9-507-519 アベチヨ完遂編

「ちーす」
栄口が挨拶をしながらグラウンドに入るとベンチでは阿部が着替えをしているところだった。
どこか上機嫌なようにも見える。
(これなら話ふって大丈夫かな)
「おはよー阿部、どーだった、昨日。うまくいった?」
「おはよ。まー半分てとこかな」
「半分~? どーゆーこと?」
「負けた気すんだよ」
それだけ言って阿部はベンチを後にした。
アンダーシャツから顔を出した栄口の顔にハテナが出ている。
(勝ち負けのあることじゃないだろー。
 先に告白したほうが負けてる感じするとかって奴かな。
 そっかー、阿部の方がすごく好きだったのか。
 ……? そう、なのか?
 ま、うまくいったんならいーけどさ!)

栄口がついに部内でカップル誕生かあ、なんて
呑気に思っていたのは朝練が始まる前までの話で
午後練が終わる頃には雲行きが怪しいことに気付いていた。
練習中にイチャつくようなことをしないのは予想してた通りだ。
それにしても二人の間に距離がありすぎる。
近付くことはおろか、目を合わせることもない。
それは誰かに冷やかされるのを警戒してというより……なんだろう。
一足先に帰宅の途につく篠岡の後ろ姿を見て栄口はぽんと手を打った。
そうだ、阿部を警戒している。

帰り道、阿部にこっそり声をかけてみた。
「昨日何かやらかした?」
阿部は少し驚いた顔で栄口を見たが、すぐに視線を外しぼそりと言った。
「やっぱ避けられてんのかな」
「(ん? 心当たりないんだ?)照れてるんじゃないの?」
「そーは見えねーだろ」
「だねぇ。
 何か怒らせるようなことでも言った?
 (阿部のことだから無意識にキツいこと言ってそうだよ)」
「いや(そもそも話らしい話もしてねー)」
「(へえ)がんばってんね」
「あー、もしかして昨日(挿れずに)途中でやめたのがマズかったか?」
「(告白を?)なんでやめたの?」
「そら……(ゴムの)準備もねーし」
「(心の)準備ねー、いきなりっぽかったよね」
「あんなコトになると思ってなかったからな」
「でもそーゆー雰囲気になったんなら全部言っちゃわないと」
「最後まで行ってよかったのか?」
「そーだよ! 女の子に言わすなって。
 ……ん? どーかした?」
「(挿れていいって)言われたのに拒否したぞ」
「(なんだ篠岡も阿部のこと好きなんじゃん。心配することなかったな)
 それは怒られて当然だろー。ヘンな意地張ってないで言ってきなよ。
 (好きだーとか愛してるーとかさ)」
「だな。うし! 今度はちゃんとヤってやる!」
「はは、がんばれー(告白ひとつでスゴイ気合いの入れようだなー)」


その後、買い食いするべく立ち寄ったコンビニのある一角で阿部はふと足をとめた。
後ろを歩いていた花井がぶつかりかける。
「っと、いきなり立ち止まんなよ」
「わり」
すぐ阿部が立ち去った後、彼が見ていたであろう商品の小箱を見つけて花井は顔をしかめた。
「んなカッコのまんまで買うんじゃねーぞー野球部員!」


ピリリリリリリ

自室のベッドの上で寝転がり物思いにふけっていた篠岡は
なんの前触れもなく鳴りだした着信音に飛び起きた。
ケイタイのサブディスプレイに表示されているのは『音声着信:阿部隆也』の文字。
メールすら来たことがなかったのにいきなり電話、
それも想い人である阿部から!
2日前までの自分だったら小躍りしかねない状況だけれど今はそういう訳にもいかない。
何の用事だろう。
昨日の話か今日の話か……どちらにしろ避けたい話題だった。
あれからずっと考えてるのにどうしたらいいかまだ答えが見つかっていないのだ。
逡巡しているうちに着信音はやんでしまった。
留守録に切り替わった様子。
いきなり訪れた静寂にほっとしたような、残念なような。
ケイタイを握りしめながら心の中で謝っていると再び電子音が鳴り響いた。
また無視することは、できない。
震える指で通話ボタンを押した。

「……もしもし」
『あ。阿部だけど』
「はいっ。さっきもかけてくれてた? ケイタイ近くに置いてなくて。ごめんね」
『いーよ。今電話しても大丈夫か?』
「うん」
小さな嘘に安堵したような声で返され、胸がちくりと痛んだ。
『メールにすればよかったのかもしんねーけど返事待ってらんねーから』
「朝早いもんね。まだ寝なくていいの?」
初めて聞く電話越しの阿部の声は耳元で囁かれているようで少しくすぐったい。
『すぐ寝るよ。
 や、眠れそうになかったけど篠岡の声聞いたら眠くなってきた』
「えっ、どして?」
『なんか安心したっつうか。今日お前オレのこと避けてただろ。
 ちゃんと電話に出てくれてよかった』
「さ、避けてなんかないよ! たまたま喋んなかっただけ」
『そーか?』
「うん!」
篠岡はケイタイを持ったままベッドの上で丸くなった。
布団に頭を押し付ける。
ごめんなさい。今日逃げててごめんなさい。
『まーいーや。また明日な』
「えっ、何か用があったんじゃないの?」
『忘れた。なんかもーどーでもよくなった』
「あははっ、何それー」
阿部の低い声は耳からすうっととけ込んでくる。
固くなっていた気持ちがほぐされていくような気がした。
「阿部君……」

『ん?』
「今日電話してきてくれてありがとう。私も、声が聞けてよかった」
『なっ……んだよ』
「照れてる?」
『ッ照れてねーよ!』
「ふふっ。
 私ね、阿部君の声って好きだなぁ。よく通るよね」
『……でけーだけだろ』
「グラウンドの外にいても聞こえる大声もいいけど
 こうやって普通に話す声も好き」
「お前なあ……。よくそー恥ずかしいことをポンポン言えんね」
「だってホントのことだもん!」
『~~~~っ、篠岡ぁ……』
ほら、そんな風に名前を呼ばれたらもうたまらない。
身体の奥がじんとしてくる。
熱くなる。
流される。
名前を呼ばれると震えるよう条件付けされそう……
はっ。
ダメダメ、それは絶対ダメ!
…………。
そうじゃなくて。

阿部君との距離が近くなるのは嬉しいけどちょっと困る。
どうせ私のことは何とも思われてないんだから。

『来週……試験休み入ったら、うち来ねぇ?』
「! ………………む、無理」
『なんで? 勉強するだけだって』
「ホントに勉強だけ?」
『たりめーだろ』
「信用できない。ダメ」
『はあ? 信用って何で決めつけんだよ。
 ンな判断できるほどオレのことわかってんのかよ』
「阿部君のほうこそ私のこと何にもわかってないよ。
 何とも思ってないのにそーゆーこと言うのやめて」
『どーゆー意味だよ』
「そのまんまの意味です。阿部君て結構天然だよね。
 明日に響くからもう切るね。おやすみなさい」
『オイ、待』

終話ボタンを連続で押して電源も切ってしまった。
沈黙したケイタイを握りしめて篠岡は声を押し殺して泣いた。
近付けたような気がしたのに本当はちっとも近付けてなんかいない。
下手に体温を、声を知ってしまったから簡単に忘れることもできない。
前にも後ろにも進めずに、ただうずくまって泣くしかなかった。




「ちーす」
栄口が挨拶をしながらグラウンドに入るとベンチでは阿部が着替えをしているところだった。
その背中を見ただけで、何かよからぬことが起きたのだろうと容易に想像できた。
(あれ、失敗したかな?)
「おはよー阿部」
「はよ」
それだけ言って阿部はベンチを後にした。
ピリピリしていてとてもじゃないけどその後のことを聞ける雰囲気ではなかった。
一方篠岡は……いつもより元気に見える。
(もしかしたらカラ元気なのかもしれないけどオレが口出しする問題じゃないしなあ。
 ……うん、がんばれ、阿部!)


「なー栄口……あの二人どーなってんだ?」
数日後、みんながどこか気にしつつも避けてる話題を密かにふってきたのは苦労性な主将だった。
「最近喋ってるとこ見てねんだ」
「うん。でも周りがとやかく言うのもね」
「つってオレも待ってたけどここずっとおかしなままだぜ」
「そうだよねえ……」

昼休みの始まりとともに自分の席で弁当を広げようとしている阿部に花井が声をかけた。
「今日ちょっとミーティングしてーから1組で食おーぜ」
「は? あー」
主将・副主将の計三人でのミーティングはたいてい7組の教室で開かれていたが
阿部は別段構わないといった風で弁当箱を手に席を立つ。
いつも何かというと乱入してくる水谷のところには
珍しく巣山が来ていて、一緒に雑誌を見ながら昼飯を食べようとしていた。
阿部の後ろをついて教室を出る間際に花井がサンキュ、とそっと手をあげれば
目だけをあげた巣山は無言で小さく頷いた。

「巣山君今日はこっちで食べてたんだ」
「そーだよー、一緒に本見てんの」
「ちス」
篠岡が声をかけると額を寄せてひとつの雑誌を見ていた水谷と巣山は揃って顔をあげた。
「これからグラウンド出るの?」
「うん、ちょっとだけね」
「オレら手伝えなくてごめんなー」
「ううん、みんなは身体を休める大事な時間だもん! じゃ、いってきまーす」
「あのさ、篠岡、」
水谷がほんの少し上ずった声で、立ち去ろうとしていた彼女を呼び止めた。
「えと、何か困ったこととか、辛いことあったら言ってくれよな。
 絶対力になるから。オレ篠岡の味方だから」
唐突な申し出に彼女はちょっと驚いて、それから眉を下げて笑った。
「ありがとう水谷君。でも大丈夫だから心配しないでね!」

きっちり閉められていった扉をしばらく見つめていた水谷だったが
ひとつ息を吐くといつもの顔で笑った。
「頑張りやさんだねーうちのマネジは」
「……ホントだな」

黙々と草をむしる篠岡の頭の中は悔しさで一杯だった。
自分の気持ちは表に出さないと決めていたはずなのに
みんなに知られて案の定ヘンな雰囲気になって気を遣わせて。
気安く触ったりするから。
流されたりするから。
逃げ回ったりするから!
ブチブチと草を引っこ抜く手にどんどん力がこもる。
だいたい阿部君だってヒドイよ!
「何とも思ってない相手とあんなことできちゃうんだもん……」
聞く者のいないグラウンドにぽとりと落ちた言葉は篠岡の胸を二度深く抉った。


休み前最後の練習を終えた後、忘れ物と下手な言い訳をしてひとり校舎へと向かった。
1年の階は人影もなく真っ暗な中で7組の電灯だけが煌煌と廊下を照らしている。
教室の中では、メールで呼び出した張本人がひとり自分の席に座ってノートに何か書き込んでいた。

人の気配に顔を上げた篠岡が阿部を見つけにこっと笑う。
「おつかれさま!」
「おつかれ。それは?」
「練習内容をまとめてるの」
肩にかけていた荷物を降ろし、阿部は篠岡の前の席の椅子の背もたれに腰をかけた。
丁寧な字で書き込まれたノートを覗き込みながら笑って言う。
「テスト近いんだから勉強しとけよ」
「あはははっ、そーだね!」

会話が途切れる。
向こうで廊下を走る足音が近づいて遠ざかっていった。
篠岡が、下を向いたまま話しはじめた。
「阿部君……この間のことはなかったことにしてほしいの」
「ヤだね」
「即答!?」
「なんでなかったことにしてーんだよ」
「だってマネジだもん……ひとりの選手と特別な関係になれないよ」
「もう既に全員に知られてんスけど?」
「でっ、でも”まだ”だもん! まだ間に合うでしょ?」
阿部は椅子を出して背もたれをまたぎ、篠岡の正面に向かって座った。
そして、ノートの上で固く握りこまれている彼女の両手を上から包むように掴む。
双方ともひやりとした冷たい手だった。
びっくりした篠岡は顔をあげることもできない。
「忘れられんのか」
顔はどんどん赤くなり、汗も吹きだす。
耳元で囁かれる低い声に、全身が粟立つ。
「なあ、篠岡」
───流される!

篠岡は椅子を引いて逃げようとしたが手をしっかりと握られ立ち上がることはできなかった。
「部活のことを一番に考えんのもお前らしいけどな」
ふっと笑いながら呟かれた言葉に、篠岡は首をふる。
涙が出そう。
「そんなんじゃないよ……自分のことしか考えてない」
手が熱くて頭がぼんやりして、言うつもりのなかったことまで喋ってしまう。
「あ、阿部君といると……辛いの」
阿部の眉がぴくりと揺れた。篠岡はうつむいたまま言葉を続ける。
「声が聞けたり話ができたりするだけで浮かれて、
 でもそのたびに現実を突きつけられて……
 前まではそれでも我慢できてたよ、瞑想の時だって絶対隣にならないようにしてたもん。
 なのにこうやって簡単に触ってくるから。
 私はまた勝手にひとりでドキドキして、ばかみたい……!」
「……ドキドキしてんのは、お前だけじゃねェけど?」

篠岡は握られた手をはっと見つめた。
「わかるだろ、オレの手も」
「…………あつい」
顔をあげた篠岡は初めて阿部と目を合わせた。
お互いに顔が赤い。
「ど、して?」
「好きだから」
「嘘。」
「お前も即答すんね」
「だって……見てたらわかるもん」
「やあ、まあ……今朝まではそーだったかもしんねーけど」
阿部は汗をかきつつ視線を明後日の方へと泳がせた。


───本日の昼休み、1組の教室。

休み明けの練習メニューについて話し終わる頃には各自弁当を食べ終わっていた。
あっさり空になった弁当箱を片付け一息つくとおもむろに花井が切り出す。
「オレらはいつもかなりキッツい練習してるよな。
 集中してなかったらケガもしかねねー」
「そらそーだろ」
「もし集中できない理由があるとすれば取り除かねーとな」
「何が言いてーんだよ花井、回りくどい言い方すんな」
イラっとして眉間に皺を寄せる阿部を花井と栄口がじいっと見つめた。
「は? オレか!? オレが何だよ」
「正捕手クビにするわけにいかねーからな」
「……お前らマネジやめさすつもりか!」
一瞬で殺気立った阿部に気圧されそうになりながらも主将は踏ん張った。
「っ、心当たりあるみてーだな。すげかえがきかねーと思うんなら今の状況何とかしろ。
 一言も喋らない、近づきもしねーなんておかしーだろ。みんな心配してんだぞ」
「…………。
 オレは何もしてねェよ。話しかけようにも避けられてんのはこっちだ」
「電話はどう?」
「一回だけ出たけど後はずっと繋がらねー」
「お前……一体何したんだよ」

「だから何もしてねーっつうの。ムシロこっちは死ぬ気で我慢したのによ。
 チッ。ンなことになんなら最後までやっときゃよかったぜ」
阿部の吐き捨てたセリフに花井の眉が吊り上がった。
「ああ!? お前らもしかしてそんなことでモメてんの?
 うっわ心配して損した、勝手にやっとけ」
「え? え? どーゆーこと?」
話についていけなくなった栄口に首をふり、
時計を見ながら弁当箱を片手に腰を浮かせた花井は憮然とした表情の阿部に畳み掛けた。
「お前な、無責任なことはすんなよ。
 不祥事はぜってえ起こすな! みんっなに迷惑かかるんだからな。
 それと!
 篠岡のこと好きならもっと大事にしろよ」
「……は? 誰が篠岡のこと好き?」

中腰の姿勢で固まる花井は信じられないものを見る目つきで阿部を眺めた。
「阿部と篠岡は付き合ってんだろ?」
「えっ、これから付き合うって話じゃないの??」
「はあ???」
三人の周りをハテナが盛大に飛び交っていた。
「付き合ってねーし別に好きでもねーよ」
根本的な所から話がかみ合っていないことが露呈した。
座りなおした花井が汗をかきながら小声で言う。
「……やったんだろ?」
「ゴム持ってなかったから寸前でやめたけどな」
「持ってたらしてたのか」
「おう」
「好きでもねーのに!?」
「あー、こだわるとこソコか?」
呆気にとられ言葉もない栄口の隣で
花井はふてぶてしい正捕手を殴りたくなるのを懸命に耐えていた。
握りこぶしがプルプル震えている。
気を取り直して今度は栄口が尋ねた。
「あのさ、阿部。嫌いなわけじゃないんだよね?」
「そらまあ。話してても楽しいし、つーかあの声聞いてるだけでなんか安心すんだよな」
「ずっと一緒にいたい感じ?」
「あーそんなかもな」
「はっ。ノロケかよ」
「…………あ?」


阿部は篠岡の手を持ちあげ、机に肘をついた。
「いくらオレだって何とも思ってねェヤツに体触らせたりしねーよ」
言いながら目を伏せ、白く細い指に唇を寄せる。
撫でるようなキスで一本一本丁寧に慈しんでから人差し指を口に含む。
「ぁ……」
暖かく濡れた粘膜に包まれ柔らかい舌で愛撫されて首筋を甘い痺れが走る。
すぐ目の前で阿部に自分の指を舐められている──その光景は扇情的で
視覚からも篠岡を煽った。
思わず顔をそむけると、窓ガラスに映った自分と目が合う。
目はうつろで口は開いて、ひどくイヤラシイ表情をしていて恥ずかしさがこみ上げてくる。
「いや……やめて……」
弱々しい声で懇願してみても阿部は行為を止めようとしない。
「お願、い、阿部君……っ」
無理矢理ふりほどこうと思えばできるはずなのに体が動かない。
「や……。ここじゃ、だめだよ……」
ぎゅっと目をつむり声を絞り出す篠岡を見て阿部はにやっと笑い
わざと音をたてて口を離した。
「どこならいい?」


翌日、部活動停止初日。
阿部は篠岡を自宅に連れ込むことに成功していた。
「あの、阿部君、お家の人は……」
「この時間は誰もいねーから安心しろよ」
「っ、それ違うから!」
部屋に入った途端につかまえようとのばしてくる阿部の手を
篠岡は必死にガードしていた。
「阿部君の頭の中はソレしかないの!?」
「仕方ねーだろ、どんだけ我慢したと思ってんだ」
「だからって最初の日からいきなりなんて」
「延ばしても、我慢する量が増える上に発散できる部活もねーから溜まるだけだぞ」
阿部が篠岡の手を絡めとり、一歩近付いた。
手をとられたら勝敗は決したも同然だった。
繋がる指先から互いの熱を感じる。
「……できるなら誰でもいいみたいっ」
「アホ。他の女なんか考えたこともねーよ」
「他に選択肢ないもんね」
「選ばないって選択肢もあった。
 はい次は? 他にはもうねーの?」
「っ、え、えっと……」
「往生際がわりーねェ」
二人の距離がなくなった。

ぎゅうううっと力一杯抱きしめられ、篠岡は一瞬気が遠くなる。
好き。阿部君、大好き。
ぎゅってしてくれて、嬉しい。幸せ。
ずっとこのままでいたい────
阿部の背中にまわした腕に力がこもる。
「……オレいまお前の心の声が聞こえたような気ィすんだけど」
「あ?」
「この期に及んでコレで済まそうってんじゃねェだろうな!?」
阿部が自分にへばりついた篠岡を引きはがそうとするが
背後で手をがっちり組まれていて離せない。
「やー! このままでいいよー!」
「ふざけんなよてめえっ」
阿部は篠岡の脇へと手を滑らせた。
「っひゃああぁあん!?」
「今日はちょっとくらい声出しても平気だかんな」
嬉しそうに言って篠岡の耳元にキスを落とした。

「ふぁ……」
無防備な脇を阿部の指がさすると篠岡は髪の毛が逆立つような感覚に襲われた。
手は脇から背中へ、背中からうなじへと滑りざわざわと波を起こす。
緩慢な動きにより少しずつ増幅された波はやがて身体の隅々にまで滲み渡り
飽和した熱が唇から吐息となり溢れ出した。
ほんの少し身体を離れさせ瞳を合わせ口付ける、一連の動きは滑らかで自然で淀みなかった。
まるで何度も繰り返されてきたようで。
「阿部君……慣れてる?」
「なわきゃねェだろ……」
脱力したように阿部は篠岡の肩に額を乗せた。
短い沈黙の後、そのままの姿勢で阿部が呟く。
「オレとすんのそんなにヤなわけ?」
「えっ。あの、えと、ごめん。違う、違うよ。
 …………怖い、の」
阿部が顔を上げると今度は篠岡がうつむいた。
「なるべく痛くねーようにします……」
「そ、それもあるけどっ。
 ……私マネジなのにこんなこと」
「やっぱソレ気にしてんのか。あんな。
 ここはグラウンドじゃねェから選手もマネジも関係ねーよ!
 ……野球やってねーオレに興味はねェっつうんなら話は別だけど」
「わ!私、野球してる阿部君もしてない阿部君も好きだよ!」
阿部はちょっと驚いた表情で篠岡を見つめ
篠岡はみるみる赤くなっていく阿部に驚いた。
手で隠して顔を背けたけど耳まで赤いのがわかる。
「……どしたの?」
「や、初めて言われたから」
「え!? 言ってなかった?」
「大声と普段の声が好きしか聞いてねー」
「あっごめんっ、ごめんなさい!
 あの、私は阿部君が好き、です、
 キャッチャーしてる姿は文句なしにカッコいいし、打席に立つ姿勢もステキで
 教室での雰囲気はまた違ってよくて、でもホントは」
頬を染めて勢いよくまくしたてる篠岡をもっと顔の赤い阿部が止めた。
「お前オレを殺す気か」
ぎゅっと抱きしめて深く深く口付けした。

篠岡をベッドに横にならせ、さあここからどう攻めていこうかと思案する阿部は
まず気になっていたことを聞いてみることにした。
上から覆いかぶさるようにして鼻と鼻とを突き合わせる。
「あのさ。この間はそんなに抵抗してなかったよな。あれはなんで?」
「え……え~~~~」
篠岡は視線を避けるように横を向いて手で頬を押さえた。
「……もう何も、考えられなかった、から」
ごにょごにょと呟かれる答えを聞き、阿部はニヤリと笑う。
「────わかった」
何が?という言葉は耳に這わされた舌によって嬌声へと変わった。

阿部の手が、指が舌が触れるたびに篠岡はいちいち震えた。
身体中が熱い。
いつの間にか服を脱がされ、火照った素肌が外気にさらされて気持ちいい。
阿部は篠岡の下着に手をかけたまま止まっていた。
「……阿部君?」
「は。いや、……お揃い、かわいーな」
密かな期待を込めて選んだ一番のお気に入りを褒められて篠岡はくすぐったかった。
と同時に、それを実際に阿部に見られているのだと思うと今さら羞恥心がこみ上げてくる。
「あんまり見ないで……」
「篠岡もかわいーよ」
私も殺されそうです──!

下着も総て取り払われ、覆う物のなくなった箇所を隠そうとする手もあっさりと外された。
恥ずかしくて彼を正視できなくて、ぎゅっと目を瞑っているのに
”見られている”ことをひしひしと感じる。
どこにも触られていないのに撫でられているような気がしてくる。
身体全体がじっとりと汗ばんでくる。
何これ────!?

重い空気に耐えられなくなり瞼をあげると、それに気付いた阿部と目が合う。
「阿部君……」
「スゲー真っ白だな」
肋骨をなぞるように指が滑る。
そっと触れてくる手付きはどこかで覚えがあるような気がした。

片手で胸を掬われもう片方の頂は吸われ吐息が漏れる。
触れられた部分から身体の内部へと熱が伝播する。
奥が疼く。
「あっ、……は、ぅん」
阿部の背中に手を回して、篠岡は彼がまだ服を着たままなことに気が付いた。
自分は身ぐるみ剥がされてるのにこれはおかしい。
シャツのボタンを外そうとすると阿部が顔をあげた。
「阿部君も脱いでっ」
口を軽くとがらせ拗ねたように言う篠岡の頭をがしがしとかき混ぜてから
阿部は一気に服を全部脱ぎ捨てた。

男の子の裸なんて見慣れてるはずなのに想い人のそれは特別だった。
どうしよう、すごいドキドキする。食べちゃいたい……
上半身を起き上がらせた篠岡が彼の喉、鎖骨にキス。
頭を下へと滑らせていったところで、されるがままだった阿部ははっと我に返った。
「あぶねー」
「ふぇ?」

篠岡は押し倒され、両手と唇とで胸から脇、臍を責められた。
身体が大きく跳ねる。
「んっ、あっ、あ、や・あぁあっ」
あちらこちらからやってくる快感の波にたやすく翻弄され、声が抑えられない。
脇にあった手が腰骨をなぞり太腿へと降りてゆく。
膝を丸く撫でたかと思うと膝裏に指が入りまたぴくんと身体が揺れた。
そのまま膝を立てられ腿裏から内腿へ────

もしかしたら雑に扱われるのではと不安だったけれどそれは全く杞憂のようで
彼の大きい手はどこまでも優しく心地良い。
そういえば、彼の道具はいつもよく手入れされている。

これまでの阿部に対する認識はもしかしたら間違っているのかもしれないと篠岡は思い始めていた。

「ゃあんっ!」
いきなり中心の突起をつままれ出た大声に思わず手で口を塞ぐ。
「我慢しねーでいーから。声、聞かせろよ」
「阿部君……んんっ、あ、あぁ」
溢れる蜜を掬って芯をこねられると身体が勝手に跳ねる。
「はぁ、あ、ぁ、あぁ……ん」
汗もかいてるし髪もグチャグチャだろうしひどい顔してると思う、けどもう
そんなの構ってられない、だってもう何も、考え────
「あ、あ……あああぁぁあ!!!」
篠岡は阿部の首にすがりつき、二度、三度大きく痙攣した。

少しの間を置いて阿部の指がゆっくり割れ目をなぞると背中に回る篠岡の腕に緊張が走った。
そっと、そーっと深みへと沈み込んでいく。
「力抜いて」
小さく首をふる篠岡を見て阿部は彼女の耳元へ口を寄せた。
「篠岡、……あーそうか。これも使えンな。
 怖がんねーでいーから。大丈夫だよ、篠岡。しーのーおーかー」
普段より数割増の甘い声で囁かれ、篠岡の背中がぞくぞくっと痺れる。
「……あ、遊んでるでしょ阿部君~~~!」
「だって篠岡スゲェかわいーもん」

阿部君て、阿部君ってこーゆー人だった?
浅く出し入れされる指に翻弄されながら篠岡は軽く混乱していた。
「はっ、ん、あべく、んんっ……!」
「しのおか」
「……ん、あ、あ、ああぁあんっ」
阿部がやっと手を止めると、篠岡は息も絶え絶えにくたりとしていた。

「、挿れていーか?」
「ん……うん……」
トロンとした目つきの篠岡の頬をそっと撫でて、阿部は彼女の立てた膝を割った。
熱くとろけるそこに避妊具を装着したモノをあてがい、はぁっと息を吐く。
「クソ、緊張する」
「…………………ふっ」
ぼそりと落とした阿部の言葉に、篠岡は吹きだすのをこらえていた。
「!?」
「ごっ、ごめん、何でもないっ」
「……何だよ」
「ホントに何でもないよ!」
「気になるだろーがあ! いーから言えよ!」
阿部が力任せに胸を揉みしだくので篠岡は堪らず降参した。
「やっ、あぁんっ、言う、言うからっ。あのね……リラックスしたい時は」
「わかった。もーいー、言うな」
額を抱える阿部はあらぬ方向を指差す篠岡をもう片方の手で制止しながらも
つい癖で左前方に目をやってしまう。もちろんそちらには誰もいない。
「ちげぇだろ。それじゃなくて……」
軽く舌打ちして阿部は胸を隠すように置いていた篠岡の手をとり、掌と掌を重ね合わせた。

篠岡は、阿部の言った”好きだ”の言葉をホントのところあんまり信じていなかった。
ダテに長い間片思いしているわけではないから彼が自分を見ていないことなんて身にしみてわかってる。
ここ数日はガン見されてたけどそれは男の子特有の欲望からなんだと。
でもこの手から伝わる熱さは信じられる気がする。
指を絡めぎゅっと握るとそれよりもっと強い力で握り返され、
心配することなんて何もないような気がしてくる。

「阿部君……」
「一気にいくぞ」
小さく頷くのを見て阿部は狙いを定め、一息に貫いた。

「────────っ!!」



篠岡に総てをおさめた阿部は達成感で暴発してしまいそうだった。
ここに至るまでの我慢もグダグダも全部吹き飛ばすほどの圧倒的な破壊力。
今すぐ出してしまいたい。というか、出る。

でも深呼吸してなんとか落ち着かせる。
そして、苦痛に眉を歪ませる篠岡を見て息を呑んだ。
目尻に涙を溜め、冷汗で栗色の髪が青白い頬にはり付いていた。

篠岡が額に触れる手に気付きゆっくり目を開けると、
そこには心配そうに自分を見下ろす阿部の姿があった。
「大丈夫か、篠岡」
「……うん。だい、じょぶ、だよ」
「無理すんなよ」
「阿部君……ありがとう」
たおやかに笑う篠岡に阿部は言葉を失くし、その細い身体をきつく抱きしめた。
篠岡も腕をあげて阿部を抱きとめる。
繋がった箇所がひどく熱い。

「ごめん、もー我慢できねェ……!」
篠岡の返事を待つより先に阿部は動きだしていた。
最初こそ遠慮がちだったもののそれは瞬く間に激しさを増し
肌のぶつかる音と水音と二人の息遣いが荒く高く広がっていく。
もう止められなかった。


「……っはぁ、は、はぁっ」

篠岡は灼けるような痛みと全身を揺さぶる衝撃にひたすら耐えていた。
身体はとても辛いけれど、自分のお腹、一番深い所から阿部の存在を感じることができて
満たされた気分でいっぱいになる。

阿部君、あべくん…………
篠岡は半ば無意識に両手を阿部の顔にのばした。
こめかみを伝う汗と熱い息に直接触れる。
阿部は動きを止めることなく、顔を傾け篠岡の手に唇を沿わせた。
眉間に皺をよせ伏せられていた目がゆっくりと開き、篠岡を射抜く。
「…………篠岡、」
「あべく、ん、は、あ、あ……ん」
次第に痛みだけではない感覚がじわりとこみ上げてくる。
篠岡の声は艶めき頬は上気し、締め付けがきつくなり阿部は加速する。

「や、あ、あっ、あぁんっ」

疾走の果てはすぐにやってきた。
数学の公式を唱えるのにも限界がある。
阿部は身の内にこもる欲望を残らず吐き出した─────




ずるりと引き抜いた自身にべったりと赤いものが付着しているのを見て阿部の顔面が白くなる。
「わり……だ、大丈夫か」
篠岡からの返答はない。
彼女はぼんやりと天井を見上げている。
「オイ、篠岡?」
心配そうに声をかける阿部の方を見ることもなくゆっくり身体を起こし
血の付いたティッシュに目をやり……

「わあっシーツ汚れてない!?」
いきなりだけれど普段の篠岡に戻って、阿部はこっそり安堵した。
「付いてねーから安心しろよ」
「よかった~ごめんね」
「謝んなよ、篠岡が悪いんじゃねェんだから」
「う……ごめん」
「謝んなっての!」
阿部の大声に篠岡はきゅっと肩をすくませた。
その様子を見た阿部の顔に困惑と後悔の色が浮かぶ。
「ちげえよ……
 ~~~~~っ。
 ……オレのせいだろ」
顔を背け辛そうに吐露する阿部の頬を両手ではさみ、篠岡は強引に自分へと向けさせた。
「これくらい何でもないから。
 それよりも阿部君とできて嬉しかったよ、私はホントに阿部君のことが好きだから」
篠岡ははにかみながらチュッと阿部にキスをした。
そしてぎゅうっと抱きしめる。
「大好きだよ、阿部君」
阿部は返事の代わりに力強く篠岡を抱きよせた。

「でも、あの……今日はもうしないでもらえると嬉しいんだけど」
再び大きくなっていたモノが篠岡にあたっていて阿部は苦笑する。
「わーってます」


「……。
 ね、ソレ……どーするの?」
「どーもしねェ! ほっとけ」
「でも……また私のせいで我慢させちゃって」
「はあ? お前関係ねーだろ」
「……関係ないの?」
「イヤ、ヘンなイミじゃなくて、その」
「だよね」
「ぅわっちょ待てオイ、
 コラ触ん、ヤメ しの………… !!!」




「ちーす」
栄口が挨拶をしながらグラウンドに入ると阿部はトンボを持ちグラ整をしていた。
どこか上機嫌なようにも見えるのは、久しぶりの部活だからというだけではないんだろう。
(うまくいってるみたいだな)
トンボを片手に阿部の隣に並ぶ。
「おーす。テストどーだった?」
「おー、まーあんなもんだろ。
フツーに勉強してりゃ誰だってできるよ」

これまでは野球部員みんなで集まってわいわいテスト勉強するのが常になりつつあったけれど
今回それに阿部が顔を出すことはなかった。
まあせっかくカノジョができたわけだし? 邪魔するのも悪いよな、と
示し合わせて声をかけなかったのだが田島あたりは
「なんでー? しのーかも一緒に来りゃいーじゃん!」
などとケイタイ片手に言うもんだから周りは抑えるのに必死だった。
二人がうまくいったのなら苦労の甲斐もあったと栄口がしみじみしていると
そんな事情など全く知らない阿部はのんびりと言う。
「次はそっちに混ざるかなー」
「え、なんで?」
「あんなうまそうなモンが目の前にあって勉強に集中できるわけねェだろ。
 つったって勉強しねーとスゲエ怒るしさ。生殺しだぞ」
「尻に敷かれてんだ」
「クソ。やられたままじゃいねーからな。
 弱点は掴んでんだ、じっくり時間をかけて攻略してやる」
少し黒いが実に楽しそうな顔で阿部が笑うので
この二人はうまくやっていきそうだと栄口は安心した。

「こんちはー」
「ちわー」
「ちわ」

いつもの練習風景が戻ってきていた。


グラウンド上の二人はあくまでも一選手とマネジで、
ここでしか知らない人だったらきっと気付かないくらいに
阿部はミハシ一辺倒で篠岡にとっては部員みんなが等しかった。

栄口はある時花井に、教室でもあんな感じなのかと聞いてみたら
それを横で聞いていた水谷が「それがさー」と複雑な笑みを浮かべ割り込んできた。
「昼休みは阿部寝てるし篠岡外出てるから別々なんだけど
 その他の休み時間はいっつも一緒に喋ってるよ」
「へえ」
「でもずーーーっと野球の話! たまに言い合いになってると思えばそれも野球絡み。
 もー勝手にしてって感じだよー」
「あの阿部の話についてけてるってだけでオレはソンケーする」
「どー見ても友達か仲間! あれでホントにつきあってんのかって」
水谷の言葉に栄口と花井は思わずちらっと顔を見合わせた。
「あー……まー、そーだな」
「それでいーんじゃない?」
「えーナニ? 何かあんの?」
「なんもねーよ! ホラさっさと着替えろよ、先行ってっぞー」

ヘンな想像をされるより野球バカだと思われてた方がずっといい。
それが二人の選んだ作戦なんだろうなと思う反面、
もしかしたら素でやってる可能性もかなり高そうで
自然と笑みがこぼれるのを抑えられなかった。


終わり
最終更新:2009年10月31日 17:27