7-203-207 小ネタ埼玉



長くて退屈な授業が終わり、今日も部活の時間がやって来た。
終礼と掃除もそこそこに、市原は荷物を掴むと一人足早に部室へと向かう。
(あー疲れた疲れた)
崎玉では先週二学期末考査が終わったばかり。試験後の開放感と冬休みを目前に
控えた嬉しさで生徒達は明るく、校内もどことなくウキウキした雰囲気に包まれ
ている。
特にあと一週間もすればクリスマス。そこかしこでカップルやグループがクリス
マスどうするー?と華やいだ声で話すのが聞くに堪えず、ついでに自分にお誘い
が掛からないのも切なくて、市原はいそいそと靴を履きかえて校舎を出た。

(まぁ…野球部なんてこんなもんだよな。練習忙しいの皆知ってるし、誘われた
って行けるかどうか分かんねーし…)
そう自分に言い聞かせ、部室までの道のりをとぼとぼと歩く。別に寂しいとかじ
ゃないし、そもそも他の部員も皆同じだろーし…荷物しか掛けていない肩が何故
だか、凄く、重い。
しばらくすると、前方に男女二人の人影が見えてきて思わず立ち止まった。
大柄な男子と小柄な女子、二人で何事か話し合っている。
(デートの約束かぁ?余所でやれ、余所で)
別に話している事自体は悪くないが、こういう時にこういう光景を見てしまうと
何となくヤサグレた気分になる。
(…チッ。んだよ、どいつもこいつも)
とっとと部室に行こう、と心の中で舌打ちをして歩き出す。すると次の瞬間聞こ
えた言葉に市原は仰天し、その場で踏鞴を踏んだ。
「佐倉君、ずっと前から好きでした!付き合って下さい!」


(んなっ…大地かよ!?)
思わず荷物を取り落としそうになる。
確かに目を凝らしてみれば、長い手足を居心地悪そうに縮めてあーとかえーとか
呟く男子はずばり佐倉大地その人だった。途端に気まずさと焦りが込み上げてき
て、市原は辺りを見回すと慌ててその辺の物影に身を隠した。
(…ヤベーとこ見ちまった…)
「えーっと…そのォ…」
頭をがしがし掻きながら大地は困った様に呟く。
一年生と思しきその女の子は付き合って下さい!から頭を下げたままだったが、
その声を聞いて恐る恐る顔を上げた。
(ははぁ…結構カワイイな)
大地も見た目はいい方だが、その女の子もなかなか可愛い子だった。ああいう子
にずっと前から好かれてたなんて。クリスマスを前に告白なんて。イヤ羨ましい
とかそんなんじゃ無いけど。
驚き半分嫉み半分で先輩からじろじろ観察されているのにも気付かず、大地はし
ばらく逡巡していたが、両手をぱん!と顔の前で合わせるとぺこりと頭を下げた

「んっと…ゴメン!無理!俺今彼女とかつくる気ねーから」
(えーーー!!そんなアッサリ振るのかよ!?)
「…部活、忙しいから?」
蚊の鳴く様な声で女の子が尋ねる。
ウン、と大地があっさり頷くと女の子はまた下を向いた。しかし直ぐに顔を上げ
る。
「じゃ、じゃあ、部活引退するまで待つから…!」
「え、駄目」
(即答かよ!!)
大地はまたもやあっさりと答えた。
流石にこれにはショックを受けたらしく固まっている女の子には構わず、そのま
ま言葉を続ける。
「だってー引退するまで待って貰っても、その間に俺が君の事好きになる保証な
んてないじゃん。それまで君がずっと俺の事好きでいる保証もないし。寧ろ待つ
とかの方がお互いにとって負担になるし意味ねーと思うよ、だからそんな不毛な
事するよりも…」
(あっちゃあ…)
女の子が肩をぶるぶる震わせる。どうやら泣いているらしい。が、喋り続ける大
地は気付かない。
「まあ要するに、今は誰ともつきあう気はな…」
「…ごめん!もういい!」
大地が全て言い終える前に、女の子はそんな捨て台詞を残して、顔を覆いながら
向こうの方へと走り去って行った。

一人残された大地は暫くぽかんとしていたが、やがて何が悪かったんだ?と言う
様に首を捻った。
そんな様子を影から眺めながら、市原も驚きのあまり、寧ろそれを通り過ぎて呆
れのあまり女の子と同じく目から汁が溢れそうになるのを堪える。
アイツって、ほんと、モノスゲアタマワルイんだな…
「あーあ、泣かせちゃったよ、大地」
「うわっ!!!?タイさん!?」
「先輩!」
目頭を押さえていると、背後から聞き慣れた声がした。
驚いて振り返ると、三年の小山がニヤニヤしながら隠れている市原の後ろに立っ
ていた。ついでに大地も隠れていた二人に気付いたらしく、ちわす!と元気に頭
を下げる。
「先輩方!何してるんスか」
「イッチャンはねー、大地が誰から告られてんのか気になって、盗み聞きだって

「なんでタイさんが答えるんすか!?たまたま居合わせたんだよ、たまたま!!

「いや~でも盗み聞きたくなるのも分かるよ、なんだかんだ言っても羨ましいも
んな」
「羨ましくねっすよ!」
ムキになって答えようとする市原の肩を小山が笑いながら叩く。
いいじゃん俺も告られた事なんか無いよ?だから違いますから!と、先輩二人の
やり取りを大地はきょとんとした顔で眺めていたが、ふと思い出した様に口を開
いた。
「え、さっきの『泣かせた』って何なんすか」
「ハア!?お前気付いてねーの!?」
「さっきの子だよ、大地に告った」
「えーッ!!」
どうやら本当に気付いていなかったらしい。ヤッベェという顔で今更頭を抱える
大地を先輩二人は半ば呆れ顔で見つめた。
「ヤベェっす!!全ッ然気付かなかった!!」
「お前ほんと鈍いのな…」
「ほんと鈍いッス!どうして俺はここまで人の事を考えられないのかッ!!~~
~先輩!俺どうすれば!?」
今から走って土下座でもしてきましょうか!?それで許して貰えるでしょうか!
?とマジ顔で叫ぶ大地に市原は頭が痛くなった。
「まーまー。そこまでしなくてもいんじゃない?あの子もたぶん分かってるって

「…ほんとッスか?でも俺こんなにも人付き合いヘタクソだって事はつまり部活
とかでも知らず知らずのうちに先輩方なんかにさっきみたいなヒドイ事してたり
す…」
「落ち着け落ち着け」
暴走しかける大地を市原が慌てて押し止める。
「でも大地の言ってる事は間違ってないと思うよー」
「…そ、そうッスか?」
「うん。恋愛すんなとは言わないけど、部活と両立させる自信無いんならしない
方がいいし。かと言って好きでも無い子を三年も待たせるのだって、お互いにと
って不毛だしね」
「そ…そうッス!俺が言いたかったのはそうゆう事なんス!!やっぱ今は野球
一筋ッスよね~!!」
ウンウンと神妙な顔で頷く小山を、大地は感動した面持ちで見詰めている。
大地の場合今の時点で既に野球一筋なのだが、それでも周囲からアプローチされ
るのが問題だった。それをキッチリ諭す小山の姿には元主将の貫禄がある。
(やっぱタイさんはスゲエ)
流石一人で後輩だらけのチームを纏めてきただけある…と市原も改めて小山に尊
敬の眼差しを向けた。

「イヤ~でも面白いモン見れたな。んじゃ俺そろそろ戻るわ、人待たせてるし」
「え、タイさん、何しに来たんすか」
「ん?あぁ、一応部活に顔出しとこうかなーと思って。三年はもう授業ねーから
、次に学校来んの年開けてからだし」
でもお前らの顔見れたからいーや、と笑う小山の顔を見ると、市原の胸に一抹の
寂しさが込み上げてきた。
そうか、あと三年が学校に来るのは三学期の始業式と、何回かの登校日と…卒業
式だけだ。年が開ければ大学受験が始まるし、今みたいにちょくちょく顔を見せ
てくれる事も無くなる…
…そして卒業したら、自分のたった一人の先輩はこの学校から居なくなってしま
うのか…
「…あのさあ、なに一人でしんみりしちゃってんの?イッチャン」
「あ!…イヤ、その…」
ばっちり表情に出ていたらしく、小山が苦笑しながら市原に話し掛ける。市原は
慌てて頭から寂しさを追い出し、精一杯の感謝を込めて小山に頭を下げた。
「えっと…あんまし会えなくなるの、寂しいスけど、勉強頑張って下さい!」
小山が引退してもう大分経つ。
後任の主将も決まり、新しいチームも動き出した。市原も他の二年と共にチーム
を引っ張っていくようになった…なのに、それでも時間と共に小山が部から少し
ずつ疎遠になって行くのが無性に寂しかった。
大地もそんな市原の気持ちを感じ取ったのか、同じ様にしんみりとうなだれてい
たが、市原が頭を下げると慌てて一緒に頭を下げた。
「先輩、俺もっ、勉強頑張って下さいっ!」
「勉強?あーハイハイ頑張るよ。それに年開けてからもまた遊びに行くよ、お前
らにも見せたいし」
「…見せたい?」
何を?顔をッスか?と市原が聞き返そうとすると、後ろから高い声が聞こえた。
「小山くーん!」
「…!?」
まごうことなき女子の声が聞こえる。
後ろを振り返ると、向こうの方で一人の女の子が笑顔でこちらに向かって手をブ
ンブン振っているのが見えた。
驚いて小山の顔を見ると、同じく手をブンブン振りながらごめーん待ったー?な
どと叫び返している。え。何だこの会話。
「…タイさん、あれ…」
「ごめん!俺もう帰るわ。あんま待たせてると拗ねちゃうからネ」
「拗ねっ…て彼女なんすか!?いたんすか!?」
「え、九月くらいからいるけど…」
「はあっ!?で、でも告られた事無いって言ったじゃないすか!!」
「イヤだから俺から告ったんだって…」
「おーやーまーくーん!」
「あ、んじゃもう行くわ!じゃーなっ」
これからクリスマスの予定たてなきゃいけないからさ、部活頑張れよーと笑顔を
振り撒きながら小山は女の子の元へと走って行った。
二人仲良く並んで歩く姿は校内のカップルとまったく同じ、いやそれにも増して
眩しく見えて。市原はまたもや目頭をグッと押さえる羽目になった。
「また来て下さいねー!!…先輩?どうしたんスか?」
「…イヤ…別に……」

「…大地…」
「なんスか?」
「…部活だ。部活行こう」
大地は一瞬顔に?を浮かべたが、部活大好きなので直ぐに笑顔でハイ!と答えた

それじゃあ俺荷物取ってきます!と大地が元気に教室に走って行く。おかげで市
原の涙は誰にも見られる事は無かった。

「…野球ってシンドイな…」
でも俺には部活しか無いんだ…改めてその事実を突き付けられると、何だか無性
に切なくなる。
…正確に言えば部活しか無い人間でも、小山しかり大地しかり恋愛しようと思え
ば出来るものだが、自分には全く恋愛の気配も無いのが、ただ、ひたすら、切な
かった。
(…俺、エースなのになぁ…)
十二月の寒空の向こうで、頼れる先輩がドンマイイッチャン!と笑った気がした

終わり
最終更新:2008年01月30日 22:57