2-332-337 アベチヨ

本当にどうでもいいヤツだったんだ。昨日までは。
名前だけ知ってる、同じクラスで部活のマネジってヤツ。
同中だってことも知らなかったんだ。
休み時間でも、いつも控えめに、いつもの友達と喋ってた。
それぐらいしか認識がない女。
ただそれだけ。

だったはずなのに。

いつだったか野球部のデータについて話すようになって
思ったよりも随分データオタクらしくて話が合った。
話すようになってから、知った篠岡の事。
社会が得意なこと。(暗記好き?)
野球が好きで仕方ないこと。
あれから俺達は良く喋るようになった。
休み時間はもちろん、授業中にも。
問題を当てられてあたふたしている篠岡に、そっと答えを教えてやる。
もちろん、いつもじゃねえけどな。
篠岡だってそんなにバカじゃねえし。


最高学年になってまた彼女と同じクラスになった。
篠岡とは何でも話す関係に変わった。
くだらねえことだけど、毎日のように話した。
そして…彼女の事を目で追っている自分に気がついた。
急に親しくなったからだと、自分に言い訳してきたけれど…。
あいつが学校を休むと、心配なんだ。
休み時間に話せないと、胸にぽっかり空洞が出来たような…
そんな気になるんだ。
そうやって篠岡と話をするのが楽しくて、もう、彼女から目が離せなくなっていたそんな時だった。
好きな奴は居ないのか?と聞いた時に、
少し驚いた顔をして、俯いてこう答えた。
「…いるよ」
と。
どんなヤツが好みなんだよ?と聞くと
「好みなんて、人に押し付けられる程、自分が素晴らしい人間じゃないよ」
なんて言いやがった。
そうして知った篠岡のこと。
俺が今まで見てきた女とは少し違うらしいこと。
彼女なんて一人もいなかったけど、中学での女って言うとうるさくて自分勝手って
思っていたんだ。告白も多少されたけど、心が動かなかった。
俺じゃなきゃいけないってものを、何一つ示してはくれなかった。
そんな話をしてやると、篠岡は寂しそうに俺に目を向けてこう言った。
「…好きな人に好きって言うだけで本当に凄い事なんだよお!
 阿部君、結構女の子、見る目ないねえ!」
なんて笑って言いやがった。
そうやって篠岡は俺の心にするりと入り込んでしまう。
隠そうとしても、無駄なんだ。
好きなんだ、あいつが。
好き、なんだ…



あいつは?篠岡は俺の事を…どう思ってる?
今まで真剣に誰かを好きだと、想うことが出来なかった俺を…。
自信がなかった。
あいつが好きだと思う男は、俺のような男じゃねえんだろう。
いつか聞いた、付き合うヤツの、条件。
あの言葉の後少し笑いながら、
『好きな人が自分だけを好きでいてくれたら…』
…俺は、信用がねえからな…。
野球のリードに関しては、どんな答えでも出せるのに、
篠岡の心だけは読めそうになかった。

夏休みも近い、終業式前のある日。
野球部の夏大会も近い夏、練習が終わって片付けが終わる篠岡を待っていた。
「篠岡、一緒に帰らねえか?遅いし、あぶねえから送ってく。」
「阿部君と?うん、いいよ帰ろう」

「もうすぐだね、最後の夏。みんな本当に頑張ったよね、練習」
「ん?ああ、好きな野球のことだからな、苦じゃねえよ」
「うん、野球大大大好きなんだもんね、阿部君は」
「『大』好き…ってほどじゃねえけどよ…」
本当は全て捧げたいほど、野球にのめり込んでいるけども。
んなこと恥ずかしくて言えねえよ!
そんな俺の気持ちなんてお見通しだ、とでも言いたげに篠岡はクスクスと笑った。
こんな笑顔にもドキっとさせられちまう。
くそ、惚れた弱みってやつか?




「絶対に、最高の夏にしようね!結果なんてわかんないけど…
 この3年間を後悔しないように…。
 阿部君が三橋君に尽くしてきた時間が報われるように!」
篠岡が向ける笑顔がまぶしくて、素直に可愛いと思った。
同時にこの夏が終わったらもう、彼女と俺を結ぶ接点がなくなってしまうと気が付いた。
考えるより先に、口からこぼれる。
「…俺の事、応援、してくれるか?」
声がうわずる。
こいつの前では、いい格好、してえのにな。
顔が赤くなっていく。今が夜でよかった。

「え?勿論だよ!マネジだもん!」
「いや、そうじゃなくて。俺の事、特別に」
「?皆頑張ってるから、皆の事は応援するよ?」
なんて言うから焦った俺は…
「俺はお前に応援して欲しいんだよ!」

大声が出た。

目を見開いて、心底驚いたって顔して。
んな驚くなよ…。
「…俺のために、応援してくれないか」
そういって顔を覗きこむと、
篠岡は足を止めて黙って俯いてつったっちまった。
俺の靴がある辺りをじっと見つめて、何も言わない。
「篠岡がいてくれたら、勝てるって自信が持てる」
「え…」
「俺の野球する所が好きだと、言ってくれたじゃねえか」
あの、俺達が近づくきっかけになった日に。
言ったよな。俺の野球が好きだと。



「ガラじゃねえけど、嬉しかったんだ。 
 あの時お前が言ってくれた一言が。すごく、嬉しかったんだよ」
「阿部君…覚えてたの?」
「忘れられねーよ。篠岡の顔もよく覚えてる。今みたいに俯いて…」
「あ…」
思わず、篠岡の背中を引き寄せて、
その体を掻き抱いちまった。
少しの隙間も作りたくなくて、強く抱きしめる。
「あ、阿部、君」
「…」
俺はこの時を刹那にも、永遠のようにも感じていた。
何か言わなければ…。
俺は彼女の背中に回していた腕をほどき彼女の顔を覗きながら聞いた。
「お前に、俺だけを応援して…欲しい」
「…うん、阿部君の事、特別に応援してるよ、…心の中でね」
ちょっと引っかかる所もあるけど彼女の肯定の言葉が嬉しくて。
「…なあ。こうやって抱きしめても、嫌がらないのって、期待してもいいのか?」
「え、あ、わ、私は阿部君のこと…」
「俺のこと?」
篠岡が言いかけた言葉を聞きたくて、鼻が触れ合うか合わないか位の
位置で彼女の瞳を見つめる。
「その先が聞きたい」
「…好き、ずっと前から好きだったよ… !」
言い終わるのと同時に俺は篠岡の唇を塞いだ。
篠岡はビクっと体を震わせたが、そのあとすぐに俺の背中にそっと手を回してきた。


俺は抱きしめるだけで胸が苦しくて、彼女の髪をずっと撫でていた。
愛しくて愛しくて、壊れ物を抱くようにそっと包み込んで、何時間でもこうしていたいと思った。
自分もこんな恋が出来るんだと、そんな喜びもあふれて止まらなかった。
そうやって何十分経ったのか、篠岡の言葉で現実に戻った。
「…どうして?」
わけがわからなくて、黙ってこいつの言葉を聞く。
「阿部君、どうして私に…キス、したの?」
〜〜!ここまでしてもまだ気づかないのかよ!鈍感な奴だな。人のこと言えねえけどさ!
「お前が好きだからだよ!」
「…っ」
「俺の言う事は信用がないか?」
篠岡が俺の腕の中にいながら、眉を寄せて見上げてくる。
「そんなこと…そんなことないよ!」
ただ、不安だったの、と呟く篠岡を
俺はまた抱き寄せて、唇を耳元に寄せて囁く。
「俺は好きでもねえ女にキスなんかしねえよ」
「あ、阿部君」
「俺が好きなのは、篠岡千代だけだ」
「ありがとう、嬉しい…」




すっかり暗くなった帰り道を手を繋いで帰る。
繋がった掌から、愛しさがこみ上げてくる。
「私は、ずっと阿部君のことが好きだったんだよ?」
「ああ?なんでそれ早く言わねえんだよ?」
「だって言えなかったの!!」
「んだよ、俺の緊張損かよ」
「阿部君、告白する時緊張してくれたんだ?」
「…わりいかよ」
「んーん、全然。嬉しい。ありがと」
そうやって微笑む彼女が綺麗で 俺はまた彼女の腕を引き、この腕に抱きとめて
また唇に軽く触れた。啄ばむように、それから深く。
こいつに遅くて危ないから送るって言ったのに俺のせいで帰りが遅くなっちまうな。
まあ、いいか。こいつの親には俺が直に謝ってやる。
挨拶代わりに、な。

最終更新:2009年11月07日 14:10