6-663-669 モモハナ
「こんなトコで何やってんですか!」
思わず花井の声に力が入っていた。
部活帰りの夜9時半を過ぎた人気のない公園のベンチで、百枝が寛いでいた。
片手に缶ビールを持ち、足元には空き缶が転がっている。
「あ、花井くんも飲む?」
「俺が飲んだら、活動停止っす!」
「ジョーダンだよー、もう」
物騒な場所で酔った女が1人きり。危険すぎる。
「アンタ何考えてんですか!襲ってくれと言ってるよーなもんだよ」
「ダイジョブだよー。握ってやるからー」
酔っ払いの百枝はそう言って、空いてる手をヒラヒラさせる。
百枝は自分が、男にどれだけ魅力的なのか自覚はあるが危機感はないのだ。
「相手が大勢だったら?確かに監督は女の中じゃ強いかもしれねーけど、
世の中にゃ強い男も頭おかしい男もいっぱいいるんです。
監督はもっと、自分を大事にしてくれなきゃダメです!」
花井の剣幕に百枝は一瞬きょとんとして、それから笑顔になった。
嬉しそうにビールを煽る。
「えへへ、久々~」
「監督?こっちは心配して言ってんのに、なにヘラヘラ笑ってんすか!」
「花井くん、コレ飲んだら帰るから、それまで付き合ってくれる?」
「当然です!」
花井は自転車を停めると、怒りを堪えて隣に座った。
「今、車検に出してて、たまには電車も良いかと思ってさー」
「だったら、家帰ってから飲むなり、店で飲むなり!」
「暑かったからつい、ね。飲みながら駅まで歩こうと思ったんだけど、
腰を下ろしたくなって」
全然理由になってないです、と花井が返す。
「カッカしてると体温上がって蚊が寄ってくるよ?なんたって若いし。
これは良い蚊取り線香だ!」
あはは、と百枝は1人でウケている。アルコールが入ってる百枝の方が
よほど危ないのに。
「……監督も、十分若いっすよ」
「うん?口説いてんのか!いい度胸だキミ、その坊主頭出しなさい」
「そうじゃねーよ!酔った監督は……」
可愛いのだ。目がトロンとして、なんだか顔が幼く見える。
それでいてグラウンドのユニフォームでもにじみ出る色気は、
胸元の開いたトップスでさらに強調されていた。
顔を赤くして黙り込んだ花井の顔を、面白そうに百枝が覗きこむ。
「あらら、ゴメンね。酔っ払いの相手はヤだよね。すぐ飲むから!」
百枝は一気に残りを飲み干した。
「ハイ、おしまい!じゃ、帰るか。花井くん、付き合ってくれてアリガトウ」
立ち上がり、キビキビと空き缶をくずかごに放り込む。
「家まで送ります」
「え?ダイジョブだよー」
「送ります。酔っ払いを1人で帰す訳にいかねーし」
「ビールなんか飲んだうち入らないってー」
「じゃあ駅まで。1歩でもヨロけたら、家までついて行きますから」
「そこまで信用ないのかなあ。ま、いいか。そのかわり朝練遅刻したら許さないよ」
仕方ないという口調ながらも、本気で心配する花井に、百枝の口元は緩んでしまう。
身体の成長に伴い、異性はもちろん同性の無躾な視線に随分傷ついてきた。
身体目的の男に、勝手に母性か淫乱の両極端なイメージを押し付けられ、
「女」として見られるのに慣れてしまった。過去に付き合った男も、胸に執着する
だけあってマザコン揃いで、甘えられることはあっても甘えた覚えはほとんどない。
元々そんなキャラではないこともあるが。
それが、今自転車を押しながら隣を歩いている高校生は、社会人の自分を
年下の「女の子」のように扱ってくれるのだ。
普段、神経を張りつめて男子高校生を率いていることもあり、心の奥底が
じんわりと暖かくなった。凄く居心地が良い。
でも花井は、自分以外の女性と恋をして男になっていくのだ。
「監督……?」
花井が立ち止まって目を見開いている。
「な、泣いてんですか……?」
全く自覚がない百枝の目から涙がこぼれ出ていた。
あれ?酒で泣くタイプじゃなかったんだけど、変わったのかな。
ぐいと掌で拭い、首を左右に振る。
最悪!勝利の嬉し泣き以外で選手に涙見せるなんて、監督失格だ。
「ちょっと飲みすぎたかも。ゴメン、1人にしてくれる?」
これ以上みっともない姿を教え子にさらす訳にはいかない。
そう思って離れようとした肩を、花井が掴んだ。
「俺じゃ不足だろうけど、話聞くくらいは出来ます」
肩に置かれた手に力が入る。
嫌でも磨かれ、自分が男にどんな目で見られていて、どうすれば1番効果が
あるかの見極めには自信があった。フライを真上に打ち上げるのと同じくらい。
「花井くん……やっぱり送ってくれる?」
この身体で、この角度で。上目遣いで見つめれば、征服欲を刺激するに違いない。
百枝は定期的に、花井をホテルに連れ込んでは、関係を持つようになった。
それまでウジウジと気を使う行為か、ヒステリックに責め立てられるだけだと
思っていたセックスが、今では好きになっていた。
あの日、最初で最後だろうと思っていた百枝がここまでハマったのは、
花井の一言が原因だった。
初めて百枝の裸を見た男は、その迫力に圧倒される。花井も当然のように
豊満な乳房に目を奪われ、あんぐりと口を開け呆けていた。
(そりゃ、高1には刺激が強すぎるよね)
期待を裏切らない自分の身体を目にして、正常でいる男の方がおかしい。
花井はしばらく硬直していたが、顔を赤くしてつぶやいた。
「か、可愛い……」
耳を疑った。自分を、キレイだとかセクシーだとか言うのは判る。
卑下た笑いを浮かべたり、勝ち誇って人格を疑う程汚い言葉を
投げつけた相手をぶっ飛ばしたこともある。
この、規定外に大きい胸を見て「可愛い」と言った男は初めてだ。
呆然とする百枝に気付いて、花井は慌てた。
「あ、すいません!普段の監督はカッコイイんですけど、今の監督は
すげー可愛い……って、年上なのに失礼っすね俺」
耳まで真っ赤になって頭を下げた。が、やはり目線が胸に向かう。
「……そんなことないよ!もっと言って!監督命令だからね!」
百枝のはしゃぎっぷりに花井は苦笑いする。今度は天井を睨みながら、
「あの、どうしても俺、胸に目がいっちゃうと思うんで……
でも、恥ずかしくて顔見れないし、どこ見て良いか判らねーし。
嫌だったら言ってくださ……え?なんで涙?ええーっ?」
照れ隠しもあって、思わず飛び付いていた。
望んでいた心地好い言葉を、この子はいとも簡単に与えてくれる。
抱きつかれてガチガチになった花井は、恐る恐る百枝の髪を撫でた。
(む、胸が、密着してんすけど!すげー弾力!本当はもっと強く
抱き締めたいけど、誤解される?ど、どーする俺)
「……ま、満足させられないかも、しれませんけど……」
「十分幸せだよー。女に生まれて良かった!」
甲子園を目指す資格を持たず、無駄に女らしいみてくれに逆らうように
必要以上に男と張り合う女になってから、初めて百枝はそう思えた。
百枝は花井が動くのを待つ。
てっきり百枝にリードして貰えると思っていた花井は、期待の込められた
視線に怯んだ。目が泳ぎ、溜め息をついて、ようやく覚悟を決める。
「目、閉じてください」
百枝は言われた通りにする。唇に柔らかい感触があり、初めての時のように
ドキドキした。
年下の恋人と付き合う1番の秘訣は、相手を年上のように扱うことだ。
プライドが少し高いところがある花井は、百枝が迷ったり退くそぶりを
すると余計に張り切る。が、乱暴に胸を掴むようなこともないし、
むしろ持て余し、時々困ったような表情を見せるのが新鮮だった。
本当は、こうして欲しいという希望はあったけれど、いつも不器用な
愛撫を受け入れるだけに留めた。
花井は百枝を上にして、子供に言い聞かすように脚を開くよう要求した。
恥じ入るフリをする百枝に、花井は今までの男たちにはなかった
優しい言葉を掛けてくる。
「恥ずかしい?」
「あッ……う、うん!」
「ゆっくり、で、いいから…」
首を振る百枝に、花井は辛抱強く笑いかける。
「出来ますって!」
決して命令はしない。「女家族が多いから恐さを知っている」と
言い訳していたが、百枝に対する尊敬は常にあった。
ジリジリと、いやらしく膝を開いてみせる。
視覚効果はもちろんだが、今まで言いなりになっていたのを裏切り、
身体を反って腰を動かすと面白いようにイッてしまう。
「女監督を馬鹿にした罰だよー!」
「うううっ」
ニヤニヤする百枝に、花井は悔しがったり拗ねたりする。
それが可愛くて仕方なかった。
自分に溺れさせる訳にはいかないと判っているのに、屈辱的で
嫌いだったフェラも、花井の反応見たさに自発的に出来た。
今ではどこに触れれば声が出るか、把握している。
掌の上で踊らされていることに焦りつつも、年下の「女の子」のように
自分を扱う花井に、百枝は癒されていた。
「花井くんて、彼女いたことあんだよね?」
ある日、身支度を整えながら、百枝は聞いた。
「短期間っすけど。自称『野球好き』な女って、野球自体は
やんねーから、突然怒り出すんですよ」
彼には彼なりの挫折があったらしい。ベッドに腰掛けた花井は、
百枝を横目で見ると、恥ずかしそうに笑った。
「俺は、監督さえいれば良いです」
「千代ちゃんが、卒業までに甘夏潰すって頑張ってるよ」
「篠岡?」
見るからに、「女の子」なマネージャー。
百枝は、篠岡に自分のように歪んだ男性観を持つことなく、
幸せな恋愛をして欲しいと余計なお世話ながら願っていた。
ウチの子たちはみんな良い子だけど、特に花井くんは心配ない。
しっかりしてるし、「女の子」に優しい。
「ホラ、中学の時ソフトやってたから――」
「他の女の話、やめてください」
「可愛いくて良い子じゃない。花井くんも好きでしょー?」
「そうですけど、ちょっと子供っぽい。やっぱり俺は…」
「花井くんも子供なんだよ!」
「は?」
突然の百枝の突き放した言動に、花井は戸惑った。
「……言っときますけど、今さら監督以外の女、無理っすよ俺。
満足出来ませんから!」
「ダイジョブだよー。いっくらでも代わりなんかいるんだから」
ここまで言えば判るよね、という想いを込めて、花井の目を見つめた。
公園でビール飲んだのだって、結婚した昔の男から不倫のお誘いメールが
来たからで。未だにそういう目で見るかって落ち込んで。
そんな時に、花井くんが「女の子」扱いしてくれたから簡単に落ちた。
高校生に手を出して、世間様の想像通りの女になってしまった私に、
あいつらを怒る資格なんかない。
――私なんかと付き合ってたら、花井くんも歪んでしまうから、
すぐにでも終わりにしなきゃいけない。
考え込んでいた花井が、苦しそうに口を開いた。
「……そりゃあ、俺じゃ物足りねーだろうけど……。監督が俺に本気な訳
ねーの判ってるけど、もう少し、続けられると思ってました」
「近いうちに終わるって判ってたんだ。エライエライ」
高校生にしておくの勿体ないよ。ホント、将来どんなイイ男になるか楽しみ。
その頃には、私は全然違う場所に立っているのだけど。
「監督が……」
「なに?」
「いえ、その……。俺、公園で監督に会った時に、酒飲んでんのに
監督がすごく幼く見えて。男として、見てくれなくても良いです。
疲れた時の杖とか、雨風を遮る傘とか、そういう存在になれたらって……」
そこで言葉につまってしまった。悔しそうに吐き出す花井の言葉が震える。
「やっぱり、俺は監督の支えになれねーん、だ……って……。
す、すいませんでした……頼りなくて!」
予想もしなかった言葉。百枝の胸に痛みが走った。
違うよ花井くん、ここで怒るんだよ!
遊ばれた、ふざけんなよ、裏切られたとか怒鳴って、力づくで私のこと
好きにすりゃ良いんだって。
最後くらいは抵抗しないから、私なんか踏み台にして次に行くの。
なんで、謝るの!
ぺこりと下げられた花井の坊主頭が、涙で霞んでいく。
……出来ることなら、花井くんと同じ高校生として出会いたかった。
そしたら、私の中の「女の子」を正しく目覚めさせてくれたかもしれない。
「……花井くんは、何も悪くないんだよ」
そう声をかけると、花井は頭を下げたまま首を振った。
「でも俺じゃ、監督は気持ち良くなかったから……」
「そ、そんなこと……」
百枝は目の前が真っ暗になった。
私、花井くんになんてヒドイことを……!
深入りはしないと決めてたから、真剣に向き合う事はなかった。
このままでは、花井の心に取り返しのつかない深い傷を負わせしまう。
下を向いたままの花井を、ただ見つめるしか出来ない。
(ど、どうしよう。このまま私が突き放したら、花井くんは……)
自分よりずっと背が高くても、まだ16歳なのに。
花井が顔を上げた。真剣な顔で、まっすぐ百枝を見上げる。
「せめて、夏が終わるまで」
「え?」
「勝ち続けますから。勝ってる間は2人だけで会ってください。
俺、頑張りますから」
「う、うん!一緒に頑張ろうね!」
百枝が断れる訳がない。ぶんぶんと力いっぱい頷いた。
とにかく、西浦が勝ち進んでいる間に、花井くんに自信をつけさせて、
トラウマを持たないように調教……じゃない軌道修正しなくては。
……身体、持つかなぁ。私はともかく、花井くん細いから。
今まで、優しい言葉に腰が砕けそうになる自分を抑えて、主導権を握らせなかった。
教えなかった自分の弱い部分に花井が舌を這わせ、刺激され、指で持て遊ばれる。
翻弄された後の、耳元で囁かれる甘い言葉。考えただけでゾクゾクした。
……耐えられるだろうか?
堪らず身震いした百枝を、不思議そうに花井は見る。
長男気質のためか花井は甘えるのが苦手で、百枝に対して受け身だ。
今のところは。
余裕の笑みで返すと、花井は、ふいに高校生らしい顔になった。
「行くぞー甲子園」
「ん?今まではなんだったのかなー?」
「え?いや、その……」
花井が萎縮して、監督と選手の関係に戻ってしまう。
でも、あと少しだけ、恋人の関係でいられるのが嬉しい。
夏が終わったら、この優しい子を手放せるだろうか?
この夏が、一生続きますように。
百枝はこっそり祈った。
最終更新:2008年01月06日 22:32