7-311-318 イズチヨサカ2
「おまえも人望あるよな」
「ははは・・・でもみんな行きたいところ、ちゃんと希望出してくれて助かるよ」
「逆に計画立てんの大変なんじゃねーの?ったく、あいつら好き勝手言いやがって」
「まあまあ、泉くん。でも今日部活がミーティングだけで良かったね」
「雨降ったし、室内練もなかったしな」
「栄口くん家おじゃましちゃってホント大丈夫?」
「うん、今日からオヤジ出張だし、姉ちゃんは予備校で帰り遅いし・・・
あ、でも弟帰ってくるけど大人しくさせておくから」
「あ、栄口三兄妹、みんな似てんぜ。弟なんて、まんまチビ栄口」
「近所のオバサンにも言われるよ。阿部んとこも弟、阿部そっくりだよ」
雨の降る肌寒い日。吐く息も少し曇る。
六月に入って梅雨前線が日本から動かなくなる。
今月下旬に控えている高校二年生一大イベントの修学旅行。行き先は九州。
長崎でのクラス内の自由行動で泉、栄口の男子友人グループと
篠岡の女子友人グループが一緒の班で行動することになった。
というのも、休み時間や昼休みに三人の席の周りに固まって話すうちに、
その中の男女二人が付き合うようになり、
その二人に自由行動の班を一緒にしてほしいと頼まれたからであった。
その班長を栄口が任されることになった。
自由行動の計画の案をいくつか立てて、みんなに選んでもらうのが一番効率的だろう
ということで、泉と篠岡も栄口をサポートするべく、作戦会議のため栄口の家へ向かっていた。
「あ、篠岡、車道側歩くなよ。泥、跳ねるぜ」
「どもー、じゃ、傘、私差すよ。並んで歩くのに傘ぶつかるし」
「オレの荷物、自転車のカゴん中だから栄口と一緒に入れよ。荷物濡れんのヤダ」
「栄口くんのバッグは・・・今日はリュックなんだね」
「んじゃ、篠岡の傘、畳んでよ。オレの傘のがデカイから」
「わたし学校にチャリ置いてきて正解だったなあ。
自転車じゃ雨の中、三人並んで喋りながら行けないもんね」
まとわりつくような霧雨。こんな雨、普段なら鬱陶しくて仕方ないはずなのに。
学校を離れても一緒にいられる時間ができて嬉しい三人にとっては、
雨の降る道幅狭い歩道であっても、足取りは軽い。
「ただいまー、って誰もいないんだった」
「おじゃましまーす」
「おじゃまします」
篠岡は自分のローファーと、泉と栄口が脱いだスニーカーを揃えて玄関の隅に寄せた。
「オレの部屋散らかってっから、下の和室でいい?その部屋、コタツあるんだ」
栄口が客用のスリッパを並べる。
通された和室で泉と篠岡がまず目に留めたもの。立派な仏壇。
供えられた菊の花、果物。
写真には栄口の柔らかい笑顔と同じ笑顔を浮かべている女性。
部屋に漂う線香の香りが、泉と篠岡の胸がきゅっとさせる。
「あ・・・オレの母さん」
栄口が静かに言った。
「ねえ、お線香あげてもいいかな・・・?」
篠岡が優しく聞く。
「もちろん。母さんも喜ぶよ」
栄口が仏壇の蝋燭に火を点けて、仏前の座布団にどうぞ、と手を置いた。
順番に篠岡、泉が線香を立て手を合わせた後、
「ただいま、母さん」
栄口も手を合わせた。
毎日の習慣なんだろうと思うと、泉と篠岡は少しこみ上げてくるものがあった。
栄口がコタツ布団を押入れから引っ張り出してきた。
「今日ホント寒いぜ」
「雨で靴下濡れちゃったよー」
「あ、オレも」
「二人とも脱いでコタツん中で干しなよ、オレは着替えてきちゃうから」
「靴下濡れたまんまって気持ちわりいもんな」
「あ、そだよね。ごめ、スリッパも少し染みちゃったかも」
「あー、気にしないで」
ではお言葉に甘えて、と言って二人に背を向けて座り、篠岡は靴下を脱いだ。
篠岡の素足、ほのかにピンクがかった透明のペディキュアに泉と栄口がちらりと目を留める。
栄口が二階の自室に着替えに行き、泉と篠岡はコタツに入る。
伸ばした二人の素足がぶつかった。
「うわ、冷てえ足!」
思わず泉は足の指を篠岡の足の甲に滑らせる。
「泉くんの足もすんごい冷たいよ!」
篠岡も足の指で泉の土踏まずを撫でる。
泉と篠岡の視線が重なる。
気まずい沈黙がおりる。
「お待たせー、ティーパックの紅茶でいい?」
栄口が部屋の襖を開けた。
同時に二人の重なった足がぱっと離れる。
「? どうかした?」
栄口がお盆からマグカップをコタツの上に置く。
「う、ううん、なんでもない。紅茶、ありがと!」
「じゃ、早速やろうぜ」
「? あ、けっこうコタツん中あったまってんね」
栄口の素足も加わる。
「んじゃ、候補はこの三つのプランでいっか」
「こん中から多数決で決めるっつーことで」
「自分で決めると行きたいお店選べていいよね」
「つうか食いモンの店ばっかだけどな」
「お土産のカステラも買わないとねえ」
コタツの上には修学旅行のしおりやら学校から渡されているガイドブックやら
紙やらペンやらが散らかっている。
「ただいまあ」
玄関から高い声がした。
「あ、弟だ、ちょっとごめん」
栄口が廊下に出て、おかえりと声をかけた。
え、おきゃくさんきてるの?と幼い声が近付いてきて襖が開く。
「こんちはー、っておんなのひとがいる!」
栄口が瓜二つの弟の頭を優しく小突く。
「こら!失礼だろ!手洗ってうがいしてこい」
「はーい」
栄口の弟は仏壇前にちょこんと座り、おかあさんただいま、と手を合わせてから
小走りで部屋を出て行った。
「ふえー、ホントそっくり!かわいいー!」
「だろー!声も声変わりする前の栄口ってかんじでさ!オレも弟ほしかったぜー」
盛り上がる泉と篠岡に、栄口はそうかなーと笑いかけた。
「じゃ、ちょっとオレ夕飯の米研いでくるから」
「じゃあ、わたしたち、もうそろそろ・・・」
篠岡が腕時計をみると十九時前を指していた。
「外、雨強くなってきたっぽいから、まだゆっくりしてて」
にわかに寂しくなった栄口がやんわりと引き止める。
「んじゃ、オレは一眠りさせてもらうぜ」
コタツって出たくなくなるよなー、とのん気なことを言いながら泉はごろんと横になった。
栄口と篠岡は顔を見合わせて小さく笑った。
栄口がキッチンに向かい、篠岡はコタツの上に散らばるモノを片付け始める。
すうっと襖が開く。
「おねえさん、まつりぬいできる?」
栄口の弟がこたつに入ってきた。腕に本と小箱と布を抱えている。
「え?マツリヌイ?」
「うん。きょうカテイカでおそわったんだけど、オレぜんぜんできなくて」
しょんぼりと栄口の弟は布を広げた。がたがたの縫い目が現れた。
「うーん、できると思うけど・・・久しぶりだから。教科書もってる?」
「うん、あるよ!」
篠岡は裁縫箱を開けて針に糸を通す。
教科書を見つつ器用に布を縫い付けていく篠岡の手を見ながら、栄口の弟は聞いた。
「おねえさんは兄ちゃんのカノジョなの?」
篠岡の手が止まる。
泉の肩がぴくりと動く。
「え・・・?ちがうよ・・・」
唐突に、そしてあまりにも無邪気に聞かれたので篠岡は面食らった。
「ふーん、じゃあそっちのおにいさんのカノジョ?」
「・・・ちがうよ」
篠岡は困ったようにはにかむ。
廊下では栄口が部屋に入るタイミングを逃し、じっと二人の声に耳を傾けている。
「ふーん、じゃ、どっちが好き?」
泉は篠岡の方に向けている背中を僅かに強張らせる。
栄口は目を閉じる。
「・・・」
篠岡は布をぎゅっと握った。
「・・・どっちのおにいさんも好きだよ」
「それじゃあさ、どっちのカノジョになりたい」
質問の意味変わってねーよ!と泉と栄口は心の中でつっこむ。
「あ、あのね。カノジョじゃなくても、すごくわたしには大切な人たちなの。ふたりは」
「だからなかよしなの?」
「そうだよ。・・・でも、そのうちおにいさんたちにもカノジョできるよ」
「え?ホント?うちの兄ちゃんにも?」
「そうだと、思う。二人ともカッコイイからね」
篠岡は針と布から手を離し、ゆっくり栄口の弟の目を覗き込んだ。
「お兄ちゃんの野球やってる姿、見たことある?」
栄口の弟が肯いた。
「ふふ。カッコイイでしょ。二人ともきっと可愛い、優しいカノジョができると思うよ」
篠岡は自分の言葉に心がちくりと痛む。
「じゃあさ、そんときおねえさんはどうするの?」
「え?」
「もうさんにんでいっしょにいないの?」
篠岡は言葉の勢いに押され、たじろいだ。
廊下立ち尽くしていた栄口が深く息を吸って、襖を開けた。
「お待たせー、っておまえ篠岡になにやらせてんの?!」
「まつりぬい、おしえてもらってんだ」
栄口の弟は唇を尖らす。
「だってさいきん姉ちゃんかえってくんのおそくて、オレもうねちゃってるし」
「んじゃ、兄ちゃんが教えてやるから!」
「えー?!兄ちゃんできんのー?」
もそっと泉が起き上がり、大きな欠伸をひとつして目を擦った。
三人の視線が泉に集まる。
「あん?どうした?」
「・・・あ、起こしちゃった。おはよ、泉くん」
篠岡が声をかける。
「篠岡、ごめんな。弟が・・・」
栄口が頭を掻く。
「ぜ、全然!気にしないで!」
「・・・ホント、ごめん」
何に対しての謝罪なのか、栄口が呟いた。
「送らなくて大丈夫?道、分かる?」
「うん、平気。ここら辺、前に住んでたし」
「泉、最寄り駅までよろしくな。帰る方向、間逆で悪いけど」
「おう」
栄口の家の門のところで言葉を交わす。
「じゃ、明日な」
「おじゃましましたー」
「またあそびにきてねー」
栄口の弟がぶんぶん手を振り回す。
「気をつけてな」
二人の背中を見送る栄口はどことなく寂しそうに見えた。
自転車を押す泉、その左隣を篠岡が並んで歩く。
黙々と並んで歩く。
霧雨は止んでいて、夜になり気温もさらに低くなった。
雨上がりの住宅街はひっそりと静まり返り、二人それぞれの思考が深まっていく。
「あ、泉くん、次の角を左で。そしたら真っ直ぐで駅だから、もうここでいいよ」
「なに言ってんだ。駅まで送るぜ」
目抜き通りに入り、その賑やかさで二人の間に流れていた気まずさが少し和らいだ。
駅に着いて、篠岡が切符を買うのを泉は待つ。
「送ってくれてありがとう。泉くん、ここから帰り道わかる?」
「ああ」
「じゃあ、また明日ね」
自動改札に切符を通そうとする篠岡の手を泉が止めた。
「え?どうし・・・」
篠岡が言いかけたそのとき、改札から出てきたスーツ姿の若い男とドンとぶつかる。
「おい、こんなとこで立ち止まってんなよ」
男は捨て台詞を吐き、篠岡がすいません、と謝る。
泉が掴んだ篠岡の手を離した。
「わりい。気をつけて帰れよ」
ホームに上がるエスカレーターで、篠岡は改札口を振り返った。
帰ったと思っていた泉がじっと自分を見守っているのが見えた。
意外なことに思えたが、うれしかった。
篠岡は小さく手を振った。泉が手を上げる。
ホームに降り立ち、篠岡は呟く。
「ふたりにカノジョができたら、わたし、どうすんだろ・・・」
泉との帰り道、ずっと考えていたこの質問に、答えは出せない。
泉は駅の脇に止めていた自転車に跨る。
ふう、と長いため息を吐いた。
「まずは、栄口に話してからだな」
と呟き、自転車を漕ぎ出した。
穏やかで幸せな三人の関係が、静かに終わろうとしている。
(終わる)
最終更新:2008年01月30日 23:04