城主
田辺出雲守高倫、結城民部丞忠秀
別名
田辺城、美袋城
遺構
歴史
城主は永正年間(1504年~1520年)田辺出雲守高倫。高倫は陶山備中守泰高の子孫で
陶山岡城より移りこの地に居住し、姓を田辺に改めた。高倫の孫の光吉が毛利氏に属したことで、美袋から串山城(広島県福山市津之郷町)へ移った。
その後、三村元親に属する結城民部丞忠秀が居城することになるが、天正3年(1575年)1月20日に落城し、結城忠秀は児島へと退いた。
メモ
備中兵乱記には三村民部丞忠秀とあり、三村宗親の子。
概要
縄張り図
所在地
総社市美袋
交通
自家用車
登城口
注意
写真
登城記録・感想等
参考文献
「日本城郭大系 13」「昭和町史」
更新日
2010年01月21日
最終更新:2010年01月21日 01:46