2-681-693 レンルリ

元から気弱でおとなしい子だった。
小学校から休みの度に家にくるようになって、
いつも野球のボールを握り締めてる、ちょっと変わった子。
弟がいたらこんな感じかもしれないみたいな母性感情が生まれた。
私の後ろに隠れてスカートを握り締めてくる。
それでよくパンツが見えて叶にはからかわれた。
懐かれるのはちょっと嬉しかったな。
私が守ってあげなきゃって、幼心にも感じたのを覚えてる。
それでも帰る時は母親にしがみついてバカみたいに泣く男の子。

私はいつだって、あの子の一番にはなれなかったんだ。







廉に廊下で偶然会って、少し会話をした。
私が友人と連れ立って歩いていたところだったから、
廉はオドオドして、すぐに教室に入ってしまった。
私たちも自分の教室に向かって歩く。

「三橋君、昨日も負けたんでしょ」

軽蔑の笑みを織り交ぜた友人の顔が嫌だ。
廉のこと、なんにも知らないくせに。

「見てないから、知らない」
「ウチらも見てないけどさー。どうせそうなんじゃん?負け続けてんでしょ?」

1年からずっとエースとしてマウンドに上がってる、頼りない三橋。
理事の孫だから。同級生たちはそれを理由に、誰も彼も廉にイイ顔はしないのだ。
廉が、夜遅くまで投球練習してることだって知らないくせに。
話したところで誰も信じてくれないだろうけど。
ランクをつけられた最下位の人物には、皆冷たいのだ。
皆同じ15歳なのに、野球も知らないあんた達の、どこが廉の上だっていうのよ。
不満はたくさんある。
でも、それ以外は気の会う友達だから、敢えて口に出さない。

昔は、守ってあげなきゃって必死になってた。
だけど、いつからか独りぼっちの怖さの共有を廉は望まなくなった。
そうなったら、私は私、廉は廉で境界線をひくしかない。

私には何もできなくなっていた。
どれだけ廉の悪口を言われていても、友人たちの気を損ねない程度に話を合わせる。

スカートを引張る手は、もうどこにもなくなってしまった。






「ただい、ま」
玄関から疲れきった廉の声が聞こえた。
「お帰り。ご飯置いてるよ」
リビングのソファに座ってテレビを見ながら、廉を見ないように瑠璃が言った。
最近は家にいてもあまり顔を合わせることさえない。
廉がそうするから。なんとなく自然にそうなった。
「おばさん、は?」
「回覧板回しに行ったままだよ。なんか話し込んでるんじゃない」
「おじ、さんは?」
「残業だよ」

レンレンって呼ぶことも、いつの間にかしなくなった。
些細な喧嘩さえ、今は面倒って雰囲気を出されてから以来、怖くてできないのだ。
「俺、投げて、くる…」
そういって廉はリビングを出て行こうとした。
微妙な年頃だからって、廉は瑠璃を極力避けるようになっていた。
いつまでも姉弟みたいにできるわけないってことはわかってはいたけど。
そんなよそよそしい態度に、最初は傷ついていたけど。
いつからだろう、それが当たり前になったのは。
今じゃそれが普通になりつつある。

「明日は、家に2人だけだよ」
「えっ、な、んで?」
素早く立ち去ろうとする廉を、言葉だけで凍らせた。

「明日、結婚記念日だから、お母さんたちお泊りだもん」
「お、れ。聞…いて、ない」
「去年も行ってたじゃない。お金もらったから、明日は出前かな。
それとも、どっか食べに行く?」
振り返ってみたけど、廉はこっちを見ずに俯いたままだった。
こんないじけた子じゃなかったのに。
学校でどれだけ酷い扱いを受けているかは知ってる。
人の力ってこんなに怖いんだ…

「食べに行こうよ、明日一緒に帰ろう?」
「い…いい、よ!コンビニ、で、買って、食べ…る」
「いやだよ!あたしは食べに行きたいもん!校門で待ってて」
「お、俺、行かな、い」
「あ、廉!」
話の途中で逃げるようにリビングから出て行ってしまった。
「家でくらい、ちゃんと話してよ…」
飲みかけだったグラスの氷が、カラン、と空しく音をたてた。






昼休みにちゃんとメールした。家の鍵も、今日はちゃんと閉めて持ってきた。
家族を挟まずに2人きりなんて、2年ぶりくらいだ。
入学したての頃は、毎日一緒に帰ってたのに。
廉が孤立しだしてからは、そんなことはなくなってしまった。
こっちが校門で待ってたって、叶くんと帰るから、とだけ言って置いていかれた。
しょげるあたしに、お母さんは『廉もお年頃なのよ』って笑うだけだった。
大人になるって、離れて行くことなの?
わかってるよ。私は女の子で、廉は男の子。
どれだけ仲良くたって、いとこだって、いつまでも一緒にいられないってこと。
それでも心のどっかで、廉は違うって、思う気持ちがあった。
今は恥かしいだけなんだ。お母さんが言うとおり、『年頃』、だから。
私が働きかけてあげれば、あの頃の廉に戻ってくれるんだから。
そういう気持ちが、拭えないでいた。
メールは返ってこないけど、不可抗力と食欲には勝てない子だもん。
廉のこと、私が一番良く知ってる。
だって、ずっと一緒にいたんだもん。

校門の前で、三つ編みの髪をいじりながら廉が来るのをひたすら待つ。
部の練習は終わってるはず。もうすぐ、しょげた顔した廉が現れるんだ。

お気に入りの赤い腕時計に目をやって時間を確認すると、自然に顔が緩んできた。
きちんと話せなかった2年間なんて、全然たいしたことじゃない!
私と廉には、これからも一緒にいられる時間なんていっぱいあるんだから。
『年頃』が終わったら、またいつもみたいに戻れるんだもん。


「あれ?三橋じゃん」

考え事をしてると、あんまり好きじゃない声がした。
顔を上げると、部活後で少し汗をかいた叶がいた。
コイツはあんまり好きじゃないんだ。私のこと、無駄にからかってくるし。
しかし、その隣にいる人の顔を見て、あんまり成長しない胸の、
その下の心臓が、ドキリと音をたてた。
叶と一緒に、汗をかいて、薄茶色の髪を湿らせた、自分と同じ形のちょっとつり目の少年。

「何してんの?お前、下校時刻まわってんぞ?」
そうキョトンとしている叶には反応せず、ひたすら廉を睨みつけた。
瑠璃を見ないように、叶の少し後ろに隠れるようにして俯いている。
アレは。悪いことしてるの知ってて、隠そうとする廉の悪い癖だ。
かつて自分の後ろで情けない顔をしていた廉。

「メール!したでしょ、ご飯食べるの!一緒に帰るの!!」
2人に向けて怒鳴った。
「へ?そうなの?」
いきさつをしらない叶は、廉に聞いたけど、
廉は俯いたまま激しく首を横に振った。

なによ、それ…





「い、行かない、って、ちゃんと、言った!」
「行かないじゃないよ!ご飯どうするの?お金、あたしが持ってるんだよ!」
「う、お、俺、先、コンビニ行ってる!!」
「え?お、おう」
叶にそれだけ言って、やっぱり逃げるように廉は走り去っていった。
顔を真っ赤にして起こる瑠璃と、何がなんだかわからない叶を置いて。
興奮してる瑠璃の顔を覗き込んで、叶は不思議そうに首を傾げる。
「叶は関係ないの!どっか行ってよ!!」
大きな声をあげて瑠璃は叶を突き飛ばした。
嫌い!嫌い!こんなやつ。
なんにも知らないくせに。いつも廉の隣にいるのは私じゃない。こいつなんだ。

「三橋んち、今日親いないんだろ?」
「そうよ!だから何よ」
「え、だから。廉は今日俺んち泊まりたいって…メシも、俺んちで食うって」

なのに、なんで外に食いに行くの?と叶は不思議そうに瞬きをする。
そっか。返信してこなかったのは、叶っていう切り札があったからなんだ。
私への、ささやかなつもりで大きい仕打ち。
今まで廉に冷たい態度をとった、私への報い。

「……あんまさ、三橋にキツイこと言ってやんなよ」
「言って、ないもん」
「もうすぐ帰っちゃうかもだしさ。お前、いとこだろ」
「………え?」


「え、じゃなくてさ。西浦受けるじゃん。あいつの、地元の。
偏差値ないくせに、頑張るんだって。落ちたら三星があるけどさ」






西浦、地元校、帰る。
聞いたことのない叶の言葉に、ガンガンとなる頭では理解できない。
私、そんな話………

「知ら、ない……」
「は?知らないの?何で?」
瑠璃のぽやっとした顔を見て、叶はまた不可解そうに表情を歪めた。
廉が、この学校嫌いっていうのは知ってた。
最近、家で投球練習した後も、遅くまで部屋の電気が点いてるのも何となく知ってた。
でも、帰るかもなんて…知らない。
おばさんも、お母さんも、そんなこと教えてくれなかった。

なのに、なんで叶は知ってるの?
あたしは知らないのに。

廉をこんなに嫌われ者にした叶が、何で?
何で!?

「廉のことなんて、なんにも知らないくせに!」

そう叫んだとたん、叶の顔が一段と歪んで、その恐怖に瑠璃の肩が一瞬震える。
そして、一瞬で悟った。
わかってしまった。
これが、私と廉の壁だったんだ。

「お前だって、なんも知らないだろ?いとこのくせに」

涙がアスファルトに落ちた。乾いたそこに、じんわり濃い色をつける。

怒った低い声。
男の子の声。

こんなの知りたくなかった。
叶との差を、自分から見せ付ける羽目になるなんて。
戻れるわけない。

廉は男の子なんだ。
私は、女の子だったんだ。







その晩、1人きりで過ごす家は、いつもより何倍も広く感じた。
なかなか寝付けなくて。何度も寝返りをうつ。
廉は何をしてるんだろう。叶と楽しくおしゃべりでもしてるのかな。

私はあの子の一番にはなれない。
昔はお母さん。今は叶。
最大に守ってあげられる人じゃないと、ダメなんだ。
女の子になった私では、廉を守ることなんてできなかったんだ。
守ってるつもりで、廉の手にしがみついていたのは私だったんだ。
握り締める自分の手は、いつまでたっても温かくならなかった。







その日は朝からどんよりと雲が厚かった。
部活が始まった頃には、今にも泣き出しそうな空模様だったが、
予想通り急にざあっときて、はじめたばかりの練習は中止となった。
皆とりあえず濡れないように、ベンチまで退散する。
スコールのように一気に降った雨が一瞬上がり、ぞろぞろと部室へ向かう。

その途中、廉がおずおずと話しかけてくる。
「か、叶くんの、家、行って、いい?」
「おー。昨日やりかけたゲームやろうぜ…」

いいよ、と言いかけたが、叶はやっぱりダメだ、と、首を振った。

「って思ったけど、三橋とは昨日のままだろ?帰ってちゃんと謝れよ」

廉がいつもの感じでギクッという反応をして、勢いよく首を振って嫌がる。
「お、俺、い、行かないって、言っ、た!」

「そのことだけじゃねえだろ。高校のこと、言ってないんじゃねえの?」
「……どうせ、もうすぐ、わ、わかること、だし」
廉の目が泳ぐ。オドオドとつぶやいた。

「けどさ。なんか可哀想じゃん、三橋」
「は、話したって、怒…るだけ、だし」
「怒らしときゃいいじゃん。そんなんで揺らぐ決心じゃねえだろ?」
「そう、だ、けど……」
何か言いかけて、もごもごと廉はそのまま黙り込んだ。
とっくにそれに慣れた叶は、ふーんと相槌を打って、歩き出す。
「お前、そんなアイツのこと苦手だったっけ」
納得いかないように首をかしげながら、大きく伸びをする叶に一瞬目線を送ると、
また激しく降りだした雨に濡れるグラウンドを恨めしそうに見つめた。





「そ、ういうんじゃ、ない」
「そっか?なんかしきりに避けてるっぽく見えるよ」
「い、、一緒に……いたく、ない、から」
「…それ三橋が聞いたら、泣くだろうな」
廉の口から出た酷い言葉に反応して、叶が少し軽蔑の眼差しで振り返る。
いつもなら、それを見たくないために怯える廉の顔が、叶を上目遣いに見て、
どこか寂しげに、すぐに視線を逸らした後、ゆっくりと前を歩きだした。

「俺、一緒に、いたくないん、だ」

同じ言葉を繰り返す。
屋根のない場所に出て、廉の肩に雨がぶつかり飛沫をあげる。
気がつけば目の前の雨は本降りになって、廉を叩きつけていた。
「俺、叶くんみたい、に、ずっと、一緒には、いて…あげられない……から」
一瞬にしてずぶ濡れになった廉が、振り返る。
「俺とお前の、何が違うっていうんだよ」

「叶くんは。ルリの、いとこ、じゃない…でしょ」
「当たり前じゃん。それが?」
「叶くん…は。女の子が、泣い、たら……ど、どうする?」
「どうするって…そりゃ」

雨が地面に落ちて跳ね返った音がやけに大きく感じた。

すぐに廉の言いたいことに気づいて、叶はハッと顔をあげた。
その先にいた少年の顔の中に変化を感じて、思わず口をつぐんだ。

「俺は、ルリの、イトコ…なんだ」

廉の顔は妙に落ち着いていた。
それは、かつて泣いてばかりいた廉の面影を微塵も感じさせない、男の顔だった。

「それで、ルリは。 ルリ、は 女、なんだ」

雨にぬれて張り付くユニフォームが張り付いて、
まだあまり筋肉のついていない廉の体を浮き彫りにした。
それでも、廉のカラダは、もう子供ではないということを、
痛いほど主張しているように、叶には思えた。






「えッ、帰ってこないの?」
受話器の向こうの両親の明るい声が、瑠璃の耳に痛いほど響いたのは,
2時間も前のことだった。群馬でも猛威を奮う大雨が、両親の旅行先で
災害になり、交通機関が麻痺してしまったということだった。
もう一泊してくるね、というなんだか嬉しそうな声に、曖昧に頷いて電話を切る。
今も瑠璃の部屋の窓を叩きつける雨の音が、嫌というほど孤独をかきたてた。

外の雨が自分の代わりに泣き続けているように思えた。
ソファに横たわり、その音をただ聞いていた。
今までだって留守番は沢山してきた。
廉がいない日常が、小学生までは当たり前だった。
たった3年間一緒にいただけ。なのに、こんなに1人が寂しい。
ただ、小さな声で‘ルリ’って呼ぶ声がなくなるだけなのに、それがすごく辛い。
廉は気づいてる?
廉が人の名前を呼ぶのって、すごく限られた人数しかいないってこと。
その中に私がいるだけで、とっても嬉しかったってこと。
もうすぐそこから私はいなくなる。
1番にも2番にもなれずに、いつかは消えていっちゃうんだね。
問題は距離じゃない。でも多分廉は、私を思い出すこともなくなってく。
このまま、さよならを言う日が来るんだ。

ぐるぐる回る頭の中。本当に悲しいってこういうこと。


玄関でドアが開く音が小さく聞こえた。
ああ、そういえば昨日鍵掛けなかったっけな。
どっかで、廉がもしかしたら帰ってくるんじゃないかって。
勝てるわけないのに、叶に。






ひたひたと、ゆっくり足音がリビングに近づいてくる。
乾いた目に、一気に水分が集まってきて、瑠璃を満たしていく。

リビングのドアがゆっくり静かに開いた。
外から見て、電気の点いている部屋はここしかないから、
私がいることがわかっているはずなのに。
いつもなら、避けるようにすぐに投球に向かうくせに。
あ、今日は雨だからそれも出来ないのか。
心臓がズキズキと鳴る。
動けない。振り返れない。
すぐ後ろに廉がいるのに、声もでない。

「ただ、いま…」

痛む心臓が大きな鼓動を打った。

「ルリ…、寝てる、の?」
寝そべったルリの顔を、ソファの背中から見下ろしてきた。
思わず泣きそうな顔を見られたくなくて。クッションに顔をうつぶせる。

「起き、てる?」
「なんで、帰ってきたの?」

くぐもった瑠璃の、少し怒っている声が廉をビクつかせた。が、
廉は瑠璃が寝そべっている足元の、ソファの開いている部分に小さく座った。
「メール。見なかったの」
「み、見た…よ。でも叶くんが、帰れって」
「叶くん叶くんって、そればっかりだね。別に1人で大丈夫」
「う…でも、女、1人は、危ない、、」
「昨日も1人だったもん」
「あう…で、でも…」
「廉は、叶のとこに行きたいんでしょ?行けば?家近いじゃない」
「だ、だけ、ど、」
瑠璃はイライラして起き上がって座りなおし、廉をキッと睨んだ。

「早く!早く出てってよ!!どうせもう、いなくなるんでしょ?」






「な…んで、知って…る、の?」
「…叶から聞いたもん」
「…………そ、か。」
「私には、知られたくなかった?」
「…………」

否定せず、素直に黙り込む廉の態度に、
こらえていた涙が零れ落ちて革張りのソファにぽたりと落ちた。

こんなに嫌われてるなんて。知らなかった。知りたくなかった。

「だっ…て、怒る…で、しょ……?」
「怒るわよ!!」

廉の一言に我慢できなくなって、さらにボロボロと止め処なく涙が落ちていく。
泣いている私に、どうしていいのかわからずオロオロとする廉をきつく睨む。

「最初から、言えばいいじゃない!あたしが怒ったって、泣いたって、
廉は出て行くんでしょ!?あたしには止められないんでしょ!?
…こんな、こんな辛い思い、させないでよッ…!」

抑えきれない怒りを拳に込めて、思い切り廉の胸にぶつけた。
傷つけばいい。いたわる気持ちを持ってくれないのなら、カラダにだけでも思い知らせたい。
だけど、それで余計に切なさが心を一杯にした。

廉をいためるつもりでぶつけた拳だったのに、
廉のカラダは少し揺れただけで、びくともしなかった。
まだまだ成長途中で、強そうには見えない体。
でも、それ以上に幼い女の子の力では、何のダメージも与えられないってこと。
驚きながらも、少しも痛がらない、自分よりも硬い胸。
まただ。
廉は、もう男なんだ。
嫌でも認めるしかなかった。

「…ごめん、ね」

聞き慣れたはずの廉の声に違和感を感じる。
いつから私より低い声になったんだっけ。
知らない、こんな声。こんな廉。






「ルリ、泣かないで」

「…知らない!レンなんか知らない!」

廉の指が瑠璃の涙をぬぐった。その手のひらの大きさに、顔を逸らして逃げた。
今、自分はどんな醜い顔をしているだろう。
嫉妬に焦がれて狂った心が、今更恥かしい。

「泣かないで、ルリ」

「誰のせいよ!」
「…お、俺…だけど…」
「嫌い!廉なんか、廉なんかッ!嫌い!!」

胸に押し付けたままの拳を、更に強く握り締めて、
ありったけの侮辱を言葉にしようとするけど、こんな簡単なコトしか言えない。
置いていかれたくなくて。
あの時、スカートを握っていた私より小さな廉の手。それが、もうどこにもない。
今あるのは、それにしがみつこうとしている、廉より小さい自分の手。

どこにも行かないで。

願った瞬間、冷え切った自分の体が暖かい何かに包まれた。
涙でボロボロの顔が、体温で暖められたカッターシャツに埋もれている。
しばらく理解できなかったけど、左の頬にあたる、ふわふわの茶色い髪が目に入って、
廉が抱きしめているのだとようやく飲み込めた。
すり寄って来るみたいに、ゆっくり、優しく、暖かく包まれていって、
しっかりした肩幅に、自分の小ささを改めて思い知る。

「嫌い、でも…いいよ」

廉の吐息が瑠璃の肩にかかる。
すこし湿ったそれで、廉まで泣いてしまったのだと悟った。

「だから、泣かない、で…」
最終更新:2009年11月07日 17:40