徳倉城


城主

松田親秀・遠藤河内守・小早川秀秋

別名

土倉城

遺構

曲輪・石垣・土塁・天守台・櫓台・堀・出丸・井戸

歴史



概要

遠藤山にある山城。本丸の西以外と二の丸や大手曲輪が石垣で造られている城跡で、古城にの名にふさわしい城跡。山頂部に本丸をおき、北には出丸群があり、本丸東北に二の丸や大手曲輪群がある。本丸南には三の丸を配置し、三の丸からしばらく山を下ると出丸群が存在する。本丸は五角形の形をしており、城域の中でもっとも広くとられている。本丸中央には天守台と呼ばれる天守相当櫓があったとされる。本丸南東には櫓台を擁している。本丸中央部から二の丸へ連結している。二の丸は非常に狭い。二の丸と本丸の間には小曲輪が存在する。二の丸から北は大手曲輪となり小曲輪群が階段状に4連になっている。本丸北西には出丸群があり、本丸直下の小曲輪を囲むように、帯曲輪が三方向に延びている。本丸と帯曲輪を挟んで南東に位置する三の丸には、石垣が存在しないが南西部には土塁がかすかに残っている。三の丸から南に降りると二本横堀がある。出丸は細長い曲輪であるが先端部には堀が残る

縄張り図


所在地

岡山市北区御津河内字小遠藤


交通

自家用車

麓の徳倉神社に駐車スペース有り

公共交通機関

津山線『御津駅』下車徒歩50分

登城口

神社から南に行き沢沿いを歩いていくと登城口につく

注意

遠藤山へいく車道は途中で消滅している。

写真

遠景写真

東側より

城内写真

井戸 本丸
本丸東南の櫓台石垣 天守台
二の丸から本丸を望む 本丸北出丸
大手曲輪 大手曲輪下の石垣
三の丸 三の丸南の竪堀


登城記録・感想等

ぴっちゃん 08/12/30(雪)

 例に漏れず場所を調べず来てしまいました。そろそろ学習しようよ。
 というか、てっきり『土倉山』にあるから徳倉城(土倉城)というのかと思ってました。しかし場所が違いました。土倉山とは関係ない遠藤山というやまにあるんですよ。(城主遠藤秀清から名付けられたのだろうか?)
 とりあえず、愛車で突撃するも・・正直無茶しました。途中で車が・・動かなくなりました。四駆のジムニーとかじゃなく、我が愛車ワゴンR君では無理でした。正直あそこまでスリップするとは思わなくて、つい草が生えてる場所に乗り上げさせたら・・前に進めなくなった、進めようとすると横に滑りこれ以上滑ると谷に堕ちるので諦めてバックするも・・細い道をバックなんか・・、いくら四国の酷道になれてるとはいえ、運転技術がまだまだな私にあんな所無理ですよ。弟と後輩Sに後ろの道を見て貰いながらのろのろバックを。
 何とか徳倉神社迄戻り、そこに車を置かして貰い、諦めて歩いて登ることに。
 とにかく登ると、スリップしたところからすぐに行き止まりになってたので、徳倉神社に車を置いて正解でした。無理して傷だらけにして、精神的に再起不能になる、あそこで引き返して正直傷1つ着かなくてよかったですし。
 ともかく、そこからだらだらと登ると・・堀切が!綺麗に残ってます。
 そこからだらだらまた登るといきなり三の丸の上の本丸へ。
 そこには苔むした石垣が!この日は、ここは図面を書くと言うことで図面を書きましたが、ここは書くより、じっくりうろうろしてたほうが楽しいかもです。
 なお縄張は、本丸を中心として、本丸の真ん中辺りには櫓台(天守相当?)があり、本丸南にも櫓台のような物が存在しています。さらに本丸は西方向以外石垣が見られます。
 本丸から三方向(まるでフォークのような形で)曲輪が展開しています。二の丸とおぼしき場所には井戸がありそこから大手の方向に伸びる曲輪には幽かに石垣が見られました。また本丸北側の曲輪は少し広く何かが立っていたのでしょうか?さらに、本丸西側には小さいのですが曲輪のような物が連続して有りました。
とまあ、図面描いていたら楽しかったのですが、結局出丸は遠すぎるため降りる方法も分からず(一人なら行ってたのですが・・・)行くことができませんでした。出丸が一番古い工法で作られてたようですが・・。残念。
 なお、図面を描いている途中に真上に飛行機が飛んでいたのをよく見かけました、岡山空港が近く城跡の真上を通って行く飛行機がたくさん見れたので、空の航路の真下にあるのでしょう。 ちなみにこの城落ち葉が激しいので滑りやすいので、登山用の靴を履いていくことをお勧めします。

居館候補地

東側麓に、土井の内・鍛冶屋という小字有り。

参考文献

「日本城郭大系 13」「改修赤磐郡誌」

更新日

2010年02月24日

最終更新:2010年02月24日 22:13
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