10月までに結論とあるが、バドミントン協会の事務局長は、2人からヒアリングするとしたうえで、「記者会見をするかは別として、方向性はもうすぐ出る」と話す。
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(中国の応援は気になったか?)普段と変わらないです。中国の応援がすごいなと思っていました。でもオグシオコールもすごかったです。そればかり頭に入れていました。
2ゲーム目の最初にお母さんの「頑張れー」という声が聞こえたので、(声の方向を)見たら家族が見えました。それからは、そこを意識して声を聞くようにしました。
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【北京=白岩賢太】「オグシオ」の夏が終わった。バドミントン女子ダブルスの小椋久美子、潮田玲子組は11日、準々決勝で中国ペアに敗れた。偶然も重なってダブルスを結成してから9年。「2人で出なければ意味がない」と、固いきずなで北京にやってきたオグシオだったが、優勝候補の前にわずか30分あまりで敗れた。試合終了後、潮田選手は観客席最前列の母親のもとへ。母は「玲子」と呼びかけ、「お疲れさま」と声をかけた。潮田選手の目には光るものがあったが、笑顔で返し、コートを後にした。
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9年前。四天王寺高(大阪市)1年の小椋選手と九州国際大付属高(福岡県)1年の潮田選手は、シングルスのジュニア代表合宿に招集され、ダブルスを組まされた。
「先輩が先にペアを決めてしまったので、私たちだけが余っちゃったんです」
小椋選手はそう振り返る。
だが、“急造”ペアは息の合ったプレーで周りを圧倒した。
パワフルな攻撃の小椋選手、前衛でのシャトルさばきが持ち味の潮田選手。
当時監督だった佐藤秀夫さんも「リズムに乗れば外国勢を倒せる力があった」と振り返る。
そんな2人は小学生時代に対戦している。
平成7年のクリスマスイブの全国小学生大会で、小椋選手がなすすべもなく敗れた相手が潮田選手だった。
高校卒業後、2人はバドミントンの名門、三洋電機(大阪府)にそろって入社した。進学か別の実業団か迷っていた潮田選手に何度も電話をかけ、説得したのは小椋選手だった。
「いろいろな偶然が重なったけど『オグッチ』と出会えて本当によかった」
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11日の準々決勝の会場には、2人に声援を送る家族の姿もあった。
潮田選手の母、睦子さん(51)は最前列に陣取り娘の姿を見守った。この日は睦子さんの誕生日で、潮田選手からは「誕生日おめでとう。お母さんのために頑張るよ」というメールが届いた。
睦子さんは「ありがとう」とメールを返したという。
試合後、睦子さんは「昨日よりも気負っていて緊張していたように見えた。でも私には最高のプレゼント。今はお疲れさんとだけ言ってあげたい」。
小椋選手の弟、晴吉さん(22)は「五輪に出て1勝をあげただけでも、すごい。姉が4年後に出るというのなら、応援したい」と語った。
「静の小椋、動の潮田」と自称するように、2人は正反対の性格だが、言葉を交わさなくてもお互いの気持ちが分かり合えるという。
2人を描いたDVD「熱闘オグシオ」を3月に販売したNHKエンタープライズは、スポーツジャンルでは異例の5000枚を出荷。“五輪効果”で売り上げ増を期待している。
練習風景を写した公式写真集を昨年9月に発行した小学館は、水着姿がない写真集では異例の1万5000部を発行。アイドルでも通常の発行部数は5000部ほどといい、期待ぶりがうかがえる。五輪開幕直前から売れ行きが伸びており、「第2弾を出したい希望はある」と担当者。
2人が所属する三洋電機は、昨年度の宣伝効果を150億円と試算。イメージ向上で「社員の士気もあがった」(佐野精一郎社長)という。家電量販店では、洗濯機などのコーナーにオグシオの等身大パネルが立ち並び、ブランドイメージも定着しつつある。
CM総合研究所の関根建男代表は、「オグシオはタレントに比べると地味でも、応援したくなる存在。競技者として着実に実力をつけてきた姿は、ヴァーチャルで人為的な情報が多い社会で、うそがない存在として好まれている」と五輪後もさらに“露出度”が高まるとみている。
7月
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1回戦の相手は世界14位と格下のデンマーク・ペアに決まったが、喜んではいられない。初戦を突破しても準々決勝で待ち受けるのは、潮田が「男っぽいダブルスで中国3組の中で一番、苦手」と語る世界ランク3位の杜・于組だ。今年3月の全英OPでは、2セット合計でわずか18点しか奪えずに0―2で完敗。そこを突破しても、準決勝で再び中国の世界ランク2位の張・魏組との対戦が濃厚。07年5月のインドネシアOPで0―2と歯が立たなかった相手だ。
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バドミントン女子ダブルス北京五輪代表の小椋久美子、潮田玲子と、シングルス代表の広瀬栄理子(以上、三洋電機)が18日、大阪市内のホテルで記者会見。
今月の全日本実業団選手権では、故障の影響もあって決勝で敗れるなど心配されたが、小椋は「体調も70%くらいには回復している。練習を積めば問題ない」と復調をアピール。潮田も「これまでの苦しい道のりを思い出して、しっかり仕上げたい」と話した。
会見後には壮行会が行われた。
座右の銘は「全力で戦う、全部出し切る」だ。「頑張れと言われると焦ってしまう性格」と話すが、「今は五輪を楽しもうと気持ちを切り替えている」。
4月に腰を痛め、5月の世界国別対抗戦を欠場。潮田は別の選手と組んで出場した。6月に入り、ようやく2人で練習できるようになった。13日の全日本実業団選手権では同じ五輪代表ペアに敗れた。本来の調子をどう取り戻すかが五輪までの課題だ。
母光江さん(50)は「小さい時から体を動かすことが大好きな子だった。高校入学で大阪に送り出す時は寂しかった」と話す。高校から何度も腰を痛めてきた。「電話で『もう大丈夫』って話していたけど、いつも無理をするから」と気遣う。
地元の三重県川越町は、大いに盛り上がる。町は、町民限定のオグシオの北京五輪応援ツアーを企画。役場には応援旗が置かれ、町民が寄せ書きした。後援会員約30人が北京へ応援に行く予定という。
(小若理恵、久土地亮)
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小椋の顔は真っ赤で、大きな瞳に浮かんだ涙は今にもこぼれ落ちそうだった。1番手で同じ北京五輪代表の末綱・前田組と対戦したオグシオは、0―2で完敗。05年5月以来、約3年ぶりに国内のライバルに黒星を喫した。三洋電機も勢いに乗れず、5連覇に失敗。責任を感じた小椋は「大変なことをしてしまったっていう気持ち」と会見で声を絞り出した。
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前半こそ硬さが見られたが、後半になると力強いスマッシュを次々と決めるなど持ち味を発揮。1400人収容の会場はほぼ満席で、2人のプレーを写真に収める姿が見られた。
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<潮田>
体調は今すごくいいので、このままいい状態で合宿に臨めると思います。オリンピック(の本番)まであと3週間なので、毎日前向きにしっかり頑張っていきたいと思います。私たちは(小椋の故障で)2人で組んで練習することがあまりなかったので、オグッチ(小椋)が復帰してからは、2人でコンビネーションの練習や実戦的な練習をやってきました。オリンピックでは自分たちの持てる力を出し切って、しっかりメダルを目指して頑張ります。
(不安や心配は?)考え出すといくらでもあって不安は尽きないですけど、考えすぎてもマイナス思考だとよくないので、今はポジティブに前向きにやっています。
<小椋>
(負傷していた)腰の状態も良くなってきたので、あと3週間、オリンピックで悔いを残さないためにも、しっかり試合に向けて気持ちを作って臨みたいと思います。腰を痛めてから練習をしっかりできないことが多かったので、(その間は)フィジカルを中心に(トレーニングを)やり込んできました。
オリンピックでは1戦目が大事だと思うので、まず1戦目をしっかりと戦って、悔いの残さない戦いをして、少しでも多く勝ってメダルにつなげられればいいと思っています。
(不安や心配は?)自分たちの持っているものを出せないことが一番心配なので、そうならないようにこの3週間でしっかり自信をつけてコートに立ちたいと思います。
中島さんの中国名は丁其慶。浙江省杭州市出身で、9歳の時、バドミントンを始めた。ナショナルチームで活躍し、1986年にはアジア大会男子ダブルスで銅メダルを獲得したが、1年後、腰を痛めて引退を余儀なくされた。
日本に来ていた友人から誘われ、龍谷大に留学。91年から日本で指導者の道を歩み始めた。日本国籍の取得は2000年。親は反対したが、こだわりはなかった。「日本は桜がきれいな国で、昔から好きだった。海外遠征での出国手続きが煩雑なので国籍を取得した」。中国の「中」と島国の日本から「島」を取って、中島に。
しかし、中国と日本では、バドミントンの社会的な支援体制に大きな差があった。実業団バトミントン部は、リストラで次々と廃止された。04年から指導する三洋電機は、中島さんにとって5社目だ。「三洋電機はスポーツに理解があり、安心してやれる」
北京五輪で目指すのは、もちろんメダル。だが、その前には、中島さんの母国が立ちはだかる。「スポーツに国籍は関係ない。どこの国でも自分の教える子が一番」。中島さんは、教え子が母国を超える日を夢見ている。
小椋がリハビリに励んでいる間、別の選手と組んで戦っていた潮田は、小椋にメールを送り、励ましてきた。一刻も早い回復を望みながら、パートナーを焦らせてはいけない。決して「頑張れ」と書いてこない文面に、小椋は胸を熱くした。「離れてみて、自分は一人じゃないと改めて感じた。レイちゃんは本当に大切な存在だと思った」
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「プレーの幅が広がり、守備力も上がってきている」と、日本協会の銭谷欽治・選手強化本部長が認めるオグシオの実力。それを本番で出し切るには、まずは小椋が体の切れと運動量を取り戻せるか、だ。
「落ち込んでいるヒマはない。前に進むしかない」と小椋。潮田は「不安や焦りがないと言ったら、ウソになる。悔いが残らないように頑張るだけ」と力を込めた。
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しかしどんなに協力なトップ&バックでも、ワンパターンでは、世界トップには通用しない。「オグシオ」が世界で通用するようになった最大の要因は、実は後衛潮田、前衛小椋の「シオオグ」が強化されたからだった。アテネ五輪前に三洋電機の喜多努監督は「対戦相手は小椋を前に、潮田を後ろに下げておけば安心だった」と弱点を指摘。そこから「シオオグ」を徹底して強化した。
成果は昨年から出はじめた。小椋が前衛に立ちはだかることで、相手に威圧感を与えた。「小椋に届かないように相手はシャトルを高く上げなければならなかった」(喜多監督)。後衛の潮田は打ちごろになったシャトルを、針の穴を通すような抜群のコントロールで、相手の返しづらい場所へ突き刺した。
「オグシオ」から「シオオグ」に変わっても攻撃力は落ちなくなった。同時に相応効果も生み出された。喜多監督が言う。「2人ともショットの質が違う。野球の投手が速い球と緩い球を投げ分けるのと同じ効果が出た」(喜多監督)と、小椋と潮田がクルクル変わって攻めることで、相手のリズムを狂わせた。
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最終更新:2009年12月13日 00:25