舟山城(原)


城主

須々木豊前

別名

船山城・須々木城

遺構

曲輪・土塁・竪堀・横堀

歴史


概要

標高50mの城山に舟山城は存在する。連郭式山城で、現在は本丸は広場、二の丸や腰曲輪は墓地になっている。
本丸を一番北に置き(北面と西面に)土塁で回している本丸の北に堀切をおいている。本丸南に二の丸を置きそれを取り囲むように帯び曲輪が三段配置してある。南には三条の竪堀が存在する。墓地にはなっているが、このように池田家文書の図面道理、ほとんど改変がない。

縄張り図


所在地

岡山市北区原


交通

自家用車

真下に、墓地用の駐車スペース有り

公共交通機関

JR津山線 駅から徒歩 分で登山口に着く

登城口

登山口は南面にある墓地入り口から登る。

注意

二の丸などは墓地である。

写真

遠景写真

   
東面 龍ノ口山城から

城内写真



登城記録・感想等

ぴっちゃん 09/10/8 (晴)

比較的登りやすいと聞いたので、登ってみました。少しあがるといきなり墓地になりますが、墓地の一番下段をよく見ると(かなり崩れていますがかろうじて確認できます。)V字の竪堀が二本墓地のある切岸からこちらに下りてきています。
墓地は三~四段で構成されていますが、コレはすべて元々曲輪だったのでしょう。一番東にある墓地がある段が南の一番端の曲輪だと思います。その東の段の北端にはこれまた竪堀が延びています。(池田家文書のとおり3条の竪堀が確認できました。)
そして墓地の奥に行くと、一弾高くなった墓地になっていない広い場所が見えてきますが、ここが本丸なのでしょう。本丸には須々木神社という小さな社と碑が建っています。
 本丸は、台形に近い形で、北と西(西は低いですが)に土塁がきちんと存在しています。本丸の北には浅くなっていますが、きちんと堀切が存在し、こんな小さな城でも非常に綺麗にこんな堀や土塁などが残ってることに感動しました。
 なお本丸の北の堀切より北は自然地形(ちなみに荒れ地)になっているのでここまでが城跡なのでしょうか?少し進みましたが城跡の遺構は見受けられませんでした。


参考文献

「日本城郭大系 13」 「岡山市史」

更新日

2010年01月16日

最終更新:2010年01月16日 00:20
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