2-534-540 ハルスズ3
映画の内容はごく有り触れた恋愛ストーリー。名家のお嬢様とその家の使用人の男との身分違いの恋愛模様を
描いたものだった。真剣な表情で画面に見入っている先輩を横目で確認してほっとしていた。
チョイス自体は間違いではなかったらしい。
映画が始まって一時間——。
折り返し地点の見せ場らしく、お嬢様と使用人が言い争っていたところで男が強引に彼女へとキスを
していった。すれ違いがあり、男が同僚のメイドと親しくしている様を嫉妬したお嬢様が罵ってきたところを、
使用人の男が自分の思いを信じてくれとばかりに熱いベーゼを送る。
燃え上がった二人はベッドにて情事へと——。
いつの間にか無意識に繋いでいた涼音先輩の手がびくっと動いた。そっと顔を向ければ、頬を朱に染めた
彼女が困ったような表情を見せてきていた。
「映画だってわかっているけれど、外人さんって大胆だね……」
「そ、そうですね……」
——あんっ、ダメよ
ばっとテレビに視線を戻せばお嬢様が男から胸を揉まれて喘いでいた。
再び涼音先輩と目が合う。僅かに間が開いたあとに瞳を閉じて唇を差し出されていた。
「んっ」
要求に応えるべくオレ自身も重ねていく。舌を差し入れて彼女の白い歯をなぞっていく。初めての
ディープキスだった。
口を怖々と開いてきた先輩もおずおずとオレのものと絡めてくる。テレビ画面の向こうの濡れ場はとっくに
終わってしまったらしいが、今度はこちらで交代というふうにして淫らな遊戯に耽っていく。
そっと涼音先輩の胸へと手を置いて軽く触れてみる。服と下着の上からでもはっきりとむにゅりと返って
くる女の子特有の柔らかさ。
うっとりとした面持ちで目を細めていた彼女は意識が戻ったらしく、とんっとオレの胸を押して離れる
ようにと促してきた。
「すみません。嫌でしたか?」
「う、ううん。そうじゃないの。こういうエッチなことをいつかするってことは頭の中では理解していた
つもりだよ。でも……避妊、とかさ……」
さっとソファの隙間に隠していた例のブツを取り出して彼女へと見せる。
「お徳用十二個パック……」
箱ごと取り出して見せたのは、もしかしてまずかっただろうか。涼音先輩は目を丸くして驚いていた。
「で、でもそういうことをするなら時間がいるし、お風呂にも入らないでってのはどうかと思うし……」
「風呂掃除なら済ませています。あとは湯を張るだけです」
いつもの調子が逆転していた。あたふたとしている涼音先輩と逆に落ち着いて冷静そのものなオレ。
少し新鮮に思えていた。
「ちょっと家に電話してみるから……」
彼女は携帯を取ると逃げるようにしてリビングから廊下へと出て行った。
『……もしもし。あっ、お姉ちゃん。えっと実は……えっ? 今夜は彼氏の家に泊まるんでしょって……。
えっ、ちょっと……!? お父さんとお母さんには上手く言っておくって……。避妊は必ずって
……うるさい! ああっ、ごめん。あれ、お姉ちゃん? お姉ちゃん……っ!?』
どうやら無情にも電話は切れてしまったようだ。間を置いて虚ろな表情をした涼音先輩がリビングへと
戻ってきた。
「家に帰れなくなっちゃった……」
「とりあえず、風呂入れてきますね」
放心状態の彼女を置いて席を立ち風呂場へと向かう。
「どうしよう……大丈夫かな……」
興奮状態のオレは先輩のそのか細い声で紡がれた何かを案ずる言葉に気付くことはなかった。
浴槽に蓋をして蛇口を捻り湯を出していく。涼音先輩のことが気になり足早にリビングへと戻っていった。
戻ると先ほどと同じ場所に腰を下ろした。隣の先輩は心ここに在らずという感じだったようで、ワンテンポ
遅れてオレに気付くとびくっと体を竦ませていた。
「今風呂の準備をしています。それで……どうしますか?」
「……どうって?」
「先輩の気が乗らないなら——嫌がることはしたくないですから。今日は普通に泊まっていかれるだけでも
いいです」
「…………。ううん。決めた。いつかは通らなければならないことだから」
「……そうですか」
この後はどちらとも極端に口数が減っていた。二十分後に風呂の用意ができて、そのことを告げると
オレに先に入るようにと頼まれた。
そして、オレは風呂から上がってリビングへと戻り空いたことを話した。
「わかった。お風呂借りるね」
どことなく固い表情の涼音先輩。
「榛名は部屋で待っていてくれる? 確か二階だったでしょ? お風呂少し時間掛かるかもしれないけれど、
ごめんね」
軽く首肯する。先輩が風呂場へと向かったのを確認してゴムを持つと二階の自分の部屋へと上がっていった。
一時間ほど経過しただろうか。時計の針は午後十時を回っていた。
この間に歯を磨いていなかったことを思い出して洗面所へと駆け込んでいた。ガラスの向こうには一糸
纏っていない涼音先輩がいる。湯を身体へと掛けているらしく、ぱしゃっという音。
いけない気分に取り込まれそうになったところで本来の目的を思い出していた。ちゃっちゃと歯磨きを
済ませていく。
『——榛名?』
「は、はい」
退散しようとしたところで呼び止められてしまった。
『歯ブラシ貰えないかな? やっぱり歯磨きしたいから』
「ああ、そうですね。ちょっと待ってください」
洗面台の下にある収納スペースから買い置きのブラシを取って、歯磨き粉と口を漱ぐためのコップとともに
手渡す。ガチャリとほんの少しだけ開いた曇りガラスの隙間から伸びてきた細くて白い手。
思わず息を呑んでしまった光景だった。
『もう少し時間をちょうだい』
「は、はい」
今度こそ脱衣所から退散していったのだった。
——トントン
自室の扉がノックされていた。今この家にはオレと涼音先輩と二人だけしかいない。緊張していることを
悟られないように注意して在室を伝えていた。
扉が音を立てて開き、先輩が部屋の中へと入ってくる。彼女のその姿を見てオレは言葉を失っていた。
「遅くなってごめん」
「い、いいえ。それよりその格好は」
「だって、まさかお泊りするとか考えてなくて着替えなんか用意してきていないんだから
しょうがないでしょ……」
伏目がちな彼女はオレの熱い視線をその身に受けて、恥ずかしげに身じろぎしていた。
涼音先輩は裸に白いバスタオルを一枚巻きつけただけだった。豊か過ぎる胸に押し上げられる形となっていて
健康的な太ももの大部分が露出してしまって、かなり際どいことになってしまっている。
「え……っ? ちょ、、ちょっと榛名……!?」
「嫌ですか? こういうのは」
「そ、そんなことないけれど」
二人とももじもじしてしまっていたため、このままでは埒が明かないと思ったオレは腰掛けていたベッドから
立ち上がって入り口にいる涼音先輩のもとまで行き、抱き上げていた。
いわゆる、お姫様抱っこっていうやつをしていた。
そっとベッドへと下ろした。目と目が合う。どちらとも真剣なそれでいてこれから起こることへの期待を
隠せないでいるような眼差し。彼女の上に覆いかぶさるようにして組み敷く形となったオレに、
先輩は囁いてきた。
「いいよ……」
その可憐で瑞々しさに溢れた唇へと重ねていった。
「くちゅ、んんっ。ふぅん、はぁっ」
彼女の口腔内は歯磨きをしたあとということで清涼感に満ちていた。舌を絡めながら唾液を啜りとっていく。
今度はお返しにオレの唾液を流し込む。こくこくと飲み込んでくれる様子が愛しく見えていた。
「開けますね」
許可を得るために見詰めたところ、視線を逸らされてしまった。ここは自分の都合のいいように肯定と
受け取って左右にバスタオルを開いていく。
涼音先輩の身体は女性らしさで溢れていた。豊かな胸の膨らみ。きゅっと括れた腰。柔らかく弾力にも
富んでいるだろうお尻。これを自由にできるのかと思うと、両手は無意識の内に震えてしまっていた。
「触ります」
「ぅんっ」
男であるオレの手のひらでも納まりきらない質量を誇る乳房。揉めば揉むほどにむにゅむにゅと押し返して
くる弾力に夢中となってしまっていた。しばらく弄っていると頂点に位置する乳首が大きくなってきた。
乳輪とともに淡い桜色とをしたそれに魅せられて舌を這わせていく。もちろん、手は休めない。
「ひっ、くぅう、ああん……そんなに弄んじゃダメ、なんだから……っ」
言葉では咎められているが声音は違っていた。もっと強い快楽をと要求してきている。
両の親指と人差し指の腹でしこり切った先端を転がす。決して強くなく。かといって弱くもなく。
先輩が乱れて可愛い喘ぎ声を聞かせてくれるほどに不思議と落ち着いてきていた。そして、その声を更に
耳にしたいという欲求が膨らんでいく。
「あっ、そんなに、くりくりしちゃだめっ。ああっ、んくぅ、でも……っ」
口に含んで吸ってみる。母乳など出るはずもないのにそれでもぴちゃぴちゃと責め立てていった。
「先輩……」
「はるなぁ……」
熱に浮かされたように色っぽい顔をしている涼音先輩へと口付けていった。
下半身へと向かう前に体を起こしてベッドから下り、寝巻きを脱いでいく。下着だけを残したところで
先輩が上半身を起こしてこちらに食い入るようにして見入ってきていることに気付いた。
「どうかしましたか?」
「榛名の体、すごく綺麗……」
考えもしたことがないことを言われて困惑する。確かに鍛え続けてきた自分のこの体をかっこ悪いと
思ったことはないものの、突然褒められて、嬉しさと戸惑いが半々に入り混じった心境だった。
「男の人って女の裸を見ると興奮するらしいけれど、女もなんだね。榛名の裸を見ていると胸が苦しい。
締め付けられるような感じになっちゃってる……」
オレの方へと身を寄せてきた涼音先輩は腕を取ると、自身の胸へと当てていった。
「ほら、わかる? 緊張して興奮してすごく心臓がどきどきしてるの」
「……オレもですよ。先輩が綺麗だから」
彼女の行為を真似して、オレも同じように先輩の手を押し当てた。
「ホントだ。わたしたち一緒なんだね」
涼音先輩の顔を飾った微笑がとてつもなく魅力的で、それに堪らなく劣情を刺激されて彼女をゆっくりと
押し倒していった。
初めて触れる女性のアソコはもうすでにしっとりと潤ってきていた。指でゆっくりと触れていく。
敏感なところらしいから慎重になっていた。
「う、んンっ」
一旦離れて彼女の両膝へと手を載せる。オレの意図を把握してくれたのか、抵抗することもなく手の動きに
あわせて股をゆっくりと開いてくれた。
閉じられていたそこは、実に可憐で清楚な趣だった。
ところが、指を這わせて中身を押し開いていくと一変する。生々しさを感じさせるものの、それと同時に
男を狂わせる強烈な色香を漂わせてきていた。
ふらふらと吸い寄せられるようにしてそこに唇を寄せていく。
「あんっ、そ、そこを、舐めるの?」
声に出しての返事ではなくて行動で示した。
「だめ、そんなとこ、汚いから……っ」
「先輩の身体で汚いところなんてないですよ」
遮って溢れてくる愛液を丁寧に舐め取っていった。
涼音先輩の可愛い喘ぎを一通り堪能して彼女の胎内へと潜り込む準備をすべく、ベッドサイドに置いていた
ビニールを破って装着した。
じーっという擬音が聞こえてきそうなほどに強い視線を感じる。オレは先輩のアソコに夢中になって
いたからきっと彼女は彼女でオレの分身に興味があるのだと思う。
「えっと、いきますよ?」
「う、うん」
交わした目が何かを訴えかけてきているような気がした。だが、童貞でまったく余裕がないオレはそれを
察してあげることができなかった。
涼音先輩の秘所へと慎重に手を添えてあてがい一気に押し入ろうとするのだが、何かに阻まれているようで
遅々として進んでくれなかった。それは異物の侵入を拒んで押し返そうとしているような印象だった。
「くっ、うう……っ!」
ようやくのことで阻まれていた何かを裂いたような感触を受けてオレの一物も収まってくれた。
ふと涼音先輩の顔を覗きこむと、瞳から大粒の涙を流していた。
女性が性行為で泣く——よっぽど慣れた達人のような男ならできるのかもしれないが、つい今しがた童貞を
卒業したばかりのオレにそんな芸当はできようはずがない。
「ど、どうしたんですか? 先輩」
「ぐすっ……名前で呼んでよ。そしたら教えてあげる」
「じゃあ、涼音……さん。どうしたんですか?」
「……痛かった」
「はい?」
「だから、初めてだったから痛かったの……っ」
「いや、だって……」
頭を両手でしっかりと掴まれてほんの僅かな、息遣いが感じられる距離まで引き寄せられていた。
「前に付き合っていた人がいたからって、エッチまでしていたとは限らないでしょ。そういうことよ」
「ということは、先輩は処女だったんですか……」
「涼音、でしょうが」
ちょっとお怒りの涼音先輩から強引にキスをされる。
「……男の子って動かないと気持ちよくなれないんでしょ? もう動いていいから。我慢できないほど
じゃないし」
「でも……くうっ」
膣に力を入れてぎゅっと締め付けられてくる。思わず放出してしまいそうになってしまったのだが、何とか
気合で耐えて乗り切った。
「彼氏が彼女に遠慮しないの。エッチのときぐらい積極的にリードする気概をもってよ」
発破を掛けられて男らしいところを見せようと決めて腰をゆっくりと前後させていく。
初めてのことだから何もわからないし、とりあえず動いとけというような単調な運動だった。
「だ、大丈夫ですか?」
「んっ、くぅん……好きにしていいから、激しくしていいから……っ」
絡み付いて押し出そうとしてくる膣の内部の動き。ゴム越しとはいえ、少しでも気を抜けば精液どころか
オレの体の全てをも飲み込んでしまわれるのではないかという錯覚さえ受ける。
キスをしたり彼女の大きなおっぱいを揉んでみたりと必死に抗って引き伸ばそうとしたのだけど、
限界は近い。
「涼音……っ」
「榛名、はるな、ハルナ……あぁん、あはぁああぁぁ、好き、大好き、よ……っ」
「くっ、もう……っ」
「くあぁ、お腹の中で大きくなって……オチ○チンがびくびくってふるえてる……っ!」
荒く呼吸を繰り返しながら射精していく。初恋の女性との——オレと彼女が交わる運命ではないと
思っていた。それだけ恋焦がれていた涼音先輩との初体験。
興奮しすぎているオレの分身は、精の放出を中々やめようとはしなかった。
どちらとも照れ臭くて口数もが少なくなっていた後始末を終えて、風呂に入り直して部屋へと戻ってきた。
涼音さんには姉の部屋にあった箪笥から借りたショーツを穿いてもらっている。
残念ながら寝巻きになるようなものはなくて、上はオレの長袖アンダーシャツを着ただけ。
ちょっとマニアックな格好をさせてしまっているけど、ないのだからこればっかりはしょうがない。
「あっ、ちょっと来て」
ベッドのシーツの上に何かを発見したらしい涼音さんに呼びつけられる。
「ほら、血がついてる。あんなに痛かったんだから血は出て当然なのかもなあ……榛名?」
背後からしっかりと彼女の華奢な身体を抱きしめる。この幸せな現実を確かめたくなったために
起こした行動。
「オレ、幸せです」
「うん。わたしもだよ」
涼音さんは自分を抱いてくる腕に——オレへと身を任せてくれていた。
「涼音さんのこと、一生大事にしますね」
「大げさすぎるよ……でも、嬉しいかな。ありがと」
初めて肌を重ねたこの晩。オレは眠るのが惜しく思えていた。それは涼音さんも同じだったようで、
彼女と過ごした高校二年間の思い出と彼女がいなくなったこの半年余りのことを飽きることなく
語り続けた。
空がうっすら明けてきて暗い闇から解放されるころ、抱き合ったままでお互いの体温を感じながら
ようやく眠りへとついていった。
三月下旬。ようやく春らしい暖かさが感じられるようになってきた、そんな陽気。
まだ朝は肌寒いため、ベッドで縮こまるようにして眠っていたところに寝室の扉を開けて入ってくる
気配が一つ。その気配の主は容赦なく布団を剥ぎ取っていった。
「——きなさい。ほら、起きなさいってば!」
「……っ!?」
眠い目を擦りながら、オレから布団を没収した人を見る。高校時代のショートヘアの面影はなく
艶やかに輝くロングの黒髪を、家事をこなすために軽く縛っている若い女性。
頬を膨らませて怒りを表現しているけども、それすらもオレからは愛らしく見えてしまう。
「元希、今日先発なんでしょ? それにデイゲームなんだから、そろそろ起きて支度しないと」
彼女は話しながら遮光カーテンを開けていき日の光を寝室内へと入れてくる。
「わかってるって、涼音」
この春に入籍して苗字を宮下から榛名へと変えた愛妻へと返していた。
あれから四年が経っていた。
涼音とは高校卒業後にオレがプロに入っても良好な関係を保つことができた。ただ、問題が一つあった。
それは遠距離恋愛になってしまったということ。
オレが指名を受けた球団は地方を本拠地としており、埼玉にいる彼女とは相当な距離で隔てられて
しまっていた。
これを打破するためにオレは一年目のキャンプから猛アピールを重ねていった。涼音と会う機会は
チームが関東に遠征に行くときに帯同するしかなかったからだ。
キャンプ・オープン戦を通じてのアピールが実り、高卒新人ながら開幕を一軍で迎えることができた。
だが、世の中はそんなに甘くはなかった。プロの洗礼とばかりに早々に打ち込まれてしまい、あっけなく
二軍に降格されてしまった。
そんな中でも彼女から電話やメールで励ましてもらって立ち直り、課題とされていた変化球習得に取り組み、
球種を増やしてスライダーにも磨きをかけ夏場に再昇格できた。その後は石に噛り付いてでも一軍から
離れなかった。涼音と会うことができる数少ない機会を失いたくはなかったから。
二年目には貴重な左の先発として、開幕から先発ローテーションの一角を任されるようになった。
打たれる日もそりゃあったけど、高卒二年目の若手としては結果を出していたと思う。
先発ローテに入っている投手は遠征に帯同せずに本拠地で自分のペースで調整できる権利がある。
とはいっても、ルーキーに毛が生えたようなオレにはそんな大層な特権はなかった。
それでも関東遠征にくっ付いていくことができるのは、とてもありがたいことだった。
三年目になると、タイトル争いに絡むまでの成績を残すことができるようになっていた。
そして、この年の暮れの契約更改にて主張したこと——どうしても譲れなかったことが一つだけあった。
それは、寮からの退寮を認めてほしいということだった。
通常、高卒の選手は五年間の寮生活を義務付けられている。でも、例外もあった。
それは一軍にて首脳陣が主戦力だと認める働きをすれば——というものだった。
一年目から継続して一軍で投げていること。それとチームのしばらくぶりのAクラス入りに大きく貢献
したことが評価されて、無事にオレの退寮は認められた。
その足で意気揚々と埼玉へと帰省し、涼音の家に電撃訪問してプロポーズ。
それもご両親の前でやってのけた。
もちろん、返事はOK。ご両親からも祝福とともに了承された。
そして、今年の三月——。大学を卒業した先輩と入籍を果たして晴れて夫婦となることができた。
「本当にあの時は驚いたんだから。元希の契約更改があったってことを夜のニュースで見ているときに
チャイムが鳴ってお客さんが来たと思ったら、それが元希でプロポーズされて……」
午前九時前。ダイニングにて涼音が淹れてくれたお茶を飲みながら、愛情たっぷりの朝食へと
箸をつけていく。
「記者会見を強引に打ち切ったんでしょ? 大事な人のところに行かなきゃいけないから急ぐんだって」
向かいの席に腰を下ろした涼音はにこにこと笑顔を浮かべていた。
「……あの時は退寮を認めてもらって、これで涼音と一緒に暮らせる——迎えにいけるってことで
頭がいっぱいになっていたから」
「次の日は学校で大変だったんだから。スポーツ紙で相手がわたしだってことを特定したところがあった
みたいで、一面へと大々的に載せられてね。それを朝のテレビでやっていた局があって……。
まあ、嬉しかったんだけれど」
彼女の心から幸せだという笑顔につられてオレも自然と笑みを浮かべていた。
スーツへと着替えて気合を入れる。昨日のうちに準備しておいたバッグを携えて玄関へと向かう。
当然、涼音も付いてきてくれている。
腰を下ろして靴を履いたところで彼女の方へと向くようにと促された。
「昨日の開幕戦を見事に飾って盛り上がっているみたいだね。ファンの人たちはさ」
「うん。去年の二位でのAクラス入りで今年は期待できそうだって言われているし、本拠地での開幕戦
だったからね。盛り上がってくれないとこっちは寂しいよ」
「それなら、元希もビシッと決めないとね。左のエースって言われているんでしょ?」
「おいおい。プレッシャーかけるなよ……」
「わたしも応援に行くから頑張ってね」
「……無視かよ」
涼音はどこも気にした様子は見られなかった。本当に無視されてしまったらしい。
玄関のドアノブに手を掛けたところで呼び止られる。振り返ったところで飛びつかれて、強引に唇を
重ねられていた。
「頑張って。勝ったら今夜は濃厚なサービスしちゃうから」
まったくの不意打ちであったため、高校生のころみたく顔を赤くしてしまっていた。
照れ臭くなってオレはそのまま家を出る。
濃厚なサービスという言葉で固くなった分身を隠すために前屈みとなりながら。
空高く輝く太陽の下、満員の観客で埋まっている球場。昨日の開幕勝利で盛り上がっていることに
疑いの余地はない。
ウグイス嬢からコールされた後にファンからの盛大な拍手に送られてマウンドに向かう。
きっと涼音も内野席のどこかで声援を送ってくれているはずだ。
オレは今日も——これからも投げ続ける。チームのために。そしてファンのために。
もちろん、一番は愛する妻である涼音のために。
(終わり)
最終更新:2009年11月07日 16:55