6-320-331 サカチヨ
10月某日。文化祭を間近にひかえた西浦高校1年1組の教室で
その日巣山と栄口は妙な質問攻撃を受けていた。
「なぁなぁ、7組の篠岡ってどこ中出身?」
「オイ野球部、篠岡ってどこに住んでんの?」
「ねえねえ、篠岡さんって付き合ってる人いるの?」
「栄口って7組の篠岡と同中だろ?今度卒アル見せてよ」
質問は全て篠岡絡みだった。
巣山も栄口も最初は真摯に答えていたが、放課後をむかえる頃にはさすがにおかしく思い
これ以上の質問攻めを避けるべく、早々に野球部の部室に逃げ込んだ。
着替えながら今日の質問攻めの珍事を二人は他の部員たちに話した。
「男からだけじゃなくて女子にも聞かれたんだよなぁ」
「男も下心っつーよりは好奇心って感じでさ」
7組の三人の様子がどこかおかしいのを察知し、二人は問い詰めた。
花井と水谷は顔を見合わせ、何か言いよどんでいる。
阿部がため息をひとつついて紙を一枚、机の上に置いた。
皆一斉にその紙を覗き込む。
【第一回ミス西浦コンテスト開催決定!!】
日時:文化祭最終日、後夜祭開始前(現在詳細未定)
場所:万葉の庭(予定)
「なんじゃこりゃ?!」
田島が素っ頓狂な声を上げた。
その下に書かれているノミネート候補者の欄に8人の名前があり、その中に
『篠岡千代(1年7組、硬式野球部マネージャー)』
と載っていた。
「3年の有志団体の企画らしいぜ」
阿部がアンダーシャツを着ながら興味なさそうに言った。
「3年にしかアンケート、つーか投票用紙は配られてないみたいだ」
「オレらが知らないのも通りだよな」
花井が続ける。
「オレらのクラスのサッカー部員がそのビラ持ってきてさー」
「ウチのクラス今日一日すげー騒ぎだったぜ」
意外にも水谷はもううんざりといった顔だ。
この手の騒ぎに乗じて一緒に騒ぎそうなタイプなのに。
「篠岡がさー、すんげえ動揺しちゃってさー、かわいそうだよ、マジで」
水谷は眉を顰めて言い捨てた。
「篠岡、昼休みにこの主催者の3年らに出場辞退の抗議に行ったらしいぜ」
花井も怒り風情だ。
「・・・オレらも手ェ貸した方がいいのか?」
巣山が面食らったように聞いた。
「いや」
阿部がすぐ否定した。
「野球部の問題じゃねえし、篠岡自身のことだろ」
「昼間の抗議も逆効果、つーか火に油って感じでな」
「篠岡、3年の校舎で質問攻めにあったり好奇な眼に晒されて、憔悴しきって戻ってきた」
と花井が紙を睨みながらつぶやく。
「もう、篠岡かわいそすぎてこのことに直に触れらんねーよ」
水谷が脱いだシャツをロッカーに投げ入れた。
しばらくの沈黙のあと、泉が口を開いた。
「でもよ、篠岡の方から助けなりなんなり求めてきたら、オレら首つっこんでいいよな」
「おーよ、泉!3年校舎に討ち入りだよな!ゲンミツに!!」
田島がぐっと拳を握る。
10人全員、決意に満ちた眼で、首を縦に振った。
そのあとの練習で巣山は栄口と組み、柔軟とキャッチボールをしたが栄口の様子が
どことなくおかしいことに気付いた。
体が硬い。声が硬い。表情も硬い。返球すら硬い。
見た感じはいつもと同じだし、他の皆も気付いてない。
だが、クラスも一緒、部活も一緒、一日の大半を栄口と共に過ごしている巣山は
栄口のちょっとした異変を敏感に察知した。
「おつかれさまでーーす!!」
グラウンドに篠岡の声が響く。いつもよりも声が大きい。
10人皆、びくっとなったが
「おーーっす!!」
といつも以上に元気に挨拶し返した。
篠岡はベンチでいつものマネジ仕事に取り掛かっていた。様子は普段と全く変わらない。
10人もその様子に安堵し、篠岡に話しかけたり、からかったり、いつもの練習風景であった。
練習を終えてクラスの文化祭の準備の作業の為、巣山と栄口は1組の教室へ足を向けていた。
(教室に入れば日中の質問攻撃がまた始まる・・・)
二人の足取りは重かった。
廊下の角を曲がると数学準備室の前の水道に篠岡がいた。
水道の水はじゃあじゃあと流しっぱなしで、篠岡は生気のない眼でその流れを見つめ
呆然と立ち尽くしていた。
「おつかれ」
巣山は平然を装い、篠岡に声を掛けた。
「あ、おつかれさま」
篠岡はハッと我に返った。
篠岡はギュッと水道の蛇口を閉めて、洗い終わったジャグを流しから持ち上げ
二人の方を振り返ったとき、ジャグが水道の縁に積まれたコップに当たり
コップは派手な音を立てて廊下にばら撒かれた。
その拍子に篠岡は体のバランスを崩し、前のめりにつんのめった。
咄嗟に栄口が手を差し伸べ、篠岡の右肩を支えようとしたが、びくっと手が止まった。
巣山も反射で手が出て、篠岡の左肩を掴んだ。
全て一瞬のことで、すぐに元の放課後の廊下の静寂がおとずれた。
「あはは、ごめん、ごめん、ありがと、巣山君、じゃあね、ふたりとも、おつかれ」
篠岡は慌ててコップを拾うと、ジャグとコップと抱えて数学準備室にそのまま飛び込んだ。
巣山は栄口に視線を向けた。
栄口は下を向き、口をぐっと引き結んでいた。頬が少し赤く染まっていた。
(・・・ああ、そういうことか)
巣山はゆっくりまばたきし、少し勢いをつけて
「行こうぜ」
と栄口に声を掛けた。
その夜、栄口はベッドからぼんやり月を見上げていた。満月にはもう一欠片足りない月だった。
(オレの心も少しだけ、何か欠けているんだ)
窓からは涼しい風が金木犀の香りを運んできた。
なんで、なんで、あのとき、篠岡の右肩を掴めなかったんだろう。
いや、今日だけじゃない。なんでオレは篠岡に触れられないんだ?
栄口は野球部のイメトレの際、今まで篠岡の隣になったことがない。
手を繋いだことがない。
というか、意識的に隣にならないようにしてきた。
中学の放課後のグラウンドで篠岡のショート姿を見たとき、一目で心奪われた。
名前を知り、クラスを知り、遠くから姿を探すようになり、声を聞き分けられるようになり。
もうそれで十分だろ。憧れのままでいい。初恋なんてどうせ叶わない。
そのまま卒業して西浦に入学して野球部に入ったら、そこに篠岡がいた。
そして、完全に篠岡への想いに鍵を掛けた。
あまりに無理をして鍵を掛けたことを自分で分かっていた。
その分、他の可愛い女子やきれいな女子に目を向けようと必死だった。
篠岡には必要なとき以外は近寄らないように。
しかし、目を背ければ背けるほど、心の眼は篠岡に一途にむかう。
まどろんで浅い眠りに落ちていく。
その夜、栄口が見た夢。
篠岡が栄口のシャツのボタンをひとつふたつ外す。
乳首を指の腹で擦る。舌で舐める。転がす。甘噛みする。
ズボンのチャックを下ろし、下着の中からいきり立ったものを取り出し、小さい口に
咥える。篠岡は紅い舌と細く白い指で、栄口を何度も何度も絶頂に導く。
栄口は「だめだよ、だめだよ」と篠岡に懇願する。しかし与えられる刺激を制止できない。
それどころか全身に散らばる快楽の渦を、弄ばれるソレに丹念に貪欲に集中させる。
篠岡はふふっと微笑むと、自分の制服のシャツとスカートを脱ぐ。
下着はつけていない。
篠岡は形の良い柔らかな胸を栄口の顔に触れさせ、栄口の両手をくびれた腰にあてがい、
蜜を白い太腿に流しながら、十分に溢れた壷を栄口に挿し込んだ。
篠岡は両手で栄口の顔を包み、じっと栄口の眼を覗き込み
「わたしだけ、みて」
と優しく囁き、柔らかい唇を重ねた。
ビクっとして栄口は目を覚ます。
部屋が夜明けの白さに包まれている。
下腹部に違和感がある。
栄口は生まれて初めて夢精した。
栄口は今まで篠岡を自慰の対象にしたことはなかった。そんなことはできなかった。
夜更けに見た月は西の空に傾き、夜明けの空に溶けるように、薄くはり付いていた。
月は依然として少し欠けたままだった。
哀しくて、栄口は静かに泣いた。
栄口の心は満ちていた。それがすごく哀しかった。
翌日から、野球部による遠まわしな篠岡擁護が始まった。
休み時間、昼休み、放課後の部活が始まるまで・・・
入れ替わり立ち代り、何かしらの用事をつくって7組の篠岡のもとを訪れた。
チャイムが鳴るまで、時間ぎりぎりまで篠岡と話し続けた。
そこには、特別な用事がない限り、野球部以外は誰にも篠岡には近付けない凄みがあった。
また、野球部に篠岡の質問をする者もいなかった。
篠岡は部員10人にミスコンのことを直に聞かれたことはなかったが、
さすがに自分を取り巻く彼らのこの異常な行動に全てを悟り、その優しさに心から感謝した。
あれから主催者たちには会っていないので、出場の辞退は受理されてはいない。
主催者側は篠岡が何も言ってこなくなったことをいい事にどんどんミスコンの準備を
進めている様子であった。
(文化祭当日もこの調子でみんな庇ってくれる、出なくても、大丈夫・・・)
文化祭が明後日に迫った放課後、巣山が文化祭の準備の野暮用でまだクラスに残って
いるため、栄口は一人で部室に向かっていた。
昇降口を出たとき、校舎の裏へ歩く篠岡とそれを取り囲む男三人の後姿が見えた。
栄口は胸騒ぎを感じ、気付かれないように四人の背後を追った。
姿は見えないが、声がはっきり聞こえるところまで歩を進めた。
「篠岡サン。ミスコンの衣装、今オレら作っててさ。ちょっとしたコスプレみたいな」
「で、採寸するから、今からちょっと付き合ってよ。もちろん採寸は女がするからさ」
「あ、あの、その件は辞退するって前に言ったはずです」
「いやいや、もう準備大詰めだし。出場はしてもらうよ」
「い、いやです、無理です」
「やっとこうしてガードの固い野球部の隙をついたんだ。なあ、来てよ」
「1年からの推薦はキミだけなんだよ?なぁ、光栄に思ってよ」
「それだけ、可愛いって学校に認められてるんだよ」
「興味ありません!」
「お、顔に似合わず意外と強情だね。 さ、こいよ」
「なっ! は、離してっ!」
栄口の頭にカッと血が上り、四人にずかずかと歩み寄る。
篠岡の右腕に絡んでる手。
篠岡の左肩を掴んでいる手。
篠岡の腰に回している手。
汚い三つの手を、栄口は強い力で振り解いた。
「な、おめえ誰だ」
「野球部の一年っす。 本人嫌がっているでしょ。やめてください」
栄口がいつもの爽やかな笑顔で言い放つ。
「野球部かんけえねえだろ」
「オオアリっす。篠岡いないと練習になりませんから」
「あ?! なんだとこら」
「乱暴はやめてくださいね、 センパイガタ」
「・・・ふん、まあいいよ。採寸しなくてもそんなにほそっけえんだ」
「胸だって、けつだって、ペッタンコだしー」
「小学生のガキのサイズに合わして作っときゃ間違えねーよ」
三人の男がガハガハと下品に笑った。
栄口の顔から笑顔が消えた。眼に鋭い光が射す。
「篠岡に、触んなよ」
と低い声。
思いがけない栄口の気迫に蹴落とされ唖然と立ち尽くす三人を残し、
栄口は篠岡の右腕を掴み、その場を去った。
栄口は何も言わず、ずんずん歩いた。篠岡も呆気にとられ腕を引かれるがまま、歩いていた。
ふたりの歩みに人が退く。注目が集まる。しかし栄口の目にはまるで留まらないようだ。
第一グラウンドの裏手まで歩いたところで、篠岡はぐっと立ち止まった。
「ちょ、っと、栄口くん・・・?」
篠岡の声に弾かれるように、栄口もぴたっと歩みを止めた。
掴んでいた篠岡の右腕を離した。
「ごめんな、乱暴に引っぱった。腕、痛くさせちゃった?大丈夫?」
栄口は篠岡の目をじっと見つめた。
「あ、平気、平気、あの、ありがとう」
篠岡は視線を栄口からそっと外し、掴まれていた腕の赤い部分に手を添えた。
静寂。
「あのさ。 ミスコン、とりあえず出るカッコウにしておいて」
栄口は篠岡から眼を逸らさない。篠岡は驚いて栄口に視線を戻す。
栄口の眼に力がさらに籠められ、言葉を続けた。
「当日、オレ、篠岡連れ出すよ、必ず」
その日の練習後、巣山は栄口に
「教室に戻る前にちょっと屋上行こうぜ」
と声を掛けた。途中巣山は自販機で温かい缶コーヒーを二つ買い、栄口に奢り、と手渡した。
遠くでいろんな喧騒が聞こえる。
日はとうに暮れ、屋上には天高い秋の夜空が一面に広がっていた。風が強い。
缶コーヒーの封を開ける音がふたつ小さく響く。
巣山は栄口が話し始めるのを我慢強く待った。
「オレ、篠岡が好きだ。もう、気持ち閉じ込めるのは止めるよ」
中学での秘めた想い、高校入学してからの鍵の話、昨日の夢精、今日あった出来事、
篠岡にした約束。栄口はぽつぽつと話した。
栄口が話し終わるまで、巣山は黙ってじっと耳を傾けた。
「今聞いたことは棺桶まで持ってくから安心しろ」
ははっと栄口は笑った。
「オレらの夏が全部終わるまで、篠岡にはコクんないよ」
巣山も笑った。
「話してくれて、ありがとうな」
空には満月。巣山と栄口、そして世界すべてを明るく照らす。
篠岡は湯船に浸かりながら、今日の栄口を想い出す。
見たこともない表情、聞いたこともない声。
キレて笑顔をなくした栄口はゾッとするほど怖かったが、
いつもと違う一面を見て、心を鷲掴みにされた衝撃の方がはるかに大きかった。
栄口の眼を想いだす度、どきどきと鼓動が高鳴る。顔が熱くなる。
(あんなに強い力、あったんだ・・・)
掴まれた右腕を見た。赤みは取れていた。栄口の手の感触を想い出す。
(あ、れ・・・?)
(栄口くんに触れたことって、今日まで一度もない、かも・・・?)
いくら目を閉じ思い出しても、栄口の手の温度や、感触を思い出すことはできなかった。
篠岡は部員の手のイメージは全員分把握できると思っていた。
目を閉じて握手して、全員の手を当てることができる自信があった。
(わたしの知らない栄口くんは、あとどれくらいいるんだろう)
危くのぼせかけるまで、篠岡は栄口のことをとりとめなく考えていた。
文化祭前日。今日も野球部は練習があったが終了時間はいつもより早かった。
着替えているときに部室で田島が騒いだ。
「なーなー!これからカラオケつきあってくれよー!」
「オレらのクラス文化祭で寸劇やんだよー!」
「で、オレら歌頼まれててさー、最後の仕上げに、な、頼む。付き合えるヤツだけでいいから」
泉が珍しく低姿勢だ。
「オ、オ、 オレオレ」
(三橋の歌、聞きてぇな)
9組以外の、7人の心の声。
個人の割り当ての準備は皆それぞれ終わっているので、10人全員が行くことになった。
10人揃ってカラオケに行くのは初めてだ。
カラオケに着くなり田島が文化祭で歌う曲を5曲続けて入力した。
完成度は・・・まあ、三人バラバラなのが敢えて個性なのだろう、笑いはとれるんじゃね、
という評価に落ちついた。
それからは普通のカラオケになり、席順で入力機械とマイクが回された。
皆、流行の歌、十八番の歌・・・高校生男子らしい歌を選曲、朗々と歌い上げていく。
巣山に入力機械が回った。タッチペンでぐるぐるテキトーに検索する。
ふと、ピタっとペンが止まる。
(あ、この歌、親父の十八番・・・ これにしよ)
巣山の番になり、今までとは打って変わったメロディーが流れた。
皆思わず耳を奪われ、すごい騒ぎだった部屋が水を打ったように静かになった。
画面には『初/恋』『村/下/孝/蔵』と映っていた。
(おい!栄口!)
(おまえのために歌うからな!!)
巣山は栄口をぐっと睨んだ。
栄口は巣山の視線をしっかり受け止め、僅かにうなずき、ごくっと喉をならした。
色褪せない、美しい詞。
胸を締め付けられるような旋律。
普遍の青春を見事に表現した曲。
巣山の歌唱力も素晴らしかった。地声の良さも手伝って、なんとも伸びやかであった。
ひとつひとつのフレーズに万感を籠めて、最初から最後まで巣山は丁寧に歌い上げた。
あっという間に曲が終わった。
皆、心奪われ、鳥肌が立っていた。
「すっげー!すやま、かっけぇー!」
「オレの代わりに明日歌え!いや、歌ってください!」
「ああああ、うううう」
「懐メロだね、聞いたことあるよ」
「今日CD買って帰ろうかな」
「時代を超越した歌だな」
「きゅんきゅんするぜ・・・」
「神曲認定」
栄口は下を向き、湧き上がってくる涙を必死に堪えていた。
(できっぞ!!栄口!!頑張れよ!!)
文化祭最終日、後夜祭の時間を迎えた。
ミスコン会場の万葉の庭と、万葉の庭を見下ろす校舎のベランダには生徒、教師
学校内にいる全ての者が押しかけていた
一昨日の練習のおにぎり休憩の時に篠岡から『もう大丈夫。今日まで本当にありがとう』
と言われたときは、皆、一様に驚いた。
無事ミスコンを辞退できた『ありがとう』なのか、ミスコンに出る決意を固めた『ありがとう』
なのか、皆どうしても一歩踏み込んで詳しく聞けなかった。
何か万事が起きた場合に備えてステージ正面は野球部が占領していた。
ふと、泉が気付いた。
「あれ、栄口いなくね?」
いきなり大音量の音楽が流れ出し、ミス西浦コンテストの開催を告げた。
出場者が校舎の渡り廊下からひとりひとり姿を現す。ナース姿、スッチー姿、
越智先輩はオスカル風、友利先輩は訪問着・・・ノミネート候補者はそれぞれに合わせた
衣装に身を包み、壇上に上がる度にスポットライトが当てられ、観衆から声が上がる。
篠岡は1年なのでエントリー順で行けば最後の登場だ。
篠岡が姿を現した。純白のドレスが見えた。
のも、一瞬の事。後ろに引っぱられるように姿は消えた。どよめきが上がる。
「栄口!ナイバッチ!」
巣山は満足そうにニッと笑った。
栄口は篠岡の手首を掴み、校舎の階段を駆け上がる。
篠岡はドレスを片手でたくし上げ、栄口の背を追う。
屋上に出て、ふたりは深呼吸して走って乱れた息を整える。
夕映えはあんず色で、二人の影が屋上の床に長く長く伸びる。
「うわー!きれいだな、篠岡。お姫さまだな」
篠岡は純白のふんわりとしたドレスに身を包み、頭にビーズのクラウンを乗せ、
ショートヴェールが風になびいていた。
「・・・これ、ウェディングドレスなんだって」
「え?!」
「ヴェールまで・・・ なんか、本当にかすごいよね」
篠岡は苦笑いした。
「結婚前にウェディングドレス着ると婚期遅れるって、姉ちゃん言ってたような・・・」
「え?うそ?!」
「まぁ、そうなったらオレがもらってやるさ」
「え?」
「あ・・・いけね」
向かい合っていて、篠岡は栄口の顔が逆光でよく見えない。
「な、篠岡。今のまま変わらず、野球部のお姫さまでいてくれな?」
「・・・」
栄口が振り返り、夕日を見る。
「甲子園、連れてくよ」
篠岡はいまや影となった栄口の後姿を見つめた。
栄口の顔を見たくて、隣に立った。
栄口の顔は夕日に真っ赤に染められ、挑むような真剣な眼をしていた。
胸に迫る笑顔。
「じゃ、そろそろ戻るか・・・ 気が重いなー」
「姫、お手をどうぞ」
ふざけながら栄口は篠岡の手を取り、階段へ通じるドアを押した。
栄口は篠岡の手の感触を初めて知った。
篠岡も栄口の手の感触を初めて知った。
夕日がふたりの背中を優しく押した。
最終更新:2008年01月06日 22:11