1-882-884 アベチヨ(エロなし)
ひどく無愛想で何を考えているのかわからない人。
それが阿部に対する、千代の感想だった。
同じ中学出身といったところで、クラスも違えば接点もない。阿部が学校の
野球部に入っていたなら、多少は交流があったのかもしれないが、残念なが
ら阿部は学校へは勉強だけしにきている状態だった。
だから、西浦に入って野球部のマネージャーになって、GWの合宿もすぎ、
ようやく上の名前と下の名前、それから部員のプロフィールを覚えた頃。
「篠岡。好きだ。オレとつきあって」
「はぁ?」
昼休み、阿部から人気のない部室の裏に呼び出されて、千代はそんなこと
ひとっカケラも思い浮かべてなどいなかった。
「阿部君がぁ?」
足を肩幅に開いて背中で腕を組み、阿部はどうみても告白している男の子、
という風情はない。ひどく偉そうに無愛想に、「データ揃えておいてよ」と
いう時の阿部とまったく変わらない。
「うそぉ」
「うそじゃねーよ」
「どして?」
思わず聞き返すと、初めて阿部がひるんだ様子を見せた。千代から目をそらし、
「……しらねーよ」
千代の顎がガクンと落ちた。
「……何それ」
阿部が頭をガシガシとかきまわす。これは千代も知っている。頭の中でいろ
いろ考えているときの、阿部のクセだ。
「ねえ。阿部君」
「わかってンよそんぐらい」
頭をかいていた手を首のところで止めた。どうやら話す気になってくれたらしい。
「みんなが……言えっつーから」
ぼそぼそと顔ごとそらしたまま、阿部は言った。
「みんな」
「みんな。花井とか、栄口とか……水谷とか」
「あ、そ……」
千代も阿部も口を閉ざすと、誰もいない部室の裏に、一陣風が吹き抜けてい
った。日陰でじめじめとした地面。もう夏になろうかという、ぬるい風。
(初めての告白が、これかぁ)
阿部が嫌だというわけではない。この煮え切らなさが嫌だ。
千代は阿部から顔を背け、いまは青い葉を茂らせている桜の木の根っこを眺める。
ふいに、目が熱くなった。涙が浮き出てきたのだ。
(やばい。泣いちゃう)
千代はあまり人前で泣くことはない。我慢しようかと思ったが、なんだか面
倒になってそのままにした。涙は盛大に盛り上がり溢れ落ちていく。
阿部がぎょっとしたように声を上げた。
「篠岡、泣くかぁ?」
涙を流しながら、千代は大きく息をついた。
「わかってない」
「わかんねーよ」
千代がグイ、と顔をあげた。涙の残る目で阿部を見上げる。千代は、
「阿部君、キスできる?」
わりと大きい瞳で見上げられ、阿部は少したじろいだようだ。
「なに、なんだよ」
「ね。私にしたいとか思う?」
「は……」
千代は両脇で拳を握る。
「だって、じゃあなんでスキだーって、阿部君何考えてさ」
風が吹き、桜の枝がざわりと葉音をたてる。
言葉を吐き出そうとした唇を、阿部が遠慮もなしに力いっぱいふさいだ。
「むぐ……」
阿部の手が、千代の腕を掴んでいる。握った拳が少し開かれて、そのまま固まった。
塞ぐだけでなんの情緒もないキスだった。歯が当たらなかっただけよかった。
痛いとさえ感じる。
ふさがれたときと同じに、何の情緒もなく顔が離れる。腕は掴んだまま、
阿部が千代に一歩近づいたせいで、さっきよりも顔の位置が近い。千代はも
う少し顔を上にあげないと、阿部の喉の辺りしか見えない。
「できんだよ。オレだって」
いや、違うと阿部は一人で言って一人で否定する。
「ずっと、何かしてやりたいって思って……、気づいたらずっと目で追ってて、
んで水谷に言われて、そういえばそうしたいとか思ってて……」
それで、それで、とぶつぶつと続ける。だんだん阿部の顔が赤くなってきた。
千代はそれを黙って聴いている。
「それは、し、篠岡のこと……スキなんだろつって」
言われた。
腕を掴む力が少しゆるんだ。言い切って、阿部の肩から力が抜けたようだ。
ほっと息を一つついて、
「泣かせてごめん」
おもむろに後ろのポケットに手を伸ばし、シワのよったハンカチを取り出す。
「これ」
それで顔を拭けということらしい。
「ハンカチなんて、持ってんだ」
「母さんが入れッから」
おもわず、といったふうに千代はクスっと笑う。
笑われた阿部は、さらに顔を赤くさせて舌打ちしそうな顔で顔を背けた。
「うっせーな」
「なんも言ってない。じゃ貸して」
もう乾いていたが、千代はハンカチで丁寧に目の辺りを押さえて拭く。
「それで、返事は」
「は?」
さっきから会話はまったくかみ合わない。お互いに「は?」だの「へ?」だの
繰り返しているような気がしている。それは阿部も同じだったようで、
眉がイラッと動いた。
「だから、オレとつきあってくれんの?」
この乱暴さ。なんの情緒のカケラもない言い草。人の気もしらないで、
というか察することは出来るのだろうか、彼は。せっかちな阿部らしく、
「だめだったらいい。じゃ」
踵をかえして千代に背を向けて行ってしまおうとする。
「いいよって、ね、ちょっと阿部君」
待ってと手を伸ばしたが、一歩がおおきい阿部は手の届く範囲にはとどまっ
ていなかった。それでも、千代が何かを言った、と足を止める。
「は。なんだって?」
「だから、いいよ」
「は?」
阿部の目が丸く見開かれた。そういう顔をするとわりと幼い。これが本来の
彼なのではないか、と千代は思った。阿部は、三橋のことをわからないわか
らないとよく言うが、阿部こそ本当に自分のことをわかってないし、勘違い
している。けして物分りのいい人ではない。自分よがりで思い込みが強すぎる。
「だから、もっかいキスして。今度はちゃんと」
千代の唇に、だれも見たことのない、女の微笑が浮かぶ。
——後悔しないかな、阿部君
促すように、千代は阿部に手を差し伸べる。
阿部が引き込まれるようにそれへ手を伸ばす。
おわり
おそまつさまでした。
最終更新:2009年11月01日 00:27