9-281-287 アベチヨ←水谷(田島)2

篠岡千代は毎朝決まった時間に目を覚ます。
目覚ましいらずの爽快な寝覚めが身上、のはずが今朝は勝手が違う。
起き上がってまず気付いたことは、ここが自分の部屋ではないこと。
そして自分が下着も何も付けずに素っ裸だということ。
慌ててかぶっていた毛布をたぐり寄せるとその下にパンツ一丁の阿部がいたこと。
少し離れた所で田島と三橋が雑魚寝していること……
どれをとってもイヤ~な答えしか導きだせない状況証拠が揃っているのに
昨夜の記憶が全く、ない。
「どうしよう……」

顔面蒼白になりながら呟いた言葉を聞きつけ田島が目を覚ました。
「しのーか、おはよー!」
「お、おはよう……」
態度はいつもと変わりなかったけれど田島もまたトランクス姿だった。
「風邪ひーてないか? どっかイテートコは?」
「うん、あの、えっと、私……?」
「? もしかして何も覚えてねーの?」
その言葉に篠岡がおそるおそる頷くといきなり下から声がした。
いつの間にか起きていた阿部が片腕を枕にして見上げている。
「ココどこだかわかるか? どこまでなら覚えてる?」
「……ここ、どこ!? カラオケは行ったんだっけ???」
「そこまで戻んのかよ……」

絶え間なく水音が聞こえる。
「篠岡さん、大丈夫かな……?」
三橋の言葉に時計を見ると、落ち着かせるため篠岡をシャワーに行かせてから
そろそろ一時間になろうとしていた。
「……見てくるか」
阿部が浴室に向かい、そのドアをコンコンと叩いた。
「篠岡ー?」
「はーい、何?」
言い終わるが早いか、ドアが勢いよく開いたので阿部は一瞬ひるんだ。
篠岡はちゃんと服を着ていた。
「イヤ、おせーから何かあったのかと……」
「お掃除してたんだけど、今終わったトコ!
 三橋くーん、お洗濯っていつもどこでしてるの?」
「隣にコインランドリーが、ある」
「じゃあちょっと行ってくるねー、あれ? 田島君は?」
「練習あるから帰った」
そっかー、と明るく言って毛布やらタオルやらを両手一杯に抱え出ていった。
「なんか……元気だな」
「……うん」

ほどなくして、コンビニ袋を抱えて篠岡が帰ってきた。
「ただいまー、朝ご飯まだだよね? ちゃんと食べなきゃ!
 お鍋があったら何か作れたんだけど、オニギリでごめんね」
「イヤ、食べれりゃ何でもいーです……」
「ご、ごめんなさい……」
「あはは、三橋君が謝ることじゃないよー」
調達場所がコンビニとはいえ、篠岡らしいひと手間が加えられ
普通の食事とさして遜色のないものになり男たちは感嘆した。

食べた後に片付け・掃除をし洗濯物を回収して畳み終えると篠岡は正座して深々と頭を下げた。
「今回はいろいろ迷惑をかけて本当にごめんなさい」
「し、篠岡さん!」
「もし、彼女さんに誤解されそうだったら言ってね、
 三橋君は何もしてないってちゃんと証言するから!」
顔をあげて笑う篠岡だったが、ムリをしていることは傍目からもよくわかった。
「田島君によろしく言っておいてね。じゃあ」
逃げるように足早に出て行くのを阿部が慌てて追った。

エレベーターでひと足先に降りられたので急いで非常階段を駆け下りたが
篠岡を見失うことはなかった。
マンション前で途方に暮れていたからだ。
(ホントに覚えてねーんだな)
「こっち」
阿部は篠岡の手を掴み、駅に向かって歩き始めた。
およそ三分の道のりの間、二人とも言葉を発することはなかった……

電車に揺られながら阿部はかける言葉を探し続けたが見つからない。
隣に立つ篠岡の様子をちらりと伺うが表情がなく、何も読み取れない。
今さら自分の不甲斐なさを悔いてもどうしようもない。
お手上げだった。
「ここで乗り換えるから」
「あ、あぁ」
大きめの駅に着いた時、それだけ言って篠岡は電車を降りていった。
変わらず無表情のままで何を考えているのかさっぱりわからない。
(……無表情? あいつの無表情なんて見たことあったか?)
阿部は閉まる寸前のドアをこじ開けた。

(思ってること全部隠してへらへら笑ってる時の方がよっぽどわかんねェだろ!)
篠岡の姿を探しながら走ると、ホームの端ギリギリの所をぼんやり歩いているのが見えた。
「危ねーぞ!」
肩を抱き身体ごと引き寄せると篠岡はふと顔をあげ、阿部の腕をやんわりと拒絶した。
そのまま何も言わず歩き出す。
阿部は「送ってく」とだけ呟いて後をついていった。


忙しない時期だというのにうららかな気候のせいか行き交う人はどこかのんびりしている。
いくつか電車を乗り継ぎ、二時間近く移動した所でやっと篠岡が口を開いた。
「もう降りるけど」
「部屋の前まで送ってく。中には絶対入らねーから。頼む」
危なっかしくて、一人にさせるのが心配で仕方がない。
篠岡はふう、と小さく息を吐いた。

そこは閑静な住宅地で、日曜の真っ昼間だというのに人影はまばらだった。
駅前を離れると店もなく、夜道は暗そうだ。
(こんなトコ終電で帰んのも危険すぎンだろ。
 でもこいつは自分のことは後回しにして他人の心配すんだよな。
 そこにつけ込むなんて最低なことしちまった───)
改めて歯噛みしていると篠岡が立ち止まり阿部を振り返る。
「うち、もうすぐそこなの」
「篠岡、その、今回のことは悪かった。全部オレの責任だ。
 謝って済むことじゃねェと思うけど、ホントにごめん」
ただ頭を下げるほかなかった。
後悔と罪悪感にまみれまともに篠岡の顔を見ることができなくて、
彼女の瞳に小さな光が灯っていることに阿部は気付かなかった。
「……話を、聞かせてもらえるかな」


外でできる話じゃないから、と篠岡は阿部を部屋に招き入れた。
端々は女の子らしく飾られているものの全体はすっきりと片付けられた部屋だった。
「適当に座って」
エアコンのスイッチを入れ阿部と自分の上着をハンガーに吊るし、やかんを火にかける篠岡は
少し活気が出てきたようにも見える。
阿部はとりあえず小さいガラステーブルの脇に腰を下ろしたが
女の子の部屋というのはどうにも落ち着かない……
と、マガジンラックに見覚えのある野球雑誌を発見した。
阿部の視線に気付いた篠岡が声をかける。
「それ、田島君が載ってるんだよね」
「あー」
「出てから女の子の反響がすごいんだって」
もしかして今田島の話題は地雷か?と阿部は冷や汗をかき強引に話を逸らすことにした。
「静かだな、ここ」
「うん、のんびりしてていい所だよー。学校も近いんだ」
「へー」
「お昼ごはん、有り合わせのものでいいかな?」
「えっ、イヤいーよ」
「いーからいーから。この前作ったスープが冷凍して……あった!」
料理をしている後ろ姿がどこか楽しそうだったのでここは大人しく従った。


食後、熱いお茶の入った湯飲み二つと水の入ったコップがテーブルに置かれ
篠岡は錠剤のシートを取り出し、一錠を服用した。
問いたげな視線を感じたのか、ちらっと見せて苦笑い。
「これね、ピル。生理痛がひどいから飲んでるんだけど、
 避妊の効果もあります。だから安心してね」
軽い口調で出された言葉だったが、その場の空気を重くするには充分だった。
阿部は思わず居住まいを正す。
二人して熱いお茶をすすり、しばし沈黙が流れた。

コトリ、と湯飲みを置いて篠岡が切り出した。
「昨日あったことを、詳しく教えてほしいの」
「……詳しく」
「そう」
そりゃどんな羞恥プレイだよと泣きたくなったが、今の阿部に逃げることはきっと許されない。
「なんでか聞いていーか?」
「……自分のことなのにあんまり覚えてなくて。
 誰に、何に対して怒っていいのか、悲しんだらいいのかわからないの……
 みんなが知ってて私だけ知らないのもおかしいよね?
 それに……何故かわからないけど、
 あの日のことはどうしても思い出さなきゃいけない気がするの。
 だから、お願い」
篠岡には意外に頑固な面もあることを阿部は知っていた。
ぐいっともう一口お茶を飲んで覚悟を決めた。


「どこまで覚えてる?」
「えっと、最初の店で……阿部君は花井君やカントクといたよね、
 私はそのちょうど逆のはしっこに栄口君たちといたの。
 カントクの所に行こうとしたら途中で田島君に捕まって……
 そこでまず結構飲んじゃったのかな」
「田島……」
阿部の眉間の皺が深くなる。
「その後カラオケに行ったよね? たしか阿部君は奥でずっと花井君と話し込んでた」
「愚痴に付き合わされてたんだよ。あいつシツケーから」
「あー、カントクのことまだ頑張ってるの?」
「諦める気ねーらしい。
 あそこでも酒頼んでるヤツいたな」
「私も飲んだと思う……そこからどうしたんだっけ」
「三橋の忘れモン探してるうちに電車なくなって、
 田島が三橋ンち行くから来いとか言いだして、水谷もそれに乗って」
「……水谷君? 水谷君もいたの!?」
「いた」
きれいさっぱり記憶から消されていた男の名前が急浮上して篠岡は頭を抱えた。
「……えぇ~~~ホントに?? だって朝いなかったよ?」
「始発で帰った」
「~~~~。それで?」
「花井は用があるっつうからオレだけでも見張っとくためについてったのに
 田島にあっさり潰されたんだよな。
 最近徹夜続きでロクに寝てなかったからソッコーでアウト。
 次に気付いた時には、お前に……舐められてた」
「……………………何を?」
阿部は露骨にイヤそうな顔をしてそっぽを向き親指を自分の腰に向けた。
篠岡はクッションに顔をうずめて叫ぶ。
「~~どうしてそーなるの!!?」
「こっちが聞きてーよ!!」
しかしここでお互いを責めても意味がなかった。
「どーせ田島と水谷にうまく乗せられたんだろ。あいつらずっと篠岡のこと狙ってたフシあるし」
「えぇ? そんなことないよ!」
「だいたいお前は自分が女だっつう自覚がなさすぎんだよ」
「だってみんなのことは仲間だと思ってた……」
「……ワリ」
男も女もない、同じひとつの目標に向かって突き進む大事な戦友。
そんな関係もあの夏に終わっていたというのか。

「……その後は?」
顔をあげずに篠岡が促した。
「まだ言わせるのか!? もうやめとけよ、イヤな思いするだけだぞ」
「もーいーの今さら! どっちにしてもホントにあったことなんだったら同じだよ!」
「~~~~~っ、」
篠岡が顔を伏せたままでよかったと阿部は心から思った。
これ以上ないくらい赤くなった情けない顔を見られずに済む。
あの時のことを思い返すだけで血が一か所に集まるのを自覚している。
「……オレは水谷に抑え込まれてて動けなかったんだぞ。
 そこに、上から……乗ってきた」
「誰が……?」
「オマエが」
篠岡の身体がビクッと揺れた。
改めて言葉にされると事実として重くのしかかってくるのだろうか。
しかし篠岡はふと頭を上げた。
「ちょっと待って。んーと、ムリヤリ、じゃないの?」
「嫌がるお前を抑え付けてってことなら違う。むしろノリノリっつーか」
「どうしてそんなことになるのぉ!」
「だからー、……あ。
 そういや何か言ってたな。あいつらに弱みでも握られてる風だった」
「弱み? 握られて困るようなことなんて……」

次の瞬間、篠岡の顔色が変わった。
血の気が引き、信じられないというように首を振ってから悲しみが一杯に広がる。
顔を両の掌で覆い、再びクッションに突っ伏す。
肩が小刻みに震えている。
「……篠岡?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「オイ、どーしたんだよ!?」
首を振るばかりで何も答えない。
「思い出したのか?」
「……違う、けどだいたいわかった……っ
 全部……私が悪かったんだ、私のせいで……ごめん」
阿部は篠岡の肩を掴み、ムリヤリ顔をあげさせた。
涙が止めどなく溢れていた。
「悪いのはオレらの方だろ。篠岡は被害者だ」
「被害者は阿部君だよ……」
「はあ!? 田島はオレがいなきゃあんなことにならなかったっつってたぞ」
「やっぱり私のせい……
 っ、十年後も二十年後も、仲間として……
 笑って会えるように隠してきたのに、
 自分で、台無しに、したんだ……
 くや、し……、くやしい……っ!」
きつく閉じた両の瞼からは後から後から涙が流れ落ちてくる。
「チ……わけわかんねーな」
阿部は、嗚咽する篠岡をぐいっと抱き寄せた。
いささか抵抗されるが腕の力を緩めるつもりは毛頭ない。
「ちょっと落ち着け、篠岡」
泣き声は一層高くなった。

篠岡の体温を感じながら阿部は、
昨日までなら絶対しなかった行動をとっている自分に少なからず困惑していた。
(流れで一回ヤっただけの関係でここまですんのはやりすぎじゃねーのか?)
しかしとりあえず嫌がられてはいないようなので
そのまま静かに頭をなで続けた。


「ごめんね……阿部君」
ようやく落ち着いた頃、篠岡がぽつりと呟いた。
またも繰り返された言葉に阿部はカッとなり、篠岡の両頬をはさみ込んで強引に自分へと向けさせる。
「お前は悪くねーよ。お前が悪いんじゃねェ!」
息がかかるほど至近距離で見つめ合う瞳にまた涙が浮かぶ。
「だって……」
「だって何だよ。ため込んでること全部言えよ」
「それは、絶対、言えない……」
大粒の涙が堰を切ったようにまた溢れ出した。
前後不覚に酔っぱらっていた時ですら頑に守っていた秘密だ。
聞き出すことは不可能だろう。
「じゃあもう考えるな。全部忘れちまえ」
吸い寄せられるようにキスをしていた───


(やっっっべーーーこれって傷口に塩を塗り込んでねェか!?)
薄く目を開けると、瞑った篠岡の睫毛に涙が光っていた。
眉根を寄せ、一所懸命に応えてくれる舌が愛おしい。
頭の奥にじわりと快感が染み渡る。
自分でも気付かぬうちに篠岡を押し倒してから、やっと唇を離すと間に透明の糸がひいた。
「ワリー……」
頬を上気させ熱にうかされたような瞳で見上げてくる篠岡はこの上もなく色っぽい。
(でも今はガマンしろ、ガマン!)
「阿部君は……私のことがイヤじゃないの?」
「はぁ!? なワケねェだろ!」
「ありがと……嘘でも嬉しい」

「嘘じゃねーよ!!!」

耳元で炸裂した雷に篠岡は固まった。
阿部は篠岡の小さな身体を力任せに抱き締め、泣きそうになりながら叫ぶ。
「オレはお前が、好きだ! お前は!?」
「…………すき……」
「ならそれでいいじゃねェか!!」
もう一度深く深く口づけした。

阿部は、自分が今日どこか大胆だった理由がわかった気がした。
記憶をなくすほど酔っている時でも素の状態でも、芯からの拒否はされていない。
田島や水谷よりも、自分としていた時が一番反応がよかった。絶対。
(その言葉信じていーよな? ……自惚れていーよな!?)

素っ裸にひん剥いた後、篠岡の身体の隅々にまで唇を落としていった。
途中抵抗される場面もあったが全く意に介さない。
嫌悪されてるわけでないことは表情や反応を見ればよくわかる。
やっと中心にたどり着いた時、そこはまだ触れてもいないのに蜜が溢れ出していた。
「すげー……」
「やだ、見ないでぇ……」
音を立てて吸い付くと、足がぴくんと跳ねた。
蕾も丁寧に舐めさする。
「あ……っ、いや……」
「イヤ?」
「うぅん……きもちい、ぁ、あ、あぁあぁんっ……」
軽く達したのを受けて阿部は身体を起こし、そこであることに気付いた。
「ヤベ、持ってねー」
「いいよ、そのままで……大丈夫だから」
「い、いーのか?」
「うん……、挿れて……」
阿部はゆっくりと自身を篠岡の中に沈めていった。
直に感じるその感触は脊髄を走り抜け、なけなしの理性を吹き飛ばそうとする。
半ば本能のままに腰を叩き付けながら篠岡の頬に手をのばす。
「目ェ開けろよ」
「ぁべくん……っ」
「そうだ、ちゃんとオレを見てろ」

「……ん、……ぁ」
(野球部のために自分の気持ちを押し殺すなんてバカだろ)
「っは……あ、はぁ……っ、」
(自分よりオレらを優先させてくれたことは確かにありがてーよ)
「く、あ、や、ぁ、あ、あぁっ」
(でもな、もーいーだろ!)
「篠岡、もうガマンすんな。
 いいから。全部言えよ、……千代」
「……あべくん、好き、あべくん……っ」

過去も罪も何もかも呑み込もうとするかのような断続的な収縮の中、阿部は最奥に総てを注ぎ込んだ。

裸のままベッドで抱き合ってまどろんでいると篠岡がふふっと思い出したように笑った。
「そういえば今朝もこんな感じで寝てたような気がする」
「あん時田島がまた狙ってたんだよな。今度こそしっかり阻止しとこうと思って抱えて寝てた」
「そーだったんだ!? あ……ありがとー」
「お前もう絶対一人であいつらに会うなよ!?」
「え……それって、OB会もその後のカラオケでも、
 阿部君がずっと私の隣にいてくれるってこと?」
「たりめーだろ!」
「嬉しい……ありがとう!!」
篠岡は阿部の胸板に額を押し付けて心底嬉しさを噛み締めていた。
「な、なんだよそのくれーで」
「昨日はずっと遠くて残念だったから……」
はにかむように微笑む篠岡を見てるとまた元気になってきそうだ。
(いくらなんでも今日はもーやんねーけど!)
「いーか、お前は笑ってんのが一番だけどムリはすんなよ。
 辛い時は辛いって言え。怒りたい時は怒れ。ただしオレのいるところでな!
 それとオレは言われなきゃわかんねーから思ったことがあったらちゃんと言……」
調子に乗って好き勝手なことを並べ立てていたらふっとフラッシュバックが起こった。
女にふられる時に決まって言われてきた言葉が頭をよぎる───『重い。つーかウザイ』。

(そーだ、オレ口うるせーから今まで何度も失敗してんだ)
いつもの悪い癖に思い至って青くなり、おそるおそる篠岡の顔を見ると
彼女はニッコニコしていた。
「ごめんオレ、ウゼーよな」
「そんなことないよ! 私のことを思って言ってくれてるってわかってる。
 懐に入れてもらえたんだなって、逆に嬉しいよ」
「そーなのか?」
「そなの。
 阿部君があんまり変わってなくて安心した……私は変わっちゃったけどね」
「どっちでもいーよ。オレが好きなのはこの篠岡だからな」
阿部は篠岡をギュウッと抱き締めて額にキスをした。
「……ここまでする人だとは思わなかったかも」
「イヤか?」
「ヤじゃない……」
再び重ねられた唇がどんどん熱を帯びてゆく。
気持ちが高まるのを抑えきれない。

阿部が頭の隅で明日の予定を思い出そうとしていると篠岡のケイタイが鳴った。
メール、と言って篠岡は毛布で胸元を隠しながら手をのばした。
ついでに阿部も自分のケイタイで時刻とスケジュールを確認する。
(明日も朝はえーな。今日はもういい加減にしとかねーと……ん?)
篠岡が画面を見つめて何やら思案している。
「どーした?」
「水谷君が『ごめん』って。でも私ホントに覚えてないんだよね……」
「思い出すことねェよ。忘れとけ!」
自分を使って篠岡を煽っていたことを思い出してムカムカしてくる。
「貸せ、オレが返信しといてやる」
「あっ」
篠岡のケイタイを奪って罵倒メールでもしてやろうかと思ったところで
帰り際の水谷の顔が脳裏に浮かんだ。
この世の終わりみたいな酷い顔をしていた。
(そういや昔あいつ篠岡のこと好きだったんだっけ)
イヤイヤ情けは無用! 叩き潰す!
───ついでに田島と三橋にも一斉送信。
「もうっ私の名前で変なこと書かないでよ!」
「あいつらのことはもう考えんな」
阿部はケイタイを放り投げてもう一度篠岡を抱いた。


新着メール1件:篠岡千代『今度のOB会でウメボシな!』
最終更新:2009年10月22日 23:00