城主
建部民部尉政喜
別名
遺構
なし
歴史
建部政喜は慶長9年(1604年)に倉敷市西阿知の遍照院に落ち着き、中島村の開発に携わる。元和2年に先祖供養のために実際寺を建立し、正保2年(1645年)10月16日60歳で没し実際寺に埋葬される。
メモ
中洲町史によると、“祖先は近江国栗本郡守山城主建部丹波守政長知行五万石を領せしが、天文五丙申落城す。”とある。建部政長は慶長8年(1603年)に生まれ、寛文12年(1672年)に没している。一方、政喜は正保2年(1645年)60歳で没するので、生まれは天正13年(1585年)と考えられるため、祖先としては疑問。近江守山城については政長の祖父高光が知行500石受けている。高光は天文3年(1534年)に生まれ、慶長12年(1607)に没している。
概要
現状では城跡がある場所に遺構らしきものは確認できない。城跡がある場所の西に中島神社がある。神社の北にある社がある場所がかなり高い土盛りで、もしかしたらこちらは何か城跡の遺構なのかもしれない。さらに神社の西に墓地があるがこちらも周囲より高い。なお水路は、干拓事業で作られたもののようなので城跡遺構ではない。
縄張り図
所在地
倉敷市中島
交通
自家用車
付近に駐車場無し
公共交通機関
JR山陽本線『西阿知駅』下車徒歩20分
登城口
注意
写真
遠景写真
城内写真
登城記録・感想等
ぴっちゃん 09/07/05
中島神社です。こちらも城跡とはおもえないのですが・・。確かに社がある場所が一段高い言えば高いのですが・・。道路挟んだすぐ東隣の田圃にも
上河原城がありますが、近すぎる気もします・・。
居館推定地
近くの観光名所
参考文献
「日本城郭大系 13」「中洲町史」
更新日
2010年04月08日
最終更新:2010年04月08日 00:40