8-552-557 カノルリ
小学校からずっと、スカートや短パン姿のルリを見かけるたび、
「三橋、パンツ見えてっぞ」とちょっかいかけていたのが、ある日を境に
「ルリ、愛してっぞ」になった時、あんたにとってはパンチラとラブが
おんなじレベルなのかと、思いっきりどやされた。
*
「修ちゃんは、実は意外にB型っぽいよね」
と、リューが言う。何だよそれ、と訊ねたら、デリカシーのないところとか、と
結構ひどいことを真顔で言いやがる。生意気な。
「ルリ姉、修ちゃんが自分のこと好きだって、気づいてないよ」
「うっそ」
マジかよ。本気で驚いた俺に、そりゃそうだよ、とリューは呆れた顔をした。
「昔は顔見りゃぱんつぱんつだったし。今だって似たようなもんでしょ。
いまどき、好きな女いじめるなんて、そんな男は絶滅種だよ」
そうなのか。
「じゃあ、これからは好きだって言うわ」
そう言ったら、リューは遠い星を見るような目をして、
修ちゃんの決め球ってストレートだっけ?と呟いた。
「まあいいや。ルリ姉もさ、俺の前では修ちゃんのこと、バ叶とか叶んことか、色々
なんか言ってるけど、本当は満更でもないはずだよ」
かのうんこ?
「高校んなって、廉ちゃんは帰っちゃう、修ちゃんまで寮入っちゃったじゃん?
寂しいって素直に言わないで、文句ばっか言ってんの。こないだの練習試合の
ことだって、ずーっと根に持ってた」
リューは言い、深いため息をついた。……ああそうだった、夜電話して、廉
すごかったんだぜって報告したら、なにそれ?なんでさきにおしえてくんないの?
しんじらんない!しんじらんないばかばかばか!!レンレンもひどい!!!!!
とすごい剣幕だった。あの後、廉は大丈夫だったのかな。
「とにかくさあ、修ちゃん、ルリ姉と仲良くやってよ。そんで、俺が三橋の
家を継がねえーって事態になっちゃった時はさ、修ちゃん、ルリ姉の婿になって
うち来て、三橋家のことよろしく頼むよ」
「何だよそれ」
「いやほら、うちって、駆け落ちとかしちゃう家系だから」
リューはぽりぽりと頬を掻いて言った。ああ、廉のおじさんとおばさんの
ことか。それはおまえ、家系関係ねえだろ。
「修ちゃんなら、うちの家族、誰も反対しないからさ。
既成事実でゴーでも全然おっけーだから、マジで!」
リューめ、末恐ろしいガキだ。だがまあ、それも仕方ないかもしれない。
頭はいい、ルリに似て顔もいい、実家は地元の名家で金持ちで、その
跡取り息子だ。小学校の頃から既に、周囲で女同士の小競り合いが
絶えなかったと聞く。そりゃ、ませるよな。
「修ちゃん、これからしばらく帰って来れないの?」
「うん。夏大前はな」
明日登校したら、そのまま寮に帰る。なので、リューに新しいマンガを大量に
借りに来たのだ。織田のリクエストの『ユリア百式』ってのは、残念ながら
リューの本棚にはなかったが。
ルリが俺に『満更でもないはず』というのが気になって、それはどういう
ことだと訊いたら、んーとね、と天井を仰いで、
「前にさ、みんなで一緒にテレビ見てた時、修ちゃんがショートの女の子の頭、
これ超かわいいとか言って」
と、謎めいたことを言い出した。
「その次の日俺、ルリ姉に、『あたし、髪短いの似合うかなあ』って訊かれた。」
「……」
「修ちゃん、頭の上、はてなマークが十個くらい出てるよ」
「ルリは長い方がいいだろ、絶対」
「あーもー、だからちゃんと似合わないよって答えましたよ俺は、ルリ姉
切らなかったっしょ?! 修ちゃんも、切られなくてよかったっしょ?!?」
わからない。リューは何をイライラしてるんだ。
「ちなみに俺の好みはショートボブの子、って噂が流れたら、次の日三星の
女子部の女の子、三分の一は軽くショートボブになってるね。
あ、ルリ姉帰って来たんじゃん?」
玄関の方で、ただいまあ、と声がした。俺は借りたマンガを詰めた紙袋を
持ち、じゃ、帰る、と立ち上がった。
「ありがとな、リュー。今度ドラゴンボール、完全版貸すわ」
「うん、ありがと。じゃあね」
バイバイと手を振り、リューの部屋を出た。階段を降りて行くと、広い
玄関に、山のようにデパートの袋が置いてあって、ルリとおばさんがいた。
「こんちは、おじゃましてました」
「あらあら修ちゃん、珍しいお菓子買ってきたのよ、食べていかない?」
挨拶したら、嬉しそうにそう誘われたが、もうすぐ夕飯の時間なので断った。
「あ、いえ、今日はもう帰ります」
「あらあ、じゃあ明日またいらっしゃいよ」
「お母さん、叶は寮に帰るんだよ。実家にいた時みたいにはいかないの」
サンダルの紐をぐずぐずほどいていたルリが、不機嫌そうに言った。おばさんは
小さく肩を竦め、じゃあね修ちゃん、とにっこり笑った。
「ああ、はやく冷蔵庫にしまわなくっちゃ」
そしてそんなことを言いながら、両手にいくつも袋を下げて、パタパタと奥に
走っていってしまった。
「青バーバリだ」
女の子の洋服、お高いブランドの紙袋が二つもあった。ここのワンピースは
ルリのお気に入りで、それを着た時のルリは、何か特別な光が当たったみたいに
かわいい。と、俺は思う。
「応援行く時、着るのに、買ってもらったの」
ルリは俺を見ずに、そう言った。ふうん、と思った。
「じゃあな」
「うん」
玄関を上がったルリは、入れ違いみたいに三和土に降りた俺に、またね、と手を
振った。玄関を出ようとして、ああそうだ、と思った。急に振り返った
俺を、ルリが瞬きしながら見つめた。
「ルリ、愛してっぞ」
その時ルリは俺の気がくるったと思ったらしくて、一目散にリューに相談に
行ったらしい。リューが事の次第を説明してくれたようで、即電話がかかって
きた。
『ふざけないでよ! 急に何なのよ!』
「急にじゃねえよ。てか、なんでルリ知らねえんだよ」
『ぱんつイコールラブなんて、ありえないでしょ! しんじらんない!!』
そうなのか。俺の方こそ、俺がルリしか見てないの、ルリが知らないなんて
ありえないと思ってた。
「うん、だから、これからは好きって言う」
『え、あ、えっ、……』
「あ、悪い。メシだって」
母親が階下で、ごはんよ、と呼ぶ声がした。
「食ってくる。じゃあな」
『う、うん。じゃあ……』
「愛してっぞ、ルリ」
――ルリは返事をしなかった。
*
アホかお前ら、マン汁なんてまずいに決まってるやろ、という織田の一言で、
童貞たちの淡い夢がガラガラと崩れた。
「ま、ま、まずいってどういう」
「あー、なんや青いチーズみたいな。」
「ひいいいい」
「嘘だ、甘いよ美味いよってエロゲーでは」
「た、たまたまだよな?」
「そら個人差あるやろけど。おおかたアカンわ」
「おおかたって、なんこもなめたのかー!!」
皆バタバタと倒されていく。
「えー、結論。基本的に、どんな美人もアカン子もビッチも処女も、出るもんは
同じです。以上。あとは自分ら、身をもって確かめてなー」
織田はそう言って目の前の屍たちをニヤニヤ眺め、なあ叶、と俺を見た。
「そうやったろ?」
被爆しなかったのが俺だけだったので、経験があると思ったのらしい。知らない、
俺童貞だし、と首を振ったら、逆に驚かれた。
「えええ? マジで? 自分モテそうやのに。彼女おらんの?」
「いるけど」
「あー、こいつの彼女、理事長の孫娘だから。手出しとか、ガッコ通ってる間は
無理無理ムリ」
よろよろと復活した畠が、そう口をはさんだ。あらら、と俺を見る織田の目は
同情に溢れていた。生殺しやん、キッツイな、と言われた。どうも、皆
そう思うらしい。
『――叶は、私のこと、好きなだけでいいの』
ある日、ルリにそう言われて、どういう意味か、最初わからなかった。
『好きなだけって?』
『だから、……か、彼女になって欲しいとか』
ああ、そういうことか。ちょっとびっくりした。なってくれんの?と訊いたら、
『わ、私も、「彼氏がいる」ってのに、憧れがあんの! べ、別に、叶が
好きだからとかじゃ、……全然なくはないけど、えっと、あんまりないから!!』
と、思いっきりテンパっていて、……その時、真っ赤になって下向いて
照れていたルリは、超、すっげえかわいかった。
「生殺しかぁ? 大好きな女が彼女なんだ。充分じゃん」
俺が言うと、なんじゃそらあ!とさっき死んだはずの奴らに、次々どつかれ
ぶっ叩かれた。
「おまえはブッダか、後光がまぶしすぎるわ!!」
「いってええ、何だよ」
「ちくしょう余裕こきやがってこきやがって」
「三橋さん、叶はインポです! でなきゃホモです! 逃げて―!!」
阿鼻叫喚みたいな騒ぎの中、あっはっはっは、と織田が高らかに笑った。皆、
きょとんとして織田を見た。
「かっこええなあ、叶、自分」
織田はニヤニヤと笑いながら、俺の肩を叩いて言った。
「カノジョ、大事にすんのもええわ。せやけど、あんま、女の子に恥かかしたら
あかんよ」
「何それ」
「欲しがってやらな、泣かれるで、っちゅうこっちゃ。」
ま、一応覚えといたらええんちゃう、と片目をつむって、さー風呂いってこよ、と
織田は部屋を出て行った。
「お、織田さん、それはどういう!」
「織田センパイ! ご教授を!!」
皆、織田の背中を追って走って行く。一人残った俺は、やれやれとポケットから
携帯を引っ張り出した。
「よう、今大丈夫?」
電話に出たルリは、うん、部屋にいる、と答えた。
『叶は?』
「俺も寮の部屋。これから風呂」
『なんだ、はやく行きなよ。ありがと、声聞けたから、いいよもう』
―― 一日一回、必ず声を聞かせろ、というのが、ルリが俺の彼女になってくれる
条件だった。
「ルリ、愛してっぞ」
そう言ったら、知ってるよ、と言われた。
『知ってる』
そうか。知ってるか。
「じゃあな。また明日」
『うん。じゃあね』
通話が切れた。携帯をポケットに戻し、大きくひとつ、伸びをする。
――欲しがってやらな、泣かれるで。
「そんなもんかね」
俺は天井を仰ぎ、肩を竦めた。さあ、風呂だ風呂。
最終更新:2008年09月02日 23:43