8-266-271【ハナモモ】sink, slowdown 1[sage]
彼女はアクメの瞬間、おちる、と囁く。
身体の緊張が高まり、一点に向けて上り詰め、爆ぜる、直前。
喘ぐように継ぐ呼吸の中で零される吐息。
その乱れた呼気に混じって、小さく押し殺される呟き。
――…お…ちる…っ
耳をそばだてていなければ聞き取れない、ごくかすかなその言葉が
胸の奥で引っかかって離れない。
百枝に唇の際を甘噛みされた。
「花井くん」
散漫な様子を咎めるように小声で呼ばれて、花井は慌てて、意識を目の前の相手に引っ張り戻す。
本当なら、夢中でその体に貪りつきたい。
というより、目の前の彼女のことしか見えないくらい、放っていても、
実際全く周りが見えなくなるのだ。
けれど最近、不意に、こんな風に自失することがある。
「なに、考えてるの」
熱い、甘い匂いのする、吸い付くような肌。
花井の愛撫に応えて、少しずつ揺らめき始める柔らかな腰。
他の事を考えている暇なんてない。
花井は問いに答える代わりに、細い首筋に深く顔を埋め、耳の後ろを舌先を尖らせて舐めた。
「ふ……」
明かりを落とした部室。
部屋は静まり返っている。
そこにあるのは、互いの呼吸、かすかな衣擦れ、そして肌のぬくもり。
窓からの月明かりを頼りに、軽く唇を啄ばませるように頤をゆっくり辿ると、
百枝はキスをねだって口を軽く開けた。
花井はわざと唇の先で触れるだけの口付けをした。
すると首に巻き付いた腕の力が急に強くなって、強引に熱い舌が花井の口に侵入してきた。
深く舌を絡ませあいながら、服の上から胸のふくらみに触れる。
下から支えるように掌で掬い、ゆっくりと、しかし強く揉みしだくと、
彼女は少しだけ苦しそうに呼気を零した。
「ん……」
鼻に抜けるような甘い響きに、花井は自身の腹の底が熱く沸騰していくのを感じる。
花井の大きな掌の中で、柔らかい胸はおもしろいように形を変える。
彼女はその変化に合わせるように静かに息を乱し、身を捩った。
仰け反らせた首筋に唇を辿らせ、頤伝いに耳朶を甘噛みすると、
「あっ……」
花井の背中に廻されていた手が、シャツ越しにきつく肌に食い込んだ。
耳が弱いのは、一番最初の時にすぐ気付いた。
唇だけで柔らかく薄い耳朶を軽くついばみ、わざと水音が立つように舌で耳を辿った。
彼女が、それまでとは明らかに違う、艶を帯びた声を必死で飲み込む。声を堪えようとした分だけ、背中に廻された腕の力は強まった。
花井は耳全体を埋めてしまうように舌の先を捻じ込み、何度も舐めた後、ふっと息を吹き込んだ。
「やぁ……」
力の抜けてくる彼女の体を抱きとめて、廻した手で背中を辿ると、服越しにブラのホックを外した。
白いシャツをスカートから引きずり出して、今度は直に胸に触れる。
「監督、こういう服、珍しくないですか」
バイトが肉体労働だからなのか、行き帰りがバイクだからか、彼女は普段カジュアルで、
動きやすそうなパンツ姿が殆どだ。
今日のようにスーツに白いシャツという姿は、滅多に見ない。
特に控えめな膝丈のスカートにパンプスなんて格好、もしかしたら初めてじゃないだろうか。
だからこそ、そうしたかっちりした服が徐々に乱されて、襟元やウエスト部分から
白い肌が覗くのは、妙に色っぽく映った。
「ああ、今日は、仕事の面接で……」
「またバイト増やすんですか。寝る時間なくなりますよ」
「それくらいでちょうどいい……、んんっ!」
双丘の先を指先で軽く抓った瞬間、声が抑えきれずに1トーン跳ね上がる。
それくらいでちょうどいい、とはどういうことだろう。
花井が引っかかった思考に一瞬手を止めると、絡ませあっていた足にぐっと力が入って、
彼女が身をすり寄せた。
他所事を考えるなと、さっき遠回しに指摘されたばかりだ。
花井は意識を集中しようと、小さく首を振った。
シャツと下着を一度に捲り上げると、日に焼けない肌に赤く咲いたような突起が、
もう硬くしこり始めているのがわかる。
「なんか今日の格好、すっげぇそそる」
「……服、汚さないでよ」
「わかってます」
本当は彼女の要求に応じられるか、あまり自信はない。
ただこれ以上、彼女に余計な言葉を喋らせるのが嫌で、物分りよく答えてみせただけだ。
胸に唇を落とし、日に焼けない鎖骨を舐めて、ゆっくりとその下に続く柔らかな稜線を辿る。
敏感な頂に辿り着くと、唾液を絡めながら軽く突付き、執拗にねぶって、
その隙に片方の腕をスカートの下へ滑り込ませる。
吸い付くような肌触りの太腿の内側を、ゆっくりと掌で撫でて、徐々に上へと上らせる。
下着をそっと触れると既に湿りを帯びている。
声にならない震える吐息が、花井の頭上で零される。
花井はもっとその声が欲しくて、前歯の先でそっと胸の突起を挟んで、下顎を軽くゆすった。
「やっ、駄目……っ」
駄目、と言いながら、彼女の全身は少しも本気では花井を拒もうとはしない。
それどころか下着の上をそっとくすぐる指先に、もどかしそうに腰をくねらせた。
その仕草がまた情欲を煽って、花井はごくりと唾を飲む。
「花井、く……」
抑えた声で呼ばれる。呼吸が荒く、胸を激しく上下させている。
花井が唇を離し、わざと黙ったまま上目遣いで見上げると、彼女は苦しそうに顔を歪めた。
暗に焦らされたとわかったのだろう。花井の背中に廻していた腕をゆっくりと解く。
そして無言のまま、震える指先で花井のシャツのボタンをもどかしそうに開き始めた。
下着を脱がしてそこに触れると、潤んだ中は溶け出しそうに熱い。
彼女は花井がそうしようという素振りを見せる前に、自ら花井の中心を自身へと誘った。
ず……ぐちゅ……ぬちゅ……。
布越しにもはっきりと聞こえていた水音は、貫き、動き始めると、膚のぶつかり合う音の合間に、
尚一層淫猥な響きで耳朶を打って、花井の劣情を駆り立てる。
こうやって、もう何度体を重ねたのかわからない。
彼女はいつも口の内側をそっと噛んで、嬌声を懸命に堪えた。
ぶるぶると震え、時には唇を色の失われるまで噛み締めて声を殺す彼女の姿は、
とてもけなげで、同時にひどく暗い嗜虐心を煽った。
花井は彼女の、抱き合う時だけ特別甘い、引きずるように高く掠れた声が聴きたくて、
毎回のようにわざと焦らしたり、嫌がるのを承知でどれだけ彼女が濡れ、自分を強く深く
咥え込んでいるかを耳元で囁いた。
いやらしい言葉を言わせようとしたことも一度ではない。
けれど子供のように(実際彼女からすれば子供には違いない)、小さな意地悪を
何度となく繰り返しても、彼女は決して応じようとはしなかった。
こうして体を繋いだ後は、彼女は殆ど呼気しか洩らさなくなる。
愛撫に襲う官能に喘ぎながら、湧き上がる嬌声を懸命に噛むのは、ひどく辛そうに見える。
どうして声を堪えるのかと問うたのは、多分、四度目の時。
彼女はからからと笑った。だって、部室で隠れてやってること、ばれたら困るでしょ。
当然の答えだ。
でも照れつつも花井が訊ねたのは、そういう意味のことではない。
彼女が必死で声を堪えている姿が、気の毒に思えていた。
唇を噛み、苦しくなると息を継ぎながら舌先を噛み、時には跡が残るほどきつく、指を噛み締めた。
情事の後に、指の関節に残った赤い跡が、花井には痛ましく思えて仕方がない。
そんなに堪えなければならないものがあるなら――、彼女に無理を強いてまで、
どうしても抱きたいわけじゃない。
身体を重ねたい欲求はある。でも、まるで我慢が効かないほど自分勝手ではないつもりだ。
言葉を選びかねて黙ると、彼女は花井の言葉の先を読むように言った。
『気持ちよくないんじゃないかって心配?』
『いや、それは……』
『そういう心配ならいらないよ。すごく気持ちいい。これは、本当に』
『……じゃあ、どっか別の場所、行きます? ホテルとか……』
『いい』
その言葉は、妙にきっぱりとしていた。
『いいの。ここがいい。……誰かに見つかるかもって声殺したりするのも、結構燃えるのよ。
花井くんは、スリルがあるのは嫌い?』
苦しさにも似た甘い官能に溺れる声を、聞かせて欲しいのに。
その声で、もっと呼んで欲しいのに。
花井は注挿を繰り返しながら、聞き分けなく彼女の声を「もっと」とねだりたくなる自身の欲求を、
そっと脳裏に押し込める。
奥をぐっと突いて、引きながら腹側の膣壁を擦る。
「ふ……ぁ」
乱れた呼吸の合間に弱い吐息が洩れた。
その甘い響きまで自分のものにしてしまいたくて、花井はすかさず唇を重ね、
舌で上顎をくすぐった。
「ん」
顎を上向けて、彼女がもっと深くまで花井を受け入れる。
熱い舌が花井を誘うように動き、互いの舌が深く絡み、貪りあう。
ぴちゃ……、くちゅ……。
静かな部室に、粘膜の触れ合う音が響く。
熱い呼気が洩れ、彼女の掌が花井の背を優しくくすぐるように這い回る。
柔らかい感触が全身の神経を焼き切りそうだ。
「……は……ぁ」
彼女はきつく目を閉じている。
頬が紅潮し、目元がかすかに滲んでいた。
うっすらと浮いた汗が、彼女の肌を淡い月明かりに青白く光らせている。
「ぁ……、ん、ふ」
怒張を飲み込んで、彼女は自ら何度も腰を揺らした。
それに応えて、何度も深く奥を抉った。
抜く寸前まで腰を引くと、彼女の足が腰に絡み、全身でそうさせまいと花井をねだる。
わかっていると浅い入り口を擦ってくすぐると、
「あ……っ」
と、全身を震わせた。
ごくかすかな、けれど耳に残る、甘く高い彼女の呼気。
熱い柔らかい彼女の奥が、花井自身を飲み込み、全てを吸い尽くそうと蠢く。
彼女から溢れる愛液が、二人の間でみだらに光る。
床にまで滴った蜜の立てるいやらしい音と、肌のぶつかりあう音。
そして自身の乱れた息で、彼女のかすかな呼気を掻き消してしまう。
自身がどこまでも硬く、熱くなる。
足元から背筋を貫くように襲う、強烈な射精感
全身を這い上がる快楽の波を堪えて、花井は腰を優しく揺する。
「監督……っ」
耳元に唇を寄せて囁くと、細い身体がびくりと仰け反った。
同時に、肩に鋭い痛みが走る。
見ると、彼女がきつくしがみ付いて、肌に爪が立てられていた。
その様子がかわいくて、か弱くて、胸の底がざわりと疼く。
全身を溶かされそうだった。
今にも達してしまいそうな感覚を、彼女の与えてくる小さな痛みに意識を集中して、
かろうじてやり過ごす。
「監督……、もう、限界……」
花井が呟くと、彼女はきつく閉じられていた瞼を重そうに開けた。
目元まで赤く染まっている。
花井の目をじっと見つめ、ゆっくりと一度頷いた。
その拍子に、うっすらと瞳を覆っていた水の膜が、眦からスロー映像のように零れ落ちた。
緩慢な瞬きをして、彼女は再び目を伏せる。
濡れた長い睫毛が小刻みに震えている。そして。
――花……井く……。
小さな赤い唇が、確かにそう動いた。
頭の先まで突き抜けるような衝動に、理性の箍は一瞬で消し飛んだ。
全てをぶつけるように乱暴に、何度も、最奥を突いた。
細い体が揺れ、そして花井を咥え込む力が徐々に強まっていく
絶頂を迎える寸前の緊張の高まりに、花井は煽られるように上り詰めていく。
「監……督……っ」
がくがくと彼女の身体が震え始め、
「……お…ちる……」
吐息と共に、彼女の身体が大きく跳ねた。
びく、びくという痙攣に似た震えが、彼女を貫いている自身に伝う。
花井は詰めていた息で小さく呻き、やがて果てた。
ゆっくりと脱力し、彼女が細く長い息を吐く。
疲れたのか、ぴくりとも動かない。
閉じた瞼に差した影を、花井はじっと見つめた。
絶頂の瞬間を、脳裏に思い浮かべる。
それは、文字通り「これ以上ない頂に達する」感覚だ。
頭の中が真っ白になるほど、全身の神経が一点に、高みに向かって、上り詰めていく。
それは自分にとって、他の言葉に置き換えられる感覚ではない。
性別によって、快楽の捉え方は違うかもしれない。
花井は自分に言い聞かせるように思う。
自分が男で、彼女は女だ。基本的な身体の作りが違う。
身体を穿つ者と、それを受け入れる者とで、感じ方が異なるのは当然だ。
しかし、本当にそれだけだろうか。
花井はもう何度めかの自問を繰り返した。
彼女はまた、おちる、と言った。
その声はいつも、高く、苦しげに、なにかを堪えるように掠れている。
花井には、その言葉の纏う響きが、快楽の限界へと向かう切実さとは別のものを
孕んでいるような気がしてならないのだ。
快楽に溺れて理性が飲み込まれていく感覚が、奈落の底に落下するように思えるのか。
それとも――。
胸の底をちりっと引っかくような、かすかな痛みが走る。
言い知れない戸惑いが音もなく翼を広げ、心を暗く覆おうとしている。
「……花井くん?」
彼女の声が花井を現実に引き戻した。
まだ熱に潤んだ瞳が、物思いに耽る花井に訝しんでいる。
「なんでもないです」
応えて口許を笑ませると、花井は自身を捉える違和感を、浮かんだ汗ごと静かに拭った。
終わり
最終更新:2008年06月09日 00:38