2-822-827 オッパイハンター

『おっぱい』
神が与え給えたこの美しき造詣物。
これは、オッパイの魅力に取り付かれ、この世のオッパイを探求する冒険者たちの物語である。

天気予報では、曇りのち雨。降水確率百パーセントになっていた。
「ついてねぇな。試合の日だって言うのに」
言葉では不満を漏らしていたが、田島の表情は、それほど悪くなかった。
「スタンドにいっぱい客こねぇかな。来てくれたら、白い服とか、雨で透けるかも」
玄関で靴ひもを結び、着替えの入れたカバンを担ぐと、田島は試合会場へと向かった。

夏の甲子園をめざす埼玉県大会の初戦、西浦高校は強豪・桐青高校と戦っていた。
一回の表、西浦の攻撃。
一番の泉がヒットで出塁。二番の栄口はセーフティーバントで塁を進ませた。
田島は、ベンチに戻ってくる栄口に声を掛けられた。
「あのキャッチャー気をつけな。なかなか、したたかな人だよ」
「ふ〜ん」
桐青高校キャッチャー・河合和己。3年生でチームの主将も務める、まさに大黒柱である。
「けっこうね、ブツブツ言ってくるんだ。田島も幻惑されないようにね」
三番の巣山がバントに成功したので、田島はバッターボックスへ歩き出した。

「女性が監督かぁ。めずらしいね」
足場を整えている最中、声が聞こえてきた。それは、誰が誰に言うようなものではなく、聞こえるか聞こえないのかハッキリしない程度のしゃべり声だった。
「いいでしょ?モモカンって呼んでるんすよ」
答えられたことで、河合は逆に驚いた。
別に返答する義理はないのに、素直に返すあたりが田島らしかった。
「どれくらいあるのかなぁ」
「あててみてくださいよ」
結局、最初の打席は、シンカーを空振りで三振。残塁したままチェンジとなった。

田島はベンチに戻ると、花井から守備に就くためのグローブを受け取った。
「花井、向こうに“ハンター”がいる」
帽子をかぶり直している時に声をかけられ、花井は田島の顔を見た。それは、普段の無邪気で天然の顔ではなかった。花井が知るもう一つの田島の鋭い表情だった。
田島も花井も、秘密組織「オッパイハンター」の一員だった。



「世にあるすべてのオッパイを狩る、それがオッパイハンターだ」
花井が二人きりで女性の理想のバストサイズを語っていたとき、急に田島の目が鋭くなった。
「おまえ、俺と同じだな」
「え……?」
「お前もハンターになれ」
正直、花井はオッパイハンターがどのような組織で、田島のほかに誰がメンバーでいるのかをわかっていない。ハンターの情報は、すべて田島から与えられたものだからだ。
「あいつの狙いは、モモカンだ」
「な…!」
田島の目が嘘を言っていないことがわかった。それだったら、よけい性質が悪いことだ。
なぜなら、田島も花井も、それぞれの夢は、
「モモカンの胸の柔らかさを確かめたい」
である。ここ数ヶ月の付き合いだが、いまだに二人とも胸にたどり着くところまで成功していない。
田島いわく、ハントは絶対に乱暴をするな。あくまで自然に、エレガントにだ。
二人とも、その機会をうかがっていた。それを、今、よそ者が自分たちのテリトリーを荒らそうとしている。
「この戦い、かかっているのは三回戦の切符だけじゃない。モモカンもだ。気合を入れろよ」
「お、おお!」
花井は改めて気合を入れなおした。
「それと、右打者用のフォークのがつかまえられそうだよ。たのむぜ、5番!」
そういうのは先に言えよ、と心の中で思いつつ、
「おお!」
右翼へ向かっていった。

二回の表、西浦の攻撃。花井は出塁した。
すると、一塁コーチャーの田島が審判にタイムを要求し、花井は靴ひもを結び直すために腰を落とした。
「リアクションするなよ」
「は?」
花井が聞きなおそうとする前に、ヘルメットを手で押さえられた。
(俺の合図で走れ、“フラワー”)
(その名で呼ぶな)
花井が田島から、正式なオッパイハンターになったことを伝えられた日、田島からコードネームを名乗るように言われた。
「花井梓だから、“フラワー”にしといた」
どうやら決めたのは田島らしい。
「なんちゅう安直な……。俺は嫌だぞ」
「えーーー!?もう遅いよ。世界オッパイ協会に受理されたんだもん」



コーチャーボックスに戻ると、田島は再び桐青ピッチャー高瀬準太に注目しだした。
これまでの投球、そして2回の牽制球。田島の視線は高瀬の背中に集まっていた。
「ゴッ!」
誰もがあっけに取られた盗塁劇だった。走った花井も、盗塁を許した河合も、西浦のベンチ陣も。
「た、た、た、田島くん…、モーション盗んだの?」
百枝は感情が高ぶると、胸を震わす癖があった。今も田島の才能に感動して震えがとまらず、胸を縦にゆらしている。
高瀬の背中にプリントされた背番号が、まるで、両手で胸をもみしごくように形が崩れたようになった時、本格的に投球モーションに入る。
田島は牽制球を見たことで確信が持てた。
田島のコードネームは、“オッパイファルコン”まさに隼の目をもつ男だった。

3回の表、田島は二回目の打席が回ってきた。
「今日の準太は調子いいな」
田島がボックスに入ると、また声が聞こえてきた。
「打ちますよ。俺たち」
ふふん、と河合は笑みを浮かべた。河合にしてみたら、これほど簡単に自分の語りに乗るやつは珍しい。
そして、だからこそ、自分のペースで試合運びができる予感がした。
「賭けようか」
「いいスよ」
田島は高瀬のほうに集中している。しかし、河合には反応を示した。
「そうだな、俺たちが勝ったら、君たちの監督のおっぱいを揉む」
そのとき、はじめて田島は河合の目をにらんだ。
へぇ、けっこう怖い顔もするんだね。
河合はそうのん気に感想をもらした。
「じゃぁ、俺もおっぱいで。モモカンのおっぱいを揉む」
それじゃ賭けになってねぇよ。
この打席、田島はストレートを見逃して三振。河合は、田島をうまく感情を揺さぶることに成功した。

「おっぱいを揉む、か」
さきほどは、田島と話の成り行きでそうなってしまった。
だが、田島に言うまでもなく、河合はずっと百枝の胸が気になってしょうがなかった。
「あいつ等、いつもあの監督と一緒になって練習してるのかよ」
河合の見たところ、新設で、しかも一年生しかいない野球部を引っ張っていっている百枝の力量は、なかなかのものだった。
「もし、揉めるんだったら……」
もう一度西浦ベンチに視線を動かし、百枝の仕草を確認する。
だが、気持ちと裏腹に、自分の目は小刻みに揺れるバストの方に釘付けになってしまった。
「ふざけんな!相手の監督を視姦するのは俺の役目だ」
両頬に張り手を食らわして気合を入れなおし、河合は試合に集中しなおした。
この一連の河合の葛藤を、田島と花井は観察していた。
「ファルコン」
「ああ。桐青に勝つには、アイツを攻めることだ」



6回の西浦の攻撃は、田島からだった。
「モモカンのサイズ、わかりました?」
今回は田島の方から声を懸けた。
「いや…」
河合はチラリと田島の表情をうかがった。目が合うと、にやりとされた。
「108センチなんですって」
「ひゃく……」
もちろん田島は正確なスリーサイズを知らない。だが、河合にはその情報は効いた。
オッパイハンターは、その性格上、自分の理想像のおっぱいを心の中に持っている。田島はハンターのその弱点を突きだした。
「俺たち隠れてシャワーを覗いたんです。確かな情報ですよ」
これもガセである。西浦高校にシャワーはない。
だが、河合の頭の中には、一瞬だけ、裸の百枝が浮かんだ。
試合中だぞ。集中、集中。
河合は妄想を打ち消すように、グラブを叩いた。
(もうひと揺さぶりしておくか)
「リンカーンって知ってます?アメリカの大統領の」
「……知ってるよ?」
問答はそれで終わりだった。発言自体には意味はない。重要なのは音にあった。
河合の頭の片隅には、裸の西浦ナインにもみくちゃにされ、恍惚をうかべて体を嬲られる百枝の姿を思い描いていた。
その隙を見逃す田島ではない。
甘く入った初球ストレートを三遊間に流した。

「ふぅ。いかん、いかん」
そういえば、心理戦を仕掛けられたのは初めてだな。
西浦の攻撃を無事に防いでベンチに戻ると、河合は一年生相手に取り乱した自分を反省した。
「俺らしくない。誰よりも冷静で、誰よりもしつこい蛇のように獲物を狙う。それが俺だったはず」
河合のコードネームは、“オッパイスネーク”
自分本来の姿を思い直して、再び河合はグランドの方に目線を向けた。その先にある豊胸へと。
「慎吾」
「なに?」
河合はバッターボックスへ向かうところの島崎に声をかけた。
「お前、西浦監督のこと、どう思う?」
「どうって、…でかいな」
「4番の田島がな、あれは108センチだっていうんだ」
「オメエら、緊張感がねぇな……」
島崎はこれまでのやり取りを思い浮かべてあきれた。
「俺は考えたんだけど、……110はあるんじゃねぇか?」
島崎は河合があまりに真剣に告げるので、おかしくなっておもわず吹いてしまった。いくらなんでもでか過ぎる。
「笑うな!」
そこで試合が再開したので、河合はベンチに戻ろうとした。
「和己、見てっから!」
島崎は河合の意図を汲み取った。河合は手のひらで胸を揉む動作を見せると、島崎も同じ動きをした。



8回の表、田島と河合の争いは、一番静かに、一番激しくぶつかり合った。
1点をあらそう場面である。お互いは探りを入れるのをやめ、野球に集中していた。
1−1からのストレート。ファウル。そこから直球勝負となった。
「おっぱい!」
ファウル。
「おっぱい!」
ファウル。
田島は日々の練習を思い出していた。
高瀬の一番早い球、それは140キロの高速ピッチングマシーンのタイミングにぴったり合っていた。
「振り切るタイミングは、『おっぱい!』だ」
8球まで粘ると、9球目にシンカーを投げてきた。これを見送ってボール。
「シンカーのタイミングもつかんだ。あとは、手の届くところにくれば、打つ!」
田島は構えなおした。そして高瀬の投げる球を待つ。
すると、シンカーが今度は真ん中に入ってきた。
「とどく!」
田島はタイミングを取り始めた。
「モモカン、の、おっ、ぱい!」
しかし、球はバットの下を潜り抜け、田島は三振した。
「くっ……そおお!!!」
田島は自分のふがいなさに腹が立った。そして、自分の力でモモカンを河合の手から守れないかもしれない、と悔やんだ。
だが、おっぱいの神はまだ田島を見捨てていなかった。
西浦の仲間たちが、力を振り絞って、最終回に田島へと打順を廻した。

9回の表、田島の打席は本当にこれで最後になりそうだった。延長戦に入ると、西浦は不利。誰の目にも明らかだった。
「監督はもらったな」
もはや田島は河合の声も聞こえなくなっていた。
(シンカーのタイミングはさっきのでいい。だが、それでもリーチが足りない)
シンカーを見逃してツーストライクと追い込まれた。
「よし!」
田島はグリップを確認した。雨のせいで、グリップも手袋も濡れている。
そして、もう1球シンカーを投げてきた。
「モモカン、の、おっ——」
田島は、遠心力にさからわず、握りを後ろにずらした。
「——っぱい!!!」
リーチが握りの分だけ伸びた分、シンカーに届いた。
これが決勝の一打となり、西浦は試合に勝った。



試合後、西浦の陣中に、桐青の河合が尋ねてきた。
「やられました」
田島も花井も河合の目が赤いことに気がついた。きっと、今まで気持ちの整理をするのに時間がかかったのだろうか……。
「田島君、甲子園はいいですよ」
そういうと耳に近づいてひそやかにしゃべりだした。
「スタンドから見ても客席が良く見えるんだ。全国の女子学生の胸を狩れるよ」
「ほんとに!?」
そう言うと河合は去っていった。

「モモカーン、勝ったよ!」
うん、うん、とうなずいて百枝も田島の頭をなでた。百枝は機嫌がいい。なんていったって、西浦が勝てたのは、田島の力が大きかった。
「それじゃぁ、約束を……」
「やくそく?」
百枝には田島と何か約束事をしてたっけ、と考えた。
田島は百枝の後ろに回ると、背中から腕を廻して胸をつかんだ。
「おお、おおおおお……」
それはまさに両手にあまるほどの大きさであり、力を入れても内側から弾かれるようなおっぱいだった。
だが、強引に引き剥がされると、田島の頭をつかまれた。
「ぎゃあああああああああっ!!!」
「……アホだろ、田島」
花井は悲鳴を挙げる田島に同情しつつも、あきれざるをえなかった。
田島の賭けは、河合に対してだけであり、百枝は一切関知をしていない。当然、この行為はセクハラ以外の何者でもなかった。

(おまけ)

利央が帰宅すると、兄と玄関で出くわした。
「いよう、負け犬オッパイ」
「ちょっとお、そんな言い方しないでよ。みんながんば……」
そこで利央は扉に叩きつけられた。そして、自分への、桐青への悪口を散々にののしられた。
「くやしいか。なら兄ちゃんがカタキとってやる。西浦の監督のスリーサイズ、フルネーム、年齢、彼氏の有無、使用しているブラジャーのサイズを持ってこい」
兄ちゃん、それって、自分の趣味なんじゃないの?といおうとしたが、利央には言えなかった。


 了
最終更新:2009年11月07日 18:01