8-9-22 アベチヨ(ドーパミン氏)before whiteday(アベチヨ) ◆HfmxcJU/6Q

「そろそろ、行かないと授業に間に合わないんじゃないの?」
百枝は腕時計に目線を落として言った。正直いうと、自分もそろそろバイトに向かいたかった。
相手の阿部は、はあ、と珍しく気弱な返事を返して、固まっていた。
その日の朝練が終わると、百枝は阿部に呼び止められた。
相談があると言われ、「聞くよ」と返事したところ、その後もどうも反応が鈍い。
他の部員はとっくに、それぞれの教室に向かっている時間だと言うのに。
「決心つかないなら、放課後練習の後にしようか」
百枝がそう言うと、やっと阿部が顔を上げた。
「モ……監督は……。俺らの恋愛についてはどう思って、るのかと……」
「はぁあ?」
今、恋愛っつった?えええ。よりによって女嫌い入ってるよーな阿部くんが?
「いや、悪いけどアタシ、年下はダメなんだよねぇ」
「アンタじゃねーよ!」
予想通りの半ギレで返す阿部に、そんなことは百も承知、とばかりに百枝がニッコリ笑う。
「んなこと判ってるって。千代ちゃんかなー?」
「う」
「いつからよー。知らなかったなぁ。場合によっちゃ、協力するから話してみなさい!」
一転して目を輝かす百枝の顔を、苦々しく阿部は見下ろした。

阿部と篠岡が付き合うきっかけになったのは、バレンタインだった。
篠岡はマネジなので、阿部と他の部員のチョコレートに差をつけたりはしなかった。
おにぎりと同様に配給される「栄養補助食品」の感覚で阿部は受け取り、翌日礼を言うと、
「ホワイトデーに返事が欲しい」
その2人だけの廊下で、篠岡が本気であることを伝えてきた。
それまで、仲間意識しかなかった阿部でも、野球部員なら「こんな彼女が欲しい!」と思うような
有能なマネジ、しかも美少女に好意を打ち明けられれば悪い気はしない。
ひと月かけて、考える。
阿部はそう約束はしたものの、女に殆ど免疫もなく、交際には全く自信がなかった。
普段どおり部活をこなしているうちに、ろくにプライベートな話も出来ずに「お試し期間」の
うち3週間が過ぎて行った。
阿部としては、篠岡は野球が好きだし、男所帯で怯まない程度に神経が太くて話しやすい。
嫌いでもないのに断って、部の空気を悪くしたくない……というのは言い訳かもしれないが、
断る気はない。が、進展させる度胸もなかった。


「それで、監督が『部内恋愛禁止』を規則にすりゃあ解決すると思って……」
「なっさけないなー。女に告白させといて逃げ腰なんて。男ならガツンと行けって!」
「とにかく、頼みましたから」
一方的に話を終えようとする阿部に、ハイハイと了解しかけた百枝は、ハッとして首を振った。
「阿部くん、ダメだ!私1度、千代ちゃんから『部員とマネジが付き合うのは問題ありますか』
って聞かれて、『そんなの本人同士が決めることだからほっとく』って答えちゃった。
そーいやアレ、バレンタイン直後だったよー」
「はぁ?」
「てっきり、新1年のマネジが入って来た時の話だと思ってて」
「あー……」
阿部の顔が青ざめる。百枝経由での圧力が掛けられないとなると、自力で解決するしかない。
まさか、「女の扱いが判らないから付き合えない」などと言える訳もなく、振り出しに戻ってしまった。
「千代ちゃんのことだし、プラトニックなお付き合い希望かもしれないよ?まあ、そうじゃなくても、
対策を一緒に考えたげるけどさ」
マネジが選手と付き合うのが問題かどうかは、正確には相手による。部活に支障が出る関係でさえ
なければ良いのだ。阿部の場合は西浦高校野球部の頭脳だから、成長を妨げる恋愛をされると、
甲子園への道が遠のいてしまう恐れがあった。この思春期の真っ最中に、出来ればステディな
関係は避けて貰いたいと言う意味でも、百枝は全力で阿部に協力する気になっていた。
「お家に呼んで、ご両親に千代ちゃんを紹介しちゃうのはどうかな?」
「あぁ?外堀から埋めてどーすんだよ」
阿部は反抗的な態度で言い返した。
「バッカねー。阿部くんが女の子を家に呼んだら、ご家族が『彼女?』って聞くでしょ。
そうでなくても、マネジの千代ちゃんをご両親は知ってるんだし。そこでビシっと肯定しておいて、
『甲子園行くまではボクたちキヨラカ~な関係です』って宣言すんの。高校球児だからさ、
そんくらいの覚悟はあって当然でしょ」
身振り手振りを交えた百枝の発言に、「はあ」と阿部は半信半疑だ。
全国の高校球児の恋愛事情は知らないが、阿部自身は「部活最優先」に異論はなかった。
「家族の前で言った手前、女の子の方からアクティブな交際をせがんだり出来ないよ。千代ちゃんも
阿部くんが自分を大事にしてくれるって判って喜ぶだろうし。我慢する期間さえ決めとけば、
女は安心出来るもんなの」
「……そんなもんすかね」
阿部は首をかしげていたが、それでも百枝が、
「バレンタイン前の日曜日、練習休みにしてあげるから、やってみな」
と言うと、やっと覚悟を決めて頷いた。


約束の日曜日。
目覚ましをかけ忘れた阿部は、玄関のチャイム音で起こされた。
ドアを開けると、緊張気味の篠岡が立っていた。
篠岡は阿部が寝起きなのに驚いていた。
「ワリ。今起きた」
「11時だよ?私時間、間違えた?」
「……まあいいや、入って」
「……?」
阿部はブツブツと計画倒れを呪った。
よりによって昨日、阿部の家に親戚が突然泊まりに来た。朝、起きてみれば、家はもぬけの殻。
親戚と一緒に家族は都内観光に出かけてしまい、阿部が1人取り残されたのだった。
親に「明日は野球部の友達が遊びに来る」と言ってあったが、当然(?)三橋や花井たちだと
思ったらしく、「じゃあ留守番は頼んだ」というスタンス。
ちゃんと「篠岡が来る」と言わなかった阿部が悪いが、酔っ払った親と親戚のおもちゃに
なる愚は犯したくなかったのだ。なんせ阿部は、ひと月弱、篠岡と手すら握っていない。
「家族は出かけてんだ」
篠岡から血の気が引いていった。阿部の親に、自分は避けられたと思ったらしい。
「あの、もしかして私…」
「篠岡だから会わねー訳じゃねーよ。俺、篠岡だって言ってねーし」
「そうなんだ。コレ、チーズケーキなの。良かったら」
気を取り直し、篠岡は手にした紙袋を持ち上げて見せた。
「せっかく持ってきてくれたのに、悪かったな。今日はきっと、夕飯食ってから
帰ってくると思うから、一緒に食えねーかも」
阿部が言うと、篠岡は笑いながら、
「全然!夕べはすごーく緊張して眠れなかったから、阿部くんだけでホッとしてる」
「ウチの親なんか球場でしょっちゅう顔合わせてるだろ」
「そうなんだけど……」
篠岡頬を染める。沈黙が落ちた。
2人きりだという現実を、改めて認識する静けさに阿部は焦った。
(疑われてるよな? 家に呼んだのに俺1人って……いかにもヤる気満々じゃねーかよ)
下心が全くないと言えば嘘になるが、案外スポーツで発散して野球のことで頭がいっぱいだと、
3年間彼女ナシでもいーか、と……負け惜しみも多少はあったが、そう思ってたのだ。
とにかく、2人きりはまずい。一瞬の気の迷いで、大事な将来をブチ壊す可能性もある。
「天気も良いし、どっか出かけるか」
阿部がそう言うと、篠岡は一瞬驚いた表情になったが、頷いた。
「ケーキを仕舞いたい」という篠岡をキッチンに案内して冷蔵庫を開けると、昨夜の料理の
残りでギュウギュウで、入れる場所がない。
「俺、このへんの宴会の残りで朝メシにすっけど、篠岡もなんか食うか?好きなの
テキトーに取って飲んでても構わねーし」
「わー、ありがとう。あ、この可愛いベリー系のジュース、いただきます」
篠岡は派手なスチール製のペットボトルを取り出した。


普段の生活と全く違う時間に寝起きしたせいか、阿部は身体がついていかず、着替える前に
シャワーを浴びたい気持ちになっていた。
「ワリいけど俺、その前に風呂行ってくる」
篠岡の目が、まん丸になり、かああっと顔が赤くなった。阿部は慌てて、
「出かけるし、寝てて汗かいたし、深い意味ねーから!」
こくこくと、固まりながら篠岡が頷いた。その様子を見ながら、阿部は引きつる。
(絶対、今の勘違いしてる!そんな男だと思われてる!)
阿部は頭を抱えながら、とにかくさっさとメシ食って外に連れ出そう、と決意した。
簡単にシャワーを済ませて戻ると、篠岡は宴会の残骸をテーブルに並べて待っていた。
「篠岡、どっか行きたいところあるか?」
「私も考えてたんだけど、思いつかなくて」
そう言いながら、篠岡は箸を手渡したり、お茶を出したりラップをはがしたりとくるくる働く。
その手が止まったかと思うと、篠岡がぼーっとしていた。
「どうした?」
「なんだか、こうしてると阿部くんの奥さんみたい……」
阿部は箸を落っことした。篠岡の目が、夢見がちになっている。
(奥さんて。一気にそこまで意識するって。俺は、家族がいたって部屋に入れる気ないって!)
阿部は聞こえなかったことにして、話を逸らした。
「篠岡、腹減ってねーか?」
「え?ジュース貰ってるから、大丈夫だよ」
そう言って、篠岡は飲んでいたペットボトルを持ち上げて見せた。
家族がいないと判ってリラックスしているのか、緊張が解けて顔にほんのり赤みが差している。
阿部は、なんでこんな可愛い子が自分なんかを好きになるんだろうと不思議な気がした。
2人きりの家で、太巻きを摘む自分をうっとり見ている篠岡と目が合う。
ヤバイ。今日は断固、外出するぞ。なんか口実考えろ。
「そうだ、チョコのお礼買いに行くか。俺、なにやって良いか思いつかなかったし」
「チョコなんてたいしたモノじゃないし、私、阿部くんがいてくれれば、欲しいモノなんて……」
恥ずかしそうに答える篠岡の言葉に、阿部は肉団子を落っことした。
欲しいのは、俺ですか。だから、それはちょっと。
「いや、お礼はしないと。どうしても今日、買いに行きたい気分で」
とにかく、食っちまえ、と肉団子を箸で刺して口に運ぶ。春巻きも唐揚げも味なんかしない。
「阿部くん、お返しをくれるってことは、良いの?」
「は?」
「ホワイトデー前だけど、返事……」
篠岡が耳まで赤くなっていた。目線が左右を行き来して落ち着かない。
「えーと、まあ、それは追い追い……」
家族がいたら詰める筈だった話を、今やったら間違いなく雰囲気に流されてしまう。
なんせ、この状況は、思い出を作るには格好のチャンスだ。非常にまずい。
14日まで逃げるぞ、と阿部は心に誓う。
篠岡がぎゅっと手を握り締めて、下を向いた。
「やっぱり……試してみてからじゃないと、返事出来ないよね」
「試す?なにを?」
「だって……今日お家にお呼ばれしたの、そーいう意味なのかなって」
「は」

ヤベェ。やっぱり篠岡、俺が手ぇ出す気だって思ってる!誤解だー!
「俺も、そーいうの興味ねー訳じゃねーけど。家族いないのは、本当に偶然で。部活もあるし、
まだ早い気が……って、ええ?何飲んでたんだテメー!」
篠岡が飲んでいるペットボトルに目が止まる。それを取り上げて、阿部は真っ青になった。
「ここに、『これはお酒です』って書いてあんだろ!」
「え?」
きょとんとして、一緒にペットボトルを覗き込む篠岡。中身は殆ど空になっていた。
「飲んで気付けよ。ったく、顔が赤いのも様子変なのも、酒のせいかよ!」
阿部は水、水、とキッチンに走った。コップを篠岡に渡す。
「気分悪くねーか?」
「べつに……」
篠岡は多少ぼーっとしているものの、ほろ酔い状態らしく、顔色は悪くない。
「布団敷いてくっから、寝ろ」
客用の布団は昨日出したばかりだ。案の定、干されていたからそれをそのまま持ってくる。
篠岡が積極的なのは酒のせいだと判り、阿部は安堵していた。
どうも変だと思ってた。本当の篠岡は、あんなんじゃねーよな、うん。
選手は聞いたことがあっけど、マネジの飲酒も問題になんのか?その前に未成年だから法律違反か、
などと考えながら準備をしていると、部屋に篠岡が入って来た。
「あ、篠岡、大丈夫か?枕カバー洗濯出しててねーから、タオルでもいいか?」
阿部の問いに、答えるでもなく篠岡がぼーっと立って阿部を見る。
立ち上がって「とにかく寝ろ」と阿部が促すと、
「返事、今日聞きたいの。私のこと、嫌い…?」
篠岡が思いつめたように言った。キラキラ光る茶色がかった瞳に吸い込まれそうになる。
本人に自覚はなくても、その誘うような唇から目がそらせない。
「……その話は、酒が抜けたらにしよーぜ」
「お酒のせいじゃないよ。ずっと、待ってたの。……試してみて、阿部くんがダメだって
思うなら諦めるから」
そう言って、心細そうに阿部を見上げる。右手が自分の洋服のボタンに掛かっていた。
阿部は今更になって血の気が引いた。自分の行動は、そう思われてもおかしくない。
ひと月、時間を貰ったのに、何もしてこなかった。篠岡も不安だっただろう。
布団まで敷いてお膳立てして、勘違いするなという方が無理だ。
阿部は腹をくくった。
「俺、経験ねーから。篠岡は好きだけど、女とどう付き合っていーか判んねーし、
その気になるまで時間かかると思う」
「じゃあ私で練習して。他の女の人の後なんてイヤ」
「う」
まさかこう切り返されるとは思わなかった。
今、篠岡を喋らせているのは、本心か?酒の力か?
阿部は必死でこの場を凌ぐ理由を考える。
「実を言うと、アレ持ってねーし。よーするに、俺そーいう気で呼んだ訳じゃねーんだ」
阿部は、あえて残念そうに言った。ここまで言えば、篠岡も諦めてくれる筈だ、と。
が。
篠岡は硬い表情で、ポケットから、隠すように持っていたものを差し出した。
ハンカチだった。そのまま、阿部に手渡す。
「バレンタインに、友達がくれたの」
個別包装のチョコか?と、ハンカチに包まれたそのパッケージを覗き込んで、阿部は
それを落っことした。
コレって、アレですか。実物見たことなかったけど。「友チョコ」は聞くけど、
なんで女同士でゴムをプレゼントしてんだ――?


「バレンタインで上手くいったら、使いなって」
「怖ぇなぁ、誰だよ?ウチのクラスか?そんな奴いるんだ」
篠岡が教室で一緒にいる女子に、そんな奔放でオープンな生徒がいるとは思わなかった。
女は見た目と本性は別なんだな、と別の興味がわいてくる。
急に篠岡が泣きそうになり、責めるように阿部を見た。
「○○の方が好き?」
「あ、いやいや、別に。女の下の名前言われても判ん…」
唇を塞がれた。篠岡から切なげな溜め息が漏れる。不器用に、重ねるだけのキス。
驚きのあまり、阿部は目を開けたまま受け止めていた。
俺、初めてなのに、こんな情けなくていーのか?
「ん…んん」
篠岡が抱きついて体重をかけ、阿部は腰が砕けてふらふらと座り込む。
そのまま、篠岡に覆い被さられるように布団の上に転がった。
まさか男の自分が襲われるとは思っていなかった阿部は、混乱していた。
「篠岡、落ち着け」
ついでに自分も。うわ、篠岡はこんなにアップで見ても可愛いんだ。唇、柔らけぇな。
篠岡がやっと阿部を離した。上目使いの大きな目が、うるうると揺らぐ。
「酔ってないもん」
「酔っ払いはみんな同じこと言うんだよ」
篠岡は反抗するように、目を見ながら阿部のシャツのボタンを外し始めた。
力の差で止めさせることは容易いが、阿部にはそれが出来なかった。
自分のことに必死になる篠岡を、可愛いと思った。
「ずっと好きだったの。見てるだけで終わりたくなくて、マネジの立場利用して
チョコ渡せて嬉しくて」
ふわりと篠岡が、阿部の裸の胸に頬を寄せる。もちろん、阿部はそんな経験は初めてで、
自分の異様に高鳴る鼓動を聞かれているのだと思うと、開き直る気になった。
背中に手を回して、ぎゅっと篠岡の身体を抱きしめる。
「最後まではやんねーけど、それでいいか?」
不思議そうに篠岡が顔を上げた。
「篠岡を泣かせたくねーから。俺も恥かきたくねーし」
「やっぱり、阿部くんって優しいね」
篠岡はホッとしたように頷いた。
「怖くなったら言えよ。止めるから」
その時まで、阿部は自分の身体は、自分でコントロール出来ると思い込んでいた。
合宿で他の連中と話した内容から判断するに、禁欲的な方だという自覚もあった。
寝る前だって、女の裸を想像するよりは、打者を打ち取るイメトレの方が日常的だし、
実際、篠岡に告られてからもそれは変わらなかった。変わりたくなかったせいもある。
だから今、こうして困ってる訳だ。
(もうちょい、勉強しときゃ良かったな。今日は途中までで止めといて、今度田島に
なんか借りて予習して……。その気があったら、続きをやればいーか)
篠岡が洋服を脱ぐのを手伝いながら、阿部はどこか他人事のように考えていた。

篠岡のぴんと上を向いた乳房は小さいながらも形が良かった。
淡いピンク色の胸の突起を舌で吸いながら、もう片方の胸を弄ぶ。
膝で足の間を割ると、熱っぽい吐息が漏れ、篠岡がくすぐったそうに笑いながら足を絡めてきた。
篠岡も初めてなのに緊張がないのは、今日は布団の中でじゃれ合うだけだと判っているせいだ。
ゴムは、篠岡が拾ってハンカチに包み直して、脱いだ服と一緒に部屋の隅に置いていた。
「阿部くんで良かった。私も怖いし、阿部くんに無理して欲しくないし」
「じゃあなんで、こんなことしたんだよ」
阿部が、脱がされたシャツを目線で示すと、まるで小学生のように篠岡が頬を膨らませる。
「他の女の子に取られたくなかったんだもん。阿部くん、チョコ貰ってたから」
貰ったといっても、他の部員……三橋や田島らに比べたらささやかな数だ。
「絶対、阿部くんに渡す人は本命だもん。言うつもりなかったけど、阿部くんにチョコのお礼
言われたら、我慢出来なくって……」
「くれた女は、ろくに話もしねーで逃げてったけど」
声を掛けるだけでガチガチに緊張し、礼を言う言葉も耳に入らない相手を見て、もう自分と話をする気は
ないだろう、と阿部は悟っていた。もちろん、阿部に感謝の気持ちはあるのだが、表情が伴わない。
身構える相手に気を使って言葉を選んでも、それが通じないほど阿部は女の扱いが下手だった。
その意味では、篠岡が言った通り練習相手にはぴったりかもしれない。
「……じゃ、練習させていただきます」
阿部は緊張気味に篠岡のお腹を撫でながら、指を下に滑らせていった。おずおずと下着の中に指を差し込む。
篠岡の身体が一瞬震えた。そっと、その柔らかな茂みを撫でながら、阿部は篠岡の表情を伺う。
篠岡は顔を赤くして、少し硬い笑顔で阿部の目を見つめ返した。
「俺、本当に判んねーから、ヤだったら言えよ」
「はい……」
篠岡の唇を貪りながら、指を秘裂に滑り込ませた。キス自体、今日が初めてだから探りながらだ。
それは篠岡も同じで、追い詰められて息継ぎもままならず、苦しそうに喘ぐ。
篠岡の中が熱く濡れていることに、阿部は戸惑っていた。
「中、すげーぬめるんだけど、これってフツーなのか?」
「知らな……ぁんっ!」
篠岡が声を上げ、阿部もつられてビクついてしまった。他に誰もいなくて良かったと初めて思った。
「やっ、あ、阿部、くん……っ!」
指の触れた部分に反応して、篠岡の身体が浮いた。阿部が指を動かすたびに呼吸が止まる。
初めて見る篠岡の高揚した表情、聞いたことのない色っぽい声に、それまで冷静だった阿部の中に
変化が起きていた。
突起のような部分を刺激すると、ますます篠岡が艶かしい声を上げる。
嫌がっているのかと思えば甘えるように絡みついてきて、キスを求めてくるのが可愛いかった。
(指だけでこれだけエロい篠岡が見れんだから、最後までやったら一体……?)
阿部は指を引き抜くと上体を起こして、布団を捲くりあげた。篠岡の白い身体が露になる。
戸惑う篠岡に「ワリ」と無愛想に言い放ち、下着を膝まで下ろした。

ちゃんと内臓が入ってんのかと思うような細い腰。その下の初めて見る篠岡の中心。
自分自身を無理矢理ねじ込み篠岡を壊してしまう恐怖が襲い、阿部はその想像を頭から追い出した。
それでも、部屋の隅にある筈の、ゴムの存在が頭から離れない。
俺、着けるタイミングも、やり方も判らねーんだぞ。
傷つけて泣かせて、カッコ悪いトコ見せて、嫌われるのがオチだ。止めとけ。
「阿部くん……好き」
突然、トロンとした目で、篠岡が呟いた。こんな殺し文句を言われたら阿部の決意も折れそうになる。
「最後まで、しても良いよ」
「は?」
自分のしたことに気づいて取り乱し、首を振って否定する阿部に、クスリと篠岡が微笑んだ。
「当たってるの」
ジーンズの上から硬く膨れ上がった股間をきゅっと撫で上げられ、阿部は顔から火が出そうになった。
「いや、これはその……」
「ホワイトデーのお返し、コレがいいな」
篠岡の言い方に、いやらしさは全く無かった。自分を好きな気持ちが痛いほど伝わってきて、
阿部は泣きそうになった。
「もうちょい、時間くんねーかな」
「うん。でも、阿部くんがイヤだったら別にいいよ。私が阿部くんを独占したくて焦ってただけだし。
阿部くん、真面目な人だって判ってすごく嬉しかった。甲子園に行くまでとか決めてくれれば、
良い子にして待ってるから」
奇しくも、百枝の言った言葉が篠岡の口から漏れた。
「イヤじゃねーよ。俺も篠岡が好きだから、待たせる気ねーし。すぐだから!すぐ!」
最短でも夏大が終わるまでなんて、阿部の方が我慢出来ない。
「急がなくていいよ」
「俺がやりてーんだよ!」
阿部の直接的な言葉に篠岡が照れ、そのあと思い出したように言った。
「あの……じゃあ、ちょっと早いけど、25日はダメ?」
「は?」
「誕生日。もうすぐなの」
ホワイトデーじゃなくて、誕生日のプレゼントかよ……。
阿部は自分の発言を後悔した。

明けて月曜日。朝練に顔を出した百枝は、阿部に声を掛けようとしてためらった。
暗い。阿部の背中から、どんよりと負のオーラが出ている。
自分が阿部に託した作戦は失敗に終ったんだ、と聞かずとも判った。
とにかく阿部を救済しないと甲子園が遠のく、と判断した百枝は、練習を少し早めに切り上げて
阿部を呼び寄せ話を聞いた。
先日、相談を受けた時よりも阿部は弱っていた。
計画が狂って2人きりになり、良い雰囲気にはなったが、最後まではやってない。
気の抜けたような阿部の説明に百枝は、
「なに中途半端なことやっとんじゃー!」
と、怒鳴りつけそうになったが、かろうじて抑えた。
これ以上、プライドの高い阿部を刺激すると、ややこしいことになる。
「千代ちゃんの誕生日前に、また練習をお休みにしよーか?」
今度こそ両親に立ち会わせれば良い。むしろ阿部から言いにくい状況なのだから、事前に頼んでおいて
両親の口から「甲子園に行くまではキヨラカなお付き合いを」と言わせたって良い。
が、阿部は諦めの表情だった。

「もーなんか、逆らうより、流された方が楽って気が」
「じゃあ親密なお付き合いをする訳?阿部くん出来んの?出来ないから悩んでたんでしょっ!」
それなんですけど、と急に阿部は神妙な顔になった。両手を顔の前で合わせて、百枝に頭を下げる。
「そんな訳で、お願いしますっ」
「なにを?」
変な沈黙が出来、意味の判らない百枝はぽかんと阿部の後頭部を見つめる。
「もう予習してる余裕ねーし、篠岡に痛い思いさせたくねーし」
「はぁ?」
「お願いします、監督。――俺を男にしてください!!」
土下座も持さない阿部の勢いに、一瞬百枝は頷きそうになり、即座に意味に気付いた。
怒りにこめかみをピクピクさせながら、百枝は指の間接を鳴らす。
「頭じゃなくて使い物になんないよーに、下を握ってあげよーか?」
「俺だって最後の手段すよ!よりによって最初が監督なんて、怖くて出来っか!」
「なにが最後で、なにが最初なの?」
ギクリとして百枝と阿部が声の主を振り返ると、不思議そうな顔をした篠岡が立っていた。
可愛らしく首をかしげる篠岡の登場に、阿部の顔が蒼白になる。
今の会話の中身を、他の女の後はイヤだと言い切った篠岡に知られたら殺されるに違いない。
「私が掛け持ちしてるバイトの話だよー。あらやだこんな時間。阿部くんも急がないと!
千代ちゃん、クラス同じでしょ。阿部くんが遅刻しないように声かけてあげてね」
「はい」
「モ、モモカン~~?」
百枝は阿部を見捨てた。
自分の恋愛くらい、自分で解決しなさい。私を利用しようなんて、百万年早いっつーの。
頭を下げると、阿部は目を泳がせながら着替えに歩き出した。その隣に、ちょこんと篠岡が並ぶ。
それにしても、あの阿部くんがビビる千代ちゃんって……?
百枝は想像しかけて、怖くなって止めた。
そうして、2人の後ろ姿を見ながら、「うん、お似合い!」と、無責任に自分に言い聞かせた。


終わりです。
最終更新:2008年03月15日 23:52