6-203-211 イズチヨ
卒業してから西浦高校硬式野球部一期生が一同に会するのは今日が初めてだろう。
少人数で遊んだり、有志でOB戦や合宿に顔を出すことはあったけど、10人全員が
集まることはなかった。
その日、泉はケータイの着信で目を覚ました。
「・・・はい」
「よー!泉!久しぶりー」
「田島・・・?」
「おー!泉は式出ねえの?みんなけっこう来てるぜ」
「んー、めんどくせえ。夕方の飲みから行くよ」
「わーった!じゃ、あとでな!」
「おー」
ケータイをぱくっと閉じてごしごし目をこする。部屋の天井に違和感があった。
(あれ・・・? そうか、昨日実家に戻ってきたんだっけ)
身を起こし、んーっと伸びをする。寝起きの頭でぼんやり思った。
(酒・・・ あいつらみんな飲めんのかな)
のろのろ起き上がった。カーテンを開ける。射し込む冬の日差しに目が眩む。
空は雲ひとつなく、今日に相応しくどこまでも晴れ晴れしい。
ふと、昨日の練習後の篠岡との会話を思いだした。
「泉くん!今日、実家帰るんでしょー?一緒に帰ろう?」
「泉くんは式、行く?」
「わたし、明日振袖着るんだー。みんなとも久しぶりに会うね!楽しみだねー」
ち、っと舌打ちする。
「めんどくせええ」
(けど、振袖姿が見たい)
部屋を出て、隣の部屋を軽くノックする。
「兄貴ぃ、スーツ貸してー」
卒業後、泉は私立大学に進学した。キャンパスが神奈川で実家から通学に片道2時間以上を費やすため、今はキャンパスの近くに一人暮らしをしていた。
大学では野球部に迷わず入部した。野球サークルほどイイカゲンではなく、六大学野球のような体育会野球部でもなく、その中間に属する野球部だ。
練習は高校ほどはきつくないにしても、週の月・水・金の練習はきっちりあったし、土日は練習試合などもあった。
泉が野球部に入部して程なく、篠岡がマネジとして入部してきた。
進学した大学が一緒なのは知っていたが、泉は理系、篠岡は文系でキャンパスは都内にあった。
野球部は文系・理系の学生混合で、大学の野球のグラウンドは文系・理系キャンパスの中間にあった。
篠岡の入部に驚いたものの、変わらない筋金入りの野球好きに泉は心から感心した。
そしてこれからの4年間も一緒に野球できるという予想外のサプライズをうれしく思い、
また4年間、篠岡の存在に励まされることを心強く思った。
泉は大学では高校のときよりも、篠岡との距離が縮まった気がしていた。
卒業した今でも、西浦高校野球部のメンバーは泉にとって何にもかえがたい存在で、
野球部と過ごした3年間は泉の高校生活の全てであった。
そんな野球部のメンバーを裏切るような言動は厳禁であることを10人が皆、暗黙の了解で守りぬき、篠岡に想いを寄せても心に秘めたまま、皆卒業した。
その足枷が外れたからか、泉の篠岡への態度が軟化した。
よくふたりで西浦の話で盛り上がった。
篠岡からメールが頻繁にくるようになった。
練習後ふたりでご飯を食べに行くこともあった。
練習のない休日、篠岡のマネジの買出しに荷物持ちとして付き合うこともあった。
でも、それ以上のことは何もない。
高校在学中に一度は摘み取った篠岡への想いが、また芽吹いたことを泉は認識していた。
最近はその想いを持て余し、いよいよどうしたものかと心乱れたまま月日は流れ、
今日、成人の日をむかえたのだった。
泉が会場に着いたときは成人式がとっくに始まっている時間だったが、会場の外は
ものすごい人の群れで溢れかえり、ものすごい賑わいだった。
今更ホールに入るつもりもなく、誰かつかまらないかとケータイを取り出した。
「泉くん」
聞きなれた声につられて顔を上げると篠岡が柔らかく微笑んだ。
「・・・うっす」
内心の驚きを悟られまいと、泉はいつものようにそっけなく返す。
篠岡の顔のパーツがひとつひとつくっきりとしていた。
フルメイクの篠岡はいつもの可憐な印象とは違って、なんとも艶やかであった。
特に薄い紅色のグロスを引いた唇に目を奪われた。そのつややかな唇から放たれた自分の名前がとても貴重なものに思われた。
「泉くん、式には出なかったんだ。ま、出るタイプじゃないか」
篠岡の髪の毛はアップにまとめられ、ぐるぐるに巻かれて花が挿してあった。
うなじの後れ毛がふわふわの白いストールにのっている。
「あ、わたしは友達と喋ってたらホールに入りそびれた、あはは」
振袖も薄い紅色でたくさんの桜の模様が散っていた。
篠岡の美しい装いに気を取られていた泉は、相槌も適当になってしまった。
そんな泉に篠岡は気付き、
「え、わたし、変かな・・・」
と自信なさ気に振袖の柄に目を落とした。
「いいんじゃねえの。ただ、見慣れないだけ」
ぶっきらぼうに言い放ち、泉は篠岡から視線を外した。
篠岡はえへへと照れて、会場の入り口を見た。
「あ、式、終わったみたいだよ」
泉は横目でわらわらと出てくる人の多さにげんなりし、成人の式典に出席した西浦の面々が美しい装いの篠岡へ露骨に反応を示すことを予想して、さらに気が滅入った。
「みんなわたしたちに気付くかなあ。あ、そうだ、泉くん、一緒に写真撮ろうよ」
篠岡がデジカメを取り出した。
「スーツの泉くん、カッコイイよ。いつも男前だけど、今日はさらに三割増し、男前」
篠岡は真っ赤に頬を染めてそう告げると、傍にいる人に写真撮ってくださいとお願いした。
撮り終わって見返すと、デジカメに写ったふたりとも、顔が真っ赤だった。
居酒屋は成人した者の群れで混沌としていた。各部屋で、各テーブルで、さまざまな
笑い声が上がっていた。
西浦高校硬式野球部の同窓会の部屋も例に違わず、大賑わいのドンチャン騒ぎであった。
野球部のメンバーの他にも応援団、チア、シガポにモモカンと懐かしい面々、更には父母までが押しかけ、思い思いに杯を酌み交わしていた。
泉も皆と近況や思い出話、野球談議と花を咲かせ、酔いが気持ちよく回っていた。
一通り挨拶をし終えたところで腰を落ち着かせ、壁に背をもたれて、異様に盛り上がる皆の表情をぼんやり見ていた。
「な、泉。篠岡キレイになったなー」
「オレも思った!大学でもモテるんじゃない?」
同じテーブルに座っている栄口と水谷が話しかけてきた。
「胸も大きくなったような」
「そうそう、なんかこう、色気が出てきたっていうか」
篠岡は振袖から白のワンピースに着替えて飲み会にやってきた。
部屋の最奥のテーブルにちょこんと座って、酒をもってテーブルに代わる代わるおとずれる面々と楽しそうに話をしている。
「そうか?いつもは化粧っ気、あんまりないぜ」
「化粧とか、そういうんじゃないんだよー」
「泉は今も一緒にいるから分からないんだよー」
(・・・こいつらもだいぶできあがってるな)
「な、今、篠岡つきあってるヤツとか、いんの?」
「いないんなら、オレ、コクってみようかなー」
その拍子に、泉は数日前の出来事を思い出した。
篠岡のマネジの買出しに付き合った日、駅に向かう雑踏で同じ部の先輩部員と先輩マネジにばったり出くわした。そのふたりは部内公認で、そのときも手を繋いでデート中だった。
「なに、おまえら付き合ってんの?」
先輩部員のその一言で、一瞬、泉と篠岡、その周りの空気までが凍りついた。
「・・・えへへ」
篠岡は真っ赤な顔をしてうつむいた。肯定も否定もしない。
泉は篠岡のその反応を受けて、後を引き取った。
「マネジの買出しの荷物持ちっす」
抑揚のない声で短く言った。泉も肯定も否定もしない。
ふうん、と先輩マネジがにやっと笑い
「泉のガードが固くってしのーかに手、出せないって部員の一部が言ってるよ」
と、からかうように言った。
先輩たちと別れた後、まだ篠岡が真っ赤な顔をして
「歳、あんまりかわらないのに、先輩たちって大人だよね」
と、ぽつりと言った。
泉は衝動で篠岡の手を握りたくなったが、伸ばした手を引っ込めた。
(もう、ギリギリだよな、たぶん、篠岡も)
(自惚れじゃあ、ない)
そこまで思い出したところで、泉は立ち上がった。
「いずみぃ、話の途中だぞー」
「便所だよ」
用を済ましてトイレから出たところのソファーに、篠岡がうずくまっていた。
「おい、飲みすぎたか?」
少し驚いた泉が声をかける。
「うん、だいぶ回った、みたい、けど、トイレ行って、だいぶ楽になった」
途切れ途切れに篠岡が言った。
泉はハァとため息をつき、時計を見た。23時前。まだ終電には余裕がある。
「篠岡、もう帰れ。送るから」
泉は部屋に戻り、自分と篠岡のコート、マフラー、バッグを持って、
端っこで静かに飲んでいた花井と阿部を見つけて、小さく声をかけた。
「篠岡、飲みすぎたみたいだから送ってくる」
「え、大丈夫なのか?タクシー呼ぶか?」
「意識あるし、歩けるから。大事になんのもめんどくせえからこのまま抜けっから」
「送り狼になるなよ」
阿部の一言は無視して、部屋を後にした。
下駄箱で篠岡のパンプスを取り出し、トイレの前に戻った。
篠岡は湯飲みを持って座っていた。
「ありがとう。これ、店員さんがくれた熱いお茶」
「茶、すすったら落ち着いたか?」
「うん」
篠岡の足に引っかかっていた居酒屋店内用のサンダルを脱がせ、パンプスを履かせる。
「ちっちぇ足」
「靴、履かせてもらうの、お姫さま気分」
(ああ、まだ酔ってんな)
(いつもなら赤い顔していいよいいよ、自分でできる、とかいうよな)
泉は篠岡にコートを着せて、ぐるっとぞんざいにマフラーも巻いてやった。
自身の身支度も終えて外に出ると、大宮の飲み屋街は相変わらず新成人で溢れかえっていた。
(こいつら皆、今夜はオールかな。あいつらも、次はカラオケに流れるかな)
手に何かが絡んだ。篠岡の冷たい手だった。
「人ごみではぐれちゃいそう」
思わず泉は立ち止まった。篠岡の目は泉をじっと見つめて潤んでいた。
(ああ、今がまさに潮時ってやつか)
泉は篠岡の手をぎゅっと握った。
「なあ」
「ん?」
「今からオレんち、行こうぜ?」
「は?」
「実家じゃなくて、一人暮らしの方」
お互い見つめあい立ち尽くして、どれくらいの時間が経ったのか。
篠岡は小さく肯いた。
「んじゃ、家に電話かけろ。篠岡の親、飲み会来てなかっただろ?」
篠岡の手を引っぱって道の端に寄った。
篠岡はケータイを取り出して家に電話を入れた。
今日の野球部の同窓会で朝までカラオケしてくる、監督や顧問の先生も一緒、
明日はそのまま大学の野球部に行くから・・・と、そんな内容だった。
篠岡は電話を切った後、
「泉くんはお家に連絡いいの・・・?」
と、おずおずと聞いた。
「オレんちは飲みに親来たし。あいつらきっとこれからカラオケにでも流れるだろうから、
オレも連中と一緒に朝までって思うだろ。つーか酔っ払ってそこまで頭回ってねえよ」
大宮から乗った上りの電車はがらがらで、座ったふたりは程なくして眠りに落ちた。
ように見えたが、ただ目を閉じただけだった。お互い相手の身が強張っているのに
気付いていて、それでも寝たふりをしている。
手はずっと繋がれていて、脈が異常に速い。お互いが自分の体温を分け合い、
自分の想いも伝わったら、と思っていた。
新宿で乗り換えた下り電車は満員で、泉は電車の角に篠岡を置き、ぎゅうぎゅうと電車の揺れに右往左往する
酔っ払いたちから身を挺して篠岡を守った。
「泉くん、背、伸びたね。今175cmくらい?」
「6あるよ。高校の頃、牛乳ばっか飲んでたおかげかもな」
「飲んでた、飲んでた。部活以外でも飲んでた」
篠岡はくすくす笑い、うつむき、少ししてから泉を見上げて
「いつも、見てたよ」
と目じりに涙を溜めて、小さく言った。
泉は、言葉の代わりにキスを返した。
篠岡は泉の背中に両腕を回し、
泉は右手で篠岡の顔を自分の胸にそっとうずめさせ、左腕を腰に回した。
泉の部屋に着くなり、双方、何年分かの想いが一気に爆ぜた。
しなやかな泉の体。柔らかい篠岡の体。
優しく、それでも深く与えあう刺激に溺れていく。
言葉はなくて、ただ激しい息継ぎや、熱い吐息が口から漏れる。
カーテンから差し込む冬の凍てついた月明かりが、ふたりの裸体を青く晒した。
お互い初めてだったが、行為を躊躇させるような理性などなかった。
余すところなく手で、指で、唇で触れ合い、溢れる体液は全て舐めて、飲み込んだ。
絶頂が襲ってきても必死に耐え、激痛が襲ってきても必死に耐え、
お互い無我夢中に動いて、やがて静かに果てた。
泉の体の中にすっぽりと納まった篠岡は、寝たまま泉の顔をトロンと覗き込んだ。
「ん?」
「泉くんのカラダ、触りたかったの。もう、ずっと」
「オレも」
「・・・眠い」
「オレも」
泉は夢うつつに答える。
「好き」
「オレも」
「オレも?」
「ずっと、ずっと、好きだった。篠岡」
満ち足りて、こと切れて、ふたりは抱き合ったまま眠りの深淵まで下りていった。
最終更新:2008年01月06日 22:06