城主 木下(杉原)家定 遺構 御殿跡・石垣・水堀・近水園 所在地 岡山市北区足守 歴史 足守藩は、関ヶ原合戦後の慶長6年に備中南東部で二万五千石を所領した、木下(杉原)家定が足守を治所としたところから始まる。木下(杉原)家定は豊臣秀吉の正室の北政所(ねね)の兄という間柄であった。慶長13年に家定が没した後に、ねねが徳川家康の意向に反して、長男の勝俊だけに、相続させたために、所領没収となり、家康は、浅野長晟(ねねの養父、浅野長政の次男)を藩主とするが、長晟が宗家を相続し転出したため、足守は天領となった。元和元年に、大阪夏の陣で家康の幕下に属していた木下利房(家定の次男)が旧領に封ぜられ、明治維新まで続いている。 概要 形式は城ではなく陣屋形式。背後の山には中世の山城で境目七城の一つ宮地山城が控える。陣屋には屋形構が残っていて、小さいながらも水堀と石垣も残っている。隣には足守文庫や足守藩の庭園である近水園(おみずえん)も残っている。近水園に残る建物は幕命で京都御所を造営したときの残材で作った清涼軒。 |
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水堀と石垣 | 陣屋屋敷跡 |
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近水園 | 石碑 |