城主
松田氏・宇喜多直家・宇喜多秀家・小早川秀秋
別名
万成城・大安寺城・矢坂城
遺構
曲輪・石垣・土塁・櫓台(本丸東は採石のため消滅)・土橋・堀
歴史
概要
矢坂山の山頂に本丸を構えた近世城郭に近い形の単純連郭式山城であった。矢坂は万成石を採掘できる山として大正時代から採掘をしているため現在は、本丸が三分の二消滅している。なお南の出丸以外の曲輪などはすべて半壊および全壊している。現在も採掘が行われている為、近い将来消滅する可能性がある。このため現状では往時の状態を想像するのは難しい。
城は、実際に見ても消滅しているところがあるが、(三分の二内ので詳しくはわからないが)三角の本丸の南に細長い窪地(曲輪?)がありに本丸の南に正方形型の二の丸が存在する。本丸の東には大手曲輪が存在したようだが現状は崖になっている。本丸北には本丸北曲輪が存在してしていたようだがその北に曲輪とともに消滅している。本丸西にも曲輪が帯曲輪が存在するが、崩壊している。
近世城郭に近い城跡とあるが、山が荒れており崩壊や破壊が激しく城跡らしい遺構がほとんど確認できない。本丸は石垣が確認できる(昭和42・43年の発掘調査では本丸北側の石垣や礎石群が出たようだが、埋め戻されている。)
縄張り図
所在地
岡山市北区矢坂本町
交通
自家用車
近くに駐車場はない
公共交通機関
JR山陽本線 大安寺駅から徒歩10分で大安寺の登山口に着く
登城口
登山口はたくさんあるが、わかりやすいのは大安寺から登るのがわかりやすい。地元の幼稚園の子が作成した案内板に沿っていけば迷うことはない。
注意
本丸から東および北は採石のため断崖になっている。落ちないように注意すること。
写真
遠景写真
城内写真
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本丸 |
本丸石垣Ⅰ |
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本丸北側(この先に北の丸があった) |
本丸石垣Ⅱ |
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二の丸 |
本丸と二の丸との間の曲輪 |
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二の丸西方 |
櫓台 |
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南の出丸の土橋 |
石垣? |
登城記録・感想等
ぴっちゃん 05/07/06 (晴)
常山・八浜のついでにいった場所なので、ついた頃には夕方になってました。しかも、登城口が分からないから、またも墓場から獣道(途中から、道がなくなったので、藪こぎと軽い登山になってきましたが・・)途中から一応道を見つけ上っていきましたが・・。やはり下調べはいるなと。(帰りに気がついたのですが、自転車を止めた大安寺から登城道があったみたいです。)
で、やっと標識(朽ちた碑)を見つけ南の出丸から二の丸にいったのですが・・遠くからでは分からなかったのですが、採石のため道が無くなってます。二の丸から先は断崖になってました・・。本丸がどこにあるのか途中で分からなくなってしまいました。なのでもう一度行く必要が・・というか山自身半分くらい無くなって、北にあった曲輪群自身がすっかり消滅しているのでどこがどこだか分らなくなっています。(採石物である万成石は結構有名で、高価な花崗岩なので、採石は中止しないと思います。よって・・この城ももうすぐ歴史上からも物理的にも消滅してしまうのでしょうか。)
昭和44年に岡山市教育委員会が発掘したのですが、そのとき前期松田期、後期松田期、浮田期と城郭が発掘された時に、浮田期には、天守はないがそれ以外は重層の櫓などがあり、近世城郭になっていたとありましたが、この荒廃ぶりからは想像できないのですが・・。ちなみに石山門は古写真が残っていて、古写真で見ることができますが・・。
ぴっちゃん 10/01/02(晴)
再び登ってみました。今回は大安寺から登ります。前回断念した本丸は二の丸の奥に続く獣道から、しかし本丸から二の丸を連結する曲輪も採石によりかなり削られていて危険になっています。そこを越えると本丸ですが、本丸も南以外は採石で削られ半分以上が消えていました。(本丸北側には石垣が残っていました。)さらに北と東に曲輪があるはずですが、こちらも削られて消滅していました。
居館候補地
南に野殿という地名有り。野殿城のことか?
参考文献
「日本城郭大系 13」 「岡山市史」
更新日
2010年02月24日
最終更新:2010年02月24日 21:33