7-278-284 イズチヨサカ1
わたしの前の席で、泉くんが頬杖をついて窓の外を退屈そうに見ている。
横では栄口くんが欠伸を噛み殺しながらも、黒板に並ぶ英文をノートに書き写している。
わたしの視線に気付いて栄口くんがにこっと笑う。
そしてノートの端に走り書きして、トンと人差し指で指した。
『泉ノートとってる?』
少し首を伸ばして泉くんのノートを覗いた。
『途中で止まってる もう少しで黒板消されちゃうとこで』
『またノート貸さなきゃ』
思わずクスっと笑ってしまい、泉くんが僅かに振り向いた。
「ひこうきぐも」
泉くんの低い声に誘われて窓に目線を向ける。
五月晴れの青空に飛行機雲がぐんぐん伸びていた。
「いい天気だね」
栄口くんが呟く。
高校二年生に無事進級した。
クラス替えでわたしは泉くん、栄口くんと同じクラスになった。
クラスで二人は一緒にいることがやっぱり多いけど、
わたしは女友達と一緒にいるから、二人とは挨拶を交わしたり
部の話があるときに話す程度だった。
中間考査が終わった頃、初めての席替えのくじ引きで
わたしは窓際いちばん後ろという最高の席を引き当てた。
全員くじを引き終わり、どやどやと皆一斉に荷物を持って席を移動する。
移動先でしばらく呆然としてしまった。
「すごい偶然だね!」
とにかく驚いたけど、素直に嬉しかった。
「こんなことってあんだなあ」
わたしの前の席で、泉くんが壁に背をもたれて横向きに座っていた。
「よろしくー」
そして横の席には、いつもの笑顔を浮かべた栄口くんが座っていた。
休み時間や昼休みになると、わたしたちの席の周りに自然とクラスの友達が集まるようになった。
二人の友達。わたしの友達。みんなでわいわい話す。友達の輪が広がっていく。
野球部のみんながやってくることも多い。
見事に三人固まった席に、みんな一様に驚いていた。
ここ数日で気がついたこと。
泉くんも栄口くんも、人のことを良く見ていて、話を良く聞いている。
空気読んでいる、って以上に何気なく会話のやりとりに気を遣っていて、とても話しやすい。
泉くんは田島くんと三橋くんの、栄口くんは阿部くんと三橋くんの見守り役っぽい感じなのは
知っていたけど、「自然に」「何気なく」心配りができるのってすごいなあって改めて実感する。
とある昼休みの出来事。
お昼ご飯を食べた後、外野側の草刈りを少しでも進めておこうとグラウンドへ足を運んだ。
着替える時間が惜しかったからトイレでハーフパンツを制服のスカートの下に穿いて、
部のキャップを被り、軍手をして作業に取り掛かった。
程なくして背後から草を踏み分ける音が近付いてきた。
しゃがんだまま振り返ると泉くんと栄口くんが立っていた。
「なに、着替えないでやってんの?」
泉くんは長袖を肘まで捲くりながら、ぶっきらぼうに言った。
「あ、っとハーフパンツ穿いてるんだ」
わたしも立ち上がった。立ちくらみして、少しよろけた。
「っと、だいじょうぶ?」
栄口くんが肩を支えてくれた。
「ったく、そのカッコ、イロケねーの」
泉くんがやれやれといった感じでフッと笑った。
「オレらも手伝うよ、部室寄って軍手持ってきたんだ、準備いいでしょ」
栄口くんが軍手をはめた両手をパッと胸の前で開いた。
「え、でも」
わたしの言葉を遮って、いいからいいからと泉くんはしゃがんで草をむしりだした。
そうそう、たまにはさー、と栄口くんもぽんぽん草を引き抜く。
「・・・ありがとう」
じんわりとした感動で胸がいっぱいになった。
「男の子の力ってすごい。ひとりでやる5倍は捗っちゃった、ホントありがと」
「いいっていいって」
「今日こっそりイクラのおにぎりにしてよ」
草を抜いた場所に腰を下ろして、わたしたち三人はマウンドの方に目を遣る。
青々とした草の香りを爽やかな風が運ぶ。
「座ってグラウンド眺めんのって新鮮だな、こうやって外野からさ」
泉くんが気持ち良さそうに伸びをする。
「変な臨場感があるよねー」
栄口くんが制服のズボンについた草をはらう。
「ねえ、打順の一番、二番を任されるってどんな感じ?」
前から興味があったことを聞いてみた。
「んー、泉が出てくれるからけっこうリラックスして打席入れること多いよー」
「で、バント職人の栄口がきっちりオレを送ってくれて」
「それに応えて泉は俊足で塁を進めてくれて」
「栄口はバントじゃなくても打ってくれるから、一番としても気が楽」
二人はお互いの実力を認めていた。そして自分自身の力にも自信がある。
こういう信頼関係っていいなあ、と少し羨ましくなった。
続けて聞いてみる。
「セカンド、センター。ふたりともセンターライン、守備の軸だよね」
「篠岡だって中学ん時はショート守ってたろ、何度か見かけたよー」
「へえ、チーム強かった?」
ひとしきり野球の話に花が咲く。
「たまにね、みんなと野球やりたいって思うんだ」
遠くで予鈴が聞こえた。
わたしたちははじかれたように立ち上がった。お尻に付いた乾いた砂をはらう。
「じゃあ、明日晴れたらキャッチボールでもすっか」
「あ、それうれしい!」
「明日はジャージ着てきなよ、篠岡?」
とても麗らかで、とても優しい午後で、教室になんて戻りたくなかった。
できることなら、時間を止めてずっと三人で話していたかった。
放課後、女友達から聞いた話。
昼休み、学食から帰ってきた泉くんと栄口くんがわたしの居場所を聞いて、
草刈りに行ったことを知った二人は、顔を見合わせてから言葉もなく教室を出て行ったらしい。
「ちよってば大切にされてんじゃん」
友達はからかうようにニヤリと笑った。
わたしは冷やかしの言葉に動揺を隠せなかった。
とある休み時間の一幕。
前の数学の授業で、何度解いても答えが違ってしまう設問とわたしは格闘していた。
「なに、解けねーの?」
前の席の泉くんが頭上から声をかけてくる。
「うーん、どこが間違ってるのかなあ」
「あー、ここ、ここ」
壁にもたれていた背中を起こして身を少し乗り出し、
泉くんはわたしのノートを覗きこんで、式のある部分を指差した。
泉くんの声が急に近くなったので反射で顔を上げたら、思いの外、間近に泉くんの顔があった。
泉くんの大きい瞳に自分の姿が映る。
わたしは慌ててぱっと身を起こして距離をとった。
咄嗟に耳まで赤くなるのを自覚した。
泉くんはそんなわたしをぽかんと見て、それから頬を赤くした。
「ごめん、近かったな」
と一言おいた後、設問の解き方を丁寧に教えてくれた。
とある古典の授業中の一幕。
「ごめん、辞書借りていい?」
隣の席から栄口くんが囁く。古語辞典を手渡した。
「さんきゅ」
調べ終わって辞典が返ってくる。栄口くんがノートの端にペンを走らせた。
『まだ腕焼けてないね』
その日は初夏の陽気で、わたしは半袖のシャツを着ていた。
『長袖のジャージ着てるから』
ノート上の静かな会話。
先生は黒板に板書を続けている。カツカツとチョークの音が教室に小さく響く。
にゅっと腕が伸びてきた。
栄口くんの少し焼けた、細いけど筋肉が盛り上がった腕。
反射でわたしも腕を伸ばす。腕をつき合わせる。
不意に自分の腕に栄口くんの視線が注がれているのが恥ずかしくなり、鳥肌がわっと立った。
慌てて腕を引っ込める。
「・・・なんか、ごめん」
そう呟いた栄口くんは、ばつが悪そうに腕をさすっていた。
とある体育の授業中の会話。
授業に入る前の軽いジョギングで
「なあ、野球の話とかしてっと篠岡が女ってこと、忘れね?」
泉が首をこきこき鳴らしながら走る。
「あるある、で、ふとした瞬間に思い出すんだよなー」
隣を走る栄口が困ったような笑顔をこぼす。
「席替えしてから毎日ずーっとお前らと一緒にいる錯覚に陥るんだよなー」
「そうそう、毎日なんか楽しいよねー」
「もう席替えしたくねえなー」
「なーんか居心地いいんだよねー、あの席」
三人それぞれ恋心を自覚するまでの、瞬く間の幸せな日常風景。
(終わる)
最終更新:2008年01月30日 23:02