3-828-832 タジチヨ
「なーじーちゃん、これもらっていー?」
夜、縁側で涼みながらラジオを聴いていたじいちゃんに、納屋から引っ張り出してきた麦わら帽子を見せて訊いた。つばの、ハンパじゃなくデカイやつ。
「ああ、かまわんが、どうしたそんなもの」
「しのーかにあげようと思ってさ」
しのーか? と首を傾げたじいちゃんに、マネージャーだよ、と俺は答えた。
「野球部のマネジやってくれてんだけど」
「おお、あのむすめさんか!」
じいちゃんはぽんと手をたたいて、何故か、ぱあっと顔を輝かせた。
「最近は毎日、草刈りしとるな」
「うん、熱射病とか怖えーし、日焼けもすっから」
この季節、この炎天下、篠岡は毎日、俺たちのグラウンドの草刈りを、やってくれてる。
『土方焼け~』
Tシャツの袖を捲ってそう言う篠岡は、いつもの笑顔だったけど、なんかちょっと恥ずかしそうだった。
「これかぶったら、腕とかまで隠れ」
「悠一郎、あの子はいいぞ」
じいちゃんは俺の話を遮って、切り込むようにいきなりそう言った。
「時々畑から見とるが、実によく働く。今時あんな働き者のむすめさんは、ようおらん。しかも器量もいい」
「? きりょうってなに」
「別嬪さんってことだ」
ベッピン……ああ、美人のことか。
「色気のほうは、あのボインの監督さんには、残念ながら遠く及ばんが」
「ボ」
ボインて。
話についてけなくてぽかんとしてる俺に、じいちゃんはびしっと指を突きつけた。
「悠一郎、決まりだ! おまえ、しのーかさんに嫁にきてもらえ!!」
*
謝る俺に、篠岡は泣き笑いみたいな顔をして、いいよいいよもう、と言った。
「悪気とか全然無いの、わかってるから。田島くんこそ、もう気にしないでね」
「ありがと」
マジごめん、ともう一回頭を下げる。目線が自然、篠岡の胸元にいく。うーん、Bか。
「でもねえ、田島くん」
「ん?」
慌てて顔を上げたら、篠岡はきゅっと胸の前で腕を組んで、なんか『えらそう』なポーズを取った。
「あんなこと、他の子には絶対言っちゃだめだよ?」
「あ、うん。気、つける」
頭を掻きながらそう言うと、篠岡は、ほんとにね、と言って笑った。
ああ、篠岡って、こうしてみるとマジ『べっぴん』なんだなあ。じいちゃん、超目ざといぜ。
「田島くん、モテるんだから。もし言われた子が、実は田島くんのこと、好きだったりしたら、その子、すっっごく傷ついちゃうよ。一生立ち直れないよ。
ほんと、私だからよかったけど」
「え?」
「ん?」
「や、何でもない」
えーと。
『私だからよかったけど』、ってのは。
つまり篠岡は、俺のこと、別に好きとかじゃないってことか。
あれれ。
なんか、力抜けるぞ。なんだこれ、この感じ。
この妙な脱力感は、何故かずうっと続いて、ここのところ何日も俺は、トレーニングの順位が最下位だ。
「田島、マジでどうしたんだよ」
体調崩してるみたいには、見えないけど……と、栄口が心配そうに訊いてきた。
「やー。なんか、力入んねくて」
「おまえそれ、ぜったいオナニーしすぎ」
水谷が言うのを聞いて、花井が頭痛をこらえる時みたいな顔をした。してねえよ、と返したが、みんな、水谷のオナニー説にすっかり納得した様子だった。何だよおまえら。人をサルみたいに。
ああ、今日も白ムスビだなー、なんて昨日のトレーニングの順位表を眺めてたら、田島くん、と篠岡が寄ってきた。
「よー、おはよ」
俺が順位表を見てたのに、気付いたらしい。篠岡の顔が、なんとなく曇った。
「最近、どうしたの? ペケばっかりだよ」
「うん、なんか、自分でもよくわかんねーんだけど」
ぽりぽりと頬を掻いてへらへら笑っていたら、
「田島くん」
篠岡は内緒話みたいに声をひそめ、じっと俺を見て言った。
「うち、今日の夕飯、天ぷらするの」
「は?」
なんだ、いきなり? 天ぷら?
「だから明日のオムスビの具、エビ天ありだよ」
「うおっ」
て、天ムス! 天ムスか!! 俺の一番の好物!!!
「マ、マジ?」
「マジだよ」
篠岡は、それだけ言うと、じゃあねと離れていった。
オムスビの具は本当は、食べてみるまで秘密なのが決まりだ。親から持たされた具材から推理する奴もいるが、いい意味で裏切られたりする。篠岡さんは策士だね、と言ったのは西広だったか。
「譲れねえ……トップ、ぜええっってえ譲れねえ……」
ぶるぶるっと、身震いがでた。全身に、忘れてた力がみなぎってくる。
篠岡、ありがとーな。
じいちゃんが言ってた、嫁にもらえのどうのってのは、まあ今んところ、おいといて。
俺は篠岡の小さな背中を見つめながら、篠岡がマネジでよかったなあ、と思った。
たぶん、はじめて、本当に本当に、本気で、そう思った。
最終更新:2008年01月06日 19:41