8-345-352 ハナモモ 名前:苦労性の主将1 ◆LwDk2dQb92
くちゅくちゅとかちゅぱちゅぱなどなど、そのような今まであまり耳にしたことがない音が自分の鼓膜を叩いてくるのを、
西浦高校野球部主将である花井梓はぼんやりと感じ取っていた。
頭がはっきりしない覚醒していないというか、端的に言い表せば夢と現実の狭間に身を置いている――早い話が起きる寸前
の一番気持ちがいいと言えなくもないそんな時間であったはずだった。
(……っだよ。まだまだ眠てーって……。まだ起きる時間じゃねーはず……って)
しかめていた眉根をほんの少しだけ戻して、ベッドから身を起こして枕元の目覚まし時計の所在を確かめようとしたところ
で気付いた。
――オレの部屋じゃねぇ?
小学校低学年のころに両親が綿密な計算の上でローンを組んで移り住んできたマンション。その今まで寝起きしてきた部屋
とは違う。小学校入学時に買ってもらい、今の今まで大事に使って世話になってきている学習机も見当たらない。高校生らし
いマンガと参考書などが混在して並べられている本棚も、ない。
――第一、オレの部屋はここまで汗臭くねーし
部屋の脇に並べ立てられた独特の光沢を放つ細長いグリップから徐々に太くなっていく物体――即ち金属バット。
黒いプラスチック製のカゴに入れられたいくつもの硬球。そのどれもが土埃で汚れているが、よく補修されて大事に使用さ
れてきていることが窺えた。
ようやくのことで頭がまともに起動してきたように感じられてきた。
いつものTシャツとスウェット姿という寝巻き姿ではなく、花井が身に纏っているのは野球の練習着だった。ブラックのア
ンダーシャツに、穿いているのは元の色は白だけど練習により泥だらけとなっている――そのズボンがない。というか、足首
にかろうじて掛かっている状態であるのに気付いた。
「はむんんっ、くちゅん、……ちゅるるるっ」
花井が今いる部屋、つまりは西浦高校の野球部部室の中央に据えられている大机から花井は身を起こした。
花井の股間に膝立ちとなって熱心に口唇にて男性器を愛撫している女性。彼女の長い黒髪がサラサラと揺れ動いている。
いつもはおさげにしているその髪形は、ストレートのままで白のシャツの上を泳いでいた。
ただひたすらに与えられてくる心地よい快楽に身を委ねてながら、まともに動き出し始めた脳みその処理速度が一段とスピ
ードを増していった。
(誰だったっけ、この人)
「ちゅっ……ふふ。どうかしら。気持ちいいわよね?」
女性が舌を這わせ続けていた若い勃起から顔を上げる。しかし、右手で竿の部分を、左手では二つの睾丸が入った大事な部
位をやわやわと刺激し続ける。
それが暴発してしまわないようにと抑えられているその動きがもどかしい。
「……? ……っ!? か、かかかかかっ」
性的快楽から紅潮していた花井の顔色が瞬時にして蒼白なものへと変わっていく。
「…………」
こめかみをぴくっとだけ動かした女性は、おもむろに右手の人差し指を赤黒く充血して先走り汁をとくとくと溢れさせてい
る亀頭部分の切れ込みへとねじ込んだ。
「っうっ!!」
敏感な、いや敏感すぎるところへの嗜虐性の強い行為だった。鋭い痛みを感じて花井は目を剥いて呻き声をあげた。
「ねえ、二人きりのときの呼び方は違ったはずよね?」
鈴口付近を更に嬲り続けながらに跪いていて立場は下かと見えた女性は問いかける。
「も、百枝さん……? っう……っ!」
「ねえ、わざとなの? それならこっちにも考えがあるわよ」
「や、やめてください、まりあさん……」
その呼称を耳にした瞬間に先ほどまでの表情とは明らかに異なる、優しげな色を湛えて、女性――百枝まりあは愛しげにし
て指で若干小さくなった亀頭を撫でていく。
まさに愛撫という表現がぴたりと当てはまる。そんな動きであった。つい僅かばかり前まで纏っていた可虐性の強い空気は
霧散していた。
「まださん付けなのね。まったくいつになったら呼び捨てにしてくれるのよ」
「えっ、ああ、いや、」
上目遣いに花井を見詰めるその瞳は明らかに不満そうであった。なにがなんだかわからなくて言葉を失っている花井をじっ
と見据えていたその視線は自らの手中にある生殖器へと移った。
「まあ、いいわ。それよりもさっきのお詫びにたっぷりと射精させてあげなきゃね」
「え……っ」
真っ赤な舌でぺろりとカウパー氏線液をすくい舐めていく。単純な男根は受けていた痛みを忘れて再び体積を増していった。
百枝の瞳が怪しく光る。一旦離して舌なめずりをして唇を濡らし、口を大きく開いて花井の分身を呑みこんでいく。そして、
じゅるじゅると卑猥な水音を部室内に響かせ始めた百枝は、勢いそのままに頭を上下に動かしてピストン運動を開始した。
「あくっ、じゅるるっ……くちゅるるるっ」
「くっうぅぅぅ……」
花井は自らの股間に顔を埋めてうまそうにして分身を吸いたててきている指導者を凝視していた。記憶はどうもはっきりし
てくれないが、今この瞬間に自分に訪れている快感は本物。それも経験したことのない快楽の津波が次々と押し寄せてくるの
だ。
若く健康的な男子高校生にとってその刺激は強すぎた。なにも余計なことを考える余裕などない。
いや、そんなもの最初からなかったのだろう。
とびきりの美人の部類に入るだろう女性が、自分をイカせることだけを頭に置いてあらん限りの技巧を花井の男の部分へと
注いでくる。
「ひもひいいんれしょ?」
男根の先端部分を咥えつつも、百枝は歯を食いしばって耐えている花井を見やる。顔面を紅潮させている花井は声をまとも
に上げることすらできずに、僅かばかり頷くことしかできない。
その余裕なさげな様子にいたく満足した百枝。ふふっと鼻を鳴らして男性器への奉仕を再開した。
「んっ……はぁぁん……、んふぅふぅんん……っ」
百枝は申し訳程度にして腰に引っかかっていたズボンを下ろして、ショーツのなかに左手を突っ込むと陰唇へと指を触れさ
せていく。その動きは徐々に激しさを増していく。
男性器を頬張ることによって起きていた音に、百枝が自己の女性器をまさぐることによって起き始めた音が加わった。
その二つの水音が奏でて作り上げる空気は、確実に二人の心を侵食していく。
花井は、尊敬している監督が自分にフェラチオをしてくれているだけでなく、オナニーをしてしまうほどに感じ入っている
ということに。
百枝は、目の前の男が感じ入っていることに自尊心を大いに満たされ、また自分は、はしたなく濡らしているということに。
いつもは和気藹々とした雰囲気に包まれている部室は、発情しきった男と女が醸し出す淫らな雰囲気に包まれていた。
「ま、まりあさんっ……オレ、オレもう、」
情欲に緩みきった男の哀願する声を受け、奉仕する女の行為はスパートに入る。
口に男根を頬張って舐めしゃぶり、根元付近からは右手でしごき上げ、左手で包んでいた睾丸二つを心持ち強く握った。
「あ……っ」
「んン……ッ」
百枝の口腔内は若い勃起が次々と吐き出してくる精液で満たされていく。
やっとのことで射精が収まったところで、百枝は花井の股間から離れると口内に頬張っていたザーメンを喉を鳴らして飲み
乾していった。
「……っ」
唇からちょっとだけ垂れてきた精液をぺろりと舌で舐めた百枝に、花井は思わず息を呑む。脳内から出された信号を受け、
だらりと力を失っていた勃起は、勢いを取り戻した。
花井の顔と股間を交互に見た百枝は、満足げに微笑んだ。
そして、立ち上がると花井が寝そべっている机へと上がり、顔の上に跨ってきた。右手の人差し指と中指にて大陰唇を開い
てみせてた。顔面騎乗の形であった。
止め処なく溢れてくる愛液。その局部を惜しげなく、また恥ずかしげもなく見せ付ける百枝は荒い呼吸を繰り返している花
井を見下ろしつつ、冷酷な声音で命令した。
「さあ、今度はあなたが私を気持ちよくさせる番よ……。舐めなさい」
「は、はい……」
花井は濡れそぼって男を誘惑してくる陰部へと首を上げていき、そして――。
「……てぇ」
抱き枕を力いっぱいに両手両足にて抱えて、カーペットに全力でキスしている。それが最初に花井が気付いた自らの状態で
あった。
まだ寝ぼけ眼のままに上半身を起こして辺りを見渡す。
今でも大事に使っている学習机。マンガと参考書が入り混じってお互いの勢力争いをして覇権を競い合っている本棚。花井
がずり落ちたシングルサイズのベッド。
どこからどう見ても、自宅にある自分の部屋であった。
「はぁ……」
嘆息しつつ立ち上がる。ベッドからダイブしたことによってジンジンと痛む顔面には、あえて意識を向けない。
「……いっ!? まさか」
いつものように元気に朝勃ちしている分身。それだけならよかった。そう、それだけなら。
股間に感じるねばねばとした不快極まりないあの感触。
枕元の電波時計を取ると、日付と時刻を確認。ぽいっと興味を失ったようにしてベッドに投げる。
「はぁ……。十七にもなって夢精かよ……」
股間の惨状を確かめた花井がつく息はどこまでも深いものだった。
こうして、花井梓にとっての十七回目の四月二十八日は訪れたのだった。
今日は週に一度のミーティングのみの日なので朝練もない。つまり、いつもよりもゆっくりとしていられる貴重な日だ。それ
でも一時も早く股間の気持ち悪い感触から逃れたい花井は、タンスから換えの下着をあさると取り出して、スウェットと汚れた
下着を同時に脱いだ。
それと同時に、ドアが開いた。それも随分と元気よくだ。
その主は花井の二人の妹たちであった。まだ真新しい制服に身を包んだ双子たちは、元気よく大好きな兄へと挨拶した。
「おにーちゃん、おはよー」
「朝だよー」
今年の四月から中学生となった双子。週に一度のこの朝練がない日だけは、兄と一緒に朝食をとって一緒に学校に行きたいが
ため(もっとも中学生と高校生だから途中までだが)、起こしにきていた。
今日もそのようにしたツインズ。
「…………」
「…………」
つい先ほどまでのかしましい空気はどこへやら。二人の視線は元気に勃起している兄の股間へと注がれていた。
同時に首を捻る。瞬きをしてお互いの顔を見合わせた。次に兄が握り締めている下着に移った。
「あれだね」
「うん。あれだね」
「お、おい」
おずおずと声を掛ける兄。その兄を華麗に無視したツインズは、これまた同時に回れ右をして兄の部屋から飛び出していった。
「「おかーさーんっ、おにーちゃんったら十六じゃなかった……十七才にもなってお漏らししてるーっ!!」」
「あっ、ちょっ、おまえら……っ!?」
どたどたと駆け出した妹たちへと差し出した花井の右手は、虚しく空を切った。
兄としての威厳それからプライドなど、その他諸々が一瞬にして崩れ去った朝であった。
「ねー、お母さん。お兄ちゃんったらお漏らししちゃったんだよー」
「ちょっと……ううん。かなりおかしいよね? でもオシッコの匂いじゃなくて、なんだろ? イカ……かな。うん、イカみ
たいな匂いがしたんだよねー」
「えっ、ええ……。そう……」
花井家のダイニングキッチンでは家族六人が勢ぞろいして食卓を囲んでいた。お漏らしではなくて年頃の男の生理現象である
夢精だということを知らないツインズは無邪気に笑っている。
茶碗へとご飯をよそっている花井母は口元を引きつらせていた。今にも吹き出して爆笑してしまいそうになっており、緩みそ
うになっている頬の筋肉を叱咤激励して堪えている。
「……母さん。お茶をくれないか」
新聞を読んでいる花井父は、広げた新聞によってどのような顔をしているのかわからない。であるものの、声の端々が震えて
いるのは隠しようがない事実だった。
祖母はあらあらこまったわねと微笑みつつ、のんびりお茶をすすっている。
食事はできるだけ家族一緒で――という決まりごとにより席を立つことができない花井は、不機嫌さを隠そうともせずにただ
ひたすらに黙々と箸を動かし続けていった。
「えっとね。なんて言えばいいのか、お兄ちゃんのはお漏らしじゃなくてね……」
「学校行ってくる……ッ!!」
無意識下における事故とはいえ、自らが引き起こしたことで性教育が開幕する状況にいたたまれなくなった長男は、逃げるよ
うにして席を立ち鞄片手に家を飛び出していった。
教室の窓際の自分の席にて花井はぼけっとしていた。ちなみに授業中であり、科目は野球部顧問兼部長の志賀が担当している
数学であった。
軽快にチョークを黒板に走らせながら、書き上げていく計算式の説明をしていく志賀。いつもの花井ならば得意科目の数学で
あるため、他の授業よりも集中して受けているはずなのだが、とても今の花井はそう見えない。
一見、教科書とノートをしっかり広げて真面目に授業に臨んでいる姿であるがに、どこから見ても集中力を欠いてしまってい
るようにしか見えなかった。
(なんで、モモカン相手にオレは……)
朝から何度となく繰り返している自らへの問いかけだった。ここまで鮮明に覚えている夢というのは珍しいことだった。
二年生に進級したことで野球部にも新一年生が入部してきて後輩ができた。それにより、主将である花井はしっかりと引っ張
っていかないとと一年のころよりも気合を入れて毎日の部活に励んでいる。
積極的に声を出すのはもちろん、持ち前の面倒見のいい性格を発揮してまだ慣れていない一年生のフォローをしたりとしてお
り、一日が終わるころにはすっかりくたくたになっている。
そのため、家に帰ると食事と入浴を終えると泥のように寝るという状態が続いていた。なにかしらの夢を見ているのだろうが、
今日のようにして鮮明に覚えている夢というのは、かなり久しぶりのことであった。
(んー、なんであんな夢見たんだろな……)
顎に手をやり俯き加減に考え事に耽る。その考察対象は百枝だ。
花井にとって百枝の存在は尊敬する監督ということに過ぎなかったはずだった。ファーストインプレッションから女らしから
ぬ部分を多々見せつけられて、まず恐怖の感情が圧倒的に独走した。
それから今日に至るまでの一年の間に多くのことを教えられてきた。野球のことだけでなくて実に様々なことを学んできたと
思う。野球の技術はもちろんだが、一人の人間としても大きく成長できた。
(やっぱ、あれだよな。うん、あれだよ)
尊敬できる、無条件でついていきたくなる上司。
これが一番当てはまるものだろうと花井は考えている。こちらが何故ここまでしてくれるのかと感じるほどに熱心に親身にな
って指導をしてくれる。
百枝も若い一人の女性なのだから、いろいろとやりたいことは他にもあるはずだろうに。自分たち野球部員以上に全てを捧げ
て尽くしてくれている。
お金だけでなく、それよりも大事だろう時間も。
自分が今まで出会ってきた指導者たちよりも遥かにこの人の力量はすごい。
この人についていけば、自分たちはどこまでもいくことができる。
尊敬の念を超えて心酔しているという表現のほうが正しいかもしれない。
その結論に改めて至ったことにより、もともと真面目で潔癖なところがある花井は、今朝の自分のことを恥じた。そして、猛
省をした。
(すんません。監督――)
花井は心のなかで頭を下げた。が、そこに出てきた百枝は今朝見た夢のあられもない姿であった。
「あーっ、もう! ちげーだろ、オレ……ッ!?」
ガタっと席を蹴立て絶叫した花井。授業中のため、黒板とそれに書かれた数式を解説していた数学教師へと注がれていた幾重
もの視線は、瞬時にして声の主のもとへと殺到した。
「えっ、あっ」
その状況に気付いた花井は羞恥心から顔を赤くして滝のような冷や汗を流す。昨年から同じクラスである阿部や水谷も訳がわ
からないというにしてぽかんとしている。
「花井」
「は、はいっ」
チョークを静かに置いて口を開いた野球部責任教師に、ひたすらに恐縮する部の主将。
「大声を出すのは部活のときだけでいいからな」
教室中に笑いが響き渡るのであった。
放課後。
週に一度のミーティングのみの日とあって、野球部員たちは視聴覚室に集合して日ごろの練習のことや、それにおける改善す
べき事柄などを熱心に話し合っていた。
司会進行役を務める主将の花井は、平常心でいることを心がけていた。だが、どうしても少し離れた場所で議論を見守ってい
る百枝へと目が行き、顔を赤くしては逸らすということを繰り返していた。
幸いなことに熱心に意見を交し合っている他の部員たちが、どこか様子のおかしい主将を気にすることはなかった。
「よし。こんなとこだな。起立っ!」
程よく今週の方針がまとまったところで花井が号令を掛けたことにより、総勢三十名となった部員が立ち上がって、百枝と志
賀へと向いて一斉に挨拶をした。
解散となったため、出入り口へとぞろぞろ向かっていく同級生たちと後輩一同を花井は疲れた様子で見送っていた。
(欲求不満なのかな、オレって……)
どかっと腰を下ろしたことで、パイプ椅子はぎしっと悲鳴を立てつつも律儀にその役目を果たしている。花井はおもむろに鞄
からクリアファイルを取り出すと、それから数枚のプリントを引き抜いた。
どうせ視聴覚室の鍵を返すのは主将である花井本人なのだから、宿題でも適当にやって時間を潰そうとでも考えたようだ。今
朝のことがあるので家にあまり早い時間帯に帰りたくないという思いからの行動であった。
筆箱からシャーペンと消しゴムを出して勉強の準備を整える。続いて眼鏡をかけてプリントへと目を落とした。
(部活で疲れてっけど、適度に抜いてはいるしな。それに好きな女って今いねーから、そんなわけないと思うんだけどなー)
教科書にある解き方の一例を参考にし、すらすらとプリント上にシャーペンを走らせる。流石に得意科目としているだけあっ
て、特別つまったりするようなことはなかった。
「……つーか、こんな余計なこと考えてどうするよって話だよな。オレが浮ついてちゃまずいだろ」
脳裏に今年入ってきた新入部員たちを思い出す。自分たちの代の倍となる人数が入ってきたことで思わず気圧されたりもした
もので、なおかつ実力的にもあなどれない人間が少なからずいる。
なんでも阿部や栄口といったシニア出身者が、中学のころの所属チームに顔を出すがてらにスカウト活動の真似事をしていた
らしい。
でも、いろいろとハンデを抱える公立校に来るはずないだろうと二人は半ば考えていたそうだが、昨年の花井たちの活躍を球
場まで観戦に来ていた者たちがいたらしく、興味をもったらしい。
いわく、先輩たちが一学年上だけで少ししかいないから、あまり上下関係が厳しくなさそうで、のびのびとやれそうだとか。
いわく、甲子園に行くなら強い私立から行くよりも、そこをぶっ倒して出たほうがカッコいいだとか。
そのような実力も兼ね備えた猛者もいる。県内有数の強豪私学からの誘いを蹴ってまで普通の公立校である西浦を選んだのだ
から、酔狂というほうが近いかもしれない。
「……さっさと宿題片すか。帰って走り込みと素振りしねーと」
「居残って宿題をやるだけでなく、自主トレのことも忘れてない。うちの主将はホントに感心ね」
「……へっ?」
突然、後ろから聞こえてきた声に驚く。今朝方から今までずっと花井の脳内の中心部に居続けている女性のものだ。
「かかかかかっ監督!!」
「ちょ、ちょっとそんなに驚くことないんじゃない? はい、これ」
百枝は花井の反応に驚きつつ、向かい側にあるパイプ椅子を引き出してきて座った。そして、手にしていた二つの缶コーヒー
を花井が勉強道具を広げている机に置く。
「えっと、これは……?」
「ん? 別に深い意味はないわよ。ちょっと花井君に話があるのを思い出してここに戻ってきてみたら、勉強してるみたいだ
ったからね。手土産の一つでも持ってきてあげなきゃって思ったわけよ」
そのままに百枝は、どちらを選ぶかと花井に目線で問いかける。花井がおずおずと片方を選んだことで、選ばなかったほうを
持つとプルタブを開けて中身に口を付けていく。
「んくっ、んくっ……ふぅ。ん、どうしたの?」
「へっ、い、いや、なんでもないっス! いただきます、ゴチになります!!」
訝しげな顔をした百枝にこれ以上不審がられないように、缶コーヒーの一気にぐいっと呷っていく。
なんというか、ほとんど味がわからない。
――言えるわけないだろ、監督の口元を見てて夢でフェラしてもらってるとこ思い出しちまったなんて
ほんの数秒のうちに缶コーヒーを飲み干した花井は、自分に話があるという百枝にそのことを聞き返す。
「あっ、そうそう。花井君、これから時間ある?」
「時間、ですか? はい。家に帰るだけっすから」
「そっか。じゃあね、私についてきてくれる? いいとこに連れて行ってあげるから」
「……っ!?」
微笑んだ百枝。今朝の夢のことがある花井は戸惑いと、それ以上に期待している自分を隠すことはできなかった。
「さあ、なんでも好きなもの頼んでいいからね! 大盛りチャーシューメンに替え玉も何回注文してもいいし、ジャンボギョ
ーザなんてのも頼んでいいわよ!」
「…………」
「普段から頑張ってくれている花井には、先生からは大盛り焼き飯をご馳走しよう! 焼き飯が嫌いだったら、カツ丼とかで
もいいぞ?」
「…………」
思春期真っ只中にある少年の脳内に展開されていたような、未成年お断りな展開などになるわけなどなく。
花井は西浦高校の近所にあるラーメン店へと、百枝と志賀から連れられてきていた。西浦高校関係者はもちろん、近隣住民か
らも愛されている店で、特に部活が終わったあとの運動部員が多く訪れる店だ。
安くて美味くてメニューも豊富……と、賑わわないはずのない店内は今夜も盛況であった。その決して広くはない店内の貴重
なテーブル席にて、四つの席に着いている面々は、花井・百枝・志賀・篠岡の四名であった。
百枝が花井を誘った理由。それは実に簡単なことであった。誕生祝である。
昨年は部員が誕生日を迎えるたびに、全員をこの店に連れてきてラーメンを振舞っていた百枝と志賀であるが、新年度になっ
てからは断念せざるをえなかった。
三十人もの部員をこの広くはない店に連れてこれるわけがない。それに毎回そんなことをやっていたら経済的にも非常にまず
い。だが、なにもしないというのはしみったれすぎるだろう。
それなら、せめて誕生日を迎えた人間だけを連れてきてご馳走しよう。
というふうに落ち着いたのであった。
ちなみにマネジャーの篠岡は、部員一人と大人二人だと緊張するだろうからという計らいの下、毎回ご相伴に預かっている。
「ほら、花井。なにも遠慮することはないんだぞ? 先生、給料日からそんなに日が経っていないからな」
「……うす」
志賀からばんばんと叩かれてくる肩が地味に痛い。
『先生はオレの隣にいる篠岡を連れてどこか行ってください。モモカンと二人っきりにしてください』
などと言えようはずがなかった。
(つーか、今日はオレの誕生日で去年のこともあるんだから、予想できたことだろ。なに舞い上がってたんだろな、オレ……)
そっと嘆息を漏らした花井は、メニュー表を開いた。
帰宅後。さっさと風呂を済ませて部屋に引きこもった。今朝方に自分がやらかしたことがあるので、リビングでの家族団らん
に参加しようという気にはとてもなれなかったからだ。
明日の準備を済ませてベッドで寝転がっていると、欠伸が出てきた。枕もとの時計を見ると、寝るにはまだ早い時間帯であっ
た。
それでもせっかく眠気が訪れてくれたのだから、素直にその欲求へと屈することにする。照明をリモコンで消して、横になっ
た。
(監督が女として好きとかってのはない……と思う。でもいい女ってのは間違いないし、好きか嫌いかって話なら、そりゃあ
好きだ……いやいや。そうじゃなくて)
頭へと手をやってため息を一つ。
「ああ、もうなにがなんだかわかんねーよ。さっさと寝よ……」
ふうっと息を漏らした花井は、最後にもう一度だけ独り言ちた。
「あの人がしてくれてるように、オレも最後まで野球部に全力で尽くす。そういうのは全部終わったあとだ」
翌日の花井家――。
「「おかーさーん、おにーちゃんったら……えっと、なんだっけ。あっ、あれだ! 二日連続でムセーしちゃってるー!」」
「……ッ!!」
苦労性である主将。学校だけでなく、本来なら心休まるはずの家でも安穏とできる時間は取れなさそうである。
とりあえず、今しばらくのところは。
(終わり)
最終更新:2008年07月13日 21:35