片島城


城主

細川氏

別名



遺構

曲輪・竪堀

歴史

元亀2年(1571年)2月、尼子勝久は備北を制圧して、南下し細川下野守が守る片島城を攻め、落城したとされている。

概要

海城。現在は妙任寺と片島神社になっている。寺院と墓地になっているため、遺構は大幅に破壊されていると思われるが、主郭と副郭に分かれていて、東側にも曲輪のようなものも見受けられる。本丸の北側側面には竪堀が辛うじて確認できる。
また、高梁川の堤防から城跡をみると、海に浮かぶ往時の風景が想像できる。

縄張り図



所在地

倉敷市片島町

交通

自家用車


公共交通機関



登城口



注意



写真

遠景写真

城跡南西 高梁川堤防から  

城内写真

   


登城記録・感想等


居館推定地


近くの観光名所


参考文献

「日本城郭大系 13」 

更新日

2010年04月08日

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最終更新:2010年04月08日 00:04
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